artscapeレビュー
終わりのむこうへ : 廃墟の美術史
2019年02月01日号
会期:2018/12/08~2019/01/31
渋谷区立松濤美術館[東京都]
展示の出だし(18世紀のユベール・ロベールやピラネージなど)と終わり(現代の元田久治や野又穣など)は、お約束のラインナップであり、とくに目新しくはない。が、本展をユニークなものとしているのは、日本の近代における廃墟の受容を検証していることだ。なるほど、西洋の廃墟は石や煉瓦の構築物であるから、朽ち果てても全部が消滅することはなく、部分的に残存し、かつての姿をしのぶことができる。一方、日本の場合、木造の建築は跡形もなく消える。例えば、平城宮跡には礎石が並んでいるだけで、あとは100%復元し、ピカピカの大極殿院や朱雀門がたっており、廃墟の情緒を感じることは難しい。もちろん、ヨーロッパでも廃墟の美は近世に発見されたものだが、日本では近代にその概念を輸入する以前は、積極的に廃墟をモチーフにした絵画はなかった。したがって、磯崎新が言及するような廃墟は、きわめて西洋的な廃墟である。
本展でも江戸時代の歌川豊春による《阿蘭陀フランスカノ伽藍之図》など、西洋から輸入された銅版画を参考に描いた作品はあるが、色使いを含めて、だいぶ印象が違う。また明治時代にアントニオ・フォンタネージが工部美術学校で教鞭をとるにあたって、廃墟のデッサンを持ち込み、学生らにその模写をさせていた資料は興味深い。本展によれば、百武兼行によるイギリスの風景画こそが、日本人が初めて意識的に描いた廃墟の絵だという。日本画でも廃墟を描くようになるが、このあたりのパートが本展の白眉だろう。またシュルレアリスムは、西洋でも日本でも廃墟をモチーフとする多くの作品をもたらした。気になったのは、関東大震災や太平洋戦争により都市が灰燼に帰した風景が出現したことは、はたしてどれくらい画家に影響を与えたのかということ。このあたりはむしろ、「ゴジラ」をはじめとして映画や漫画などのサブカルチャーが受けとめたのかもしれない。
2019/01/17(日)(五十嵐太郎)