artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

サーリネンとフィンランドの美しい建築展

会期:2021/07/03~2021/09/20(※)

パナソニック汐留美術館[東京都]

※日時指定予約を実施


「ルオー」「建築・住まい」「工芸・デザイン」という三本柱をもつパナソニック汐留美術館は、おおむね年に1回は建築の企画展を開催している。今年のテーマは「フィンランド」としながらも、日本に多くのファンがいて、何度も展覧会が行なわれたアルヴァ・アアルト(1898-1976)ではなく、彼よりも四半世紀早く生まれ、フィンランドのモダニズムの先駆けとなったエリエル・サーリネン(1873-1950)にスポットを当てたのが、特筆すべき点だろう。


「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」展示風景


まず全体の「プロローグ」として、19世紀に編纂され、フィンランドのナショナリズムの起源となった民族叙事詩の『カレワラ』が紹介される。「第1章 フィンランド独立運動期」が、エリエルを含むGLS建築設計事務所が手がけた1900年のパリ万博の《フィンランド館》、《ポホヨラ保険会社ビルディング》(1901)、《フィンランド国立博物館》(1910)をとりあげるのだが、アール・ヌーヴォー的な意匠に対し、『カレワラ』に由来するクマやフクロウなど、ヨーロッパの辺境ならではの異色の装飾が付加されているからだ。また諏佐遥也が制作した模型や、アアルト大学によるCGが、《フィンランド館》の立体造形も詳細に伝える。


《ポホヨラ保険会社ビルディング》


「第2章 ヴィトレスクでの共同制作」は、GLSの3人、すなわちゲセリウス、リンドグレン、サーリネンがスタッフとともに築いた理想の芸術家コミュニティを紹介し、《ヴィトレスク》(1903)のダイニングルームの実物大の再現展示がハイライトになる。またカラフルな図面も美しい。なお、学芸員の大村理恵子によれば、コロナ禍のため、海外からクーリエを担当する学芸員が来日できないため、時間をかけて、オンラインの画面を通じ、開梱した作品の状態を詳細に確認してから、設営したという。

「第3章 住宅建築」は、GLSが得意とした居住の空間を選び、装飾に彩られた《ヴオリオ邸》(1898)や《エオル集合住宅・商業ビルディング》(1903)などを紹介する。「第4章 大規模公共プロジェクト」は、重厚な《ヘルシンキ中央駅》(1914)、ロシアから建設の許可が出なかった実現されなかった「国会議事堂計画案」(1908)、住宅開発計画などだ。そして「エピローグ」は、シカゴ・トリビューン本社ビルのコンペ2等案(1922)を契機に、政情不安の祖国を離れ、アメリカに移住し、新天地での仕事や息子エーロによる家具などがとりあげられる。


《ヘルシンキ中央駅》


《ヘルシンキ中央駅》



息子のエーロ・サーリネンによって設計された《クレスゲ・オーディトリアム》(1955)



息子のエーロ・サーリネンによって設計されたNY・JFK国際空港《旧TWAターミナル》(1962)


本展は、装飾を排除したモダニズムが登場する前の、建築の豊かさを感じさせる内容だった。また久保都島建築設計事務所による小部屋を設けた会場構成、シンプルな動線、光の効果も効いている。

公式サイト: https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/21/210703/

2021/07/08(木)(五十嵐太郎)

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サーリネンとフィンランドの美しい建築展

会期:2021/07/03~2021/09/20(※)

パナソニック汐留美術館[東京都]

※日時指定予約を実施


サーリネンといえば、エーロ・サーリネン(1910-61)がデザインしたノル社の「チューリップ・チェア」が思い浮かぶ。正直、その程度の知識でしかなかったのだが、本展を観て「チューリップ・チェア」に対する見方が少し変わった。本展はエーロの父、エリエル・サーリネン(1873-1950)のフィンランド時代にスポットを当てた展覧会だ。まずプロローグとして、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』の解説から始まり、しばし頭のなかにクエスチョンマークが現われる。しかし『カレワラ』がロシアからのフィンランド独立のきっかけをつくり、またサーリネンをはじめ芸術家たちにインスピレーションを与えた作品と知って驚いた。天地創造に始まり、4人の英雄が呪術を用いて宝を奪い求め戦う冒険だそうで、日本でいえば『古事記』や『日本書紀』に当たるようなものなのか……。現にサーリネンはデビュー作となる1900年パリ万国博覧会フィンランド館の建築で、「ナショナル・ロマンティシズム」と称される表現で民族独自の文化的ルーツを取り入れ、大成功を収めた。


