artscapeレビュー
裵相順「月虹 Moon-bow」
2019年02月01日号
会期:2019/01/14~2019/01/27
JARFO 京都画廊[京都府]
木炭によるモノクロームの静謐かつ力強い描線で、あるいは陶芸で、「紐」「組み紐」「糸玉」を思わせる半抽象的な形態を表現してきた裵相順(ベ・サンスン)。彼女が繰り返しモチーフとしてきた、絡み合う「紐」や「糸」は、メドゥプ(朝鮮半島の伝統的な組み紐工芸)を連想させ、「手工芸」「装飾」といった女性的な領域を示唆するとともに、その有機的な形態や流動的な線の生成は、血管や神経、髪の毛など人体の組織や伸びゆく植物など、生命のエネルギーも感じさせる。裵は、韓国の大学を卒業後、日本の美術大学で学び、現在は京都を拠点に制作している。
抽象的、内省的な作風の裵だが、近年は、日本人の移住によって近代都市が形成された韓国中部の大田(テジョン)の歴史に着目し、記録資料の収集やかつて大田に住んだ日本人へのインタビューなど、リサーチを行なってきた。1900年代初め、日露戦争に備えて朝鮮半島を横断する鉄道建設を急いでいた日本は、重要な中継地点として大田を選び、都市開発を行なった。鉄道技術者らの移住に加え、商店や工場も建設され、当時の絵ハガキの写真を見ると、日本語の看板が並ぶ日本風の街並みを和装の人々が行き交っていた様子が分かる。敗戦後、日本人は本土に引き揚げ、近代建築物の多くは朝鮮戦争で破壊された。日韓両国の歴史においてほとんど語られることのなかった大田だが、近年は、植民地期の都市形成史を掘り起こす研究が進んでいる。本展では、戦前/戦後/現在の大田の写真、かつての居留者の日本人へのインタビュー映像、家族アルバム、市街地図といった資料とともに、写真作品《シャンデリア》シリーズが展示された。
「糸」はこれまでの裵の造形作品の主要なモチーフだが、《シャンデリア》シリーズでは、暗闇のなか、絡まり合う無数のカラフルな細い糸を撮影し、写真作品として制作している。素材には韓国と日本の錦糸が用いられ、ほどいた糸を絡めてもつれさせている。それは、戦前に大田で生まれ育ち、敗戦や引き揚げを経て、戦後は日本国内での差別から朝鮮半島生まれであることを語らずに生きてきた人々の、容易には解きほぐしがたい記憶のもつれを思わせる。インタビューに応じた日本人は、平均年齢80歳であり、生まれ育った「故郷」と「日本(人)」というナショナルな枠組みの狭間で、70年以上も引き裂かれながら生きてきたのだろうと察せられる。また、絡み合う「糸の束」が色とりどりの糸から出来ていることに目を向けると、大田というひとつの都市に移住し、行き交い、去っていった無数の人々の人生の軌跡が交錯するさまをも連想させる。さらにそれは、もつれて絡まりあった複雑な両国の歴史のメタファーでもあり、大田が鉄道建設の拠点として作られた都市であることを考え合わせると、帝国主義的欲望とともに拡張されていく線路、その瘤のように肥大化した欲望の姿をも想起させる。個人の記憶と国家的欲望、ミクロ/マクロの多層的な意味やメタファーが重なり合い、一義的な意味の決定を拒むところに、《シャンデリア》シリーズの魅力、ひいてはアートとしての可能性がある。
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展覧会タイトルの「月虹」とは、月の光(月に反射した太陽光)によってできる虹を指す。それは、暗がりにかすかに光る、見えづらい「虹」だ。作品タイトルの「シャンデリア」もまた、通常想起される富や権力の象徴ではなく、反語的な意味をはらむ。裵の「シャンデリア」は、抑圧され語られてこなかった個人の記憶に耳を傾けることから出発し、国家の歴史から葬られてきた植民地支配の記憶を、かすかな明かりで照らし出す。
2019/01/27(日)(高嶋慈)