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SYNKのレビュー/プレビュー

岡本太郎と遊ぶ

会期:2017/07/15~2017/10/15

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

「遊び」を切り口として岡本太郎の作品を紹介するとともに、現代アーティストが岡本太郎の作品「と」遊ぶ展覧会。本展に出品されている岡本太郎の作品の中でデザインという視点から興味惹かれるのは「遊ぶ字」。画集『遊ぶ字』(日本芸術出版社、1981)に収録された字など、太郎の「遊ぶ字」は、読めるか読めないかといえば、ちゃんと読める字として描かれれている。書というよりも、絵画というよりも、多分にグラフィック的。その仕事はしばしば商業的あるいは非営利のポスターにも用いられている。誰が見ても岡本太郎の作品であることは一目瞭然なのだが、他方でその字はそのポスターとしっかり結びついて、人々に記憶されている。すなわち、正しくロゴタイプとして機能しているのだ。野沢温泉の「湯」の字(1983)はその典型だろう(考えてみれば、岡本太郎の彫刻作品もまた太郎の作品であると同時に、その土地のランドマークともなっている)。「岡本太郎と遊ぶ」という点では、ドローイングと作品を比較させてみたり、畳敷きに座って作品を見たり、彫刻に触れたり、《梵鐘・歓喜の鐘》を叩いて音を聞いたり、匂いから岡本太郎の作品をイメージさせる作品など、参加型の展示がある。夏休みらしい、それでいて大人も楽しめる鑑賞のための工夫がいい。参加アーティストは、チーム☆TARO (NPO ARDA)、酒井貴史(美術作家)、BBモフラン(打楽器奏者)、たたら康恵(音楽療法士)、田中庸介(詩人)、横山裕一(漫画家/美術家)、井上尚子(美術作家)。[新川徳彦]

2017/07/14(金)(SYNK)

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モダンリビングへの夢──産業工芸試験所の活動から

会期:2017/05/22~2017/08/13

武蔵野美術大学 美術館[東京都]

産業工芸試験所(産工試)とは、1928年に設置された商工省工芸指導所が1952年に改称改組された、通産省工業技術院下の機関。工芸指導所は国内産業と輸出産業の振興を、工芸およびデザインの面から行うことを目的として設立され、産業工芸試験所は戦後その事業を引き継いだ。事業を遂行する過程で、産工試は国内外から多くの生活用品を参考品として収集。また国内各地の試験所、生産者と協力して試作品を制作している。参考品、試作品の一部は現在、武蔵野美術大学、東京造形大学、多摩美術大学、家具の博物館の4ヶ所に寄託されている。この展覧会では、武蔵野美術大学に寄託されている1950年代から60年代の参考品と試作品により、当時の日本が目指していたデザインを見ようという企画だ。1950年代の日本のデザインにおける課題は、意匠盗用だった。戦後復興期に海外輸出が再開されると、欧米の製造業者、業界団体から日本製品が自国の製品の意匠を盗用しているとのクレームが相次ぎ、国際問題に発展していた。1957年に始まった「グッドデザイン商品選定制度(現 グッドデザイン賞)」の背景にも外国意匠の盗用問題があり、オリジナルのデザインが強く求められていた。産工試は留学生などを通じて主にアメリカ市場で参考品を購入、調査分析し、機関誌『工芸ニュース』誌上で報告。模倣や盗用ではなく、海外市場で受け入れられる工芸、デザインの開発を行なっていた。今回の展覧会では、展示室の一方に海外の参考品、反対側に産工試による試作品を並べ、日本のデザインが参考にしたものと目指したもの──ジャパニーズ・モダンのデザイン──を展望する構成になっている。
参考品の大部分はアメリカで購入されたものだそうだが、そこに北欧のプロダクトが多く含まれている点が興味深い。それは当時アメリカで北欧デザインが人気を呼んでいたからでもある。ただし、ただ市場で売れ筋の商品を選んで購入したのではなく、デザイン的に優れたものが選ばれていたようだ。たとえば、カイ・フランクがデザインした陶器、アルヴァ・アアルトのガラス器等々、参考品にはその後名作デザインと呼ばれるようになった製品が多数含まれており、当時これらの製品を選んだ人々の目の確かさがうかがわれる。これに対して、いかにもアメリカ的な量産品が目立たないのは、日本が目指すべき輸出デザインはそれではないとの判断があったのだろうか。あるいは北欧のクラフト的なものづくりが、当時の日本の技術とマッチしていたということなのだろうか。試作品には参考品の影響を直接感じるものは少なく、アメリカ市場で受け入れられているモダンデザインを消化、吸収し、そこに日本ならではの技術、意匠を付加しようとした試みの痕跡を見ることができる。とくに木工製品、竹製品にその印象が強い。陶磁器やプラスチック製品は、安価な量産品ではなく、デザインによって付加価値を付けようという意図が見える。また、試作は見た目のデザインにとどまらず、協力工場などを通じて商品化のための工程が検討されている。組み立て式の照明器具など、輸出時の梱包をコンパクトにする実際的な工夫も見られるのだ。
ところで、産工試によるこうしたデザインの試みはどこまで成功したのだろうか。商品化された製品はどの程度海外市場で売れたのだろうか。残念なことに現在までのところ、市場における成否を裏付ける資料は知られていないとのこと。本展で見ることができるのは1950-60年代の海外市場を目指したデザイン開発であるが、そこに関わった人々が後に日本人の生活のためのデザインにも関わっていったであろう点にも注目したい。また武蔵野美術大学以外に寄託されている実物資料の同様の調査も待たれるところだ。[新川徳彦]


