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デザインに関するレビュー/プレビュー

阿部航太『街は誰のもの?』

グラフィティは80年代前半ニューヨークで最初のピークを迎えたが、ニューヨークがジェントリフィケーションによって下火になるのと引き換えに、世界各地に飛び火していく。そのひとつがブラジルのサンパウロだ。この映画はサンパウロのグラフィティやスケートボードなどのストリートカルチャーを、デザイナーの阿部航太が追ったドキュメンタリー。

グラフィティを扱った映画は『WILD STYLE』や『INSIDE OUTSIDE』など、フィクション・ノンフィクションを問わず何本もあるが、違法にもかかわらず公共空間に書くことの意味を問うたり、依頼制作の合法的グラフィティ(それは「グラフィティ」ではなく「ミューラル=壁画」という人もいる)との違いについて語られることが多い。この映画も違法行為を繰り返すグラフィティライターを追いかけ、インタビューしていくなかで、タイトルにあるように、次第に街(公共空間)は誰のものなのかを問うようになっていく。ライターたちの言い分は、自分たちは無償で街を美しく飾っているのになにが悪い? ということだ。これはニューヨークでもヨーロッパの都市でも同じで、公共空間イコール自分たちの場所(だからなにやってもいい)という考えだ。実際、映画には路上で服や食べ物を売ったり、大統領に反対するデモを行なったり、地下鉄でギターをかき鳴らしたり、ホームレスが窮状を訴えたり、思いっきり街を活用している例が出てくる。

こういうのを見ると、やっぱりラテン系は騒がしいなと疎ましく思う反面、うらやましさを感じるのも事実だ。だいたい日本人は公共空間をみんなの場所(それはお上が与えてくれた場所)だから、自分勝手なことをしてはいけないし、自己表現する場所でもないと考えてしまう。だから、ゴミ拾いくらいはするけれど、街を美しくしようとか楽しくしようとか積極的に行動することはあまりない。これを国民性や文化の違いとして片づけるのではなく、表現の自由に対する自己規制や無意識の抑圧として捉えるべきではないかと思ったりもした。日本の街にグラフィティが少ないのは、必ずしも誇るべきことではないのだ。

さて、映画は後半以降グラフィティから離れてスケートボードの話に移るが、スケボーも同じストリートカルチャーではあるものの、とってつけたような蛇足感は否めない。映画としてはグラフィティだけでまとめたほうがよかったように思う。


公式サイト:https://www.machidare.com

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絵が生まれる場所──サンパウロ、ストリートから考えるまちとデザイン|阿部航太:フォーカス(2020年02月15日号)

2021/11/01(月)(村田真)

令和3年度学習院大学史料館秋季特別展「ボンボニエールが紡ぐ物語」

会期:2021/09/13~2021/12/03

学習院大学史料館[東京都]

かつて仕事やプライベートで有田焼の産地に何度も足を運んでいた頃、いままでに見たことのないアイテムとして目に止まったのがボンボニエールだった。さまざまな形をした蓋付きの小さな箱で、一見、何の道具なのかがわからない。それが金平糖などを入れる菓子器で、主に皇室の御慶事や公式行事の際に配られる品であることを知り、ますます興味が湧いた。なんと風流な贈り物だろうか。菓子のためのパッケージというよりは、あくまでパッケージである菓子器が主役となっている点が潔いし面白い。名前から察するとおり、ボンボニエールの発祥はフランスである。もともと、西欧諸国で結婚や出産などのお祝いに砂糖菓子(ボンボン)を贈る習慣があり、その砂糖菓子を入れる器にさまざまな加飾を施すようになったのが始まりだとか。脱亜入欧を目指す明治時代の日本で、それが皇室に取り入れられて習慣化したのだ。形式こそ西欧流であったが、しかしボンボニエールの製作技術やデザイン自体は日本独自の発展をした。その様子がよくわかるのが本展である。


鶴亀形 明治天皇大婚25年祝典 明治27年3月9日(個人蔵)


私が初めて目に触れたボンボニエールは、冒頭のとおり磁器製だったが、皇室が脈々と受け継いできたのは銀製である(ただし、近年には陶磁器や漆器、七宝、プラスチックまで登場している)。日本で初めてボンボニエールが登場するのは明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布式にともなう宮中晩餐会だ。食後のプティフールとして供されたという。その後も英国王室をはじめ外国から賓客を招いた際の宮中晩餐会や天皇の即位礼、皇族の結婚や誕生、成年式などに際して、ボンボニエールが製作され配られてきた。いずれも日本の伝統文様や吉祥文様、皇室の紋章や皇族が個々に持つ「お印」を基にした凝ったデザインであるのが特徴だ。器自体を何かの形に象ったり、器の表面に文様を刻み付けたりと細工が非常に細かい。つまりボンボニエールを製作することで、日本の伝統工芸の技術を継承し、職人を保護育成した側面もあるわけだ。さらにボンボニエールが外国の賓客にわたることで、日本の伝統文化を伝える媒体にもなった。ただのかわいらしい菓子器だけではないところが侮れない。


