2018年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

2016年09月01日号のレビュー/プレビュー

アール・ヌーヴォーの装飾陶器

会期:2016/07/06~2016/08/31

三井記念美術館[東京都]

アール・ヌーヴォーの作家としてすぐに名前が浮かぶのは、エミール・ガレやアルフォンス・ミュシャ。しかし、アール・ヌーヴォーが19世紀末から20世紀初頭の時代の様式の名称である以上、そこにはさまざまなジャンルの工芸、作家や工房が関わっている。本展はその中でもフランスやドイツ、北欧の名窯によるアール・ヌーヴォー様式の多彩な磁器に焦点を当てるほか、西洋から影響を受けた日本のアール・ヌーヴォーの陶磁も紹介している。
ヨーロッパ名窯のアール・ヌーヴォー様式の磁器を総合的に紹介する展覧会は日本初なのだそう。アール・ヌーヴォーの展覧会は頻繁に開かれている印象があるので、これはとても意外だった。立花昭・岐阜県現代陶磁美術館学芸員の解説に依れば、特定の作家の仕事というよりもメーカー(窯)が開発の中心となる磁器は、主に作家・デザイナーを中心として構成される日本の展覧会において体系的に紹介されにくかったという事情を指摘している。もちろん、メーカーの仕事であっても個々の作品にはデザイナーが存在するし、ガレの作品にしてもガレはデザインのみで、実際の制作は工房の職人が担っていた。工房や窯の規模の大小はあっても、作品に注目する限り作家とメーカー(窯)の関係にはそれほどの違いはない。それでも「陶磁器においてメーカーに着目するのは、……この時期の主要な各メーカーに在籍した化学者らによって釉下彩などの技法が完成にいたり、その組織力を生かして個人や小規模な工房では成し得ないような、新たな技法を用いた出色のデザインによる作品が生み出されていた例が多分にあったためである」(本展図録、6頁)。
ここに付け加えるとすれば、メーカー(窯)や工房の歴史と設立主体の違いが、展覧会における取り上げられ方の違いに影響しているだろうという点である。ガレやドーム兄弟のガラス工房が設立されたのは19世紀後半。それに対して、マイセンやセーブルが設立されたのは18世紀前半、KPMベルリンやロイヤル・コペンハーゲンは18世紀後半。これらの窯はアール・ヌーヴォーの時代よりも100年以上前から操業し、また設立には王室が深くかかわっている。ガレやドーム兄弟の工房は民間企業でほぼ一代で事業を終えているのに対して、本展で取り上げられているメーカーはいずれも(途中で経営主体が代わったり、他のメーカーと合併しているものもあるが)現存している。けっしてアール・ヌーヴォー様式のメーカー(窯)という訳ではなく、長期に渡る経営において当然のことながら製品のスタイルは時代によって変遷してきた。なのでメーカーという視点を取り込んでも、それだけでは「アール・ヌーヴォー様式の磁器」という枠組みに落とし込むのはやや強引である。しかし、本展が上手くまとまっているのは、釉下彩など新しい技術に着目することで、様式に留まらない同時代性を見出しているためだろう。そしてこの技術と様式の結合が日本のアール・ヌーヴォー磁器の完成に影響していることを示しているところ、19世紀末から20世紀初頭の陶磁器における東西交流にとても興味深い視点を提供している。[新川徳彦]

2016/08/10(水)(SYNK)

あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅

会期:2016/08/11~2016/10/23

愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋・豊橋・岡崎のまちなか[愛知県]

