artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

坂野充学 個展 VISIBLE BRETH

会期:2012/10/14~2012/11/04

3331 Arts Chiyoda 1FメインギャラリーB[東京都]

映像作家の坂野充学による新作展。出身地の石川県白山市鶴来で4年間にわたるリサーチのうえ撮影した映像を、5面のスクリーンでそれぞれ同時に上映した。
映像は、民俗的な習俗や祭り、自然、文化、歴史をモチーフにした物語。役者による演技や、地元の民俗学研究者・村西博二による語りが、5つの時間軸でそれぞれ別々に、しかし時として交差しながら、進行していく。一つひとつのカットがじつに精緻で美しいため、写されている炎や水、風、緑や岩のイメージが脳内に次々と流入してくる感覚がおもしろい。
だからといってイメージだけが先行しているわけではなく、民俗的・歴史的な背景もたしかに伝わってくる。鉄の文化が大陸から伝わってきたとき、それを受け入れる土壌が整っていたことを、海岸の砂浜に鉄分が多く含まれていることから解き明かすなど、地理的な条件によって神話的な物語に十分な説得力を与えているのである。
場所の歴史を掘り起こすアート作品やアートプロジェクトは数多い。しかし、その深度を古代史や神話の水準まで到達させようとする作品は珍しい。東日本大震災によって現実社会の根拠が根底から覆されたいま、映像によって新たな神話的な物語を綴ろうとする坂野の作品は、ひじょうに大きなアクチュアリティーがある。

2012/11/02(金)(福住廉)

エマージング・ディレクターズ・アートフェア「ウルトラ005」[オクトーバー・サイド Oct. side]

会期:2012/10/27~2012/10/30

スパイラルガーデン[東京都]

典型的な現代アートの見本市だが、会場でひときわ異彩を放っていたのは、「ヴォルカノイズ」の伊藤誠吾。拠点としている秋田の各地で繰り広げたパフォーマンスの映像と、それらを見せる小さな空間を幼少時の写真や当時獲得した表彰状などによって構築した。
いずれもバカバカしいテーマをひたすらバカバカしく追究しているところがまたバカバカしいが、その一方で安易に他者との関係性やコミュニケーションをねらわない潔さが清々しい。なかでもビデオカメラを無言のまま、ただひたすら目前の相手に向け続け、顔面をクローズアップで撮るだけの映像作品は、被写体とさせられた人が笑顔の隙間に一瞬垣間見せる不快感やわずかな攻撃性をあぶり出す傑作だが、しだいにビデオカメラという暴力装置の(というより、正確にはそれを駆使する伊藤自身の)不気味な迫力に、映像を見る側がいたたまれない気持ちになってくる。難癖をつけるチンピラの視線に同一化してしまったような居心地の悪さを感じてならないのである。
これだけ映像作品が氾濫している昨今、幸福なコミュニケーションをねらう映像は数あれど、これほど挑発的でこれほど悪意の込められた映像はほかにない。しかし、人間のコミュニケーションがディスコミュニケーションとつねに表裏一体の関係にある、きわめて危ういものだとすれば、伊藤の挑戦的な映像は、私たちのコミュニケーションを裏側から鋭く突き刺す鋭利な刃物なのだろう。その類まれな鋭さを評価したい。

2012/10/30(火)(福住廉)

森山大道「Mesh」展

会期:2012/10/20~2012/11/11

GUCCI新宿 3階イベントスペース[東京都]

森山大道がGUCCIで新たな作品を見せた。会場の壁や柱には、網タイツをはいた女性の脚をクローズアップでとらえたモノクロのシルクスクリーンが隙間なく貼りめぐらされ、その合間に森山の写真作品が展示された。シルクの粘着性と森山写真のザラついた表面。それらが奇妙に調和することによって、濃厚なエロチシズムと殺伐とした荒涼感が同時に迫ってくる。いつも以上に、退廃的な空気感を醸し出していた点が、これまでの森山写真からすると新しい。従来の形式を踏まえながらも、その先を切り開こうとする貪欲な精神には、見習うべきところが多い。

