artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

長坂常/スキーマ建築計画《佐藤邸》リノベーション

[東京都]

竣工:2009年

奥沢にて、長坂常/スキーマ建築計画による佐藤邸リノベーション・プロジェクトのオープンハウスへ。中村塗装工業所の協力を得て、壁や床など、表層への色や素材による操作を通じて、場の雰囲気を変えたり、次々に表裏の感覚が反転するしかけを散りばめている。木造住宅の各階ともに間仕切りを外し、大きなワンルームとして再構成された。二階の中央には、発光する透明な箱のなかの白い設備ユニットを挿入し、バルコニーには屋上にのぼるはしごを付加している。古い部分があるからこそ、味が出るような知的な建築だ。その結果、どこにでもあるような家が、アート的な特質を獲得している。

2009/01/31(土)(五十嵐太郎)

『建築ノート』No.6

発行所:誠文堂新光社
発行日:2009年1月

建築をつくる「プロセス」を追うことをコンセプトとした雑誌。かゆいところに手が届くような徹底取材と情報量の新しさ、カラーページの多さが、これまでの建築専門誌と同じようで違う。No.6では「建築の学び方」を特集。注目の研究室が多く紹介されている。個人的には、スイスの建築教育に関する記事が、面白かった。ETH(ドイツ語圏)とアカデミア(イタリア語圏)の関係図などは、ありそうでなかったもの。研究室を選ぼうとする学生にも重宝されそう。監修は、東北芸術工科大学の槻橋修。毎回、既存の情報への勝負の姿勢を貫いている。

2009/01/31(土)(松田達)

ミース・ファン・デル・ローエ賞展

会期:2009/1/21~1/27(第一会場)/1/21~2/11(第二会場)

東京都庁第一本庁舎南塔45階展望室(第一会場)/第二会場:新宿パークタワー1階 ギャラリー1(第二会場)[東京都]

ヨーロッパのもっとも優れた建築に与えられるミース・ファン・デル・ローエ賞の展覧会。日本風に味付けされた展覧会というよりも、ダイレクトにヨーロッパで行なわれた展示をそのまま巡回展示している雰囲気が、新鮮だった。2つの会場で開かれ、都庁の第一会場は無料で、パネル展示とバルセロナ・パヴィリオンの模型などを展示。第二会場は有料で、こちらはパネルのほか、過去のミース賞受賞作、奨励賞受賞作、ノミネート作などの模型数十点を見ることが出来る。
ミース賞は、1988年にはじまり2年ごとに与えられている。2001年からはミース賞のほか、若手への奨励賞という2つの賞が生まれた。毎年、数百の作品がヨーロッパ中から送られるという。「EU現代最優秀建築賞」というように、「ヨーロッパ」の建築賞でもある。ヨーロッパの建築家が、ヨーロッパに建てている建築であることが条件。ただヨーロッパの境界は簡単ではなく、例えば2001年以降、スイスの建築家がミース賞を取得することは出来なくなった。しかし、今回日本で展示されたように、ヨーロッパだけに閉じられた形ではなく、例えば審査員では過去に伊東豊雄や妹島和世といった日本人も参加している。
ほかの賞との比較でいうと、イギリスのRIBAゴールドメダル(1848-)、アメリカのAIAゴールドメダル(1907-)、国際建築家連合のUIAゴールドメダル(1984-)、またアメリカのプリツカー賞(1979-)、イギリスのスターリング賞(1996-)が、いずれも建築家に与えられるのに対して、ミース賞は作品に対して与えられる賞。ほかに作品に与えられる賞では、イスラム建築に与えられるアガ・カーン建築賞(1977-)やフランスのエケール・ダルジャン賞(銀の定規賞、1983-)などが有名。EUの賞であるミース賞の特徴は、現在のヨーロッパ建築の動向が見えてくるところであり、今回の展示もヨーロッパの過去20年の建築を見せるという主旨がある。
展覧会では、第二会場に入って左の部分に過去の受賞作、右の部分にノミネート作の模型が展示。個人的には左の作品はよく知られたものであったので、むしろ受賞に至らなかったノミネート作品の方が面白かった。日本で知られていない作家がかなり多く、確かにヨーロッパで雑誌を見ていると、目にしそうな作品群であるが、ヨーロッパの現状をフィルターなしに見せる好展覧会であると感じた。一方で、作品説明は少なく、これをどう見てよいか分からないという人も多かったかもしれない(そのために、別に関わっている「建築系ラジオ」で、オフィシャルではないが、オーディオ・ガイドを制作した)。とはいえ、おそらくヨーロッパではこのまま展示していたわけで(2007年にマドリッド、2008年にパリで同じ展覧会が開かれている)、この展覧会の良さのひとつは、ヨーロッパの生の空気をそのまま味わえるところにあったのかもしれない。学生にとっては、模型の表現力の多様さと豊かさは、日本と異なる部分が多く、かなり刺激になったはずだ。