丸形鳳凰文 令和即位記念 令和元年10月22日(個人蔵)


犬張子形 継宮明仁親王(上皇陛下)誕生内宴 昭和9年2月23日(個人蔵)


さて、最近、秋篠宮家の長女・眞子さんが結婚した。皇室としての儀式を一切行なわない「異例の結婚」だったため、おそらく恒例のボンボニエールも製作されなかったのだろう。彼女は内親王だった頃、学芸員資格や博物館勤務の経験を生かし、日本工芸会の総裁を務めるなど工芸分野での御公務に邁進されていた。それだけに工芸の粋を集めたボンボニエールが製作されなかったことは、非常に残念に思う。


公式サイト:https://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/exhibition/

2021/11/01(月)(杉江あこ)

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柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」

会期:2021/10/26~2022/02/13

東京国立近代美術館[東京都]

さしずめ柳宗悦は、いまどきの言葉で言えば、民藝運動のエグゼクティブプロデューサーという立場だったのだろう。民藝については、私もある程度理解を深めてきたと思っているが、本展を観て改めて感じたのはこの点である。宗教哲学者だった柳は、民藝という新しい美の試みとその思想を打ち立てるのに貢献した。また仲間の濱田庄司や河井寬次郎、バーナード・リーチ、芹沢銈介といった陶芸家や染色家たちの力を借りながら、日本全国や朝鮮半島から陶磁器などの工芸品を発掘し評価したことは知られている。しかし彼らは単なる評論家集団というわけではなかった。現代でも手本にできるのではないかというほど、相当、メディア戦略ないしビジネス戦略がしっかりとしていたからである。

それが「民藝樹」として図表が残る、民藝運動の三本柱だ。その3本とは美術館、出版、流通である。工芸品を集めて、見せる役割を担う美術館は「日本民藝館」。広げて、つなげる役割を担う出版は雑誌『工藝』をはじめとする刊行物。そしてつくって、届ける役割を担うショップは「たくみ工藝店」と、現に彼らは実践に移した。出版によって美術やデザイン運動を広げようという試みは、欧州諸国でもよくある。しかし3本も同時進行できるだろうか。現代においてもなお我々が民藝に魅了され続けるのは、このメディア戦略があったからだろう。なぜなら、この三つの拠点や媒体は規模や影響力の差こそあれ存続し続けているからだ。


雑誌『工藝』第1号〜第3号(1931/型染・装幀芹沢銈介)[写真提供:日本民藝館]


展示風景 東京国立近代美術館


本展は1910年代から1970年代にわたる60年間を追った展示構成で、非常にボリューム満点であった。唐津焼や伊万里焼、古武雄の鉢など、わが家にある陶磁器もちらほらとうかがえ、その工芸品の数々は見応えがあった。加えて、民藝運動の営みがよくわかる内容となっていた。そのうえで、こう思う。もし柳宗悦が現代も生きていたとしたら、どのようなプロデュースをするだろうか。民藝は過去に起こった運動だ。現代には現代にふさわしい工芸やデザイン運動があって然るべきだろう。民藝に魅了され続けながらも、我々は未来を見据えなければならない。いま、柳宗悦のような敏腕エグゼクティブプロデューサーの登場が強く望まれている。


《スリップウェア鶏文鉢(とりもんはち)》イギリス 18世紀後半 日本民藝館


《染付秋草文面取壺》(瓢形瓶[ひょうけいへい]部分)朝鮮半島 朝鮮時代 18世紀前半 日本民藝館



公式サイト:https://mingei100.jp

※ポスタービジュアル:《羽広鉄瓶》羽前山形(山形県)1934頃 日本民藝館

2021/10/27(水)(杉江あこ)

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柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年

会期:2021/10/26~2022/02/13

東京国立近代美術館[東京都]

「民藝」とはなにか、なにがおもしろいのか、よくわからなかった。同展カタログによれば、「民藝」とは「1925年に柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎によって作られた新しい美の概念で、『民衆的工藝』を略した言葉」だそうだ。「工芸」が一般に巧みな技術によって創造された美的産物で、大量生産品より芸術性があり高価なものだとすれば、「民藝」はそれをより大衆化した安価なものらしい。いや、順序が逆か。そもそも「民藝」は人々の暮らしのなかに息づいていたが、そのなかから「芸術」を目指して美的にも技術的にも洗練されたものが「工芸」として差別化され、民藝は工業製品に押されて先細りになっていった。だから柳宗悦らはそれを「再発見」し、守らなければならなかったのだろう。あ、少しわかってきた。

ところで、「工芸的」という形容は、少なくとも美術作品に対してはホメ言葉ではなく、おおむね否定的に使われるが、「民藝的」といわれればどうだろう? 工芸的よりさらに格下かと思ったらそうでもなく、むしろ素朴で暖かく、人間味が感じられ、一周回って肯定的に受け止められないだろうか。うーん、やっぱりよくわからない。

