artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

川内倫子『ILLUMINANCE』

発行所:フォイル

発行日:2011年5月22日

川内倫子のデビュー写真集『うたたね』(リトルモア、2001)の刊行から10年が過ぎた。この間の彼女の活躍はめざましいものがあった。2005年のカルティエ財団美術館(フランス・パリ)での個展、2009年のニューヨークICPの「インフィニティ・アワード、芸術部門」受賞など、森山大道、荒木経惟の世代以降の若手作家としては、海外での評価が最も高い一人だろう。本書はその川内の『うたたね』以前の作品を含む15年間の軌跡を辿り直すとともに、彼女の今後の展開を占うのにふさわしい、堂々とした造りのハードカバー写真集である。
ページを繰ると、川内の作品世界がデビュー以来ほとんど変わっていないことにあらためて驚く。6×6判の魔術的といえそうなフレーミングはもちろんだが、日常の細部に目を向け、その微かな揺らぎや歪み、「気」の変化などを鋭敏に察知してシャッターを切っていく姿勢そのものがまったく同じなのだ。とはいえ、作品一点一点の深みとスケールにおいては、明らかに違いが見えてきている。また、どちらかといえばそれぞれの写真が衝突し、軋み声をあげているように見える『うたたね』と比較すると、『ILLUMINANCE』ではよりなめらかに接続しつつ一体感を保っている。光=ILLUMINANCEという主題が明確に設定され、そこに個々のイメージが集約していくような構造がくっきりと見えてきているのだ。写真集の編集・構成という点においても、彼女の成長の証しがしっかり刻みつけられているのではないだろうか。
なお、写真集の刊行にあわせてフォイル・ギャラリーで開催された「ILLUMINANCE」展(6月24日~7月23日)には、映像作品も出品されていた。数秒~数十秒の単位で日常の場面を切り取った画像をつないでいくシンプルな構成の作品だが、逆に写真を撮影するときの川内の視線のあり方が生々しく伝わってきて面白かった。

2011/07/17(日)(飯沢耕太郎)

あたらしいビョーキ いくしゅん・林圭介 二人展

会期:2011/07/01~2011/07/31

Gallery OUT of PLACE[奈良県]

写真家のいくしゅんと画家の林圭介。2人は共に奈良県在住で、年齢も30歳前後と同世代だ。いくしゅんは、過去約5年間に撮りためたスナップ写真を編集して、壁面にランダムに直貼りした。人、風景、動物など主題はさまざまだが、そのどれもが絶妙な瞬間を捉えており、写真家として不可欠な眼と運を持ち合わせていることがわかる。林の作品は、ブラックでグロテスクな情景を青一色で描いたユニークなものだった。

2011/07/17(日)(小吹隆文)

尾仲浩二「Tokyo Candy Box」

会期:2011/07/08~2011/08/06

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

尾仲浩二の写真集『Tokyo Candy Box』(ワイズ出版、2001)を最初に見た時のショックはよく覚えている。尾仲といえば、やや寂れた地方都市のさりげない光景を、旅をしながら撮影し、端正なモノクロームプリントで発表する作家というイメージがあった。それがいきなり、東京をテーマとした妙にポップなカラー写真の写真集が登場したので、目が点になってしまったのだ。
一人の写真家の仕事をずっと辿っていくと、なだらかに継続性を保ちながら進んでいく時期と、大きく飛躍し、変化していく時期とが交互にやって来ることがよくある。尾仲にとって、1990年代後半の「世紀末」は、まさにその後者の時期だったのだろう。時代が大きく変わりつつあることへの予感と、たまたまカラーの自動現像機を手に入れたことが重なって、モノクロームからカラーへ、地方から東京へ、静から動へ、というような化学反応が起こっていった。こういう思っても見なかったような大転換は、作家本人にとっても、写真を見るわれわれにとっても実に楽しいものだ。このシリーズには、発見すること、つくることの弾むような歓びがあふれているように感じる。
ところが、写真集の刊行にあわせた展覧会も含めて、これまで尾仲はスライドショーや大伸ばしのデジタルプリントでしか、このシリーズを見せてこなかった。自分にとっても実験作だったので、写真集の印刷とどうしても比較されてしまう印画紙の作品の展示は、封印してきたということのようだ。ところが昨年、常用してきたコダックのカラー印画紙が発売中止になり、ストックがあるうちにということで、あらためてこのシリーズのプリントを焼き直した。それらを展示したのが今回の「Tokyo Candy Box」展である。
作品を見ると、この10年の東京の変化が相当に大きかったことがわかる。彼自身が既に刊行時に予感していたように、それはもはやノスタルジックな色合いすら帯び始めているようだ。東京の無機質化はさらに進行し、もはやこの都市はおもちゃ箱を引っくり返したようなポップなCandy Boxではなくなりつつある。逆にいえば、二度と見ることができない眺めを、写真という魔法の箱の中に閉じ込めておくのが写真家の大事な役目なわけで、尾仲のこのシリーズも、箱から取り出すたびにさまざまな形で読み替えられていくのだろう。10年くらい後に、もう一度この「東京の世紀末の晴れの日の光景」をじっくり眺めてみたいものだ。