1900年パリ万国博覧会フィンランド館 ラハティ市立博物館


アイデンティティやルーツに根ざすことは、建築でもデザインでも非常に大事なことだ。しかも自国の建国に際してはなおのことだろう。タイトルにある「フィンランドの美しい建築」の「美しい」とは、豊かな森と湖に恵まれたフィンランドの美しい自然や風土との調和を指している。サーリネンの美意識はつねにそこにあった。2人の仲間とともに、ヘルシンキ西の郊外の湖畔に建てた設計事務所兼共同生活の場「ヴィトレスク」にも、サーリネンの美意識が凝縮されていた。アーツ・アンド・クラフツ運動の影響も窺えるという解説どおり、まさにそれはフィンランド版「レッドハウス」のようである。ここで築いた理想の暮らしを、以後もさまざまな個人邸で実現していく。


ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築設計事務所《ヴィトレスク、リンドグレン邸の北立面(左)、スタジオの断面が見えるリンドグレン邸の南妻面(右)》(1902)フィンランド建築博物館


しかしサーリネンが本当の意味で飛躍するのは、1923年に母国を離れ、米国に拠点を移してからだ。時代の潮流に乗り、ナショナル・ロマンティシズムからモダニズムへと新たな表現を模索し開花させた。ルーツは大事であるが、そこに留まり続けても進化はない。日本的な言葉で言えば、サーリネンは「守破離」を実践したお手本のような人だと感じた。しかもチャールズ・イームズらを輩出したクランブルック・アカデミー・オブ・アートの施設設計に携わり、教鞭をとり、学長就任まで果たしたのである。後世に世界中で大ブームを巻き起こす米国のミッドセンチュリーデザインが生まれるきっかけに、サーリネンは大いに貢献したわけだ。「チューリップ・チェア」もそんな時代のなかで誕生した。あのなんとも言えない優美なラインには、エーロが父から受け継いだフィンランドの美しい自然や風土への賛美があるのかと想像すると、実に感慨深い。


ヴィトレスクのサーリネン邸のダイニングルーム[Photo: Ilari Järvinen/Finnish Heritage Agency, 2012]


公式サイト:https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/21/210703/

2021/07/05(月)(杉江あこ)

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イラストレーター 安西水丸展

会期:2021/04/24~2021/09/20(※)

世田谷文学館[東京都]

※混雑時には入場制限あり


「へたうま」という言葉があるが、安西水丸が描いたイラストレーションも一見そう見える。いや、決して下手ではないので誤解を抱かないでほしいのだが……。つまり、へたうまに含蓄される「味」が非常に際立ったイラストレーションだと思うのだ。生前の安西にかつて私はインタビューをしたことがある。その際、安西から聞いたある言葉が印象に残っている。それは「僕は美大時代にもっともつまらない絵を描いていた」というものだ。想像するに、美術の基本に忠実になるあまり、個性を没してしまったということなのだろう。そのため美大時代を打ち消すかのように自分にしか描けない絵を追求し、味のあるイラストレーションが確立されたのではないか。


illustrated by Mizumaru Anzai © Masumi Kishida


本展を観て、安西のイラストレーションの表現の幅広さを改めて知った。何となくかわいらしい絵の印象が強かったのだが、それだけでなくクールな構成、ややセクシーな雰囲気、素朴で荒々しい筆致など、媒体や目的によってはっきりと描き分けていることがわかる。とても器用で、画力がある人なのだ。そのなかで一貫していたのは、シンプルであること。本展での解説を読んでなるほどと思ったのが、安西はよく画面を横切るように一本の線を引いたというエピソードだ。それを「ホリゾン(水平線)」と呼んでいた。「ホリゾンを引くことで、例えばコーヒーカップはちゃんとテーブルの上に載っているイメージを出せるし、花瓶なら出窓の張り出しに飾られているイメージを出せる効果があるのです」と言う。シンプルを貫きつつも、どこか品の良さや存在感を感じさせるのは、ホリゾン効果なのかと膝を打った。


illustrated by Mizumaru Anzai © Masumi Kishida


とにかく会場の雰囲気はとても楽しい。展示作品が盛りだくさんで、覗き穴や顔はめなどの遊び心にあふれたスタイルの展示セクションもある。安西自身が観たとしてもきっと満足するのではないか。観る者の頭と心を柔らかくする安西のようなクリエーターが、これからの時代にもっと必要とされるように思う。


展示風景 世田谷文学館


公式サイト:https://www.setabun.or.jp/exhibition/20210424-0831_AnzaiMizumaru.html

2021/06/26(土)(杉江あこ)

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隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則

会期:2021/06/18~2021/09/26(※)

東京国立近代美術館[東京都]