展覧会のほうは、作品に興味を持てないのでほとんど素通りしたが、いくつか引っかかる点があった。ひとつは、民藝運動が単なる好事家たちの趣味などではなく、生活道具をとおして社会を美的に変革しようという文化活動、思想運動であったこと。これって、ウィリアム・モリスの提唱したアーツ&クラフツ運動と似てなくね? 確かに展覧会でもカタログでもアーツ&クラフツには触れられているけれど、両者にどれほどの影響関係があったのかは不明だ。もっともアーツ&クラフツは民藝より半世紀ほど前の運動だし、モリスも19世紀末には亡くなっていたから、民藝が関心を持ち始めたころにはすでに美術館入り(つまり「芸術化」「歴史化」)していたのかもしれない。

もうひとつは、彼らが『月刊民藝』に掲載した「民藝樹」という図。1本の木から枝が3本に分かれ、それぞれ「たくみ工藝店」「日本民藝館」「日本民藝協会」という実がなっている。これは民藝運動の三本柱を示すもので、たくみ工藝店は民芸品を販売するセレクトショップ、日本民藝館は民芸品の収集・保存・展示を行なう美術館、日本民藝協会は機関誌『工藝』『月刊民藝』などを出版する本部のこと。それぞれ市場価値を決定するマーケット、美的価値を保証するミュージアム、社会的価値を広めるパブリシティという三位一体を表わしているのだ。ここからも彼らがきわめて戦略的に運動を進めていたことがわかる。

最後に、「国立近代美術館を批判する」というコーナーを設けていたことにも注目したい。これは1958年に柳宗悦が『民藝』に発表した「近代美術館と民藝館」という批判記事に基づくもので、日本民藝館は「国立」「近代」「美術」を否定し、「在野」「非近代」「工芸」の立場に立つと主張したのだ。いってみれば日本民藝館は「在野立非近代工芸館」というわけ。その批判された近代美術館が民藝館からコレクションを借りて「民藝」展を開くと知ったら、柳は喜ぶだろうか、嘆くだろうか。

2021/10/25(月)(村田真)

ブダペスト国立工芸美術館名品展 ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ

会期:2021/10/09~2021/12/19

パナソニック汐留美術館[東京都]

19世紀末のヨーロッパ諸国で流行したアール・ヌーヴォー様式にジャポニスムがどれほど影響を与えたのかという議論は、専門家の間でも意見が分かれる。一般に浮世絵が印象派の画家たちに影響を与えたことは知られているが、実はそれ以前から南蛮貿易によって日本の工芸品──陶磁器や漆芸品、絹織物などがヨーロッパ諸国に輸出されていたからだ。その頃からヨーロッパ人の間で日本の工芸品への憧れがすでに芽生えており、ジャポニスムの下地ができあがっていたと言っていい。本展はそうしたプレ・ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ、そしてアール・デコへと至る流れを陶磁器とガラスに焦点を当てて紹介する。普段から日本の工芸作家や事業者を応援する仕事に携わってきた身としては、大変興味深い内容だった。

なかでも目を引いたのは、第2章「日本工芸を源泉として──触感的なかたちと表面」である。陶磁器の表現方法を取ってみても、洋の東西ではまったく異なる。西洋では計画どおりに装飾を施してこそ完璧な仕上がりと高く評価されたが、東洋では焼成中に起こる予期せぬ事態や偶発性、いわゆる窯変が高く評価された。当時、日本の陶磁器に影響を受けたヨーロッパの製陶所や工芸作家たちは、そんな日本風の表現ができないかと躍起になったようだ。結晶釉や釉流しなどの技法や、ひょうたん型などの意匠の引用を試みていた。いずれの技法も意匠も日本では馴染み深いものゆえ、確かに一見すると、日本の陶磁器のように見えなくもない。しかし、何かが違う。言葉では説明しづらいが、微妙な違和感を感じるのはなぜだろう。と、少々上から目線でこれらの陶磁器を眺めてしまったが、それでも日本の陶磁器がこのようにヨーロッパに影響を与えていたことは嬉しく、誇りに思える。


展示風景 パナソニック汐留美術館


展示風景 パナソニック汐留美術館


続く第3章「アール・ヌーヴォーの精華──ジャポニスムを源流として」では華々しいアール・ヌーヴォーの陶磁器とガラスが並ぶ。ここでは上記のような直接的な影響は影を潜め、代わりにアシンメトリーの構成や自然物をモチーフにした装飾など、表現性においてジャポニスムの影響を窺わせた。しかし日本ではモチーフを抽象化して装飾するのに対し、ここでは具象的な動植物の装飾や意匠が目立った。微妙な違和感ではなく、もはや明確な差異が見て取れる。つまりジャポニスムの影響を大いに受けつつも、最終的には西洋流に解釈され表現されていったのがアール・ヌーヴォーの帰結ではないかと、本展を観て改めて思い至った。


展示風景 パナソニック汐留美術館


展示風景 パナソニック汐留美術館



公式サイト:https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/21/211009/index.html

2021/10/08(金)(杉江あこ)

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