artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
開館記念展 見えてくる光景 コレクションの現在地
会期:2020/01/18~2020/03/31
アーティゾン美術館[東京都]
休館していたブリヂストン美術館が「アーティゾン美術館」に名前を変え、展示スペースも一新して再出発した。「アーティゾン」とは「アート」と「ホライゾン(地平)」をつなげた造語だが、こういう「アート+なんとか」って発想はオヤジっぽくてダサいなあ。あ、BankARTも似たようなもんか。でも、あえてブリヂストンという母体の企業名を排して「アート」を強調したのは、ブリヂストンの企業戦略かもしれない。
旧美術館は戦後まもない時期、本社ビルの建設中に石橋正二郎がニューヨークを視察したとき、MoMAに感銘を受けて急遽ビル内に美術館を入れたというエピソードを読んだことがある。そのため外観からは美術館があることがわからず、天井高も展示空間としては低いのが難点だった。つまりブリヂストン社内の美術館だったのだ。それが、ビルの建て替えで中央通に大きく新美術館のエントランスを構えて新社屋の「顔」とし、その背後に本社機能を据え、ビルの名も「ミュージアムタワー京橋」と称することで、企業よりも美術館を前面に押し出したってわけ。最近流行の「ビジネスに役立つアート」を実践したかたちだ。
美術館は23階建てビルの低層階に位置し、面積は約2倍に増床。1階の広々とした吹き抜けのエントランスを入り、3階で受付を済ませて6階から4階まで3フロアにおよぶ展示室を見ていく。4階の一部は吹き抜けになっていて、5階から見下ろすことができる。2階にはミュージアムショップ、1階にはカフェも完備。これなら気軽に立ち寄りたいところだが、残念ながらチケットは日時指定の予約制なので、気が向いたときに立ち寄れるわけではない。
開館記念展は「見えてくる光景 コレクションの現在地」で、2800点ものコレクションから選りすぐった約200点を、「アートをひろげる」「アートをさぐる」の2部に分けて公開。第1部は、セザンヌ《サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》、ルノワール《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》といったおなじみの印象派絵画に始まり、フォーヴィスム、キュビスム、アンフォルメル、抽象表現主義、具体、草間彌生あたりまでほぼ時代順に並べている。印象的だったのは、ピカソの《腕を組んですわるサルタンバンク》とマティスの《縞ジャケット》のあいだに、関根正二の《子供》が置かれていたこと。いずれも100年ほど前に描かれた人物像で、ピカソとマティスはさらりと描いているのに、関根は色彩こそ明るいけどなにかどんよりと重苦しい空気が覆っている。ピカソとマティスはともに40代の脂ののった時期だが、関根はその半分にも満たない年齢だったことを思うと感慨深い。
第2部は、さらに「装飾」「古典」「原始」「異界」「聖俗」「記録」「幸福」に分け、シュメールやエジプトの彫刻から、明の景徳鎮、江戸期の洛中洛外図屏風、レンブラント、モロー、ゴーガン、青木繁、岸田劉生、そしてアボリジニのエミリー・カーメ・イングワリィまで幅広く紹介している。余計なお世話だけど、国公立の総合美術館じゃないんだから、時代やジャンルをもう少し絞ってコレクションしたほうが色をはっきり打ち出せるんじゃない?
2020/01/30(木)(村田真)
「DOMANI・明日2020 傷ついた風景の向こうに」展
会期:2020/01/11~2020/02/16
国立新美術館[東京都]
「DOMANI・明日展」は、サブタイトルに小さく「文化庁新進芸術家海外研修制度の成果」と書かれているように、文化庁の海外研修(かつて「芸術家在外研修」と呼ばれていたため、以下「在研」)に行った作家たちがその成果を発表する場であり、いわば個展の集合体。と思っていたら、最近は在研の経験のないアーティストも出すようになって、企画性を強めている。とくに今回は11人中5人、つまり半分近くが在研とは無縁の作家たちに占められ、「傷ついた風景の向こうに」というテーマのもと、いつになくメッセージ性の強い作品が並んだのだ。
最初の部屋こそ、これまでの派遣国や地域別人数を記した表を掲げ、同展が在研の展覧会であることを示しているが、次の展示室の石内都とその対面の米田知子は、ともに在研の経験がない作家だ。石内は身体の傷跡を撮った「Scars」シリーズをメインに出しているが、トップを飾るのは、被爆後まもない広島を撮った写真の中央に写る原爆ドームを切り抜き、再度テープでとめて撮影した「ひろしま」シリーズの1点。石内は「傷跡を撮ることは写真をもう一度撮るのと同じかもしれない」と述べているが、被爆地を撮った写真を切ってもういちど撮った写真は、まさに傷だらけ。その向かいの米田は、穏やかな田園や海岸を写した風景写真を出している。が、《道──サイパン島在留邦人玉砕があった崖に続く道》や《ビーチ──ノルマンディ上陸作戦の海岸/ソードビーチ・フランス》といったタイトルを読むと、一見平和そうな風景に潜む傷ついた過去が浮かび上がる。どうやらあまり平穏な展覧会ではなさそうだ。