会場風景

2017/07/13(木)(SYNK)

誕生40周年 こえだちゃんの世界展

会期:2017/07/08~2017/09/03

八王子市夢美術館[東京都]

「こえだちゃんと木のおうち」は、1977年に玩具メーカーの株式会社タカラトミー(当時:株式会社タカラ)が発売したミニドールつきのハウス玩具。その誕生40周年を記念して開催される本展では、初代「こえだちゃんと木のおうち」からシリーズ最新作までの玩具のほか、パッケージ、初期イラストレーター桜井勇氏によるイラスト原画など、約150点の作品が展示されている。また、会場には最新の「こえだちゃんと木のおうち」で遊べるプレイスペースが設けられている。
展示は時系列に全5章で構成されている。「こえだちゃん」が生まれた1970年代半ばにはサンリオから「ハローキティ」が誕生するなど、ファンシー、メルヘンをテーマにしたキャラクターが人気を呼んでいた。パステルカラーを基調とした2頭身キャラクターの「こえだちゃん」もその系譜に属するが、「自然」をテーマ設定した「こえだちゃんと木のおうち」では大きな木の家の屋根がワンタッチで開閉したり、幹の中にエレベーターが付いているなど、数々のギミックが仕掛けられていたことが従来の女児向けの玩具と大きく異なった点であった。初期の製品パッケージには「こえだちゃん」で遊ぶ男の子の写真が女の子に並んで配されており、男の子も遊べるファンシーな玩具という企画意図がうかがえて興味深い。仕掛けの付いた「木のおうち」は男の子にとって秘密基地のイメージだったのだろうか。玩具の発売と平行して講談社の雑誌『おともだち』では初期「こえだちゃん」の桜井勇氏による連載が始まり、メルヘンな世界が形作られていった。1980年代前半には「こえだちゃん」にはさまざまなバリエーションが登場。お風呂遊びや病院ごっこなど、「自然」というテーマから離れた玩具も現れる。おそらくこれは「こえだちゃん」というキャラクター自体が認知を得たからではないかと推察する。またこの頃のパッケージからは男の子が姿を消しており、女の子向け玩具としてのイメージを強くしている。
1985年、「こえだちゃん」には強力なライバルが現れた。エポック社の「シルバニアファミリー」である。動物を擬人化しフロッキー加工を施した2.5頭身の人形、海外のドールハウスのような高級感のある家や家具を特徴とする「シルバニアファミリー」は子供たちの間でおおいに人気を博した。「こえだちゃん」も対抗する。3頭身のプロポーション、髪の毛を植毛したミニドールを発売するなど、さまざまな方向が模索されたものの、1993年にシリーズはいったん休止となった。再開は2004年。自然というテーマはそのままに「木のおうち」のギミックが進化。そしてミニドールはこの時期の流行に合わせてポップなかわいらしさを意識したものになった。復刻版が発売されるなど、かつて「こえだちゃん」で遊んだ母親たちと現在の子供たちの双方を視野に入れた展開がみられる。2011年以降はさらに「木のおうち」の大型化、音声や電動によるギミックの進化など、遊び方が拡張される一方、サンリオの「キキ&ララ」「マイメロディ」や「シナモロール」とコラボレーションするなど、キャラクター面でも新たな広がりを見せ、YouTubeを使った情報発信をするなど、プロモーションの方法も進化を続けている。
40年にわたる「こえだちゃん」の変化と進化のスピードは、本展と会期を同じくして目黒区美術館で展示されているヨーロッパの木の玩具のあり方ととても対照的だ。古くからの技術を用い変化が緩慢な印象を与えるヨーロッパの玩具に対して、日本の玩具は日々進化する素材、技術をいちはやく取り入れ、またその意匠は社会の要求に応じて、市場における流行と競争によって、絶え間なく変化している。この展覧会を見て、日本において玩具は時代を映す鏡であるという思いを改めて強くした。どちらが良いということではない。これは彼の地の人々と日本人の玩具の使いかた、価値観の違いを反映しているのだろう。
話を「こえだちゃん」に戻す。学部生男女に聞いてみたところ、「こえだちゃん」を知っている、あるいは「こえだちゃん」で遊んだことのある者はわずか。「シルバニアファミリー」で遊んだという者の方が多かった。これらの玩具の主な対象年齢は3歳から5歳なので、彼らの年齢から逆算するとそれは1990年代終わりから2000年代初め、ちょうど「こえだちゃん」シリーズが休止していた時期に当たる。彼らが知らないのも当然だ。それでは「こえだちゃん」を知らない彼らが子供を持つころ、「こえだちゃん」はどのように進化し、どのようにプロモートされ、どのように時代を映していることだろうか。[新川徳彦]


