artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

合田千夏「Now or Never」

会期:2022/08/31~2022/09/21

Kanzan Gallery[東京都]

合田千夏は10代から20代半ばまで、ラップを中心とした音楽活動にのめり込んでいたという。それを一時休止していた時期に、祖父から譲り受けたカメラで写真を撮り始める。以来「24時間いつでも、その時に必要な写真を」撮り続けてきた。今回のKanzan Galleryでの個展では、そのなかから「FEAR EATS THE SOUL」「“赤裸々”」「Blue Hawaii」の3シリーズ、それに新作の「Portrait Zero」を展示していた。

何よりも、自らの生に寄り添いつつ、歌うように、息を継ぐように写真を紡ぎ出していく姿勢に共感を覚える。写真を「精神的に高いところにあるものを取るための踏み台」として使っていこうという希求が、気持ちのよい波動として伝わってきた。音楽というベースも、画像を組み合わせてリズムや色彩のハーモニーを表現していくときにうまく働いている。とはいえ、会場のインスタレーションや、2019年に私家版で刊行した写真集『FEAR EATS THE SOUL』などを見ると、もう一段階、写真家としての脱皮が必要な時期に来ているのではないかと感じる。直感に頼るだけでなく、写真の選択、配置により論理的な思考と実践が求められているのではないだろうか。「もし写真を写し続けた期間が人生の全てだったとして、今私が亡くなるとしたらこんな走馬灯を見るのではないか」(「魂の在り処」『FEAR EATS THE SOUL』所収)という切実感をキープしつつも、より説得力のある写真に結びつけていく、新たな展開を期待したいものだ。

2022/09/14(水)(飯沢耕太郎)

山田谷直行「Kona Chatta Yoo」

会期:2022/09/06~2022/09/18

Roonee 247 Fine Arts[東京都]

「Kona Chatta Yoo(こーなっちゃったよー)」という写真展のタイトルは、なかなか実感がこもっている。試行錯誤を繰り返すうちに、自分でも思っても見なかったような方向に作品が動いていく。戸惑いながらも、ワクワク感が高まってくる感じが、タイトルからよく伝わってきた。

とはいえ、今回、山田谷直行が展示した作品が「写真」という範疇におさまるのかといえば、ややむずかしいところもありそうだ。山田谷はプリントの用紙に徹底してこだわる。出ヶ原和紙、因州和紙、阿波和紙、ついには材料を購入して自作の和紙まで作ってしまった。さまざまな手法、技法も試みている。硝酸銀プリント、サイアノタイプなどの古典的な銀塩技法だけでなく、インクジェットプリントも使用し、それに蜜蝋、墨、紙粘土なども加えて、なんとも形容しがたい映像+物質の混合体のような作品を制作する。ほとんど抽象画のような作品も多いが、写真的なリアルな描写がだいぶ残っているものもある。まさに「Kona Chatta Yoo」としかいいようのない作品群だ。

ひとつのスタイル、技法に集約させるという選択肢もあったと思うが、山田谷はあえてバラバラに引き裂かれたような作品を会場いっぱいにちりばめていた。そのことで、観客もまた、山田谷とともに生成しつつある作品制作の現場に立ち合っているように感じるだろう。紙という支持体の可能性をとめどなく広げて、むしろ紙の質感を元にして写真の方向性を決めていこうとしているようにも見える。作品一点一点のサイズはそれほど大きくないので、それらをつなぎ合わせて、巨大な作品に仕上げるのも面白いかもしれない。

2022/09/14(水)(飯沢耕太郎)

百々俊二・新・武写真展「Dream Boat」

会期:2022/08/12~2022/10/08

キヤノンギャラリーS[東京都]

親子で写真家という例はないわけではないが、父親と二人の息子が自分の写真の世界を追求し続けつつ、それぞれ高い評価を受けるというのはとても珍しいことではないだろうか。百々俊二(1947-)、百々新(1974-)、百々武(1977-)の三人展を見て、あらためて彼らの写真家としての営みに感銘を受けた。1996年に写真集『楽土紀伊半島』(ブレーンセンター)で日本写真協会年度賞を受賞して以来、数々の写真賞に輝いている百々俊二はいうまでもないが、新は2012年に『対岸』(赤々舎)で第38回木村伊兵衛写真賞を受賞し、武も2009年に写真集『島の力』(ブレーンセンター)を刊行してから、精力的に写真展を開催し、写真集を出し続けてきている。

今回の展示は、彼らの代表作を集中して見せるのではなく、初期作品から近作まで100点以上を総花的にちりばめたものとなった。一見バラバラになりそうだが、全体的な印象としてはむしろ統一感がある。モノクローム、カラー、大判カメラ、中判カメラ、小型カメラ、さらにポラロイドに至るまでさまざまな機材、手法を使いこなしているにもかかわらず、三人とも向いている方向は同じであるように見えてくるのだ。「人間」という不可思議な存在への、飽くなき興味とアプローチ、あくまでも自らの「体験」に徹底してこだわる姿勢、好奇心と探究心と冷静な判断力との絶妙なバランスなど、やはり親子であり、同じ血が流れているということだろう。