2009/01/26(月)(松田達)

菊地宏《大泉の家》

[東京都]

竣工:2009年
プロデュース:大島滋(Aプロジェクト)

新築としては菊地宏の処女作。学生時代からずっと注目していた人で、この人の建築を見ることはとても楽しみにしていた。都内の私鉄の線路沿いという敷地。もともとハウスメーカーへの依頼があったのだが、敷地が三角形で規格住宅の建ちにくい場所。設計条件として簡単ではない。そこでAプロジェクトの大島氏から菊地氏に依頼が来たという。直角三角形の鋭角の部分は駐車場、残りの部分を利用して、三階建てのヴォリュームが立ち上がっている。赤茶色の外壁と斜線による屋根の傾斜、さらにいくつかの形態操作によって、何か岩のようなものが立ち上がっているような印象を受ける。菊地がヘルツォーク&ド・ムーロン事務所出身であることと線路沿いという条件から、《シグナル・ボックス》を思い出す人もいるかもしれない。確かにそのたたずまいは似ていなくもない。しかしスケールや用途は全く異なっており、菊地独自の思考と解法が随所に現われているように思えたのが印象的だった。
この住宅の特徴としてまず「色と開口部」を挙げることが出来るだろう。壁は基本的に白色だが、各階にそれぞれ特徴的な色をもった壁が存在する。一階のLDKの奥には若草色、二階には落ち着きのある赤とスカイブルー、そして一見分からないほど薄いグレー、三階には映えるようなオレンジ色に塗られた壁がある。一階から三階に上がるシークエンスのなかで、彩度の強い色は、緑、赤、青、橙という順にほぼ補色の関係として現われることで、それぞれの色が強調されるという。おそらくそれぞれの色は、周囲の環境を注意深く観察することで選択されているのだろう。ところでスカイブルーの隣の薄いグレーの壁は、設計者本人から言われるまで気付かなかった。それくらい淡い色である。しかし気付く必要はないという。なぜならこの色は存在を主張するわけではなく、隣のスカイブルーをわずかに浮き上がらせるために必要だったというからである。おそらく生活する環境の中で、長く使っているうちに意識にのぼるかのぼらないかというような微妙な感覚に作用する壁である。少なく限定された開口部は、色と関係しているだろう。線路のすぐそばという条件から、防音のために開口部が制限される。しかしそれ以上に、内部と外部との関係を最小限に保ち、色の効果を高めている。その結果か、まるで壁から空間に色がにじみ出してくるような感覚を覚えた。
もう一つの特徴として「階段と形態」を挙げたい。「くの字」に折れ曲がった階段によって、のぼる時、降りる時に、先が見えないという効果が生み出されている。しかし180度向きを変える折り返し階段だと先が完全に見えないのに対して、「くの字」階段はまったく先が見えないわけではない。奥があるけれども先がよくは見えないことによって、奥行き感が生み出され、各階の結びつきにワンクッションを置いている。三階建ての住宅であるが、僕にはこの住宅が、一階から三階に、そして三階から五階に、つながっているかのように思われた。ところで、この階段の位置によって、この住宅の外観には鈍角の凹部がつくられている。菊地によればこの凹んだ形態は、本来、岩石など自然の形態には現われるのに、建築のスタイロフォームなどによるヴォリューム・スタディでは現われにくい形態であるという。この住宅ではそのようないわば「自然な形態」が使われている。プランをよく見ると、一階のキッチン部分にも「くの字」の形態が、そして不定形なバルコニーの形態にも、あるいは断面の形状にも、実は「くの字」が反転して現われていることに気付く。こうすることによって、鋭角の敷地のとんがった「鋭角性」というものは、いつの間にか、優しく、自然な形態をともなった「鈍角性」へと置き換えられていっている。
外観を見ると、線路の脇にまるで巨大な岩石がずっと前から存在していたかのようにも見える。外部と内部は、見かけ上、別々のように見えるけれども、必要な部分が必要に応じて連続的に考えられている。コンセプトがあるけれども、コンセプトで押し通しているわけではない。新築住宅として菊地の処女作であるはずなのに、つくることの先の先まで読んでいるかのような、素晴らしい住宅であると思った。

