artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
天覧美術/ART with Emperor
会期:2020/06/02~2020/06/27
eitoeiko[東京都]
先週「桜を見る会」で再開したeitoeiko、今回は「天覧美術」だ。もうコワイものなしだな。天覧試合は天皇がご覧になる試合のことだが、「天覧美術」とは天皇を見る美術のことらしい。企画したのは「桜を見る会」にも出品したアーティストの岡本光博で、彼の運営する京都の画廊KUNST ARZTからの巡回。出品は木村了子、小泉明郎、鴫剛、藤井健仁、それに岡本の5人。ここで「おや?」っと思うのは、80年代に活躍したスーパーリアリズムの画家、鴫剛の名前が入っていること。どうやら岡本の大学時代の師匠らしい。作品も「桜を見る会」に出してもおかしくない《ピンクの国会議事堂》など、リアリズムそのままに風刺をきかせている。鴫が岡本に影響を与えたのか、岡本が鴫に刺激を与えたのか。
彫刻家の藤井健仁は、昭和天皇と麻原彰晃の顔面彫刻を鉄でつくっている。どちらも「鉄面皮」ということだろうか。実物より黒くて大きく、デスマスクのように不気味だ。それにしても「天覧」というとアキヒトでもナルヒトでもなく、ヒロヒトを思い浮かべるのはぼくらの世代だけだろうか。天覧試合といえばやっぱり長嶋だもんね。新日本画の木村了子は、アイドルとしての平成天皇の肖像を御真影のごとく壁の高い位置に掲げたほか、菊花と肛門様をダブらせたヤバい作品も出品。これは案内状にもなっている。
首謀者の岡本は何点も出品。アングルの《泉》の女性の胸に2枚の金杯を当てた《キンぱい》、信楽焼のタヌキのキンタマのかけらを集めてサッカーボール状に金継した《キンつぎ》は、天皇を象徴する金に下ネタを掛けた「不敬美術」。また、鳥かごの中に小鳥の彫刻を置いた「表現の自由の机」シリーズも2点あるが(1点は金色)、これは慰安婦問題を象徴する例の少女像の肩に止まった小鳥を3Dスキャンで型取りしたものだという。その型取りしている岡本の姿を捉えた写真も鳥かごの中に収められている。ここには天皇の戦争責任や「表現の不自由」など重い問題が見え隠れするが、なにより深刻ぶらずに笑えるのがステキだ。
関連レビュー
天覧美術/ART with Emperor|高嶋慈:artscapeレビュー(2020年06月15日号)
2020/06/05(金)(村田真)
「コズミック・ガーデン」サンドラ・シント展
会期:2020/02/11~2020/07/31
銀座メゾンエルメスフォーラム[東京都]
コロナのせいか、エルメスの店舗内には入れてもらえず、奥のエレベーターから直接8階へ。右の大きな部屋には何種類かのブルーグレーに塗り分けられた仮設壁を奥まで立て、その表面に天体を思わせる無数の白い点をちりばめ、ところどころに橋、ブランコ、梯子のような図を描いている。左の部屋に移ると、星のような白い点が放射状になり、雪の結晶に化けていく。点や結晶などの抽象形態だけならよかったのに、橋やブランコみたいな具象的な形が現われたとたん、ロマンチックなイラストに見えてしまい興ざめする。
一方、感心したのは、絵具の垂れた跡が見つからないこと。これは仮設壁を床に寝かせて描いたからなのか、でもそれにしては壁面の継ぎ目が見えないし、床置きでこれだけの点を打つのは途方もない労力がいるはず。まあ立てて描いても大変だけどね。いずれにせよ見た目以上に大変な作業だろうと想像する。そんな内部事情が気になって仕方がない。
2020/06/05(金)(村田真)
幻想の銀河 山本基×土屋仁応
会期:2020/06/02~2020/08/02
ザ・ギンザ スペース[東京都]
塩で床に編み目を紡いでいく山本基と、鹿やユニコーンのような動物をモチーフにする木彫の土屋仁応による初のコラボレーション。どうなんだろ、この組み合わせは? 山本は銀河のような、というより泡立つ鳴門の渦のようなスパイラルを床いっぱいに描き出し、その上に土屋の7体の鹿の木彫を配置している。それはそれで「詩情あふれる」かもしれないが、直前に見たサンドラ・シントのウォール・ドローイングと同じく、安っぽい詩情に堕してないか。抽象と具象の組み合わせは難しく、この場合、土屋作品は映えるけど、山本作品は台無しになりかねない。
