artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
佐々木加奈子 展「Okinawa Ark」/佐々木加奈子「Drifted」
- 佐々木加奈子 展「Okinawa Ark」
- 資生堂ギャラリー[東京都](2009/02/06~2009/03/01)
- 佐々木加奈子「Drifted」
- MA2 Gallery[東京都](2009/02/13~2009/03/14)
2004年に「写真ひとつぼ展」の審査で初めて佐々木加奈子の作品を見た時、少女趣味のセルフポートレートという印象で、それほど面白いとは思わなかった。ところがそれから数年で、彼女は芋虫が蝶に変身するようにアーティストとして大きく成長し、凄みのある作品を次々に発表するようになった。器の大きさを見抜けないと、こういうことになる。言い訳するわけではないが、2006年に文化庁の芸術家海外研修でアメリカからロンドンに移り、ヨーロッパの伝統と革新性とが同居する環境に身を置いたことが、彼女に大きな飛躍をもたらしたのだろう。
今回の資生堂ギャラリー、MA2 Galleryの両方の個展とも、現在の彼女の関心の幅の広さと表現力とが充分に発揮されていた。「Okinawa Ark」は南米・ボリビアの「オキナワ村」を取材した映像・写真・インスタレーション作品。第二次世界大戦後、沖縄からボリビアに移住した人たちの子弟が通う小学校の普段着の佇まいを撮影した三面マルチスクリーン映像を中心に、佐々木自身が「少女」を演じる映像作品、一世から三世までの三世代にわたる家族のポートレート、さらに実物の木造の小舟のインスタレーションなどが、効果的に組み合わされていた。テーマになっているのは、戦争の傷跡を背負った移民という重いテーマだが、波間を漂う船のように揺れる映像など、彼女自身の身体性や生理感覚を通して表現されていることに説得力がある。
MA2 Galleryの「Drifted」では、より個人的な体験から導きだされたという印象が強まる。1Fに展示されているのは、アーティスト・イン・レジデンスで滞在したアイスランドで撮影された風景写真と、現地の新聞を折りたたんで作った紙の舟のインスタレーション。2Fには、暗闇の中を懐中電灯の光で照らして見る仕掛けの部屋が作られており、アイスランドやテキサスの荒涼とした大地を月世界に見立てた中に、Google Earthの広島市上空からの空撮写真なども含まれていた。両方の個展に「舟」が登場してくるが、そこにはあてどなく漂流しながら、過去と現在、自然と人間の世界、ある場所と別な場所を結びつけ、繋いでいこうとする彼女自身の姿が象徴的に投影されているように感じる。
そういえば、津田直も『漕』(2007)で「舟」のイメージを召喚していた。同世代(1976年生まれ)である佐々木加奈子もまた、神話的なシャーマニズムへの志向を作品に取り込もうとしているのが興味深い。
2009/02/13(金)(飯沢耕太郎)
石川真生 写真展「Laugh it off!」
会期:2009/01/30~2009/02/28
TOKIO OUT of PLACE[東京都]
奈良で地道な活動を4年間続けてきた写真ギャラリー、OUT of PLACEが東京・広尾に進出してきた。この大変な時期に思い切った決断をしたものだが、観客の入りはスタートとしては悪くないようだ。
第一弾は沖縄の“女傑”石川真生の展示である。一九七〇年代以来、体当たりで沖縄の現実に対峙し続けてきた彼女は、腎臓癌、直腸癌の手術後、セルフポートレートを撮影しはじめた。手術痕や人工肛門が生々しく写り込んだそのシリーズには、降りかかる苦難を笑い飛ばしつつ、クールに自分の体を見続けていこうという強固な意志があらわれている。近作はなんとカメラ付き携帯で撮影したセルフポートレート。そのスカスカの質感、微妙に狂った色味が、思いがけないほどリアルに、彼女の「いま」を浮かび上がらせる。
会場には1986年の「Life in Philly」(89枚)と88年の「Filipina」(48枚)の連作も、壁いっぱいにピンナップされて展示してあった。セルフポートレートとは対照的に、気持ちよく目に飛び込んでくるモノクロームのドキュメンタリーだ。米軍基地にいた黒人兵士を故郷のアメリカ・フィラデルフィアまで訪ねて撮影した「Life in Philly」、金武町の外人バーで働くフィリピン人ホステスたちを追った「Filipina」とも、石川の被写体の側に踏み込みつつ、きちんと節度を保つ姿勢がしっかりと刻み込まれている。まるで戦場カメラマンのような距離感。彼女を取り巻く沖縄の現実がそれだけ苛酷だったということだろう。
2009/02/04(水)(飯沢耕太郎)
倉田精二「都市の造景 ENCORE ACTION 21 around MEX」
会期:2009/01/23~2009/02/28
