artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

木村孝写真展 ライフ・コレクション・イン・ニュータウン

会期:2020/02/26~2020/03/10(03/03〜03/10は臨時休館)

銀座ニコンサロン[東京都]

とても興味深いテーマの写真展である。木村孝は、2014年からタイ・チョンブリー県のアマタナコーン工業団地に隣接する集合団地を撮影し始めた。最初は団地を「風景」として撮影していたが、今回、銀座ニコンサロンで開催された個展「ライフ・コレクション・イン・ニュータウン」では、集合団地やその周辺の地域の住人たちと、彼らが暮らす部屋の内部にカメラを向けている。

もともとアマタ・コーポレーションという大企業が、工業団地で働く人々のための集合住宅を建造したことから、商業施設なども増え、「ニュータウン」が形成されていった。まったく何もない場所にできあがった「過去のない街」の空気感が、部屋の中のなんとも表層的な家具や壁紙、部屋の住人たち(若者が多い)の、どこか寄る辺のない不安げな表情から伝わってくる。木村のやや引き気味で、部屋の細部まできちんと画面におさめていく撮り方も、とてもうまくいっていた。

このような、都市そのものの生成のプロセスを、そのごく初期の段階から撮影していくプロジェクトは、ありそうであまりないのではないだろうか。「風景」から「部屋」へという展開も悪くないが、これから先がむずかしくなりそうだ。今のところ、カタログ的、羅列的な展示構成なのだが、次は住人一人ひとりにもっと寄り添ったストーリーが必要になってくるだろう。10年くらい撮り続ければ、アマタナコーンをもっと立体的に浮かび上がらせることができる、厚みのある写真とテキストがかたちをとってくるのではないだろうか。より大きな広がりを持つ写真シリーズになっていくことを期待したい。

なお、本展の会期は、新型コロナウイルス感染症の広がりの影響で短縮されてしまった。大阪展(3月19日〜4月1日)は開催される予定だが、当面のあいだ臨時休館となり、状況は予断を許さない。本展に限らず、あまり観客数が多くない美術館やギャラリーでの展覧会を、一律に中止してしまうことには疑問が残る。

2020/03/02(月)(飯沢耕太郎)

白髪一雄

会期:2020/01/11~2020/03/22(02/29〜03/22は臨時休館)

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

戦後日本の前衛美術の流れにおいて、大きな役割を果たした具体美術協会の中心メンバーだった白髪一雄の回顧展は、圧倒的な迫力と存在感を備えた代表作がずらりと並んでいて見応えがあった。古賀春江を思わせる幻想画から、次第に抽象性を強め、画面に全身で没入する「フット・ペインティング」に至る道筋も興味深かったのだが、ここでは別な角度から白髪の仕事を捉え直してみたい。

展示の最後に、《緑のフォトアルバム》、《青いフォトアルバム》、《赤いフォトスクラップブック》と題された写真帖3冊が出品されていた。ガラスケースの中なので、ひとつの見開きのページしか見ることができないのだが、そこに貼られていたポートレートやパフォーマンスの記録写真の質はかなり高い。また、年表の1956年の項に《レンズ》という作品が紹介されている。板を削った窪みの底にレンズを嵌め込んだ作品だが、その解説に白髪は「無類のカメラ好き、カメラマニア」だったと記されていた。白髪が具体美術協会第1回東京展(1955)に参加したときのパフォーマンス《泥に挑む》の記録写真にも、写真作品としての表現性の高さを感じる。それらを考え合わせると、白髪の仕事を写真という切り口で再検証することも可能なのではないだろうか。

具体美術協会のメンバーたちは、白髪の「フット・ペインティング」のように、完成作だけでなく、そのプロセスを重視する作品を多数残している。有名な村上三郎の《紙破り》のパフォーマンスもその一例だろう。パフォーマンス作品においては、写真あるいは映像による記録だけが、唯一の存在証明となることが多い。写真と前衛美術との関係に、新たな角度から光を当てる展覧会も考えられそうだ。

2020/02/28(金)(飯沢耕太郎)

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野村浩展 Merandi

会期:2020/02/22~2020/04/04

POETIC SCAPE[東京都]

野村浩は写真を中心に、さまざまなメディアを横断的に取り込みながら創作活動を続けているアーティストである。2019年に第31回写真の会賞を受賞するなど、このところその活動ぶりに弾みがついている。今回、東京・目黒のPOETIC SCAPEで展示された「Merandi」シリーズも、いかにも彼らしいひねりが効いた作品だった。

野村は2007年に『EYES』(赤々舎)と題する写真集を刊行している。丸くてちょっと猫っぽい「目玉」が、いろいろな日常的な場面で、オブジェに貼り付いて出現してくる様を撮影したものだ。「Merandi」もその延長線上にあるシリーズで、今回「目玉」たちは、なんとイタリアの静物画の巨匠ジョルジョ・モランディの絵の中に嵌め込まれている。といっても、もちろんフェイクで、モランディっぽい色彩とタッチで描かれた小さな油彩画(野村自身の筆によるもの)の中から、こちらを見つめているのだ。「目玉」がそこにあるだけで、どこか落ち着かない気分になるのだが、その心理的効果は計算済みで、「Morandi」と「Merandi」の語呂合わせもうまくはまっていた。ほかに、銅版画や写真による試作もあり、野村の本気度がうかがえるいい展示だった。野村の個展は、毎回楽しみに見に行くのだが、期待が裏切られることはほとんどない。作家としての自信に裏打ちされた実力が備わってきているのではないだろうか。