3回目を迎えた「あいちトリエンナーレ」。芸術監督の港千尋が掲げたテーマは「虹のキャラヴァンサライ」だ。キャラバンサライはペルシャ語で「隊商宿」を意味する。虹は「多様性」の言い換えであろう。つまり、世界各国の多様な文化的・地理的・宗教的背景を持つアーティスト(虹)が旅をして愛知県(キャラヴァンサライ)に集い、新たな創造の芽が育まれる、と解釈できる。美しいがややドリーミーではではないか。取材前はそう感じていた。しかし、名古屋、豊橋、岡崎での展示を見るうち、このテーマが現在の不穏な国際情勢(テロ、紛争、難民問題、不寛容など)を反映した切実なメッセージだということに気付いた。一見ドリーミーを装って、じつはきわめて硬派な国際芸術祭。それが「あいちトリエンナーレ2016」なのである。3エリアを比較すると、規模の大きさでは圧倒的に名古屋だが、もっともテーマを体現していたのは豊橋だったと思う。岡崎も、石原邸と岡崎シビコは見応えがあった。名古屋だけを見て帰るつもりの人には、ぜひ豊橋と岡崎にも足を運びなさいと申し上げたい。また名古屋の名古屋市美術館の展示は収まりが良すぎて、おとなしい印象を与えた。国際芸術祭なのだから、もっとはっちゃけても良かったと思う。

2016/08/11(木)・2016/08/17(水)(小吹隆文)

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こども+おとな工芸館 ナニデデキテルノ?

会期:2016/07/16~2016/09/08

東京国立近代美術館工芸館[東京都]

夏休み、こどもたちが工芸の魅力に出会うのに絶好の展覧会。もちろん大人も楽しめるが、目の前の作品が「何でできているのか」という素朴な疑問を大人たちはともすると忘れてしまい、それを通り越して、技法や用途、意味付けに性急に答えを求めてしまいがちではないだろうか。しかしそんな大人も問題なし。こども向けのパンフレットと大人向けのパンフレット、こども向けのプログラムと大人向けのプログラム、そしてこどもと大人で一緒に楽しむプログラムが用意されていて、こどものようにも、大人らしくも、鑑賞できるようになっている。
いずれも同館所蔵の展示作品は、竹久夢二の染織やクリストファー・ドレッサーのガラス作品から、喜多川俵二の織物や古伏脇司の漆工まで、20世紀から21世紀の日本の作品を中心に実に多様。会場は、繊維、陶磁、ガラス、金属、漆・木竹等にわかれ、テーマである素材を追いやすいように構成されている。およそ140点の展示作品のなかで、唯一の作者不詳の作品は1920年代から30年代の小さなコンパクトであった。その一部の微細なモザイク装飾は卵の殻でできている。工芸作品は素材と技法で成り立っているといってもいいと思うが、素材には実は限りがないのである。[平光睦子]

2016/08/12(金)(SYNK)

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インドネシア ファッション ─海のシルクロードで花開いた民族服飾の世界─

会期:2016/07/09~2016/08/28

町田市立博物館[東京都]

