artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

出発──6人のアーティストによる旅

会期:2009/12/19~2010/02/07

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

東京都写真美術館恒例の「日本の新進作家展」の第8回目。出品者は尾仲浩二、百瀬俊哉、石川直樹、百々武、さわひらき、内藤さゆりである。さわひらきの展示は部屋の中でミニチュアの飛行機が発着する映像作品だが、ほかは「新進作家」たちの旅をテーマにした写真作品が展示されている(尾仲浩二を「新進作家」の枠に入れるのにはかなり違和感があるが)。
こうしてみると、石川直樹の「Mt. Fuji」のシリーズは別にして、旅のあり方が以前とはずいぶん違ってきているように感じる。未知なるものを求め、偶発性に身をまかせて世界をさまようようなロマンティックな態度は影を潜め、旅先で見出した風景の細部を、中判─大判カメラで丁寧に定着していくような作品が目につく。落着きや成熟を感じさせる仕事ぶりは、それはそれで悪くないのだが、小さくまとまってしまっている印象は否めない。何よりも写真家の身体性が希薄になってきていることが気になる。
そんななかで、百々武の「島の力」シリーズの、ナイーブだがしっかりと地に足を付けた眼差しが印象に残った(ブレーンセンターから同名の写真集も刊行)。北から南まで、日本全国66の島を訪ねて撮影した労作だが、ゆるやかに流れる島の時間とシンクロしていくなかで、「同じ時代を彼らは、僕は生きている」という認識が少しずつ形をとっていく。北海道・利尻島で撮影された、「生足」の女子高生が吹雪の中に立つポートレートが、その「同時代性」の象徴というべきだろう。

2009/02/21(土)(飯沢耕太郎)

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東京綜合写真専門学校学生自主企画卒業展 カミングアパート

会期:2009/02/17~2009/02/22

横浜市民ギャラリーあざみ野[神奈川県]

2~3月は「卒展」のシーズン。各大学の写真学科、写真専門学校の卒業生たちが、都内や近県の会場で展覧会を開催する。ほとんどは総花的に卒業制作を展示するだけなのだが、最近は出品者を絞り込んで選抜展にしたり、テーマを設定したりする動きも出てきた。その中でも、この東京綜合写真専門学校の「カミングアパート」展は、「学生自主企画卒業展」ということで異彩を放っていた。
東京綜合写真専門学校がこの形の「卒展」を開催するようになったのは4年ほど前からで、普通の選抜展は六本木・ミッドタウンの富士フィルムフォトサロンで開催し、横浜市民ギャラリーあざみ野のかなり広いスペースを学生有志に開放している。今回は昼間部、夜間部合わせて40名の卒業生が「自主企画卒業展」の方に参加した(両方に出品している学生もいる)。その棲み分けは、今のところうまくいっているようだが、どう見てもあざみ野の展示の方に活気があるように感じられる。
今回特に目立ったのは、写真以外の展示。イラストレーション(阿部萌夢、大川[寳田]苗、長田水記、清水玄)、インスタレーション(若木里美、chaka[波多野康介、嘉義拓馬])、映像(上田朋衛、遠藤優貴、大町碧)などの作品は、発想が豊かで質も高い。写真学校の学生なのにそれでいいのかという話になりそうだが、もはや写真専門学校だから写真だけをやっていればいい時代ではないのだろう。ただしこれはむろん諸刃の剣。むしろ職人的な高度な専門性が、閉塞感を打ち破り、道を切り拓くという可能性も充分に考えられるからだ。正統派の写真作品として面白かったのは大塚広幸「DROPPED IN IRON HEAD」、桑代のぞみ「あいまい」、竹下修平「怠惰なプール」といったところか。

2009/02/20(金)(飯沢耕太郎)

石川直樹『最後の冒険家』

発行所:集英社

発行日:2008年11月21日

第6回開高健ノンフィクション賞を受賞した話題作。写真家以上に文章家としての才能が期待されている石川直樹が、その実力を発揮した面白い読物になっている。ただ、これも彼の写真と共通しているのだが、どうも詰めが甘いというか、最後の最後に宙ぶらりんのまま放り出されたような気分になるのはなぜなのだろうか。
この作品に関していえば、肝心の「最後の冒険家」である神田道夫の人間像が、もう一つ書き切れていないように感じてしまうのだ。神田は2008年1月31日に、巨大熱気球「スターライト号」で太平洋単独横断飛行を成し遂げようと栃木県岩出町を飛び立ち、翌2月1日未明に日付変更線を超えたあたりで消息を絶つ。その4年前には石川自身が副操縦士として乗り込んだ「天の川2号」で太平洋横断を試みているが、無残な失敗に終わってゴンドラごと海面に落下し、たまたま通りかかった船に助けられて九死に一生を得ている。たしかに熱気球は、神田にとって命と引き換えにしてもいい夢だったのかもしれない。だが、その最後の飛行はどうみつくろっても無謀としかいいようがないもので、とても「冒険」には思えないのだ。神田はなぜ飛び立ったのか、その答えはどうも石川自身にもはっきりと把握されていないように感じる。そのあたりがすっきりしない読後感につながっているのではないだろうか。
特筆すべきは祖父江慎+cozfishによる造本の見事さ。カバーと表紙との関係、本文用紙の選択、巻末の「写真集」の部分の構成・レイアウト──プロの業がきちんと発揮されている。

