artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

古典×現代2020―時空を超える日本のアート

会期:2020/06/24~2020/08/24

国立新美術館[東京都]

古典美術と現代美術を対置させる手法は、雑誌や画集ではよくあるが、実際に展覧会で見たことは意外に少ない。海外ではたまに見かけるけど、日本ではほとんどない。それは、どっちがイニシアチブをとるかという問題があるからではないか。つまり、古典に軸足を置く企画者なら、例えば東博に現代美術を持ち込むことになるし、現代を軸に考える企画者なら、例えば都現美に古美術を展示しなくてはならない。どちらもリスクが高そうだ。そこで今回、古典も現代もない空っぽの新美術館が名乗りを上げたってわけか。今年はオリパラ関連の「日本博」キャンペーンもやってるし、金もたんまり出そうだみたいな。

古典と現代の組み合わせは、仙厓×菅木志雄、花鳥画×川内倫子、円空×棚田康司、刀剣×鴻池朋子、仏像×田根剛、北斎×しりあがり寿、乾山×皆川明、蕭白×横尾忠則の8組。このうち仙厓×菅、円空×棚田、乾山×皆川、蕭白×横尾あたりはよくも悪くも予想がつくし、実際よくも悪くも予想にたがわぬ展示だった。際立ったのは、刀剣×鴻池と仏像×田根の2組。鴻池は刀剣を陳列ケースに入れ、その上に獣皮を縫い合わせた上に神話的イメージを描いた巨大な《皮緞帳》を掲げ、中央に人形の首を振り子のように飛ばしてる。首が飛ぶのも壮観だし、《皮緞帳》そのものも見事だが、なにより刀剣との対比が鮮烈だ。

田根は鎌倉時代の《日光菩薩立像》と《月光菩薩立像》の2体を並べ、両側に配した照明を上下に動かした。両菩薩像は上から徐々に闇に包まれ、最後は暗闇になる。今度は下から徐々に明るくなり、最後は黄金の全身をあらわにするという仕掛け。つまり、ほかのアーティストと違って本人はなにもつくらず、ただ光を操作するだけ。それでいていちばん刺激的で、もっとも説得力があった。

2020/07/26(日)(村田真)

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Enrico Isamu Oyama | SPRAY LIKE THERE IS NO TOMORROW スプレイ・ライク・ゼア・イズ・ノー・トゥモロー

会期:2020/07/11~2020/09/27

藤沢市アートスペース[神奈川県]

最近はニューヨークに滞在していたと思ったら、立て続けに本を出したり個展を開いたり、アーティストとしてだけでなく、ライティング(グラフィティ)のスポークスパーソンとして活動を活発化させている大山。今回は藤沢市アートスペースのレジデンスルームで滞在・制作した成果を見せている。

部屋は半透明のプラスチックシートに覆われ、換気用の太いダクトが巨大ミミズのように床を這っている。展示室というより工事中の部屋といった趣だが、これはエアロゾル(スプレー)を使ってライティングする大山ならではの、空間をスタジオ化するための儀式らしい。その半透明のシートの上に、ライティングの要素を抽出した「クイックターン・ストラクチャー」を描(書)いている。旧作も何点か出しているが、ほぼすべてモノクローム。ところどころにエアロゾルの試し吹きの跡が残っていて、レジデンスの成果発表展というより、まだ制作中のオープンスタジオといった様相だ。

大山いわく、「エアロゾルという言葉は、ミスト化した塗料を意味し、物質の状態を強調する。他方で、スプレーという言葉は「かく・吹く」という行為を強調し、かき手の主体を含んでいる。今回の展覧会では、スプレーと描画の横断、エアロゾルと空間の膨張、ブースと場の仮設、その過程を、レジデンシーを通してインスタレーション化する」。藤沢市アートスペースは湘南地域にゆかりのあるアーティストを紹介してきたが、大山は東京藝大の大学院に進む前に、慶應大の藤沢キャンパスに学んだ縁だそうだ。

2020/07/21(火)(村田真)

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修復作品公開 長谷川路可 よみがえる若き日の姿

会期:2020/07/11~2020/09/27

藤沢市アートスペース[神奈川県]

長谷川路可って名前しか聞いたことなかったが、修復の過程も紹介するというので見にいったら、彼の活動自体すこぶる興味深いものだった。長谷川はミッションスクールに通っていたこともあって洗礼を受け、洗礼名ルカ(画家の守護聖人でもある)に因んで名前を路可に。東京美術学校では日本画を学び、卒業後フランスに留学。