2009/01/25(日)(松田達)

都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み

会期:2009/1/17~3/22

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

展覧会サイト:http://www.operacity.jp/ag/exh102/

スイスの建築事務所ディーナー&ディーナー(以下D&D)の展覧会。D&Dは、父親の代から続く設計事務所で、バーゼルを拠点に活躍。現在はベルリンにも事務所を持つ。代表であるロジャー・ディーナーは、ジャック・ヘルツォークやピエール・ド・ムーロンの同級生でもあり交流が深い建築家。今回、D&Dの所員である木村浩之氏が展覧会を企画から担当した。かなり以前から、木村氏から展覧会の話は聞いていたが、実現された展覧会を見て、タイミングといい、伝えたいコンセプトといい、建築の展覧会としては、これまでにない貴重なものだと思った。
第一室では模型と配置図のセットでプロジェクトを紹介。第二室は三つに分かれ、コンペの部屋、カーテンに囲まれた映像紹介の部屋、素材のサンプルが多く展示されている。1つのプロジェクトの情報が複数の場所にあるため、深く知ろうとすれば、自然に地図を持って、展示会場を彷徨うことになる。答えにすぐたどり着くわけではないが、興味をもてば、その深さが見えてくる。この体験こそが都市的な情報体験であるともいえる。
いわゆる建築家の展覧会を期待していった場合には、肩すかしを食らうかもしれない。建築をヴィジュアルや形態で「勝負」している建築事務所ではない。彼らはむしろそれを意図的に避けている。また、「作品を見せる」といったことを強く押し出す展覧会でもない。例えば、第一の部屋で展示されている模型をみると、敷地周辺の建物ヴォリュームのなかに、設計した建物が溶け込むように配置されていて、どこに作品があるかすぐには分からない。じっくり見ることによってはじめて「作品」がどれであるのかがゆっくりと浮かび上がってくるような展示なのだ。たとえ作品であることを過度に誇張しないまでも、周辺の風景を背景として、建築「作品」が表現されるのが、通常の建築展だといえる。しかしD&Dの場合、既存の都市といかに調和しつつ、その中での空間の可能性を最大限に高めるかということが、いかにも控えめな形で表現されている。それは最終的に建築を浮かび上がらせるわけでも都市をつくることに専念するわけでもない。むしろ都市と建築の関係性そのものを浮かび上がらせようとしているかのようなのだ。
都市の中に建築がいかに配置され、いかに振る舞うべきなのか。このような考え方は、なにもD&Dに限ったわけではない。例えば木村氏によれば、留学先のスイス連邦工科大学ローザンヌ校では、「どこに設計した建物が建っているのか分からないという作品こそが最良の建築である」というような建築教育もあったという。スイスにおいてはこの考え方がむしろ主流で、かなり一般的に認められているのだという。筆者自身もパリにいた時、同じような印象を受けたことがある。特にパリの都市建築は、周囲のファサードとの関連において定義づけられるような建築である。けれども日本の建築界において、このような考え方は、かなり違和感をもって捉えられるのではないだろうか。作品が見えないことが最良だという視点は、少なくとも建築家の側からは言いにくいのではないだろうか。
最後に、観客の視点から述べてみよう。この展覧会で1つの建築だけを作品と思って見ようとすれば、何かもの足りなさを感じるかもしれない。しかし建築がおかれている環境、背景、コンテクスト、それ全体を作品の一部として捉えていくことで、なぜ彼らが、このように一瞬どこに作品があるのか分からないくらい、慎み深いともいえる建築を追求しているのか、そういうことが少しずつ見えてくるのではないだろうか。ひるがえって、この展覧会が日本で開催された意義を考えるべきだろう。彼らにとってはまったく言葉に表わす必要のないくらい当たり前の、しかしわれわれにとっては建築をつくるまったく新しい方法論ともいえるような方法論を、この展覧会で見ることが出来るのだ。都市と建築との関係性を考えさせる、まさに最良の展覧会であると思った。

2009/01/23(金)(松田達)

artscapeレビュー /relation/e_00000234.json s 1198903