※混雑緩和のため、オンラインでの事前予約を推奨


国立競技場の設計参画や、国内外で多くの建築設計を手がける隈研吾は、いまやもっとも名の知れた国民的建築家と言える。そんな隈の大規模展覧会がオリンピックイヤーに相応しく開かれた。テーマは「新しい公共性をつくる」で、隈は独自の5原則を掲げる。それは「孔」「粒子」「やわらかい」「斜め」「時間」だ。誰もがわかる易しい言葉をキーワードにするあたりが、隈は編集能力に優れた人だと感じる。この5原則に照らし合わせれば、国立競技場の庇の軒下部分に用いられた小径木ルーバーは「粒子」に当たるのだ。47都道府県のスギ材とリュウキュウマツ材を多用したデザインは、なるほど粒子なのかと思う。また、2010年代を中心とした比較的新しい建築を事例としていたためか、その多くで建築模型が展示されており、なぜ「孔」なのか、なぜ「粒子」なのかというポイントがよく伝わってきた。ただひたすら難解だったひと昔前の建築論とは打って変わって、時代は変わったなと思う。そうした点でも隈は国民に寄り添う建築家なのだ。


展示風景 東京国立近代美術館 ©Kioku Keizo


展示風景 東京国立近代美術館 ©Kioku Keizo


もうひとつ特筆したいのが、本展タイトルに「ネコの5原則」とあることだ。まるで昨今の猫ブームにあやかるような切り口と最初は思ったが、いやいやどうして、それも新しい公共性を考えるうえで隈が導いた答えだった。隈が猫に着目したのにはコロナ禍が影響していた。コロナ禍で多くの人々の意識や価値観が変わり、国や自治体が管理する場所やハコものにではなく、身体的に引かれる場にこそ公共性が生まれると気づいたのである。これを猫に学んだという。本展の第2会場では、隈の自宅付近をうろつく半野良の猫2匹にGPSを取り付けてその行動を追ったユニークな検証があり、ほっこりと癒されつつも、その本気度が伺えた。これを丹下健三がかつて提唱した「東京計画1960」への応答として、隈は「東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則」と名づけて発表している。確かに私の飼い猫を見ていても、家の中でも暖かい場所や涼しい場所を求めて自ら移動するし、狭い場所にわざわざ入り込むのが好きだ。それもすべて身体的に心地良い場所を求めているからなのだろう。建築の新たな見方を教わる展覧会である。




公式サイト:https://kumakengo2020.jp/

2021/06/25(金)(杉江あこ)

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ファッション イン ジャパン 1945-2020 ─流行と社会

会期:2021/06/09~2021/09/06(※)

国立新美術館 企画展示室1E[東京都]

※オンラインチケットでの予約を推奨


ファッションというと、「服装」を意味する言葉として定着しているが、もともとの意味は服装に限らず広い意味での「流行」である。その点で本展は洋服を基軸としながら、日本の戦後流行史や社会史にも迫る充実した内容だった。当時の世相や流行した雑誌、広告、映像、音楽なども含めて展示していたからだ。まずプロローグとして1920年代-1945年があり、国民服ともんぺが展示されていてのっけから目を引く。そして1章は終戦直後の1945-1950年代、2章は1960年代と、以後、10年単位で章を展開していく。したがってどの世代が観覧しても、必ずどこかの章で懐かしさを覚えたり、当時の自分を思い出したりするのではないかと思えた。まさに服装と流行と社会とは切っても切れない関係にあることを痛感した。


展示風景 国立新美術館 企画展示室1E


ちなみに団塊ジュニア世代の私は1980年代から懐かしさがじわじわと高まり、1990年代にその感情が爆発した。「あぁ、こんなブランドが流行ったよね」とか「こんな格好をした人がいたよね」という言葉が口をついて出た。そして当時、自分が何歳頃で、どんな生活を送っていたのかということまでも蘇ってきたのである。こうした反応は私だけではなかったようで、周囲からも同様に共感や感嘆の言葉が聞こえた。つまりファッションは、個々人が人生を振り返ることのできる強いフックとなるのだ。


展示風景 国立新美術館 企画展示室1E


展示風景 国立新美術館 企画展示室1E


考えてみれば、欧米諸国やその他の国々に比べると、日本の洋服史はまだ浅い。庶民全般に本格的に洋服が根づいたのが戦後からとすると、100年にも満たないからだ。そのわずか100年足らずの間に日本の洋服史は変幻自在な道を辿った。当初は欧米の服装をそのまま受け入れつつも、次第に独自路線を歩んでいく。歴史がないからこそ、自由に羽ばたけたのだ。当然、社会状況からも大きな影響を受けてきた。そんな日本のファッションのガラパゴス化が、2000年代以降には逆に世界から評価される結果にもなる。ガラパゴス化への原動力は何かというと、結局、日本人はおしゃれが好きで、創意工夫するのが好きということに尽きるのではないか。それはファッションデザイナーや業界の人々だけに限らない。庶民一人ひとりが自分らしい服装を希求しているのだ。だから戦中のもんぺにも、戦後まもなくの洋裁ブームにも、庶民が楽しんだおしゃれがあった。さて、本展を観て、あなたは何に懐かしさを覚えるだろうか。


公式サイト:https://fij2020.jp

2021/06/08(火)(杉江あこ)

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