2020/06/05(金)(村田真)
「見る」という超能力──マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化』
発行所:早川書房
発行日:2020/03/05
「見る」ということについて考え始めると、宇宙や生命について思いを巡らせるのにも似た不可思議な気分になる。なぜ外の世界がこれほどリアルに「見える」のか、いや、外の世界は本当に見えているように存在するのか、私が見ている赤色と他人が見ている赤色は同じ色なのか、そもそも世界に色はついているのか、視界は私の内にあるのか、外にあるのか、なぜ、どうやって外の世界が「見える」ようになったのか、見えるようになった動物はどう変わったのか……。
最後の疑問については、アンドリュー・パーカーが『眼の誕生──カンブリア紀大進化の謎を解く』(草思社、2006)で説得力のある答えを出している。生命の誕生はおよそ35億年前に遡るが、長く緩慢な進化の末、5億4300万年前からわずか500万年ほどのあいだに(地球史からすればほんの一瞬)突如として動物種が多様化し、現在のような複雑な形態をとるようになった。この「カンブリア紀の爆発」と呼ばれる大進化を促した要因が「眼」の誕生にあったというのだ。眼(レンズ眼)を獲得することによって捕食者は獲物を見つけやすくなり、逆に被食者は逃れやすくなる。そのため、ある種の動物は素早く動ける形態に進化し、また別の種は身を硬い装甲で覆うなど、生き残るために多様なデザインを編み出していく。つまり視覚の目覚めが進化圧を促したというわけだ。
これほど「目からウロコ」の大発見ではないけれど、マーク・チャンギージーの『ヒトの目、驚異の進化』は、これまでの視覚の常識を少しずつ覆していく「小発見」の連続であり、それゆえジャブの連打のようにジワジワと効いてくる本である。チャンギージーは初めに、人間の視覚はテレパシー、透視、未来予見、霊読という4つの超能力を備えているとハッタリをかます。専門書ではなく一般向けの啓蒙書なので、ある程度のホラは許容しつつ以下4章を読み進めていくうちに、まんざらホラでもハッタリでもないことが理解されてくる。
第1章では、人間の色覚がどのように発達したかを解き明かしていく。従来は、森のなかで生活していたわれわれの祖先が、色鮮やかな木の実などのエサを見つけるために色覚を発達させたと信じられてきたが、チャンギージーは自分たちの肌の色の微妙な変化を見分けるためだったと考える。かつてあった「肌色」という絵具がなくなったのは、人種によって肌の色が異なるため差別的とされたからだが、著者にいわせれば肌の色はどんな人種でも個人でも一定ではなく、体調や感情の変化によって赤、青、緑、黄色にもなるという。もちろんわずかな変化だが、赤ちゃんがいきむと赤みが増し、肌を押さえると黄色っぽくなり、鬱血すると青みがかることは経験から知っている。こうした変化が見分けられるように人間は顔から毛がなくなって肌が露出し、また、赤ちゃんの顔色で体調を判断するため女性には色盲が少ないのだという。だから人間の色覚は、第1章のタイトルどおり「感情を読むテレパシーの力」といえるのだ。これは納得。
続いて第2章では、人間の両眼が横ではなく前についている理由を探り、それを「透視」するためと喝破する。一般に、ライオンやフクロウなど肉食動物の目は前寄りに、ウサギやニワトリなど草食動物の目は両側についているが、前者は獲物に焦点を合わせるために視野が狭く、後者は捕食者に捕まらないために視野が広いとされる。人間の目も、前方に焦点を合わせて立体視するため前についているといわれてきたが、チャンギージーは立体視より、生い茂る木の葉や枝などの障害物を通して向こう側を見るためだと指摘する。ちょうど目の前に自分の鼻があるにもかかわらず、視野の邪魔にならずに透けて見えるように(鼻の高い西洋人には不思議だろう)、両眼の視差により目の前の障害物をあたかもないかのように「透視」できるというのだ。ここでわれわれの視覚は、左右の網膜に映ったままではなく、脳が修正を加えたイメージを見ていることがわかる。