第1次大戦の終わった1920年代のフランスは、エコール・ド・パリ華やかなりし時代で、日本人の画学生もたくさん留学していた。そのなかでも路可が特異だったのは、日本画出身にもかかわらずパリで油絵を描き、渡仏の翌年に早くもサロンに入選してしまうことだ(その年は藤田嗣治が審査員を務め、16人もの日本人画家が入選したという)。でもそれは表向きの顔で、じつはもうひとつ、ヨーロッパにある東洋古画の模写をする使命を母校から与えられていたのだ。そのためパリだけでなく、ロンドンやベルリンの博物館が所蔵する中国西域の壁画を原寸大で模写して日本に送り、その数125点にもおよんだという。なにやらスパイみたい。

さらにおもしろいのは、壁画の模写からフレスコ画に関心を深め、イタリア各地に残るフレスコ画を見学し、自らもフレスコ画を手がけていったこと。なんと日本画と油絵だけでなく、東洋古画やフレスコ画まで、要するに古今東西のすべての絵画技法に手を染めたのだ(加えるに、パリでは本の挿絵も描き、晩年には東京オリンピックのために国立競技場にモザイク画まで制作した)。こんなオールマイティな画家にもかかわらずあまり名前が知られていないのは、むしろオールマイティだからこそ、一芸に秀でた芸術家を尊ぶ日本では敬遠されてしまったからかもしれない。まあはっきりいって、絵自体もそんなにうまいってわけじゃないし。

でも展覧会としては、作品点数は少ないものの、その作品の修復過程を見せたり修復方法を紹介したり、モザイク画の新国立競技場への移設にも触れたりするなど、丁寧につくられていてわざわざ行った甲斐があった。ちなみに、藤沢で路可の展覧会が開かれるのは、少年時代とパリから帰国後、鵠沼に住んでいたからだそうだ。

2020/07/21(火)(村田真)

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ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW—光の破片をつかまえる

会期:2020/07/17~2020/10/11

横浜美術館+プロット48[神奈川県]

ヨコトリはけっこう災難と縁が深い。2001年の第1回展では、開幕の約10日後にアメリカで同時多発テロが勃発、展覧会に影響はなかったが、世間的にはヨコトリの話題など吹っ飛んでしまった。2011年の第4回展では、記者発表が予定されていた日に東日本大震災が発生、その衝撃もさめやらぬ5カ月後に開催された。そして今年の第7回展は、言うまでもなく新型コロナウイルスだ。2004年に予定していた第2回展が1年ズレたにもかかわらず(というか、それゆえに?)、ほぼ10年にいちど訪れる災難にぴったりシンクロしてしまっている。これはもう1年延期するか、厄払いしてもらうほかないのではないか。

ともあれ今年、多くの国際展や芸術祭が延期・中止を余儀なくされるなか、ヨコトリは2週間ほど遅れたとはいえ開催にこぎつけた。もちろん長期の延期や中止も視野に入れていたはずだが、記者会見で組織委員会の近藤誠一委員長は、ステイホームやオンラインの生活を続けるなかで、考えるヒントを与えてくれるアートに触れる機会を失ってはならない、というのが中止にしなかった理由だと述べていた。えらいぞヨコトリ。問題は中身だ。

その前に概要を紹介すると、今回のアーティスティック・ディレクターは、インドを拠点とするラクス・メディア・コレクティヴで、テーマは「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」というもの。AFTERGLOW(残照=光の破片)とは、企画統括の木村絵理子氏によれば「思考と知恵の『茂み』の中に流れるエネルギーと、それを自らの手でつかみとろうとする行為を象徴する」ものだという。よくわかんないね。具体的に掲げたキーワードは「独学」「発光」「友情」「ケア」「毒」の5つで、これだとコロナ禍のいまならなんとなくわかった気分になれる。

出品作家は計67組で、極東からアラブ諸国までアジア系が大半を占め(日本人は13人)、あとはアフリカ、南米、欧米、オーストラリアが少しずつ。うち35組が日本で初めて作品を発表するという。はっきりいって、日本人アーティストを除けばディレクターも含めて誰も知らなかった。でも知らないというのはマイナスではなく、未知の作家が多いので期待できるということだ。会場は横浜美術館に加え、みなとみらい地区のプロット48と呼ばれる元アンパンマンミュージアムだった建物と、1人だけだが日本郵船歴史博物館にも展示される。内覧会は記者会見終了後のわずか2時間しかなく、ぼくは横浜美術館とプロット48の南棟を訪れただけで、北棟と博物館は見ることができなかった。


