artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

蜷川実花『EROTIC TEACHER YUCA』

発行所:祥伝社

発行日:2008年8月30日

去年購入して本棚に放り込んでいたのだが、あらためて「発掘」して見てみるとかなり面白い写真集だったので紹介しておきたい。ストリート系ファッション雑誌『Zipper』(2005年12月号~2008年9月号)に連載されていた写真コラムをまとめたもので、「セクシーパフォーマンス集団」の「東京キャ☆バニー」のYUCAというモデルが、衣装をとっかえひっかえしてセクシーポーズをとるという相当にお馬鹿な企画である。ガテン系、オタク、年下、王子様、成金、神主、IT社長など、キャラクターや職業に合わせて「こんな男を狙い撃ち」というわけで、どうでもいい内容といえばそれまでなのだが、セットアップやスタイリングにまったく手抜きがないところが凄い。
もしかすると蜷川実花の天性の演出力と想像力(というより妄想力)は、こういう面白企画にこそいきいきと発揮されるのではないだろうか。これを見ていると、「エロの脱構築」を旗印に、荒木経惟+末井昭のコンビで1980年代を疾走した『写真時代』のグラビアページを思い出す。ちょっとほめ過ぎかもしれないが、この「スゴエロ」路線は、蜷川の今後の方向性の一つを示しているような気がする。これをさらに発展させて、もっと読者をげんなりさせるような作品を見せてほしいと思う。厚紙に印刷し、角を丸く落として、絵本のようなテイストで見せた装丁のアイディアもなかなかよかった。

2009/01/29(木)(飯沢耕太郎)

寺田真由美 展

会期:2009/1/15~2/28

BASE GALLERY[東京都]

寺田真由美は1989年に筑波大学大学院の修士課程を修了後、主に立体作品を発表してきた。ところが2005年に発表された「明るい部屋の中で」のシリーズから、写真を制作の手段として使うようになってきた。モノクロームの画像に大きく引き伸ばされた、無機質だがどこか柔らかな手触りを感じさせる「部屋」の眺めは、よく見ると作り物であることがわかる。現実の空間ではなく、誰のものともつかない架空の「部屋」が設定されることで、作品を見る者は、そのイメージに自分自身の記憶や経験を重ね合わせて愉しむことができるのである。
今回の新作ではニューヨークのセントラルパークで撮影された実際の風景が、窓の外の景色としてはめ込まれている。さらに「部屋」には本や地図、桜のイメージなどが配置され、その住人の存在感がより強く感じられるようになってきている。そのことによって、これまではどちらかというと、内向きに、抽象的に傾きがちだった思考や感情の流れが、外に向けて開かれるようになった。これはかなり大きな変化であり、寺田の作品世界が次にどんなふうに広がっていくかが楽しみになってきた。
僕はもう少しダイナミックに、「部屋」の内と外との交流を図っていってもいいのではないかと考えている。不在の住人たちも、そろそろ帰宅してもいい頃ではないだろうか。

2009/01/29(木)(飯沢耕太郎)

Izima Kaoru『Landscapes with a Corpse』

発行所:Hatje Cants

発行日:2008年

うつゆみこの展覧会の隣のギャラリー、アートジャムコンテンポラリーで伊島薫の展示も行なわれていた。展示そのものはあまり力が入っていなかったのだが、彼が昨年ドイツのHatje Cants社から刊行した写真集『Landscapes with a Corpse』を販売していたので、いい機会だと思って購入してきた。
この「死体のある風景」のシリーズは、1994年、伊島が編集していたファッション誌『ジャップ』に小泉今日子をモデルにスタートしているから、もう15年も続いているわけだ。モデルの交渉からはじまって、ロケ地を選び、セッティングし、撮影するという気が遠くなるような作業の積み重ねであり、尋常ではないエネルギーが費やされている。それがこのような形で国際的に評価されるようになったのは、とても素晴らしいことだと思う。
ただ、どうも日本での評価が低いように感じる。おそらく「女優が死体を演じる」というコンセプトそのものが、やや際物に見えてしまうことがその一つの理由だろう。死者を撮影することのタブーがかなり強固なこの国では、「本物」はともかく、それをわざわざ演じるという行為に対する違和感があるのではないだろうか。さらに登場するモデルが、TVや映画で人気のある女優や歌手であることが、諸刃の刃になっているようだ。彼女たちが「まじめに」演技すればするほど、どこかしらけてしまう。その点、外国では彼女たちはほとんど無名なので、逆にニュートラルに「死体のある風景」として眺めることができるのではないだろうか。いずれにせよ、伊島薫という写真家の本質である、体育会系のノリのよさが充分に発揮された快作(怪作?)である