そのことは次の章でより明確化する。第3章で検討されるのは錯視。チャンギージーによれば錯視とは、人間の目が光を受けて像を結ぶまでにかかる約0.1秒の時差を取り戻すために生じる現象だという。つまり脳は0.1秒遅れの動きを先取りして、ほんの少し未来のイメージをつくりあげてしまうのだ。たとえば、中心から放射状に延びる線の上に2本の平行線を置くと中央が膨らんで見えるが、これは脳が前進中と思い込んで一瞬先のイメージをつくりあげるからだ。これが第3章のタイトル「未来を予見する力」にほかならない。
最後の第4章「霊読する力」で語られるのは、文字と視覚との相性だ。人間は文字を発明したため、百年も千年も前に死んだ人たちの考えを耳にすることができる。これが「霊読」だが、もちろんそれで終わりではない。文字にはアルファベット、ヘブライ文字、アラビア数字、漢字、ひらがな、ハングルなどさまざまあるが、それぞれの文字を基本的な形態要素に分解すると、L T X Y Fなど20種ほどに還元でき、いずれも3画程度に収まる(漢字は文字単位ではなく構成要素に分解する)。この基本的な形態要素は自然を構成する形態要素と重なるため、すべての文字は自然に似るようにつくられたと考えられる。だから表音文字だろうが表意文字だろうが、自然を見るように読むことができるのだ。つまりわれわれが文字をすらすら読めるのは、文字が自然に擬態することで人間の目に適合したからであり、言い換えれば脳が進化したのではなく、文字が進化したのである。
このように、本書はこれまで考えられてきた視覚に関する常識を次々と覆し、わくわくするような新説に書き換えていく。もちろん単なる机上の空論でもオカルティックな珍説でもなく、綿密なデータに基づいた学術的な研究成果であることはいうまでもない。原題のTHE VISION rEVOLUTIONは、革命(REVOLUTION)と進化(EVOLUTION)を重ねたものだが、それは本書で語られている視覚自体の革命と進化を意味すると同時に、本書そのものが視覚論の革命と進化であることを物語っているのではないか。視覚に関する発見はまだまだ続くだろう。それだけ視覚というものは複雑怪奇なシステムなのだ。ありがちな結論だけど、結局「見る」という能力そのものがつくづく人智を超えた超能力だと思う。
2020/05/24(日)(村田真)
銅像本を発掘した──三澤敏博『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』、金子治夫『日本の銅像』、かみゆ歴史編集部(編)『日本の銅像 完全名鑑』
ここ2カ月間ほど展覧会も見ず、アトリエにも行かず、ほとんど家にいた。じゃあ家で仕事三昧だったかというとそんなに仕事があるはずもなく、かといって読書やオンラインに熱中するでもなく、ひたすら部屋を片づけていた。ほぼ20年間、ということは21世紀に入ってから一度も大掃除をしたことがなかったので、自室は津波の後の瓦礫の山状態。そういえば東日本大震災のとき、本棚や積み上げた本から雪崩が起きて床が本の海と化したことがある。あの後ちゃんと整理すればよかったものを、本を戻すのに精一杯で、再び本が降り積もってしまったのだ。そのため、ほしい本を探すのに一苦労という状態が20年も続いていた。
本の山(海にもなる)といっても、半分くらいは展覧会のカタログやパンフレット類で、その大半はパラパラめくった程度。買った(もらった)まま一度も開いたことのないカタログも相当ある。ザッと数えてみたら雑誌も含めて6千冊以上。これでも2、3年ごとに数百冊単位で処分してきたのだが、減るより増えるスピードのほうが速い。もし処分せずに溜め込んでいたら床が抜けていたに違いない。そこで今回は、もう2度と(あるいは1度も)見ないだろうカタログを中心に千冊以上を古本屋に引き取ってもらい、床にスペースをつくってなんとかベッドを入れることができた。それまではリビングの隅に敷いたマットレスで寝るという家庭内ホームレスだったのだ。と、どうでもいいことを書いているが、この大掃除の過程で興味深い本を「発掘」したので紹介したいという前フリでした。