というわけで、まず美術館に入ると、正面の大空間に飾られたチャラチャラした光り物が目に飛び込んでくる。ニック・ケイヴの《回転する森》で、ガーデン・ウィンド・スピナーと呼ばれる庭の飾りを何千個も吊り下げたインスタレーション。よく見るとピースマークやニコニコマークのほかに、拳銃のシルエットも見える。暗い展示ケースの中に薄絹で包んだコップや電球を置いた作品は、竹村京の《修復されたY.N.のコーヒーカップ》。壊れた日用品を集めて、金継ぎのように光る絹糸で繕ったものだ。白い画面に、上下左右に動くノズルから水をかけるロバート・アンドリューの《つながりの啓示―Nagula》は、90日間かけてある文字を浮かび上がらせていく。この文字は作者のルーツであるアボリジニの言葉だそうだが、まだ初日なので赤茶色の滴りしか見えない。展示室の床に段差や斜面をつけて敷いた赤いカーペットは、ズザ・ゴリンスカの《助走》。つまずき、よろけながら助走してみろってか? おや、田中敦子や石内都らの作品もあるぞ。これは横浜美術館のコレクションをインティ・ゲレロがキュレーションしたもの。

まあこんな感じで次々と作品が展開していく。作品は多様性に富み、見た目にも光ったりカラフルだったりにぎやかで、これなら子供でも楽しめそうだ。要するに視覚をくすぐるチャラチャラした作品。でも大人はそんなもんで楽しめない。いざ理解しようとすると、まずどこからどこまでが誰の作品なのかわかりにくいし、解説プレートはあるものの文章が詩的すぎてとまどうばかり。しかもこのプレート、美術館だけでプロット48にはないのだ。

そのプロット48はイレギュラーな空間が多く(少なくとも南棟は)、ますます混沌とした様相を呈している。例えば2階にはいくつかの小部屋があるが、プレートもないのでどこが誰の作品なのかすぐにはわからない(会場マップを見て、それらがエレナ・ノックス1人の作品であることが判明)。元アンパンマンミュージアムだけに、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさといってしまいたいところだが、そういうわけにはいかない。

今回はコロナ禍で、海外のアーティストもディレクターも本番には来日できず、アーティストはプランを送り、ディレクターはオンラインで議論しながら展示したという。でも実際に来日して現場で作業していたら、絶対に違ったものになっていたはず。もし来日してもしなくても変わらないのなら、これからの国際展や芸術祭はオンラインで実現でき、アーティストと市民、アーティスト同士の交流もなくなってしまうだろう。さらに今回は「エピソード」と称して、会期前から会期終了後もオンラインでのパフォーマンスやレクチャーを行なっているが、これを推し進めれば、もはや展覧会を開いたり作品をつくったりしない、オンラインだけの国際展が乱立するかもしれない。そうならないことを願うばかりだ

2020/07/16(木)(村田真)

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洋風画と泥絵 異国文化から生れた「工芸的絵画」

会期:2020/06/09~2020/09/06

日本民藝館[東京都]

おもしろそうだな、いずれ行こうと思っていたら、来週から予約制になると聞いて早めに訪れる。初めはなぜ民藝館で洋風画を? と思ったが、創設者の柳宗悦は江戸時代の洋風画を「工芸的絵画」と呼び、民画に位置づけて収集したという。確かに舶来の異国風物を描いた洋風画には作者名がなく、工夫を凝らしてはいるものの妙な芸術的作為は感じられず、長崎港から得た西洋版画の模写を通じて、遠近法や陰影法を見よう見まねで学んだ成果が愚直に表われている。

ひとくちに洋風画といってもいろいろあって、技法別に見ると、ガラスの裏面に油性顔料で描いたガラス絵、安い顔料を使った泥絵、レンズと鏡越しに見ることで遠近感を強調する眼鏡絵など。モチーフ別だと、長崎港に停泊する外国船を描いた《阿蘭陀船図・唐船図》や《長崎港図》、オランダ人を描いた《紅毛人図》、外国の風景を想像で描いた《異国風景図》などがある。特に数が多い名所を描いた泥絵などは、土産物として安く売られていたらしい。そんなわけで柳が「民画」として位置づけるまで、芸術としての価値を認められず、絵画史からも取り残されていたのだ。レベルは違うけど、遠近法を強調してヴェネツィアの街並を描いたカナレットのヴェドゥータ(都市景観図)を思い出した。

2020/07/15(水)(村田真)

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