なお、展覧会カタログ風に編集されたミニ画集『Merandi』(私家版)も同時に刊行されている。土屋誠一の解説付きの、なかなかしっかりとした造りの作品集である。

関連レビュー

野村浩「もう一人の娘には、手と足の仕草に特徴がある。」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年11月15日号)

野村浩「Doppelopment」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年04月15日号)

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野村浩「ヱキスドラ ララララ・・・」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2013年07月15日号)

2020/02/27(木)(飯沢耕太郎)

日本の美を追い求めた写真家・岩宮武二 京のいろとかたち

会期:2020/01/04~2020/03/31(02/28〜03/31休館)

フジフイルム スクエア写真歴史博物館[東京都]

日本の写真表現の歴史において、岩宮武二(1920〜1989)の評価は十分なものとはいえない。ひとつには、彼が関西を中心に活動していたため、東京を中心とする写真ジャーナリズムではどうしても扱いが小さくなりがちだったということがある。もうひとつは、彼の仕事がコマーシャル・フォトからドキュメンタリーまでかなり幅広く、多面的だったので、焦点が絞りにくいということもあるだろう。だが、森山大道を写真の世界に導いたのが岩宮だったということも含めて、彼の写真の世界をもう一度見直し、きちんと評価していく時期が来ているのではないかと思う。

今回展示されたのは、岩宮が1950〜70年代にかけて、京都の風物を「いろとかたち」をテーマに撮影したシリーズである。全2巻の『かたち 日本の伝承』(美術出版社、1962)、『京 Kyoto in KYOTO』(淡交新社、1965)などの写真集にまとまる京都のシリーズは、日本人の伝統的な美意識を、仏閣や茶室などの造形美を通じて探り出そうとしたものであり、同時期の石元泰博の仕事との共通性を感じる。だが、石元のニュー・バウハウス仕込みの厳格な造形的アプローチと比較すると、岩宮の写真には、ほのかな色気のようなものが漂っており、日本の湿り気のある風土に根ざした空気感が伝わってくる。とはいえ、ほかの岩宮の作品にも共通する、背筋をぴんと伸ばした姿勢のよさが、どの写真からも感じられ、見応えのある作品が多い。

岩宮はドイツのオットー・シュタイネルトが企画した「Subjektive Fotografie2」展(1954年)にも出品しているし、1970年代以降に集中して撮影した「アジアの仏像」シリーズも、クオリティの高いいい仕事だ。ちょうど、今年は岩宮の生誕100年の記念すべき年でもある。本展をひとつの契機として、その全体像を概観できる大規模な回顧展を開催するべきではないだろうか。

2020/02/24(月)(飯沢耕太郎)

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師岡清高写真展:「刻の表出」人生においてどれほどの出会いがあるのだろうか。

会期:2020/02/13~2020/03/28

キヤノンギャラリーS[東京都]

1948年生まれの師岡清高は、大阪芸術大学美術学科写真専攻で岩宮武二、天野竜一に師事し、卒業後に専任講師を経て同大学教授となった。以来、2019年3月に退職するまで教職にあったのだが、その間もずっと写真作品の制作、発表を続けてきた。今回のキヤノンギャラリーSで展示した「刻の表出」のシリーズは、大学退職後にパリで一挙に撮り下ろしたものだという。あらためて、写真作家として再出発するという表現意欲のあふれる清新なカラー作品、約70点が並んでいた。

師岡にとって、写真作品の制作とは「知への憧れ」であり、「新たな出会いにトキメキを覚え」ることだという。主に縦位置で、パリの風物を切り取った作品を見ると、奈良原一高や川田喜久治が1960年代にヨーロッパで撮影した写真群を思い起こす。異国への旅立ちが、日常の世界から非日常の領域への通路を開き、見慣れた事物が、奇妙に魔術的な相貌を身に纏って見えてくる。そんな新鮮な感覚の芽生えが、師岡の作品一点、一点に刻み付けられているように感じた。今回はパリを撮影したわけだが、奈良原一高がヨーロッパから帰国後に、日本の伝統文化に回帰して『ジャパネスク』(毎日新聞社、1970)をまとめたように、これから先は、師岡も日本に被写体を求めることがあるかもしれない。

また、会場の一隅に展示されていた、石鹸水を使ったという抽象作品も気になる。こちらは、外に向いていた視線を「私」の内面世界へと転じたものだ。この個展を契機として、内と外とを行き来する、より大きな作品世界が形をとりつつあるのではないだろうか。

2020/02/18(火)(飯沢耕太郎)