2011/07/16(土)(飯沢耕太郎)

成層圏 風景の再起動 vol.3 下道基行

会期:2011/07/09~2011/08/13

gallery αM[東京都]

gallery αMで開催されている、3人のキュレーターによる連続企画展「成層圏 Stratosphere」。今回は高木瑞木のキュレーションで、「風景の再起動」の3回目として下道基行の作品展が開催された。下道は2004年から日本各地に残る戦争遺跡を「再利用して」記録していく「Re-Fort」のシリーズを制作しており(リトルモアから2005年に写真集『戦争のかたち』として刊行)、今回はその第6回目の展示の予定だった。ところが、「3.11」以降に心境の変化があり、急遽用水路などに架かっている小さな板きれのようなものを撮影した写真を展示することになったのだという。A4判ほどにプリントされた各写真には、「11/05/17 09:18」といった撮影の日時が付されている。実は下道はいま、日本全国を震災直後に購入した小さなバイクで移動しており、これらの「橋」を見つけるとすぐに撮影し、データをギャラリーのプリンターに送信し続けている。プリンターから出力された写真は、随時壁に貼り出され、その数は会期中にどんどん増えていくわけだ。
旅の途上にある下道自身の移動と発見の状況を、ヴィヴィッドに定着していくその方法論は、とても洗練されていて気がきいていると思う。作品そのものも、一点一点の撮影のコンディションとクオリティが的確に保たれており、それぞれの風景の差異と共通性を見比べていく愉しみがある。下道が会場に掲げたコメントに書いているように、これらの「橋」たちは「生活/風景に必要な最小単位の物体であり、行為のひとつ」である。このような、さりげなくもささやかな営みの意味が、震災以降に変わってしまったことを確認していくのはとても大事なことだと思う。この作品が、今後の彼の制作活動において、新たな大きな水脈となっていくのではないかという予感もする。

2011/07/15(金)(飯沢耕太郎)

森花野子「lines. dots.」

会期:2011/07/14~2011/07/19

現代HEIGHTS Gallery DEN[東京都]

谷口雅の企画による現代HEIGHTS Gallery DENの連続展の第3弾。第2弾のシンカイイズミ「いつ どこで だれが」(7月7日~12日)を見過ごしたのは残念だったが、今回の森花野子の展示を見ても、各作家の作品のレベルがかなり高いのがわかった。
森が撮影しているのは、祖父や祖母が遺した器の類である。「戦時中に防空壕に埋めたという大皿」や「祖父がワインをたしなんでいたというグラス」などをクローズアップで、近親者の手の一部とともに撮影し、マット系の紙に大伸ばししたプリントが4枚、天井から吊り下げられている。写真の裏から強い光を当てているので、それがプリントの表面に滲み出し、モノクロームの微妙な陰翳をより際立たせている。森は武蔵野美術大学の出身ということだが、インスタレーションとしてなかなか工夫された展示といえるだろう。
日常の器に目をつけた視点もいいと思う。皿やグラスや壷は、それを使っていた家族の思い出とともに次の世代へと受け継がれ、また違う経験や記憶が付け加わっていく。その時、器は食べ物や飲み物の容器という実用的な役割を超えて、いわば「生と死を盛る器」としての存在感を強めていくといってもよい。その有り様をしっかりと見つめ、丁寧に写しとっていこうという態度が、きちんと貫かれていて気持ちがいい。このような身近な素材に注目する視点の取り方は、やはり作家の女性性のあらわれといえるのではないだろうか。次の展開にも期待したい。

2011/07/14(木)(飯沢耕太郎)