戸津正勝氏(ハリウッド大学院大学アジア服飾文化研究所所長・ 国士舘大学名誉教授)が地域研究のために40年に渡って蒐集したインドネシアの染織品の数々を紹介する展覧会。展覧会ではこれら多様な染織を、主として地域別に展示している。インドネシアの染織には大別して蝋を防染材としたバティック( 纈染、ジャワ更紗)と、先染めの糸で織るイカット(絣織)がある。本展図録に付された地図(8頁および66頁)によれば、出品されているバティックの産地はジャワ島、イカットの産地はジャワ島を除くインドネシア各地に拡がる。すなわち、地域別展示は技術別展示でもあり、また多民族国家のインドネシアにおいて、民族別の展示でもある。地域・技術・民族の違いは、染織デザインの違いを生むが、インドネシアの染織の多様性の源泉はそれだけではない。古くから海のシルクロードとして海上交通の要所に位置したインドネシアの島々には、貿易を通じて多様な文化(インドのヒンドゥー文化や仏教文化、ペルシャやアラブのイスラム文化、中国文化、西洋のキリスト教文化など)が到来して土着の文化の上に重層的に受容され、また350年にわたるオランダの植民地支配、第二次世界大戦前の日本軍政時代もその文化に影響を与えてきたことを戸津氏は指摘している。分かりやすい例としては、オランダ人やオランダの兵士、艦船を図案化したバティックがある。日本軍政時代の影響を伝えるものには「ホーコーカイ」と呼ばれる柄のバティックがある。ホーコーカイとはジャワ奉公会から名付けられたもので、戦中から戦後にかけてつくられた柄。筆者の目には他のバティックとの違いがよく分からないが、現地の人々にとっては日本風、エキゾチックなものとして人気だったらしい(このホーコーカイ柄のバティックは、松濤美術館のサロンクバヤ展でも見ることができる)。また、オランダ統治下においても日本人商人はジャワに進出しており、彼らの店はトコ・ジャパンと呼ばれた。本展にはトコ・ジャパンのひとつ、トコ・フジという店が制作したバティックの制作プロセスを示したパネルや、イギリス製と日本製の綿布の品質を比較したバティックのサンプル(イギリス製が最上級とされていたが、日本製も遜色がないことを示している)、店の取扱品目のテキストを染めた布が出品されている。
個々の産地にとって染織品は重要な商品であり、そのデザインやクオリティにはつくり手の趣味嗜好以上に製品の消費地における民族や階層の嗜好が反映される。消費者の変遷という点においてバティックにおける変化は特徴的だ。もともと王宮文化のひとつであったバティックは、17世紀以降になると庶民の間にも普及し始め、技術を独占できなくなった王室は王宮専用の模様を制定しその使用を庶民に禁じることで自らの権威を守った。こうした特定のデザインの独占は、第二次世界大戦時まで続く。
国際貿易で繁栄したジャワ北部海岸地方の都市は多様な外国文化の影響を受け、企業家たちは技術革新にも積極的だった。ヨーロッパから化学染料を導入することで鮮やかな色彩のバティックが登場する。また銅製のスタンプを使用することで生産性が上がった(もちろんデザインもスタンプに適したものに変わった)。
戸津氏は政治的・民族的アイデンティティと染織との関わりも指摘している。第二次世界大戦後に独立したインドネシアの初代大統領スカルノは、服飾文化としてのバティックに着目。小学校・中学校・高等学校の制服にバティックを採用するように指導するとともに、公務員にもバティックの着用を義務づけた。多民族国家インドネシアには他にも多様な染織製品があるにも関わらず、ジャワ島を代表する服飾文化のバティックが国民文化と位置づけられ、内外にアピールされてきたのだ。展示のスタイルだけを見ると本展は一見したところ染織工芸の展覧会のようにも見えるが、その背景にあるものを読むと、これは確かにファッションの展覧会だ。[新川徳彦]


会場風景

関連レビュー

サロンクバヤ:シンガポール 麗しのスタイル つながりあう世界のプラナカン・ファッション:artscapeレビュー

2016/08/12(金)(SYNK)

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静かなる動物園~アートに棲む生きものたち~

会期:2016/07/01~2016/08/30

髙島屋資料館[大阪府]

京都の烏丸松原に呉服業者として創業後、髙島屋は明治期から貿易業に乗り出してゆく。海外向けに美術染織品(ビロード友禅・刺繍壁掛け・屏風・衝立・着物)を製作、貿易部に画室と陳列式売場を設けて輸出販売にあたった。京都を訪れる外国人が必ず店舗に立ち寄るほどの人気ぶりだったという。創業者一族である飯田家の当主は貿易部を独立させ、仲買商人を通さず直輸出を行うため、積極的に欧米へ製造業の視察を行う。1885年以降、海外の万国博覧会に美術工芸を出品し、金牌を受賞していた。
本展は、同資料館が所蔵する工芸品・染織品下絵等のなかから動物をモチーフにした作品を展示している。髙島屋が著名な京都の画家に下絵を描かせ、優秀な工芸家に刺繍を依頼のうえ美術工芸品を制作させた、その歴史的業績を目で確かめることができる。染織品下絵には、都路華香・今尾景年・谷口香 ・久保田米僊といった日本画家たちの作品のほか、セントルイス万国博覧会関連資料がある。本展示の目玉のひとつは、竹内栖鳳が即興で白縮緬地に墨で描いた≪龍長襦袢≫である。さらにデザインに興味がある人は、常設の入口にあるル・コルビュジエのタピスリー《外部に倦怠が漲る》 と、シャルロット・ペリアンの家具の展示も要チェック。いずれも、髙島屋「芸術の綜合への提案──ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展」開催に由来するものである。[竹内有子]

2016/08/13(土)(SYNK)

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2016年09月01日号の
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