三澤敏博『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』
発行所:交通新聞社
発行日:2016/11/18
まずは、読んでないだけでなく、買ったことも覚えておらず、こんな本があったことすら初めて知ったみたいな「掘り出し物」を。三澤敏博著『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』だ。裏を見るとブックオフのシールが貼ってあるが、いつ、どこのブックオフで買ったのやら。交通新聞社が出している「散歩の達人ヒストリ」というシリーズの1冊で、判型はB6判と小さく、シリーズものでこのタイトルだから軽い歴史本か入門書かと思って読んでみたら、中身は意外としっかりしている。
タイトルどおり、本書は銅像になった幕末維新の志士たちを採り上げ、彼らがどんな活躍をし、どのような経緯で銅像が建てられたかを詳述したもの。周知のように、日本の銅像は維新期に導入した西洋文化のひとつで、国家に貢献した人物を顕彰するために建てられるようになったが、当初は銅像と神社が同列に考えられていたという驚きの事実が序章で語られる。明治初期には国家に尽くした忠臣をまつるため、新政府が別格官幣社という新しい神社の制度を定めたため、だれを神社に、だれを銅像にという選択肢があったというのだ。いまでは考えられないが、銅像と神社は似たようなものだったのだ。しかし神社は広い土地を必要とする上、維持運営にもお金がかかるので、経費削減の意味でも銅像が推奨されたという。
以下、本書では、靖国神社の大村益次郎像、上野公園の西郷隆盛像、皇居外苑の楠木正成像、そして日本全国に波及した二宮金次郎像が扱われる。これらの銅像に関して、なぜその人物が銅像になり、なぜそこに建てられたのかとか、なぜ西郷像だけは軍服でも騎馬姿でもなく着流しなのかといったエピソードは、先行する木下直之の『銅像時代』や、木下氏のBankARTスクールでの講義でおおむね知っていた(いま『銅像時代』をパラパラめくったら神社との関係も載っていた!)。だが、大村像も西郷像も顔の造作は、日本の紙幣や切手印刷の基礎を築いたお雇い外国人キヨッソーネが描いた肖像画を手本にした、という話は初耳だ。
だいたい銅像が建てられるのは、像主の死後10年以上たってからのこと。写真も肖像画もほとんどなかった当時、どれだけ容貌を似せられるかが問題だった。キヨッソーネは西郷の肖像を制作する際、顔の上半分は弟の従道を、下半分はいとこの大山巌をモデルにし、西洋的なリアリズムで仕上げたという。そんな肖像画を参考にしたせいか、大村像も西郷像も顔が濃く、日本人離れしている印象だ。しかし大村像に関しては、作者の大熊氏廣が大村の親族を訪ね、似ているといわれる妹をスケッチし、未亡人の助言を聞きながら肖像画を完成させたというのが真相らしい(大熊の描いた肖像画とキヨッソーネ作といわれる肖像画が瓜二つであることは図版からわかる)。ましてや維新から500年以上も前の楠木の実際の顔など、だれも知るよしもない。そこで作者の高村光雲は、その性格から顔貌を推し量って制作したという。
ほかにも、西郷像と楠木像の作者は光雲だが、西郷の連れている犬と楠木が乗る馬はどちらも動物彫刻で知られる後藤貞行の作だとか、勝海舟は「銅像は時勢により大砲の弾丸に鋳直されるかもしれないから興味ない」と、戦時中の金属供与を予言するような発言をしていたとか、二宮金次郎の銅像は昭和初期に全国の小学校に広まったが、主導したのは国ではなく民間の銅器業者と石材業者だったとか、戦中に学校の金次郎像が金属供与で撤収される際に壮行会が行なわれたとか、空いた台座に「二宮先生応徴中」の札が立てられたとか、最近はマンガやアニメ、ゆるキャラ像のほか、坂本龍馬をはじめNHK大河ドラマの主人公の銅像が各地に建てられるようになったとか、うなずけたり笑えたりするエピソードが満載。銅像についてだけでなく、時代背景や人物紹介にも相当のページが割かれているので、日本史に疎いぼくにもよくわかりまちた。
