artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
野口健吾 写真展「庵の人々 The Ten Foot Square Hut 2010-2019」
会期:2019/10/30~2019/11/12
銀座ニコンサロン[東京都]
1984年、神奈川県出身の野口健吾は、立教大学卒業後に東京藝術大学大学院美術研究科に進み、写真家として活動し始めた。「庵の人々 The Ten Foot Square Hut 2010-2019」は、タイトルが示すように10年近い期間をかけて撮影した労作であり、河川敷や公園に手作りの家を建てて住む人々にカメラを向けている。彼らの住まいを「庵」と呼ぶのは的を射ているのではないだろうか。仮の住居ではあるが、少しずつ手を加えていって、いかにも居心地のいい居住空間になっている場合が多いからだ。
野口はそれらの住居と住人たちの姿を、周囲の環境を広く取り入れて撮影した。パッチワークのように寄せ集められた「庵」の材料も写っている。どこか民俗学や人類学のフィールドワークを思わせる、表現よりは記録に徹した撮り方を貫いたことが、とてもよかったと思う。数年ごとに定点観測で撮影を続けた写真群もあり、台風や工事などで「庵」が撤去された跡もカメラにおさめた。大阪市淀川区の河川敷に、横に長く設営された住居などは、デジタルカメラの画像をつなぎ合わせたパノラマ画面で提示している。
だいぶ写真の数が溜まってきたので、そろそろ写真集にまとめる時期が来ているのではないだろうか。今回、展覧会にあわせて同名のZINEを刊行したのだが、それだけではまだ物足りない。ただ、写真集としてはやや地味なテーマなので、むしろ文章の比重を大きくして、写真+ノンフィクションのかたちにしたほうがよさそうだ。野口と「庵」の住人たちとの関わり合いを細やかに記述することで、2010年代の日本社会をユニークな角度から浮かび上がらせることができるだろう。なお、本展は11月21日〜12月4日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2019/11/04(月)(飯沢耕太郎)
一之瀬ちひろ 写真展「きみのせかいをつつむひかり(あるいは国家)について」
会期:2019/10/24~2019/11/06
大阪ニコンサロン[大阪府]
銀座ニコンサロン(10月2日〜10月15日)を見逃していたので、大阪の巡回展示に間に合ってよかった。今年の収穫のひとつというべき、意欲的な個展だったからだ。
一之瀬ちひろは1975年東京生まれ。1998年に国際基督教大学卒業後、写真家として活動し始めた。現在は東京大学大学院総合文化研究科後期博士課程にも在学している。これまで『ON THE HORIZON』(AAC、2006)、『STILL LIFE』(PRELIBRI、2015)などの写真集を刊行しているが、今回の「きみのせかいをつつむひかり(あるいは国家)について」は、まったく位相が違う。ベースになっているのは、二人の娘を中心として、身の回りの出来事、情景を細やかな眼差しで撮影した写真である。淡い光と色に彩られた写真群は、割にありがちな日常スナップに見える。だが、その合間にやや奇妙な眺めが挟み込まれている。政治学の本のページ、英語版の『日本国憲法』、「共謀罪」の国会審議について報じた新聞記事、安倍首相とトランプ大統領の画像を映し出すパソコンの画面などである。
一之瀬は、これらの二つの写真群のあり方を、こんなふうに考えているようだ。われわれの思考は、日常の暮らしのなかの出来事と連動して動いていく。「国家」という概念も、毎日の風景や出来事と深くかかわりあっているのではないだろうか。「だからたぶん、風景を眺める行為には、一瞬の光の中に国家が透かされる様子を探そうとする気持ちと、国家やその規範の作用が及ばない域を探したい気持ちが同居している」のだ。このようなデリケートな認識を取り込んだ作品は、少なくとも日本の写真表現においてはこれまでなかった。しかも一之瀬はその、とかく観念操作に走りがちな作業を、大袈裟な身振りを注意深く回避して、見る者の感情に柔らかに浸透していくような、魅力的な画像の集積として形にした。ただ、まだ「日常」の写真と「国家」を浮かび上がらせようとする写真とのあいだに、くっきりとした境界線があるように感じてしまうのがやや残念だ。それらがより一体化していくようになれば、とてもユニークな作品世界が姿をあらわすのではないだろうか。
2019/11/01(金)(飯沢耕太郎)
倉谷卓「アリス、眠っているのか?」
会期:2019/10/06~2019/10/30
Hasu no hana[東京都]
ギャラリーHasu no hanaは、昨年大田区鵜の木から品川区戸越に移転した。そのとき、家の中には以前の住人が残していた生活用品が溢れていて、ギャラリーに改装するために処分する必要があった。倉谷卓はその作業を手伝っているうちに、そこで飼われていた「アリス」という名前の猫の写真に目を留める。その白黒斑の猫の写真をきっかけにして、倉谷は印画が貼られたままネットオークションに出回っている家族アルバムを購入し始める。今回の個展では、そうやって蒐集したアルバムからかたちをとっていった作品を展示していた。
