2019年04月15日号
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artscapeレビュー

シアターコモンズ ’19 シャンカル・ヴェンカテーシュワラン「犯罪部族法」

2019年02月01日号

港区立男女平等参画センター・リーブラ リーブラホール[東京都]

初めて訪れた田町のリーブラホールにて、シアターコモンズが企画したシャンカル・ヴェンカテーシュワラン演出の「犯罪部族法」を観劇した。日本ではほとんど見る機会がないインドの作品である。冒頭はカースト制を暗示するように、静かに男が掃除する場面が続く。ホウキでチリを円形にはいていくさまは儀式的でもある。そしてイギリス支配時の法が、カースト制につながっていたことを踏まえ、異なる文化的な背景をもつインドの南北の二人が、それぞれの差別の意識と経験を語る形式をとって、ときにはユーモラスに演劇は進行する。だが、よくできた物語をなぞるものではない。じっと観客を見つめる演者(これも観客と演者の役割の交代である)、舞台上の二人が互いの役を演じること、カースト制がもたらす本当の悲劇の表象不可能性、レクチャーのようなデータの提示、水の受け渡しなど、まさに問いかける演劇である。

演劇の後、同じ会場において、シアターコモンズ ’19のオープニング・シンポジウム「未来の祝祭、未来の劇場」が開催された。ディレクターであり、司会をつとめた相馬千秋は、オリンピックを控え、都市をサバイブするツールとしての演劇というテーマを説明し、高山明はドイツの体験をもとに脱演劇としてのブレヒトとルター(「演劇」ではなく、「演劇ちゃん」という言葉!)、シャンカルはインドのジャングルでの実践(都市から離れた場所ではあるが、意外に集落が密集し、人は多いらしい)、そして安藤礼二は折口信夫の可能性を語る。特に終盤の高山の意思表明が印象に残った。すなわち、いわゆる「演劇」の解体を受け入れること(あるいはそれへの期待?)、俳優ではない一般人が参加する場合にどこまで自分が彼らの生活に関与するのか、固定した演劇の観客層ではない人にどうやって接続するかなどである。演劇が終わり、そして始まるのかもしれない。

2019/01/20(日)(五十嵐太郎)

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