2009/01/23(金)(飯沢耕太郎)

うつゆみこ「はこぶねのそと」

会期:2009/1/23~2/22

G/P gallery[東京都]

2006年、第26回「写真ひとつぼ展」でグランプリを受賞。このところ国内外での発表の機会も増え、僕を含めて一部ではかなり盛り上がっている期待の新鋭の、新作を含む作品展である。
オープニング前の、まだ展示が全部終わっていない雑然とした会場で、思いついたことをメモしながら作品を観た。その一部をここで公開してしまおう。
「サツマイモの芋虫化 ジャガイモの芽の一部のモグラ化 少女化するシャコ 見立ての凄み メタモルフォーゼの暴力的自己増殖 色彩の自立と細胞分裂 脳内ドラッグ 汎ゲロ世界 かわいい/グロテスク/エロいの三位一体 アイディアのてんこもり キノコをもっと増やせ! のろい(slow)呪い 現実世界に寄生するオブジェたち はこぶね=ノアの方舟?」
うつゆみこの凄みと魅力が少しは伝わるだろうか。なおメモの最後に書いた「はこぶね=ノアの方舟?」という答えはやはり正解だった。うつゆみこの作品のなかで「メタモルフォーゼの暴力的自己増殖」しているのは「はこぶねのそと」に放逐された「呪われた動物たち」だったのだ。神に方舟に乗り込むことを許されなかった、へんちくりんな生命体の方が、ノアをはじめとするまともな生き物たちよりずっと魅力的であることは、彼女の作品を見ればすぐにわかるだろう。もう一つ、絶対そうだろうと思っていたのだが、うつゆみこが一番尊敬している画家はヒエロニムス・ボッシュだそうだ。

2009/01/23(金)(飯沢耕太郎)

高梨豊「光のフィールドノート」

会期:2009/1/20~3/8

東京国立近代美術館[東京都]

展覧会のタイトルが「光のフィールドノート」。展示されている作品を入り口から順番にあげると、「SOMETHIN’ELSE」「オツカレサマ」「東京人」「都市へ」「町」「東京人1978-1983」「都市のテキスト」「都の貌」「next」「地名論」「ノスタルジア」「WINDSCAPE」「囲市(かこいいち)」「silver passin’」。
どれも文学的な教養を介してよく練り上げられ、的確にその内容を言い当てている。高梨豊が何よりも考えつつ写真を撮ってきた作家であることが、これらのタイトルにはよくあらわれている。
だがその写真が理屈っぽく、観念的かといえば決してそうではない。ポートレートなどでは演出的な写真もあるが、高梨の真骨頂はスナップショットであり、そこでは思惑を捨ててひたすら歩きまわり、イメージの「拾い屋」に徹し切っている。都市も田舎も、彼ほど日本全国を移動している写真家は、ほかにあまりいないだろう。撮ることの身体性をよく熟知しつつ、思考の抽象性もまた同時に研ぎ澄ませていく──知力と体力の素晴らしくバランスがとれた結合を、今回の処女作から未発表の新作まで、約250点で構成された回顧展で愉しく、しっかりと確認することができた。
個人的には「初國」のパートが一番見応えがあった。1980年代~90年代初頭にかけて、日本各地の「聖地」を訪ね歩いたシリーズだが、そこにはこの国に特有の土地の手触りが見事に捉えられていると思う。

2009/01/20(火)(飯沢耕太郎)

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