会場風景

★──ヨーロッパの木の玩具(おもちゃ)—ドイツ・スイス、北欧を中心に(目黒区美術館、2017/7/8-9/3)。


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2017/07/08(土)(SYNK)

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ヨーロッパの木の玩具(おもちゃ)──ドイツ・スイス、北欧を中心に

会期:2017/05/22~2017/08/13

展覧会チラシの写真のいちばん手前に配されている木の玩具は、スイスの「キュボロ」。溝や穴を彫った立方体を組み合わせ、ビー玉を転がして遊ぶ。史上最年少プロ棋士 藤井聡太四段が子供の頃に遊んだと報道されたことで、一躍有名になった。この玩具の輸入を手がけているのが、株式会社アトリエ ニキティキで、本展は同社の協力の下、目黒区美術館と同社のコレクションを中心に、ドイツ、スイス、北欧の木の玩具を紹介する展覧会だ。目黒区美術館は開館前からニキティキを通じてネフ社(スイス)の製品を中心とする玩具を収集してきたという。ニキティキと協同した玩具の展覧会は3回目。それ以外にも「トイの日」などのプログラムでこれらの玩具が使用されてきた。筆者もワークショップに参加したことがあるが、(高価なこともあって)個人ではそうそう触れることができない大量の積み木で遊ぶことができるイベントは、子供ばかりではなく大人たちも夢中にさせる。