1970年代から都市の路上を疾走し、惚けたような表情のままふらふら漂っている住人たちの姿を、鮮烈な悪意を込めて写しとってきた倉田精二。彼は2000年代に入ると、首都高速道路建設現場を大判カメラで撮影しはじめた。今回は2008年4月、エプサイトでのカラー作品の展示に続いて、モノクロームの連作を発表している。
倉田がなぜ道路建設現場にこだわり続けているのか、もう一つ釈然としない。あの緊張感あふれる路上のスナップを知る僕らには、人の姿が消えてしまった風景にはどうしても馴染めないからだ。だが倉田がある「断念」の思いを抱え込みつつ、このシリーズに向き合っていることは間違いないだろう。展示に寄せた「ご案内」の文章で、彼はこんなふうに記している。
「タイトルにある『造景』は、フランスの文学と社会学者が東京経験と近代以降に世界各地で肥大化する大都市化を眺めた際の命名を模倣して失敬した。この造語が目指すべきモデルがどこにも無い事態は、技術史ばかりか文明の転回期にふさわしい。[中略]残る問いは、いかに精密に模倣して自己自身とレンズの向うの対象を同時一体化して止揚せしめ、なおもvisionを望見し得るかであろう。」
「技術史ばかりか文明の転回点」にもっともふさわしい眺めが、道路建設現場ということなのだろうか。たしかに、そのガラクタを寄せ集めたような光景と、印画紙をざっくり切ってピンナップしたチープな展示は、しっくりと溶け合って面白い効果をあげていた。
彼の「vision」がどう展開していくのか、もう少し見てみたいと思う。
2009/02/04(水)(飯沢耕太郎)
津田直 写真集『SMOKE LINE』刊行トークショー
会期:2009/02/01
青山ブックセンター本店[東京都]
トークの出演を依頼されたので、喜んで出かけてきた。津田直とは初めて話すのだが、ほぼ予想通りというか、言葉を的確に選んで話す能力がとても高い。小学校4年から、「学校に行ってもしょうがない」と自分で決めて、不登校になってしまった。17歳まで危ない仲間たちと付き合ったり、音楽の道に進もうとしたり、かなりの回り道の末に写真に辿り着いた。その過程で、人間を含めた森羅万象に対するコミュニケーション能力に磨きをかけたということだろう。32歳という年齢の割には密度の濃い人生を歩んできた、その蓄積がいまの仕事に結びついていることがよくわかった。
もう一つ、これも予想通りといえば予想通りなのだが、津田の母親はシャーマン的な資質の持ち主で、彼自身にもその血が色濃く流れているようだ。トークの後半で、これまでずっと私淑していた導師が亡くなった日にモンゴルに旅立つことになっており、飛行機が遅れたため葬儀の間日本に留まったあとでモンゴルに向かうと、そこで出会ったOdjiiというシャーマンに「お前を待っていた」といわれたという話をしてくれた。このOdjiiは津田が帰国した直後にこの世を去った(「煙になった」)のだという。こういうオカルト的な話は、彼の周りでは頻繁に起こっているようだ。先に津田の写真について、「21世紀のシャーマニズム」という言葉を使ったのだが、その直観は正しかったということだろう。
こういう人はシャーマン=アーティストとしての道をまっとうするしかないと思う。自然と人間の社会の接点に立ち、その両者を「くっつける」役割を果たすということだ。そのぎりぎりの営みを見守っていきたい。
2009/02/01(日)(飯沢耕太郎)
青森県立美術館監修『小島一郎写真集成』
発行所:インスクリプト
発行日:2009年1月10日
真冬の北国から届いた郵便物。それがこの『小島一郎写真集成』だった。青森県立美術館で開催されている「小島一郎──北を撮る」(2009年1月10日~3月8日)のカタログとして刊行されたものだが、さすがにこの寒い時期に遠い青森まで展示を観に行くのは辛い。申しわけないが、写真集として紹介させていただく。
小島一郎は1924年に青森で生まれ、1964年に39歳で死去した写真家である。1961年に「下北の荒海」でカメラ芸術新人賞を受賞、作家の石坂洋次郎、詩人の高木恭造と共著で『津軽 詩・文・写真集』(新潮社、1963)を刊行するなど、生前は将来を嘱望された若手写真家だった。だが、彼の代表作をほとんどおさめた、決定版ともいえるこの写真集を見ると、この北の作家の人生が、いくつかの運命の綾に彩られた、どちらかといえば悲劇性の強いものであったことがよくわかる。
詳しくは、同書に掲載された同館学芸員、高橋しげみによる力のこもった論文、「北を撮る──小島一郎論」を読んでいただきたいのだが、彼を東京の写真の世界に招き寄せた名取洋之助がすぐに世を去ったり、慣れない都会の生活で体を壊したり、起死回生をめざした北海道撮影行が失敗に終わったり、特にその晩年は不運が重なったということがあるようだ。とはいえ、彼の「津軽」や「凍ばれる」シリーズの、骨太の造形力と、寒々しい北の大地の手触りを鋭敏に感じとり、ハイコントラストの印画に置き換えていく皮膚感覚は、誰にもまねができないものだろう。あらためて、小島一郎の魅力的な写真世界を若い世代にも語り継ぐという意味で、今回の出版企画の意義は大きい。
2009/01/31(土)(飯沢耕太郎)