倉谷のように、いわゆる「ファウンドフォト」を素材にしてアート作品を制作しようと考える者はかなり多い。だが多くの場合、その作業は思いつきの場当たり的なものに終わりがちだ。だが倉谷は周到に準備を重ね、的確なプロセスを導き出して作品化している。今回の展示のメインとなる「Photographic Grave」は、壁一面に張り巡らされた、戦前から戦後にかけてのアルバムの台紙の群れである。そこに貼られていた写真はほとんど剥がされて、コーナーシールや糊の痕が見えるだけだが、「アリス」のようなペットの動物が写っている写真は残されている。むしろ写真が不在のほうが、想像力を強く喚起するのが興味深い。ほかに、アルバムから写真を剥がす様子を記録した映像作品「時代考証/レトロ/女学生」、「アリス」に関わりのある家具、絵画、写真などによるインスタレーション「ザ・スイート・メモリー」、表紙を反転させて裏表紙と貼り合わせたコラージュ作品「tu fui ego eris」などが展示されていた。写真の内容よりも、それがどんなふうに記憶を内蔵したメディアとして保存されてきたのかという形式にこだわったユニークな発想の作品群である。このシリーズは、これで終わりではなく、まだ発展していくのではないだろうか。
2019/10/23(水)(飯沢耕太郎)
蔦谷典子『夢の翳 塩谷定好の写真 1899-1988』
発行所:求龍堂
発行日:2019年10月10日
戦前〜戦後に、鳥取県東伯耆郡赤碕町(現・琴浦町)で心に沁みるような風景・人物写真を制作し続けた塩谷定好(1899-1988)の評価は、近年さらに高まりつつある。2017年3月〜5月にも島根県立美術館で回顧展「愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988」展が開催されたが、今年も同美術館で「生誕120年記念 塩谷定好展」(8月23日〜11月18日)が開催されている。それにあわせて、同美術館学芸員の蔦谷典子の手で、代表作104点をおさめた本書が刊行された。
「村の情景」、「子供の情景」、「海の情景」、「花の情景」の4章に分けられた作品群をあらためて見直すと、単玉レンズ付きのヴェスト・ポケット・コダックカメラ(通称・ベス単)によるソフトフォーカス効果、印画紙にオイルを引いて描き起していく絵画的な手法を使った典型的な「芸術写真」であるにもかかわらず、そこに山陰の風土に根ざした実感のこもったリアリティが宿っていることにあらためて気づかされる。大正期から昭和初期にかけての「芸術写真」についての調査・研究もだいぶ進んできたが、個々の写真家たちの作品世界をより細やかに探求していく試みはまだまだ不十分だ。その意味で、詳細な年譜、文献目録を収録した本書の刊行の意味はとても大きい。塩谷の生家を改装した塩谷定好写真記念館の活動についても丁寧にフォローしており、同郷の植田正治らを含めた同時代の山陰の写真家たちの仕事への、よきガイドブックの役割も果たすことができそうだ。
2019/10/23(水)(飯沢耕太郎)
山崎弘義『CROSSROAD』
発行所:蒼穹舎
発行日:2019年10月10日
山崎弘義は1956年、埼玉県生まれ。1980年に慶應義塾大学文学部卒業後、公務員として働いていたが、写真に強い興味を抱くようになり、1985〜87年に東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)写真学科の夜間部で学んだ。山崎が路上スナップを撮影し始めたきっかけは、20代後半の頃、新宿駅周辺で「至近距離で人ににじり寄り、いきなりカメラを向け、言葉を交わすこともなく立ち去っていく」男の撮影ぶりに衝撃を受けたからだという。彼が山内道雄という写真家で、東京写真専門学校夜間部の森山大道ゼミで学んだことを知り、山崎も同校に入学する。森山ゼミは既になかったが、猪瀬光や楢橋朝子も属していた写真ワークショップ「フォトセッション‘86」に参加し、森山の指導を受けることができた。
このような経歴を見ると、山崎がまさに「カメラ一台で何の細工もなしに、その現場に居あわせ」て撮るという、路上スナップの正統的な撮影スタイルを真摯に追求し続けてきたことがわかる。その姿勢は、写真集『CROSSROAD』におさめられた1990〜96年撮影の写真群でも貫かれており、衒いなく、ストレートに路上の人物、光景にカメラを向けている。唯一、「細工」といえるのは、彼がパノラマフィルムパックを使用した6×6判のカメラで撮影していることだろう。極端な横長、あるいは縦長の画面になることで、中心となる被写体(主に人物)の周辺がかなりランダムに写り込んでくることになる。そのことによって、路上でどのような現象が生じているかが、より複雑な位相で画面に定着される。それとともに興味深いのは、1990年代前半の都市の風俗、空気感が、異様なほどにリアルに捉えられていることだ。撮影から20年以上過ぎているわけだが、路上スナップの生々しさがまったく薄れていないことに驚かされた。
山崎には、老いていく母親と自宅の庭とを撮影し続けた『DIARY 母と庭の肖像』(大隅書店、2015)という素晴らしい作品があるが、『CROSSROAD』は彼の写真世界の別な一面を開示する力作といえる。
2019/10/23(水)(飯沢耕太郎)