artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

re-pair展

会期:2012/10/06~2012/12/02

旧元町公民館[大分県]

別府市内は、「混浴温泉世界」の開催にあわせて「ベップ・アート・マンス2012」という名の市民によるさまざまな文化的なイベントが催されている。本展もそのフレームを活用して開催された美術展。ランドスケープデザインスタジオのEARTHSCAPEとアーティストの竹下洋子が、商店街の一角に立つ古い雑居ビルの屋上に設えられた公民館に手を加えた作品を発表した。
狭い階段を登っていくと、壁のいたるところにカラフルな線が走っていることに気づく。よく見ると、それらは壁のヒビに糸を押し込んだ作品だった。公民館の内部は、縦に置き直された日の丸を中心に帳簿や時計、魔法瓶、湯呑み、小皿などが陳列され、それらが往時の活動を偲ばせていた。
公民館の内外で繰り広げられていたアート作品に通底していたのは、古びたモノを美しさに反転させる発想。そのことによって建物や共同体の「再生」を謳うアートプロジェクトは数多いが、この作品がすばらしいのは、そのような美辞麗句を軽々しく喧伝することなく、むしろ歴史を「想像」するように仕向けるひそやかな品性が一貫しているからだ。
アートにできることは限られている。だが、それは無力であることを意味するわけではない。私たちの想像力に大いに働きかけることができる、その意味はとてつもなく大きい。

2012/10/07(日)(福住廉)

秋山正仁 展

会期:2012/10/01~2012/10/06

Gallery K[東京都]

会場に広がっていたのは、3つの壁面にまたがる長大な絵画。絵巻物のように右側から左側に向かって時間軸が貫かれ、それに沿って山河や建物、戦車、戦闘機などが精緻に描かれている。
驚くべきなのは、それらをすべて色鉛筆だけで描写していること。そこに費やされた膨大な時間にめまいを覚えるが、色鉛筆の目覚しい色彩にたちまち覚醒させられる。しかも、すべての図像にはそれぞれアラベスク模様のような細かい文様が重ねられているため、図像と模様がわずかに反発しあい、不思議な視覚効果を生んでいるのである。図像を把握することが著しく難しいわけではないにせよ、模様の外形を眼で追っていってはじめて図像が浮かび上がることがある。つまり、見れば見るほど、何かしら発見が期待できるのだ。
秋山の色鉛筆画は、平面性を追究してきたモダニズム絵画が禁欲的に封じてきた、絵を見る愉しみを素直に提供している。そこに、ゼロ年代以後の現代絵画の大きな特徴をはっきりと見出すことかできる。

2012/10/05(金)(福住廉)

日本ファッションの未来性

会期:2012/07/28~2012/10/08

東京都現代美術館[東京都]

ファッションの展覧会でいつも不満に思うのは、服飾がちっとも美しく見えないことである。マネキンに着用させられた服飾はいかにも味気なく、生命力に乏しく、場合によっては色あせて見えることすらある。
80年代の川久保玲と山本耀司から2000年代にかけての日本のファッション・デザイナーを総覧した本展も、さすがに川久保と山本の展示には空間構成に多少の工夫は施していたものの(それにしてもまたもや紗幕だ!)、それ以外の展示はあまりにも粗く、とても正視に耐えるものではなかった。真っ白いホワイトキューブに、特別な照明を当てるわけでもなく、年代物の服飾を物体として展示しているので、その「古さ」だけがやけに目立っているのである。
服飾は、美術や工芸以上に、今も昔も人間の暮らしや身体と密接しているのだから、それらを美術館に持ち込むことには、美術や工芸以上に格別に配慮しなければならないのではないか。服飾を最高の状態で見せることに全神経を注いでいるファッション・ショーを再現する必要は必ずしもないとはいえ、美術館であれば美術館独自の見せ方を開発するべきである。

2012/10/05(金)(福住廉)

