artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

META─日本画のワイルドカード─

会期:2019/02/20~2019/03/03

神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]

タイトルからして「日本画」を超えるとんでもない作品が並ぶのかと思ったら、そのとおりだった。出品作家は計11人で、どういうつながりかは知らないが、いずれも「日本画を踏襲したアーティストたち」のグループだそうだ。

第1展示室の吉田有紀は、五角形や六角形のパネルにラッカーやアクリル絵具で抽象形態を描いたり、表面に水玉を描いた縦長パネルを何十枚も並べて円筒形の小部屋をつくり、内部に入れるようにしたインスタレーションを出品。これのどこが日本画だ? 第2展示室の梶岡俊幸は、壁を突き抜けるように黒い巨大なパネルを斜めに展示している。まるでリチャード・セラ。よく見ると表面には水流のような模様が印されている。第4展示室の吉澤舞子の《Numb》は、図柄こそグループのなかではフツーだが、パネルを15枚つなげた全長15メートルのサイズはフツーじゃない。だいたいこの人たち、巨大な作品を好むようで、吉田の円筒形の作品《カオスとコスモス》も延ばせば11メートル以上あるし、梶岡の2室にまたがる《never》もつなげれば11メートル近い。作品が巨大だから県民ギャラリーを選んだのか、会場が広いから作品を巨大化させたのか……。

フィジカルな話ばかりで恐縮だが、第5展示室の木島孝文の《A.R.#995“Veronica” ヤギの王、蛇と鳥》もすごい。全長こそ吉澤に4メートルほどおよばないものの、表面にセメント、タイル、漆喰、鉄、砂などを塗り込めていて、総重量では間違いなく一番だろう。いずれにせよ搬入・搬出が大変だろうな、その後どこに保管するんだろうと余計な心配までしてしまう。その点、市川裕司の《Japanese Tree Ⅲ》は比較的楽そうだ。ビニールの球体の表面にアルミ箔などを貼って内部から照明を当てたもので、いかにも軽そうだ。会期が終われば空気を抜くのだろうか。

やっぱりこれでもまだ「日本画」を主張するのだろうか。

2019/02/22(金)
(村田真)

アイムヒア プロジェクト写真集出版記念展覧会 “まなざしについて”

会期:2019/02/16~2019/02/24

高架下スタジオ・サイトAギャラリー[神奈川県]

ギャラリーの入口には、無惨に破壊された石膏ボードの扉の残骸が残っている。オープニングのパフォーマンスとして扉を壊して入ったらしい。会場内も、壁の手前にもう1枚壁を設け、目より低い位置にギザギザの亀裂をつくり、そこから内部の壁面に飾られたモノクロ写真を見る仕掛け。昨年R16(国道16号線スタジオ)のオープンスタジオでは、立方体の箱をつくって内部の壁に写真を展示したが、その構造を反転させたかたちだ。写真はネットで募集したもので、ひきこもりの人たちが自分の部屋を撮影した自撮り写真。ゴミ屋敷のように乱雑きわまりない部屋から、本がきちんと積み上げられた部屋、人の気配もない部屋まで数十枚ある。ひと口にひきこもりといっても一人ひとり事情が異なるらしく、それが部屋に表れているのかもしれない。

作者の渡辺篤は自身も3年ほど部屋にひきこもった経験があることから、ひきこもりに関する作品を制作するようになった。入口を突き破って入ったり、壁に痛々しい切れ目を入れたのは、ひきこもり生活を無理矢理こじ開けてのぞき見ようとする残酷な眼差しと、社会に無理矢理連れ出そうとする大きなお世話の暴力性を表現しているようだ。思い出したのは、ベルリンにあるダニエル・リベスキンド設計のユダヤ博物館。実物は見たことないけど、建物本体がジグザグに折れ曲がり、ところどころに切れ目の入った「傷だらけ」の建築で、傷の大きさは比ぶべくもないが、痛みの表現としては通底するものがある。

