artscapeレビュー
映像に関するレビュー/プレビュー
オープン・スペース 2017 未来の再創造
会期:2017/05/27~2018/03/11
NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)[東京都]
今年もメデイア・アートの新作が揃うが、過去にもあったような試みのバージョンアップ的なプロジェクトよりも、その作品自体が科学や社会のトピックに絡み、なおかつ美しさをもつタイプが好みである。それゆえ、アメリカにおける女性と銃弾に関する意外な切り口を提示するオーラ・サッツの《銃弾と弾痕のあいだ》の映像とインスタレーションが印象に残った。
2017/06/09(日)(五十嵐太郎)
メットガラ ドレスをまとった美術館
「メットガラ」とは、毎年5月の第一月曜日にメトロポリタン美術館で開催されるファッションの祭典。米ヴォーグ誌の編集長で、同館の理事でもあるアナ・ウィンターが、同館の服飾部門の活動資金を募るために、同館の企画展に合わせて開催している。この映画は、2015年の「メットガラ」の開催に向けた過程を、アナ・ウィンターと、企画展「鏡の中の中国」の担当キュレーター、アンドリュー・ボルトンとの2人に焦点を合わせながら追跡したドキュメンタリーである。ファッション界の知られざる内実を開陳するという点では、同じくアナ・ウィンターの編集者としての仕事に密着した『ファッションが教えてくれること』(September Issue、2009)に近いが、この映画の醍醐味は、むしろ現在の美術が抱えている問題を浮き彫りにしている点にある。
それは、美術が他分野との共生を余儀なくされているという問題だ。ファッションがアートか否かという問題はかねてから議論の対象となっていたが、この映画はむしろアートとファッションの互恵関係をありありと照らし出している。豪華絢爛なレセプションには名だたるセレブリティーたちが招待され、彼らに引き寄せられたメディア関係者が展覧会の情報を世界中に発信する。事実、「鏡の中の中国」展は興行的には大成功を収めたようだから、アートとファッションの共犯関係は、アートという美の殿堂に参画することを目論むファッションだけでなく、アートにとっても比べ物にならないほどのパブリシティを誇るファッションと手を組むことは十分にメリットのあることなのだろう。
しかし、そのような共犯関係は必ずしもすべての人間に歓迎されるわけではない。この映画の最大の見どころは、アンドリュー・ボルトンが提案した展示計画に、彼の同僚であるメトロポリタン美術館のキュレーターらが難色を示したシーンにある。美術の専門家である彼らは、あまりにもファッションに傾きすぎた展示計画に、収蔵品が「壁紙」になりかねないと懸念を表明するのだ。残念ながら、この場面はこれ以上深く追究されることはなかったが、ここには美術とファッションをめぐる価値闘争の実態が見事に体現されている。すなわち旧来のキュレーターにとって主役はあくまでも美術作品であり、ファッションと連動したオープニング・レセプションはそれこそ「壁紙」にすぎない。この短いシーンには、守るべきは美術であり、そのための美術館であるという、おそらくは国内外の美術館のキュレーターないしは学芸員が共有しているはずの頑なな信念が立ち現われていたのである。
ファッションと連動した美術館の産業化──。それが21世紀の資本主義社会を美術館が生き残るための生存戦略のひとつであることに疑いはない。だが重要なのは、資本主義の論理と美術の専門性を対比させたうえで、その戦略を肯定するか否定するかではなく、美術館を双方の生存をかけた結節点として捉え返す視点ではないか。現代社会における美術は、もはや他の文化領域との「共存」の段階にはなく、いまや「共生」の水準にあると考えられるからだ。生物学で言う前者は、縄張りに侵入してこないかぎり他者を攻撃しない状態を指し、同じく後者は一方が欠落すると、もう一方の生存が危うくなるほど緊密に結びついた相互扶助の状態を意味している。美術が何かしらの寄生先を不可欠とする文化領域であることは言うまでもあるまい。だがファッションにしても、ファストファッションの隆盛以降、「共存」を嘯く余裕は失われたといってよい。紙媒体に立脚したファッション雑誌にしても、同様の窮状にあることは否定できない。だからこそアナ・ウィンターは「共生」を求めてアートにアプローチしているのだろう。
「美術」や「ファッション」という狭義の分類法は、いまや縄張りを牛耳る既得権を持つ者にとってすら足かせにしかなるまい。近々のうちに、「造形」ないしは「つくりもの」という上位概念をもとにして制度や歴史、批評を組み立て直す作業が求められるに違いない。
2017/06/01(木)(福住廉)
裏声で歌へ
会期:2017/04/08~2017/06/18
小山市立車屋美術館[栃木県]
栃木県小山市に初めて足を踏み入れた。東北新幹線だと宇都宮駅のひとつ手前が小山駅だが、美術館は在来線で小山駅のひとつ手前の間々田駅になる。空っ風の吹きそうな殺風景な街だが、なぜか展覧会のポスターだけはあちこちに貼ってある。あんまり宣伝しがいのなさそうな展覧会なのにね。そもそもどんな展覧会なのかどこにも解説がなく、唯一手がかりになりそうなのが、カタログに一部転載されている丸谷才一の「裏声で歌へ君が代」という一文だ。それについてはあと回しにして、会場を一巡してみて、どうやら「声(音)」と「裏」に関する作品が選ばれていることはわかった。
大和田俊は石灰岩が溶けるかすかな声、國府理は水中のエンジン音を聞くインスタレーションで、加えて地元中学校の合唱コンクールの映像もある。本山ゆかりはアクリル板の裏から描いているし、五月女哲平は裏面はおろか側面も見えない窮屈なスペースに抽象画をはめ込んでいる(しかもタイトルは《聞こえる》)。もうひとつ、明治から昭和初期にかけてブームになった軍艦や戦闘機を描いた「戦争柄着物」が出ているが、これは羽裏や襦袢に描かれることが多かったからだけでなく、君が代は恋歌だったという先の丸谷の「裏話」にも通じるからかもしれない。ちなみに、大和田と五月女は地元出身で、地元中学校の合唱も含めて意外と地元愛が強い。街にポスターが貼られているのもうなずける。
2017/05/28(日)(村田真)
C/Sensor-ed Scape
会期:2017/04/15~2017/05/28
トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]
昨年度TWSのレジデンス・プログラムに選ばれた8人のアーティストが、滞在・制作の成果を発表している。瀧健太郎は暗いギャラリーの窓際、壁、コーナーの3カ所に人物を映し出し、相互に接触がないのに偶然シンクロしてしまうという映像インスタレーション。これはよくできているし、おもしろい。バーゼルに滞在した村上華子は、知の流通(カレンシー)と通貨(カレンシー)の繁栄はライン川の流れ(カレント)があってこそと気づき、バーゼルの印象(インプレッション)を古い活字を用いて印刷(インプリント)するという、言葉遊びのような映像を上映。写真や印刷の考古学と翻訳の技能を持つ彼女ならではの作品。あとは省略。
2017/05/19(金)(村田真)
2017- I コレクション・ハイライト+特集1「実験的映像」
会期:2017/03/18~2017/05/07
広島市現代美術館[広島県]
映像なのでサッと通り過ぎようとしたら、1点だけ目に止まった。首から下の男性が腰を左右に振りながら行ったり来たりするだけのビデオ作品で、作者はブルース・ナウマン、タイトルは《コントラポストによる歩行》、制作年は1968年。あまりのバカバカしさに笑うしかなかった。たまにこういう佳作があるから侮れない。
2017/05/05(金)(村田真)