artscapeレビュー
武田晋一のアプローチ
2011年07月01日号
会期:2011/05/14~2011/06/07
space_inframince[大阪府]
今回、大阪のspace_inframinceにおいて武田晋一が発表したのは、店舗で使われていた什器や木箱、安価な合板などを利用したディスプレイ棚や椅子、オブジェなのだが、どうもそれらには家具やデザイン、あるいはオブジェという言葉がしっくりこない。作品のいくつかは家具として立派に機能しているので、美術にカテゴライズするのも戸惑いがある。
あえて家具作品として武田の作品をみるなら、それは少なくとも製品として褒められたものではないだろう。木箱の表面やエッジは何ら処理を施されず、むき出しのままだ。ディスプレイ棚はパーツを組み立ててつくられるが、通常の組み立て家具のように、パーツ同士はぴったりと合わさらない。それは、積み上げられた丸い石のように、箱や板がぎりぎりのバランスを保って積み重なっている。パーツは、武田自身が背負って会場に運んだものであり、彼はゆっくりと一個一個のパーツを並べ、積み重ねていく。Youtubeにアップされた動画をみると、何度もパーツを並べ直す武田の姿がみえる。つまりこれは、初めから組み立て方が決まっているわけではなく、組み立てる度にいちいちバランスを考えなければならない家具(?)なのだ。
武田はフランスに長く滞在したが、フランス語で家具は、「meuble」「mobilier」といい、どちらも「動く」という意味を含む。実際、戦争の絶えない中世の時代、タピスリーや椅子、櫃などの家具は次の戦地に赴く度に動かされるものだった。したがって、パーツにばらして持ち運びができ、組み立ての度に姿を変容させる武田の家具は、家具の原点回帰ととれないこともない。
このような歴史的背景と武田の作品に関わりがあるかどうかは不明だが、「動く」要素がこの家具を特徴づけることは確かだ。ばらばらのパーツは、人間がその時々の用途に応じて勝手につくり出し、不要となるや捨てられたものである。会期中にそれらは何度も組み変えられ、外観を変える。その変容は武田によりもたらされるとはいえ、逆に、パーツたちが武田という主に向かって生き物のごとく振る舞い、崩れないように安定を図ろうとする武田に歯向かうかのようでもある。同様に、黄色い輪郭線でできた椅子も、主(=人間)が座れない椅子だ。蝶番のついた輪郭線は、自らを変形することで、椅子のイメージであり続けることさえも拒絶するだろう。このように武田の家具を生けるものとしてみることは無論、筆者の空想以外の何物でもない。だがこの空想が、日常を取り巻くモノと人間との対峙を思いがけない視座から照射しようとする武田の企てによって生み出されたものであることは確かなのだ。[橋本啓子]
Takeda Shinichi's Approach (14 May 2011)
2011/06/07(火)(SYNK)