金子治夫『日本の銅像』
発行所:淡交社
発行日:2012/04/05
『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』を読んでいたら、淡交社の『日本の銅像』という写真集を思い出したので掘り出してみた。明治以降に建てられた全国225体(番外編を含めると236体)の銅像を、金子治夫のモノクロ写真で紹介したもの。おもしろいのは、銅像が地域別でも設置年順でもなく、像主の生きた時代順に並んでいること。神武天皇に始まり、可美真手命、日本武尊、大隅弥五郎、聖徳太子と続き、最後は吉田茂で終わっている(番外編では鬼太郎と目玉おやじ、寅さん、鎌倉の大仏などが紹介されている)。美術オタクには設置年順、銅像オタクには地域別が望ましいが、このオーダーを喜ぶのはきっと偉人オタクだろう。その証拠に、巻末には像の作者ではなく像主の解説がある。
写真はモノクロとはいえ銅像本体だけでなく、台座はもちろん周囲の風景まで写し込んでいるのでありがたい。顔などのディテールはわかりにくいけど(拡大写真がついているものもある)、どのような環境に置かれ、どんな台座に乗っているかが一目瞭然だからだ。これを見れば像自身の居心地がわかるような気がする。多くは公園や広場に建てられているが、なかにはホール内(太田道灌)、湖の上(八重垣姫)、ビルの隙間(桂小五郎)に置かれているものもある。また構図も凝っていて、織田信長像は灯台みたいな安土駅を強引に画面に入れたり、水戸黄門・助さん・格さん像は画面の大半を占める水戸駅前風景の右端にちょこんと写っていたり、平賀源内像は背後に枯れ木を入れてエレキテル放射に見せかけたり、眺めているだけでも楽しいのだ。
かみゆ歴史編集部(編)『日本の銅像 完全名鑑』
発行所:廣済堂出版
発行日:2013/10/05
こうして銅像にハマっているうちに、廣済堂出版から『日本の銅像 完全名鑑』という本が出ているのを知った。これはさすがに家にないので取り寄せてみた。「史上初! 歴史人物銅像オールカラーガイド」と銘打たれているように、日本全国950体の銅像を都道府県別にカラーで紹介するムックだ。地域別にカラーで見せてくれるのはうれしいけど、主要な像以外は図版が小さく、台座も写っておらず、作者名も設置年も記されていないのが残念。まあ数が多いので仕方ないか。ページの合間に「アニメ・マンガ編」「力士編」「芸能編」などジャンル別の銅像も紹介するなど、飽きない工夫も凝らされている。
また、巻頭の「銅像なんでもランキング」も興味深い。設置数ベスト3では、1位の松尾芭蕉像33体、2位の坂本龍馬像32体がぶっちぎりで、3位は聖徳太子、織田信長、明治天皇の各12体ずつとなっている。でも本当は二宮金次郎像がおそらく千体以上(戦前は石像も含めてその10倍?)で圧倒的1位だが、量産されたものだし、正確な数がつかめないのでランク外。大きさベスト3は、熊本の天草四郎像の15メートルがトップで、以下、福岡の日蓮上人像10.6メートル、鹿児島の西郷隆盛像10.5メートルと続く。九州人は大きなものが好きなようだ。古さでは、兼六園の日本武尊像が1880年、靖国神社の大村益次郎像が1893年、浜離宮の可美真手命像が1894年、という順。ただし日本武尊は神話上の人物で、しかもこの像は西南戦争の殉死者の慰霊碑として建てられたものなので、個人の偉業を顕彰する近代的な銅像では大村像が最初になる。
なぜ銅像なのか