次の藤岡亜弥は在研経験者で、現在の広島を撮った「川はゆく」シリーズを発表。いまの広島を撮りながら、原爆ドームの写真や被爆者の描いた絵などを画中画のように画面に写し込み、過去と現在を同居させている。その次の大きな部屋は、彫刻家の森淳一と若林奮。森は出身地である長崎を襲った被爆を、光と影の視点から彫刻化した作品を出品。若林は、東京都下の山林に計画されたゴミ処分場に反対するために制作した《緑の森の一角獣座》のマケットやドローイングを出している。どちらも地形に印された傷跡を立体的に作品化したものといえるだろう。
ここまでくると、いつもの「DOMANI」展らしからぬ重苦しさを感じるかもしれないが、全体のちょうど真ん中へんに栗林慧の超ドアップの昆虫の映像が流れ、自然の生み出すユーモラスかつ驚きの姿かたちと動きにしばし見とれるはず。その後、被災後の福島をモチーフにした佐藤雅晴のアニメ、枯れ枝と葉のついた枝を対比した日高理恵子の絵画、キンモクセイの葉6万枚を葉脈だけにしてつないだ宮永愛子のインスタレーションと続き、東北3県の津波被災地を撮った畠山直哉の風景写真で終わる。畠山の写真で印象的なのは、荒涼とした背景に部分的に葉を茂らせて立つ1本の木の姿だ。大半が昨年撮ったものだそうだが、自然は7、8年かけてようやくここまで再生したと見ることもできるし、逆にまだここまでしか再生していないと見ることもできるだろう。背景に写る防潮堤や宅地造成地との対比が象徴的だ。
同展のサブタイトルにはもうひとつ、「日本博スペシャル展」というのもついていた。東京オリンピック・パラリンピックの開かれる今年、「日本人と自然」をテーマに、「日本の美」を体現する展覧会やイベントを体系的に紹介していく「日本博」の特別展として、「傷ついた風景」をねじ込んだのはある意味快挙かもしれない。
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DOMANI・明日展PLUS X 日比谷図書文化館 ──文化庁新進芸術家海外研修制度の作家たち |柘植響:トピックス(2017年12月15日号)
2020/01/22(水)(村田真)
シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢
幻想建築の系譜で語られ、シュルレアリスムの文脈で賞賛され、アウトサイダー・アートの先駆にも位置づけられる、郵便配達夫シュヴァルの理想宮。たった1人で、33年の歳月をかけて完成させた奇想の宮殿の誕生秘話をドラマチックに描いた映画。
南仏の小村で郵便配達をしていた寡黙な偏屈親父シュヴァルが、途方もない宮殿建設を始めたのは、後妻のあいだに娘が生まれて間もない40歳を過ぎたころ。配達の途中で石につまづいて倒れたのがきっかけで、石を集め始めた。以後、毎日30キロ以上を歩く配達の仕事が終わってから、さらに数キロ歩いて石を拾っては積み上げ、奇想天外、前代未聞の建物を営々と築いていく。もちろん建築の知識などあろうはずもなく、雑誌や絵葉書で見た世界中の建築を想像でつなぎ合わせ、野山を歩くなかで培った自然の力にゆだねてつくり上げていったのだ。村人には変人扱いされたが意に介さず、憑かれたように没頭した。ここらへんがアウトサイダー・アートたるゆえんだ。
溺愛していた娘が若くして亡くなり深く悲しむが、代わりに前妻とのあいだにもうけた息子が大人になって訪ねてきて、一家で近くに住み始める。このころから“宮殿”は徐々に知られるようになり、シュヴァルを変人扱いしていた村人の態度も軟化。しかし、宮殿が完成するころ息子が亡くなり、やがて後妻にも先立たれてしまう。シュヴァルはさらに長生きして家族の墓廟をつくり、88歳の長寿をまっとうした。
映画は事実に基づいているものの、脚色も多い。例えば、シュヴァルは愛娘のために「宮殿」を建てたように描かれているが、果たしてそうだろうか。また、前半ではシュヴァルが奇人変人として描かれているのに、後半では家族に愛され、村人に尊敬される好々爺に収まってしまったことにも違和感を覚える。シュヴァルはそんな小さなコミュニティに収まるような器ではないだろう。娘がどうなろうが、村民にどう思われようがどこ吹く風、ひたすらつくり続けただろうし、最後まで偏屈・変人だったと思いたい。そうでなければあんな夢(悪夢?)のような宮殿はつくれないはずだ。希代の偉業を陳腐な美談に仕立ててしまったのがちょっと残念。
公式サイト:https://cheval-movie.com/
2020/01/13(月)(村田真)
保科豊巳退任記念展「萃点」SUI-TEN
会期:2020/01/07~2020/01/19
東京藝術大学大学美術館[東京都]
母校の東京藝大で4半世紀にわたって後進の指導に当たり、美術学部長まで務めた保科豊巳の退任記念展。タイトルの「萃点」とは南方熊楠の造語らしく、さまざまな物事が集まる地点、交差点といった意味だそうだ。遠くからパッと見たら「笑点」かと思った(笑)。