公式サイト:https://www.iamhere-project.org/photobook-exhibiton/

2019/02/19(火)(村田真)

ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代

会期:2019/02/19~2019/05/19

国立西洋美術館[東京都]

美術館の入口を入って内覧会の受付を済ませ、そのまま地下に向かおうとしたらスタッフに戻るように指示された。ああそうかとすぐに納得。ル・コルビュジエの展覧会だからもちろん企画展示室ではなく、本館の1、2階を使うよなあ。まずは建物の中心に位置する19世紀ホールへ。見上げると、三角形の天窓から光が注ぎ、中央の円柱から梁が十字に広がり、奥にはジグザグの斜路が2階につながっている。幾何学的構成が美しい空間だと、あらためて気づく。

2階では、第1次大戦後から1920年代半ばまで続いたピュリスム(純粋主義)の時代の絵画を中心に、盟友オザンファンをはじめ、ピカソ、ブラック、レジェらキュビストの作品、コルビュジエの建築マケット、オザンファンとともに出していた『レスプリ・ヌーヴォー』誌などを展示。はっきりいって、ジャンヌレ(コルビュジエの本名)の絵はおもしろくない。ピュリスムはキュビスムを批判的に乗り越えるべくオザンファンとともに始めた運動で、キュビスムより幾何学的で平面的・構成的だが、大ざっぱにいえばキュビスムの亜流にしか見えないし、なにより絵の師であるオザンファンの作品とほとんど区別がつかないからだ。建築家として成功していなければ絵画は見向きもされなかっただろうし、いまでも建築との関係で注目されているだけだろう。

では、建築と絵画の関係はどうかというと、絵に描かれたモチーフが建築に使われる(またはその逆)といったあからさまな対応はなく、村上博哉副館長によれば、両者は「『幾何学』という大きな原理を共有」していたというくらいのつながりだ。でも力関係でいえば、彼は明らかに建築家として偉大だったが、画家としては凡庸だったから、絵画が建築にインスピレーションを与えることはあっても、その逆はなかったに違いない。つまり、サブタイトルにもあるように「絵画から建築へ」という一方通行。だとすれば、彼にとって絵画は建築のトレーニングにすぎず、いい建築をつくるために絵を描いていたということになるのだろうか。そのへんがよくわからない。

2019/02/18(月)(村田真)

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奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド

会期:2019/02/09~2019/04/07

東京都美術館[東京都]

美術史家の辻惟雄氏が1968年に『美術手帖』に連載し、70年に単行本として出版した『奇想の系譜』。それまで下手物としてほとんど顧みられることのなかった若冲や蕭白、芦雪ら江戸期の画家たちにスポットを当て、従来の評価をひっくり返した画期的な書だ。当時のアングラ、サイケの時代相にシンクロしたのか、篠原有司男や横尾忠則といった前衛芸術家に受け入れられたという。その後も奇想の画家たちは知る人ぞ知る静かなブームを呼んでいたが、近年とりわけ若冲の人気が急上昇し、展覧会に5時間待ちの長蛇の列ができるほど加熱してきたのはご存知のとおり。そうした奇想の画家たちを集め、辻氏の教え子である山下裕二氏が監修した展覧会がこれ。

辻氏の著書では伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪のほか、岩佐又兵衛、狩野山雪、歌川国芳の6人が紹介されていたが、展覧会ではこれに白隠慧鶴、鈴木其一を加えた計8人の作品113点を展示(会期中展示替えあり)。若冲は代表作の《動植綵絵》も、奇想きわまる「枡目描き」も出ないのが残念だが、白象と黒鯨を対比させた《象と鯨図屛風》やサイケな《旭日鳳凰図》が見どころ。蕭白は見ているだけで気が狂いそうな《群仙図屛風》と、やけくそで描いたような《唐獅子図》がぶっ飛んでいる。芦雪は充実していて、若冲の《象と鯨屛風》に対抗するかのような《白象黒牛図屛風》をはじめ、ナメクジのはった跡を薄墨でたどった《なめくじ図》、3センチ四方の極小画面に群像を詰め込んだ《方寸五百羅漢図》など、まさに奇想というほかない作品を一挙公開。又兵衛はなんといっても血みどろの殺戮場面を描いた《山中常磐物語絵巻》が見もの。白隠は目つきの悪い《達磨図》や、書なのか画なのかわからない《無》が笑えた。

