artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

ひらいゆう写真展「マダムアクション」

会期:2011/06/28~2011/07/10

アートスペース虹[京都府]

以前から彼女の作品に登場していた兵士人形(多くは道化の姿をしていた)に女装と化粧を施し、肖像写真として撮影した作品が並んでいた。男性と女性、虚構と現実の境界線が曖昧になった状態を定着させることで、既成概念を疑うことの大切さを静かに訴えているかのようだ。反対側の壁には荒涼たる氷河の情景を捉えた風景写真が展示されている。それはまるですべての価値観がリセットされた白紙の精神を象徴化しているようだった。

2011/06/28(火)(小吹隆文)

オン・ザ・ロード 森山大道 写真展

会期:2011/06/28~2011/09/19

国立国際美術館[大阪府]

写真家・森山大道の、1965年のカメラ雑誌デビューから約半世紀に及ぶ活動を、10冊の写真集の流れに即して展覧。総点数400点以上に及ぶ大展覧会である。路上でのスナップ写真という制作スタイルは一貫しており、そのブレの無さには驚くばかりだが、写っている人間や空気感には、やはり時代の変化が感じられる。昔の方が濃い人が多く、現代に近づくほど軽薄な空気が感じられるのは、私の偏見だろうか。従来から指摘されてきた森山作品の特質に加え、仕事と時間が積み重なって初めて見える“時代”という巨大なものが感じ取れる展覧会だった。

2011/06/27(月)(小吹隆文)

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大西正一「Untitled──セカイニフレルタメノホウホウ」

会期:2011/06/21~2011/07/09

The Third Gallery Aya[大阪府]

風景、道具、機械、生き物など、およそあらゆるものを感情を排して撮影した写真が、一定のフォーマットに沿って並んでいる。4つの壁面のうち一面はグリッド状に整然と配置され、残りの面はランダムに並んでいるが、どうやら被写体のタイプによりグルーピングされているらしい。展示を見た瞬間、わが家のパソコンの画面やパソコン内の画像ファイルを連想した。われわれの脳内でも、案外本展と同じように情報の整理が行なわれているのかもしれない。

2011/06/23(木)(小吹隆文)

大竹昭子『彼らが写真を手にした切実さを 《日本写真》の50年』

発行所:平凡社

発行日:2011年6月20日

大竹昭子を写真の世界に引きずり込んだのはどうやら僕だったらしい。大竹が写真について最初に本格的に取り組んだのは、のちに『眼の狩人──戦後写真家たちが描いた軌跡』(新潮社、1994)にまとめられる写真家インタビューを『藝術新潮』に連載したことだったのだが、たしかに彼女を同誌編集部に紹介したのは僕だった。本書『彼らが写真を手にした切実さを 《日本写真》の50年』の刊行記念のトークイベント(青山ブックセンター本店、6月22日)で大竹に指摘されて、なぜそれまでまったく写真論など書いていなかった彼女を推薦したのかについて記憶を辿ってみたのだが、どうもうまく思い出せない。ともかくその選択は結果的に大当たりだったわけで、大竹はその後も日本の写真表現の現場をフォローし続け、本書の執筆にまで至った。ほぼ同世代の書き手として、僕は彼女の写真についての見方に信頼を寄せている。ごく稀に意見が分かれることがあるのだが、ネガティブに反応するつもりはなく、それはそれで教えられることが多い。
本書は大きく二部に分かれ、第一部では『眼の狩人』に収録された文章から森山大道、中平卓馬、荒木経惟、篠山紀信が取りあげられている。そして第二部では「新しい潮流の出現」として、1990年代以降に登場してきた佐内正史、藤代冥砂、長島有里枝、蜷川実花、大橋仁についてのインタビュー評論が並ぶ。こちらは『真夜中』に2008~2009年に連載した記事に加筆したものだ。さらに補論として、書き下ろしのホンマタカシ論「写真と現代美術のあいだ」「《日本写真》について考える」「中平卓馬の写真家覚悟」といった文章が付け加えられている。
全体を通して浮かび上がってくるのは、これらの写真家たちが1960年代以来半世紀にわたってつくり上げてきた《日本写真》とは何なのかという問いかけだ。このことについては、まだ完全に答えが出ているわけではない。だが、大竹が提起した「生命とマシンと外界とが三つどもえになった写真の現場」において、「感情や無意識の領域をもかかえ込んだ、混沌とした人間のありようそのものとむきあおうとする意志」を貫き通していこうとする写真家たちの営みを《日本写真》と呼ぶことについては、僕もまったく異存はない。これから先、《日本写真》のあり方をもっと細やかに確認し、検討していく試みが必要になってくるはずで、僕自身もそのことについて本気で考えていかなければならない時期がきているのではないかと感じている。

2011/06/22(水)(飯沢耕太郎)

ロバート・フランク写真展 Part I 「Outside My Window」

会期:2011/06/02~2011/07/30

gallery bauhaus[東京都]

ロバート・フランクの写真集『私の手の詩』(1972)、『Flower is......』(1987)の発行元である邑元舍代表の元村和彦は、長年にわたるフランクとの交友の間に彼のプリントを多数所持するようになった。その一部を二部構成で紹介するのが今回の展示で、夏休みを挟んで9月3日~10月29日には Part II 「Flower Is」が開催される。
Part I 「Outside My Window」の展示は、1950年代初頭のパリやロンドンでのスナップショットから、1958年の写真集『アメリカ人(The Americans)』の時代を経て、1970年代以降の複数の写真をコラージュ的に構成する実験的な作品まで多岐にわたっている。だがそこには、あくまでも日常の事物に寄り添いながら、自らの生の流れに沿って写真を綴れ織りのように編み上げていこうとするフランクの志向をはっきりと見ることができる。1974年に愛娘、アンドレアの飛行機事故死を受けて制作したコラージュ作品には、「SKY」「ANDREA DIED DEC.28 th 1974」という書き込みがあり、鎮魂と作品制作の行為が切れ目なく融合していることが見てとれる。このような生と写真のアマルガムをめざすあり方は、1970年代以降、むしろアメリカの写真家たちよりは深瀬昌久、荒木経惟、鈴木清といった日本の「私写真」の写真家たちに受け継がれていったのではないだろうか。フランクは日本の現代写真家たちとの親密な交流で知られているが、それはその作品世界の基層が共通しているからではないかと思う。
会場に作家の埴谷雄高が『私の手の詩』に寄せた文章の一部を抜粋して掲げてあった。「事物も人間も、それを凝視すればするほど、見られるものと見るものとのあいだの内的なかかわりをあきらかにして、生と存在の端的な秘密を私達に示すのである」。たしかにフランクの写真を見ていると、そこから「生と存在の端的な秘密」が生々しい切り口で浮かび上がってくるように感じる。見慣れていたものが見慣れない異物に変貌する瞬間を、恐ろしく的確に捉える彼の特異な眼差しのあり方を、あらためて確認することができた。

2011/06/22(水)(飯沢耕太郎)