作家としての保科は、1980年代初頭、湾曲させた数本の細い角材を交差させて壁と床に止め、上から覆うように和紙を貼った緊張感のあるインスタレーションでデビュー。展覧会でもメディアでも藝大で同級だった川俣正としばしばライバル視され(ぼく自身よく一緒にメディアで紹介した)、1982年には川俣がヴェネツィア・ビエンナーレに選ばれたのに対し、保科はパリ・ビエンナーレに出品するなど、競い合っていた。ぼくの見るところ、作品も言動も「剛」の川俣に対し、保科はよくも悪くも「柔」という印象があリ、どこかつかみどころがなかった。ま、そこがおもしろかったんだけど。
しかし80年代後半から川俣が海外に活動の場を広げていくのと対照的に、保科の活動は減速。カタログの展覧会歴(抜粋)を見ると、80年代には毎年4本くらい発表していたのに、90年代には年に1本程度に減っている。その原因のひとつが教員生活だ。日本では制作活動だけでは食えないから、大半の作家は教職を兼ねる。でも、いちど教育現場に携わると、雑務に追われて制作どころでなくなり、作家活動を止めざるをえなくなる。特に根がマジメな人間ほど教職にのめり込みがちだ。その点、保科は「柔」だからうまいこと乗り切るんじゃないかと思っていたが、後輩の齋藤芽生がカタログに書いた「ご挨拶に代えて」を読む限り、意外とマジメに仕事していたらしい。本当かなあ? でも学部長まで上りつめたんだから本当だろう。
横道にそれた。展示は最初期のパフォーマンスの記録写真から、パリ・ビエンナーレの出品作の再現、屋外インスタレーションの記録写真、スケッチやドローイング、最近の井戸や家型の作品までバリエーションに富んでいる。が、なんか物足りない。それは彼の作品の大半がインスタレーションなので現物が残っておらず、おまけに近年は地方や韓国、中国など海外での発表が多いため、ぼく自身が見ていないせいかもしれないが、それにしても物足りないなあ。ようやく宮仕えを終えて自由の身になったんだから、これからに期待したい。
2020/01/11(土)(村田真)
ダ・ヴィンチ没後500年 「夢の実現」展
会期:2020/01/05~2020/01/26
代官山ヒルサイドフォーラム[東京都]
昨年はレオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年。パリのルーヴル美術館では史上最大規模の回顧展が開催中だが、ストの影響で見られない日もあったそうで、それがニュースになるくらい話題の展覧会なのだ。パリとは比ぶべくもないものの、東京でも「没後500年展」が開かれた。主催は東京造形大学。絵画、彫刻、デザイン、映像など各専攻の先生と生徒たちが協力して、1人の万能の天才に迫ろうというのだ。
同展の見どころは、未完成を含めてレオナルドの絵画作品全16点が展示されること。しかも劣化したり後に修復された作品はオリジナルに近づけ、未完成作品はちゃんと完成させて見せるというから、親切というか余計なお世話というか。もちろんホンモノは1点もないばかりか、絵の具と筆による複製もなく、すべてヴァーチュアル復元。フェルメールの「リ・クリエイト」といい、大塚国際美術館といい、日本人はオリジナルより「復元」のほうが得意かもしれない。
展示は、ほぼ原寸大に復元した図の隣に小さな原図も並べているのでわかりやすい。例えば初期の《受胎告知》や晩年の《聖アンナと聖母子》などは、もともとオリジナルの姿をとどめているので問題ないが、《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》の復元図になると、空はあくまで青く、お肌はつるつるに若返って、なんだか薄っぺらく感じられる。下描き段階で終わった《聖ヒエロニムス》や《東方三博士(マギ)の礼拝》にいたっては、「ウソだろ!」「レオナルドってこんなにヘタだったか?」とツッコミたくなるほど違和感満載なのだ。
なぜこんなに違和感を覚えるのか。未完成作品を見慣れてしまっているせいもあるかもしれないが、やっぱり復元する側の知識と技術が追いつかなかったからではないか。いくら専門家が集まっても、一人の超絶的天才にはかなわないということだ。いやむしろ寄ってたかってイジるほど芸術作品としては陳腐で凡庸なものになっていく。もうひとつは、ヴァーチュアル技術の限界だ。いくら忠実に復元したところで、紙にインクを載せて出力されるので、どうしても浮いた感じになってしまう。これを油彩画やテンペラ画で再現すればもう少し違っていたはずだが、そのためにはまた相当な技術が必要とされるだろう。正確に復元しようとすればするほど違和感が増し、レオナルドに近づこうと思えば思うほど遠ざかる感じ……。
ほかにも、絵具の剥落の激しい壁画《最後の晩餐》を修復して壁に投影したり、計画だけで終わった伝説の《スフォルツァ騎馬像》を縮小復元したり、スケッチが残されていた「集中式聖堂」や「大墳墓計画」を立体化したり。無謀な試みに挑戦したことはホメてあげたい。
公式サイト:http://leonardo500.jp/
2020/01/08(水)(村田真)