2009/02/19(木)(飯沢耕太郎)

高松次郎/鷹野隆大「“写真の写真”と写真」

会期:2009/02/15~2009/03/15

太宰府天満宮宝物殿 企画展示室[福岡県]

初夏のような暑さかと思えば、真冬に逆戻り。そんな不安定な天気が続く日々を縫って、梅が真っ盛りの福岡県太宰府市の太宰府天満宮に新幹線と電車を乗り継いで出かけてきた。高松次郎(1936~98)が、1972年に制作し、73年のサンパウロ・ビエンナーレに出品した「写真の写真」シリーズ、さらに高松の「紐のたわみ」や「ビニールのたわみ」といった作品を、天満宮内で撮影した鷹野隆大の新作が同時に展示されるという、魅力的な企画のオープニングに誘われたからだ。
高松の「写真の写真」は去年同名の写真集(大和プレス、発売=赤々舎)としても刊行され、その時から「写真とは何か」というコンセプトを彼なりに突き詰めた意欲作として注目していた。だが今回、やや黄ばんだり、端が丸まったりしたプリントの状態で展示されていた「現物」を見ることができて、高松の思考と実践の凄みを、よりクリアーに理解することができた。置かれた場所、光の状態、ピンナップのされ方など、さまざまな条件が加算されることで、「写真」はその佇まいを大きく変えていく。物質としての印画紙には、「写真とは何か」という問いかけから安易に導きだされる思い込みを、揺さぶったり、無化したりする強烈な力が備わっているということだろう。高松以後も、似たような設定の作品を作った写真家・アーティストは何人かいるが、その手際の鮮やかさと徹底ぶりは際立って見えてくる。
鷹野の「写真」も面白かった。高松の作品の「コンセプチュアル」な要素が、彼の撮影行為によって微妙に膨らんだり、削られたりして、新たな生命力を発する“場”としてよみがえってくる。代表作である「影」シリーズを再現した作品で、影を演じているのは高松夫人と鷹野本人だという。時空を超えたアーティスト同士の対話が、ヴィヴィッドな形で実現している様子が伝わってきて、とてもいい波動の展示だった。2006年から開始された「太宰府天満宮アートプログラム」の企画は、今回で5回目になる。歴史のある場所の磁場が、参加アーティストたちに、よりよい刺激を与え続けていってほしいものだ。

2009/02/15(日)(飯沢耕太郎)

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堀越裕美「世界のはて LITTORAL DU BOUT DU MONDE」

会期:2009/02/04~2009/02/17

銀座ニコンサロン[東京都]

堀越裕美も、文化庁の芸術家海外留学制度で2005年から2年間フランスに滞在したことが飛躍のきっかけになった。とかくいろいろ問題点が指摘されることの多い制度だが、作家本人の成長の曲線とうまくフィットすると、実り多い刺激になることも多いということだろう。
堀越は1968年生まれ。92年に東京綜合写真専門学校を卒業し、96年に個展「海のはじまり」(フォト・ギャラリー・インターナショナル)でデビューした。99年に同じギャラリーで開催した「海のはじまり2」も含めて、しっかりとした画面構成力とプリントの能力は卓越したものがあったが、とりたてて印象に残る仕事ではなかった。ところが今回の展示では、表現に柔らかみが出てくるとともに、彼女の作品世界が確立しつつあるように感じる。
タイトルの「LITTORAL DU BOUT DU MONDE」というのは、フランス・ブルターニュ地方の最西端に実際にある地名である。ヨーロッパの中心部から見れば、そこはまさに文明の果つるところだったのだろう。だが堀越は、波と砂と光と霧の、何とも茫漠とした風景を細やかに描写するだけではなく、そこに人間たちの姿を点在させている。彼らは風景に溶け込みながら、何かしら微かな身振りで自分たちの存在を主張しているように見える。つまり「世界の終わり」はそこで「世界のはじまり」の場所に転化しようとしているようにも思えるのだ。
そこから見えてくるのは、単純なペシミズムでもロマンティシズムでもない、自然と人間の新たな関係を構築するという意志なのではないだろうか。この大きなテーマが、今後堀越の中でどんなふうに動いていくかが楽しみだ。

2009/02/13(金)(飯沢耕太郎)