ただ意外といえば意外、当然といえば当然だが、これらの画家たちのきわめて真っ当な作品も出ていた。蕭白の《虎渓三笑図》は別人が描いたかと思えるほど丁寧だし、又兵衛の《洛中洛外図屛風(舟木本)》は昔から評価が高かった作品だ(国宝)。山雪の《韃靼人狩猟・打毬図屛風》も、其一の《牡丹図》も、どこが奇想なのかってくらいオーソドックスに見える。これらに比べれば、日本美術の主流ともいうべき狩野永徳の《檜図屛風》や、俵屋宗達の《風神雷神図屛風》のほうがよっぽど奇想にあふれていないだろうか。写楽だって北斎だって全身これ奇想ではないか。そう考えると、明治以前の日本美術は大半が奇想の系譜に属するのではないかとさえ思えてくる。少なくとも西洋美術の価値観に照らし合わせば、あるいは現代の日本人から見れば、江戸期の絵画は奇想の楽園だったといえそうだ。あれ? 「奇想」ってなんなんだ? フリダシに戻ってしまったぞ。

公式サイト: https://kisou2019.jp/

2019/02/09(土)
(村田真)

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六本木クロッシング2019展:つないでみる

会期:2019/02/09~2019/05/26

森美術館[東京都]

3年に一度の日本人作家による現代美術展。今回のテーマは「つないでみる」。確固と「つなぐ」のではなく、とりあえずつないでみる(けどなにかあれば離すかも)的な腰の引け方だ。それをさらに「テクノロジーを使ってみる」「社会を観察してみる」「ふたつをつないでみる」の3つの「してみる」に分けている。まあ見るほうにとってはテーマも分類もどうでもよくて、有望な作家、おもしろい作品に出会えればそれでいいのだ。

ヘンタイ趣味のアンドロイド社長と女生徒との恋愛を描いてみた林千歩の映像+インスタレーション《人工的な恋人と本当の愛–Artificial Lover & True Love–》は、まさに上記3つの分類を合体させたような作品。これは笑えた。目 は一室全体に黒く波立つ水面を現出させてみた。地上53階に、津波のような黒い波が凍結した姿はなんとも不気味。かつてターナーは嵐の海を描くとき、船のマストに自分の身を縛りつけてスケッチしたというくらい、刻々と変化する流体を静止像に置き換えるのは難しい。《景体》というタイトルどおり、景色を立体化したものでもある。すごいのは、見たところ表面につなぎ目がないし、いったいどうやってこれを搬入したか、そもそも内部はどういう構造になっているか皆目わからないことだ。

川久保ジョイは壁にマーブリングしたような模様を描いてみたが、これは壁面を削って何層にも塗り重ねられた下地を出し、新興企業向け株式市場ナスダックの今後20年の予測グラフを表わしたのだそうだ。市場予測が壁の下から浮き上がってくるというギャップがすばらしい。万代洋輔は不法投棄されたゴミを集めて富士山の樹海などに運び、立体作品をつくって撮影してみる。ゴミが主役に返り咲いた瞬間の肖像というべきか。杉戸洋はキャンバスの木枠や布を並べてみることで、絵画の成立現場に立ち会わせてくれる。と同時に、エルゴン(作品)とパレルゴン(作品の付随物)の交換可能性を示唆してもいる。出品作家は計25組におよぶが、この5組を見られただけでもいい展覧会だった。

2019/02/08(金)(村田真)

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