とはいえ、むろんそれぞれの作風の違いも浮かび上がってきていた。百々俊二が被写体に対応する振幅が最も大きく、百々新が冷静な距離感を保ち、百々武がその中間といえる。親子三人での展示は、2012年に尾仲浩二が主宰するギャラリー「街道」で開催して以来12年ぶりということだが、これで終わらせるのはもったいない。また機会を見て、ぜひ「Dream Boat 2」展を実現してほしい。たとえば、三人が同じテーマで撮影した写真の展示なども見てみたいと思う。なお、展覧会に合わせてCase Publishingから同名の写真集が刊行されている。

関連レビュー

DODO EXHIBITION|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2010年02月15日号)

2022/09/12(月)(飯沢耕太郎)

北島敬三「UNTITLED RECORDS」

会期:2022/08/26~2022/09/25

BankART Station[神奈川県]

北島敬三は2011年の東日本大震災をひとつの契機として、北海道から沖縄まで、日本各地の風景を一貫した視点で撮影するシリーズの制作を開始した。「UNTITLED RECORDS」と名付けられたそれらの写真群は、『日本カメラ』(2012-2013)での連載を経て、2014年から2021年にかけて、東京・新宿のphotographers’ galleryの個展で20回にわたって発表された。同作品で第41回土門拳賞を受賞。今回のBankART Stationでの展覧会では、そのなかから選んだ48点を、大判プリントで展示している。ほかに北島が1970年代以降に撮影してきたストリートスナップ写真の大型スライドショーも併催されており、圧巻というべき充実した内容の展示だった。

展覧会に合わせてBankART 1929から刊行された172点を収録した同名の写真集を含めて、北島のこのシリーズをあらためて概観して感じるのは、彼が日本の風景のあり方を主に建造物を通じて見つめ直そうとしていることである。当然ながら、風景は自然と人間の営みとが融合して形をとってくる。時間というファクターで見れば、自然の方が厚みと永続性を備えており、人間の営為は仮設的で移ろいやすい。特にそれが露呈してくるのは、東日本大震災のような災害後の風景で、2011年に集中して撮影された東北地方の太平洋沿岸部の写真に、そのことがくっきりとあらわれていた。だがそれだけではなく、北海道から沖縄までの「見過ごされがちな場所」「意味がくじけてしまうような場所」を丁寧かつ執拗に追い続けた本作には、まさに大規模な変動に直面している日本の風景のあり方を、「いま」というスパンで切り出しておくべきだという北島の強い意志が刻みつけられていると感じた。

なお本展は、今年3月に急逝したBankART 1929の元代表、池田修が最後に企画した3つの展覧会のうちのひとつだという。池田の遺志をしっかりと受け継いでいこうとするスタッフの意欲が、展示の隅々にまでみなぎっていた。

2022/09/04(日)(飯沢耕太郎)

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公文健太郎『NEMURUSHIMA』

発行所:Kerler

発行日:2022年

公文健太郎はここ数年、精力的に写真集を刊行し、写真展を開催している。『耕す人』(平凡社、2016)、『地が紡ぐ』(冬青社、2019)、『暦川』(平凡社、2019)、『光の地形』(平凡社、2020)と続くなかで、彼が何を求め、何を伝えたいかも少しずつ見えてくるようになった。一言でいえば、日本の風土とそこに住む人々との関係を、写真を通して探求することといえるだろうか。かつて濱谷浩が『雪国』(1956)や『裏日本』(1957)などで試みたテーマの再構築ともいえそうだ。

今回、ドイツの出版社Kehrerから刊行された『NEMURUSHIMA(眠る島)』もその延長上にあるシリーズで、瀬戸内海の離島、手島(香川県)を撮影している。日本列島を巨視的な視点で見直そうとした濱谷浩とは対照的に、島というそれほど大きくないテリトリーを対象とすることで、多彩な地形、植生がモザイク状に絡み合う「小宇宙」の様相が、より細やかに浮かび上がってきた。特に今回は、人の暮らしのあり方を多めに組み込んでいることで、「土地と人の営みのつながり」を捉えようとする公文の意図が、よりくっきりとあらわれてきているように感じた。ややセピアがかった調子に傾きがちな彼のプリントワークが、このところずっと気になっていたのだが、それも写真一枚ごとに丁寧にコントロールされてきている。

こうなると、『耕す人』以来のシリーズをまとめて見る機会がほしくなってくる。美術館のような、大きめなスペースでの展示が実現できるといいのだが。

2022/09/02(金)(飯沢耕太郎)