2012/10/24(水)(福住廉)

3.11とアーティスト:進行形の記録

会期:2012/10/13~2012/12/09

水戸芸術館現代美術ギャラリー[茨城県]

アーティストは東日本大震災にどのように反応して行動したのか。本展は、23組のアーティストが現地で繰り広げた、あるいは現在も進行している諸活動を、あの日から現在までの時間軸に沿って紹介したもの。
加藤翼のインスタレーションがあまりにも粗雑であり、開発好明の《デイリリーアートサーカス》を招聘した反面、ラディカルな《政治家の家》を展示に含めないなど、難点がないわけではない。とはいえ全体的には見応えのある展示で、一つひとつの「活動」をていねいに見ていきたくなる。
ひとくちに「活動」と言っても、そのかたちはじつにさまざま。作品として結実させたものもあれば、それ以前の段階をそのまま見せたものもある。悲劇に寄り添う作品もあれば、復興のエンパワーメントを志す作品もある。それらのなかに「正解」があるわけがないのは明らかだが、ひときわ注目したのはタノタイガである。
被災地で瓦礫撤去のボランティアに参加するプロジェクト「タノンテイア」を組織している。会場には、その記録映像のほか、使用した作業着、道具、そして瓦礫のなかから拾い集めた数々のモノが展示された。作業着やワニなどの置物などに残された泥が津波の衝撃や過酷な作業を物語っているが、これらをボランティアの活動報告として受け取ることはできるにしても、アートとして見ることはなかなか難しい。
むろんかき集めた泥を詰めた土嚢を美しく積み上げた「タノミッド」にアーティストならではの才覚を見出すことはできなくはない。けれども、タノタイガはアートから意識的に距離を取ることをあえて選択していたようだ。会場で発表されたのは、「アーティストが今できること。それはアーティストであることを捨てること。無名になって、誰かの生のために汗を流すこと。涙ではなく汗を」という決意の表われにほかならなかった。
それが「記録」なのか「作品」なのかはさほど重要ではない。問題なのは、あの震災がアーティストという強力なアイデンティティを無名性に還元したという事実である。そして、そのある種のタブラ・ラーサから、再び表現を組み立て直そうともがいているアーティストがいるという事実である。だからタノタイガが実践しているのは、被災地の復興への尽力であると同時に、アートそのものの復興でもあるのではないか。この危機をくぐり抜けたアーティストが今後どんなアートを立ち上げるのか、注目したい。
311と815は私たちの暮らしや文化に決定的な打撃を与えた歴史的な事件である。だが、その出来事をひとつの問題として共有する経験は、放射能汚染に対する危機感が東日本と西日本のあいだではっきりと分断されているように、もしかしたら311は815より乏しいのかもしれない。その経験に厚みを持たせる機会として、本展を活用してほしい。

2012/10/14(日)(福住廉)

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第七回田辺銀冶根付会 爆裂お玉

会期:2012/10/13

お江戸日本橋亭[東京都]

講談師、田辺銀冶の独演会。師匠の故田辺一鶴とレディー・ガガをモチーフにした創作講談、そして「爆裂お玉」の最終回を披露したほか、伝説の紙芝居師、梅田佳声による紙芝居もあわせて上演された。
銀冶の魅力はなんといっても声である。おきゃんなキャラクターを体現する爆発的な笑い声もさることながら、声の高低によって作中の登場人物を演じ分ける振り幅の大きさがすばらしい。今回は「爆裂お玉」という痛快な悪女がおそらく性根に合っていたのだろう、これまでにないほど高い声ののびやかな広がりと、低い声の猛々しい艶っぽさが引き立っていたように見えた。
敬愛してやまないレディー・ガガを模した緑色の鬘は当人いわく「大阪のおばちゃん」のようだったが、それはともかく、このような銀冶の声の質は、まさしくガガのそれと明らかに通底していた。講談の伝統が刷新されるとすれば、それは当世風のモチーフを取り入れるだけでなく、同時に、講談そのものよって声の生々しさや美しさを私たちの文化に取り戻すことが不可欠だろう。

2012/10/13(土)(福住廉)