artscapeレビュー
没後50年 藤田嗣治展
2018年09月01日号
会期:2018/07/31~2018/10/08
東京都美術館[東京都]
本格的な回顧展としては、2006年の東京国立近代美術館での「生誕120年展」、2年前の名古屋市美術館での「生誕130年展」に続く大規模なもの。その間にも大小さまざまな藤田展が開かれており、それ以前に比べれば隔世の感がある。これは藤田の著作権を引き継いだ君代夫人が最晩年になって強硬な態度を軟化させ(2009年に98歳で死去)、戦時中の作品なども出品できるようになったことが大きい。2015年には東近が所蔵する藤田の全作品を公開、そこには14点の戦争画も含まれていた。そんなこともあって、近年では1920年代に人気を博したエコール・ド・パリのフジタより、凄惨な戦闘場面を描いた戦争画家としての藤田の評価が高まりつつあった。ところが今回は意外なことに、戦争画は《アッツ島玉砕》と《サイパン島同胞人臣を全うす》の2点しか出ていない。これは残念なことだが、でも前述のとおり戦争画は以前より比較的容易に見られるようになったため、あえて代表的な2点に絞ったと考えられる。
その代わり、今回はこれまで見たことのなかった作品がたくさん出ている。たとえば、学生時代に描いた生硬な《父の像》、「乳白色の肌」への移行期を示す《二人の少女》、シカゴ美術館から初出品される《エミリー・クレイン・シャドボーンの肖像》、君代夫人がモデルになった珍しい《人魚》、《猫を抱く少女》の背景にも転用された《マザリーヌ通り》などだ。とくに今回は、ちょうど100年前の1918年に制作された作品が13点も出品されている。これは全体の1割強に当たる。この年は第1次大戦が終結した年だが、藤田にとってはパリで画家として認められた転換期であり、「当たり年」でもあるのだ。うがった見方をすれば、日本人が世界で通用するにはどうすればいいのか、なにが必要なのかをこれらの作品は示唆しているかもしれない。
出品点数は約120点。作品の所蔵先は海外だけでもポンピドゥー・センター、パリ市立美術館、ニーム美術館、カルナヴァレ美術館、ランス市立美術館、ジュネーヴのプティ・パレ美術館、シカゴ美術館などフランスを中心に世界各地に広がり、個人蔵を除いても50カ所以上におよぶ。12年前の東近と2年前の名古屋市美はともに30数カ所だったので、幅広く借り出していることがわかる。最後に付け加えると、今回の「没後50年展」は当初、六本木の国立新美術館でやるか上野の東京都美術館でやるか迷ったそうだが、都美は戦争画をはじめ藤田がしばしば作品を展示した場所だし(というか、都美以外に発表の場はほとんどなかった)、藤田の母校である東京美術学校(東京藝大)も隣接していることから都美に決まったそうだ。その東京藝大の陳列館では時期を合わせて「1940’sフジタ・トリビュート」展を開催。回顧展では戦争画が少なかった分、こちらで補えたかな?
2018/07/30(村田真)