以上3冊の銅像本を読み(見)比べてみたが、興味をそそるのはそれぞれの発行年だ。『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』が2016年でもっとも新しく、『日本の銅像』が2012年で、『日本の銅像 完全名鑑』が2013年の出版。さらに、前述の木下直之の『銅像時代』が2014年、未読だが、平瀬礼太の『銅像受難の近代』という本が2011年に出ている。どうやら2010年代はにわか銅像ブームに沸いた時代といえそうだ。しかしなぜこの時期に銅像なのか。東日本大震災は関係なさそうだし、明治150年(2018)には早すぎるし。美術とプロパガンダの狭間という意味で銅像と通じる戦争画は、戦後70年(2015)の節目にブームになったが、それとも関係なさそうだ。
ところで、今回の大掃除の「副産物」として、恐ろしいことに、20余年分の新聞の切り抜きがホコリまみれで発見されてしまった。全部で4、5千枚はあろうかという厖大な切り抜きを1週間かけて振り分けていったのだが、やはり2010年代に銅像を巡る記事が目についた。そのひとつ、朝日新聞2011年11月1日の朝刊の「銅像どうして今もなお」と題された記事。これは前年(2010)から各地に篤姫、坂本龍馬、上杉景勝・直江兼続、豊臣秀頼らの銅像が建てられ、銅像関連の出版も相次いでいるという内容で、皇居前の楠木像、鹿児島の篤姫像、亀有の両津勘吉像の写真3点を載せている。その裏面にはマンガのキャラクターの銅像の所在地を紹介する「こち亀マップたちまち重版」の記事があり、連動していることがわかる。そういえばこの時期、マンガ・アニメのキャラクターやNHK大河ドラマの登場人物の銅像が各地に建てられ、観光の目玉になっていたのだ。銅像ブームの正体はこれだったのか!
でもそれだけではミもフタもないし、戦前の「由緒正しい」銅像の立場がないので、もう少し美術の視点から憶測してみたい。一言でいえば、1990年代にブームを迎えたパブリックアートに対する反動ではないか、というのが私の見立てだ。
パブリックアートは1994、95年に相次いで完成したファーレ立川と新宿アイランドをピークとして各地に林立するが、その地とは縁もゆかりもないキテレツな作品が多く、当初は歓迎されたもののすぐに飽きられてしまう。そうしたパブリックアートの反動として、バンクシーに代表される自由でシニカルなストリートアートが話題になり、地域に入り込んで内側からコミュニティを活性化させるソーシャリー・エンゲイジド・アートが注目されたが、そこでもうひとつねじれた動きとして、パブリックアートのルーツを批判的に遡った結果、ツッコミどころ満載の銅像に行き着いたというわけだ。だから逆にいうと、銅像について問うことで閉塞したパブリックアートの突破口を見出し、公共と美術の関係性を問い直せるのではないかとの期待もあったと思う。そう考えると、その後の銅像への関心が戦前・戦後の断絶へと向かい、小田原まどかの「この国の彫刻のために」(『彫刻の問題』所収、トポフィル、2017)といった一連の論考に受け継がれていくのも納得できるのだ。
ちなみに、ぼくがいまさら銅像に引っかかった直接のきっかけは、たぶん三つある。ひとつめは、この2月、横浜に建つ井伊直弼像に関する企画展「井伊直弼と横浜」を神奈川県立歴史博物館で見て、あらためて銅像のおもしろさと厄介さを知ったこと。二つめは、同じく2月、BankARTスクールの講座のため、横浜みなとみらい地区のパブリックアートについて調べたこと(ちなみに井伊直弼像はみなとみらいを見下ろす場所にある)、三つめは、コロナ禍において3密を避けながら鑑賞できる美術形式として、あらためてパブリックアートや銅像の存在を見直したことだ。つまり銅像とパブリックアートのことが脳に残存していたときに、この『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』に出会ってしまったわけ。だからバイアスがかかっているかもしれないけど、案外これから銅像建立が流行る予感がないわけではない。
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掃部山銅像建立110年 井伊直弼と横浜|村田真:artscapeレビュー(2020年03月01日号)
小田原のどか編著『彫刻 SCULPTURE 1』|星野太:artscapeレビュー(2018年08月01日号)
2020/05/20(木)(村田真)