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記憶の島─岡本太郎と宮本常一が撮った日本

会期:2012/07/21~2012/10/08

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

岡本太郎と宮本常一が日本の民俗を撮影した写真を見せた展覧会。あわせて約200点の写真と、宮本が収集した各地の民具や岡本による立体作品も展示された。「風景」「女」「こども」「民俗」などのテーマに沿って、それぞれのモノクロ写真が対照的に展示されたため、まず気がつくのは二人の相違点である。
岡本が撮影したのは、祭りや儀式などハレの場が多い。非日常的な現場の動きや熱、音が伝わってくるかのような迫力のある写真だ。被写体の正面にわざわざ回り込み、肉迫しようと試みる、ある種の図々しさすら感じられる。むろん日常の暮らしを写した写真もあるにはあるが、それにしてもアングルや構図がやけに美しい。
一方、宮本の写真に写し出されているのは、家屋や町並み、労働に勤しむ人びとなど、日常の暮らしであるケの場面。岡本に比べると中庸な写真と言えるが、宮本の関心はありのままの生活をありのままに記録することにあったのだろう。土地の人間を背後からとらえた写真には、呼吸をあわせながらそっとシャッターを切る宮本の姿が透けて見えるかのようだ。
芸術と民俗学の対称性。たしかに岡本の写真の重心が「表現」にあるのに対し、宮本のそれは「記録」にあると言える。だが、両者の写真に共通点がないわけではない。それは、失われつつある民俗へのまなざしだ。高度経済成長の陰で忘れられつつあった「裏日本」の暮らしを、ともに写真に焼きつけることで留めようとしていた点は明らかである。
しかし、だからといって、それは必ずしもロマンチックなノスタルジーにすぎないわけではない。なぜなら、写真と民具、そして作品が集められた会場には、人間にとって本質的な「ものつくり」の精神が立ち現われていたからだ。岡本が立体作品を制作したのと同じように、村人たちも自分たちの暮らしをつくっていたのだ。芸術と民俗学に、いや、アーティストと無名の人びとに通底する根源的な創造性と想像性を、岡本と宮本は見抜こうとしていたのではなかったか。
「表日本」の成長が頭打ちとなり、新たな方向性が模索されているいま、岡本と宮本のまなざしは、来るべき社会をつくる私たちにも向けられているのかもしれない。

2012/10/04(木)(福住廉)

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動く絵、描かれる時間:ファンタゴマスリア

会期:2012/09/28~2012/10/17

横浜市民ギャラリー[神奈川県]

横浜市民ギャラリーの恒例企画展「ニューアート展NEXT」。今回は、映像表現をテーマに、金澤麻由子とSHIMURA brosがそれぞれ映像インスタレーションを展示した。とりわけ印象深かったのが、後者。いくつかのシリーズを発表したが、なかでも映像を物質化した作品が秀逸だった。
ブラックキューブに入ると壁面に一点の光が映っているが、それが何の図像なのかまったくわからない。プロジェクターから投射されていることはわかるが、音もないから映像作品なのかどうかすらおぼつかない。すると、突然機械音とともに会場の一角から煙が吹き出しはじめた。それとともに目の前の光点がしだいに縦に広がってゆき、やがて細い線となってはじめて気がついた。煙はプロジェクターから投射される光を物質として際立たせるための仕掛けであることを。
会場内に充満した煙は、暗闇では視認することができないが、光線の周囲を激しく揺れ動いているのがはっきりと見える。まるで一枚の帯のようだ。
しばらくして光線が左右にゆっくり動き出すと、その先にはいくつもの鏡面が設置されていたため、光線は会場内を乱反射し始め、光の帯は幾重にも重層化した。光に包まれる経験はとくに珍しくもないが、何本もの光の帯に身体を貫かれる経験はそうそうない。
光と闇で構成されている映像。映画では自明視されている大前提を、映画とは異なるかたちで浮き彫りにした、アートならではの作品である。しかも、それをこれほどシンプルに表現した作品はほかに知らない。「混浴温泉世界2012」でアン・ヴェロニカ・ヤンセンズが似たような作品を発表していたが、SHIMURA brosのほうが視覚的にもコンセプトの面でもすぐれていたように思う。

2012/10/03(水)(福住廉)

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