左:会場風景
右:クリスチャン・ベルナー ライフェンドレーエン工房(ドイツ・ザイフェン)の工程見本

展示は大きく二つのパートで構成されている。ひとつは「手で遊び、考える玩具」。積み木やパズル、がらがら、おしゃぶりが並ぶ。キュボロへの注目が物語っているように、これらのにはいわゆる「知育玩具」という側面がある。そのことを印象づける展示品が、ドイツの教育学者フリードリヒ・フレーベル(1782-1852)が考案した「恩物(おんぶつ)」だ。毛糸や木でつくられた教育玩具で、ドイツ語でGabe、英語でGiftと呼ばれていたものが日本に紹介されたときに「恩物」と訳された。本展には、近代的な幼児教育を行った東京女子師範学校(現 お茶の水女子大学)附属幼稚園で使用された「恩物」が出品されている。
もうひとつの展示は「手仕事を愉しむ、伝統的な玩具」。ここではくるみ割り人形や煙出し人形などの人形や置物などの木工玩具が紹介されている。これらの生産の中心地は、ドイツのエルツ山地、ザイフェン。チェコとの国境地帯にあるこの地方では、かつて鉱山業の副業として木工轆轤で木の皿やボタンが作られていたが、18世紀中頃の鉱山の衰退にともなって玩具製造が盛んになっていったという。製品はクリスマス用の装飾品、キャンドルスタンド、ミニチュアの動物たちなど。ここでは木工轆轤を用いた技術の解説が興味深い。丸太を輪切りにして轆轤(旋盤)にかけ、断面が動物の形になるように木を削っていく。輪っか状になった木を一定の厚みで縦にカットしていくと、動物の原型ができる。これをさらに細工、塗装する。量産ではあるが仕上げは手作業なので、型で抜くプラスチック製品とは違って一つひとつに異なる味わいがある。このほか、展示室には木の玩具、パズルで遊べるコーナーが設けられている。
展覧会全体を見て「玩具とは誰のものなのか」という疑問を抱いた。想起したのは、アリエス『〈子供〉の誕生』である。大人とは異なる「子供」という概念が生まれる以前に、子供のための商品としての玩具はありえたのだろうか。フレーベル、あるいはザイフェンの木工玩具の登場の時期を見ると、それは「子供の誕生」と一致するように見える。(ただし、ザイフェンの木工製品は、玩具というより置物、飾り物の趣であり、作り手側に、買い手、使い手として「子供」がどれほど意識されていたのだろうか)。他方で、けっして安価ではない木の玩具を子供に与えるという行為の決定権は大人にあり、それは大人の子供観、教育観を直接的に反映している。またこれらの木の玩具は、大人が遊んでも楽しく、また飾っておいても美しいものばかりだ。それは日本のブリキやプラスチックの玩具とはまた違ったかたちで社会を反映しているに違いない。[新川徳彦]

2017/07/07(金)(SYNK)

世界の絞り

会期:2017/06/09~2017/09/04

文化学園服飾博物館[東京都]

絞り染めとは、布を糸で部分的に括ったり、縫い締めたり、板で挟んだりして、その部分に染料がしみこまないようにして染める染色技法。染色後に糸をほどくあるいは板を外すと、その部分が白く染め残される。日本の絞り染めの代表的なものとしては鹿の子絞りがあるが、これは布をつまんでその先を糸で括る作業を無数に繰り返す、とても手間のかかる仕事だ。ただ技術としては布と糸と染料があれば文様をつくることができる素朴な技法だ。それゆえ古くから世界各地で行われてきた。インドでは6〜7世紀に描かれたといわれるアジャンタの石窟の壁画に絞りを施した衣裳を見ることができ、中国では6-8世紀の墳墓や石窟から絞りの布の断片が発見されているという。日本の正倉院にも絞り染めを施した裂が残されている。この展覧会は、日本、アジア、アフリカ、古代インカまで、約25カ国、130点余の実物資料の展示と技法の解説で構成されている(ヨーロッパでは行なわれてこなかったそうだ)。映像による技法の解説もあり、その原理を理解することはさほど難しくないのだが、括りかた、縫い締めかたによって、表現のバリエーションは無数にある。工程品の展示もあるが、どこをどうしたらそのように染まるのか素人目には分からないものがほとんどだ。
技法の多様なバリエーションには複雑な文様を表すためのものばかりではなく、そこここに省力化、量産化のための工夫が見られる。板締め絞りでは、たとえば布を三角形に丁寧に折りたたんで板で挟んで圧力をかけ、その一辺を染料に浸す。布を開くと一度に万華鏡のような繰り返し模様が現れる。紅板締めでは型染めにも似た文様を彫り込んだ何枚もの板に布を折り返しながら挟んでゆき、圧力を掛けた状態で染料を掛けると、凸版状の文様で挟まれた部分が白く染め残される。これは江戸時代後期から明治時代に行われた量産の技法で、主に襦袢や間着など外から見えない部分に用いられたという。一部には機械も導入されている。糸で巻き締める工程には、現在では手回しあるいは電動の機械が用いられている。ミシンを使った縫い締めもある。インドでは布を四つ折りにして糸で括ることもあるそうだ(そうすると括る数が4分の1で済む)。技術と意匠のグローバルな伝播の過程もまた興味深い。戦後から昭和30年代にかけては、日本の絞り染めが西アフリカに大量に輸出され、消費されるばかりではなく、現地の絞り染めの技法や意匠にも影響を与えたという。アフリカで行なわれているミシンを使った縫い締めもまた日本から伝わったのだとか。[新川徳彦]

2017/07/07(金)(SYNK)

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