artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
京都市京セラ美術館リニューアル・オープン記者発表会
国際文化会館[東京都]
公立美術館としては東京都美術館に次いで2番目に古い京都市美術館が、来年3月のリニューアル・オープンに向けて現在改修工事中だが、なぜかこの時期に東京で記者発表するという。同館がネーミングライツで「京都市京セラ美術館」に改称することになったのは2年前の話だし、以前ナディッフにいた元スタッフたちが新たに加わったらしいが、そのためにわざわざ記者発表するだろうか。ひょっとしてなにかあるのかもしれないとわずかな期待を抱きつつ行ってみたら、なるほどそういうことだったのか。
最初は建築家の青木淳および青木事務所出身の西澤徹夫が手がけたリニューアルの概要を説明。大がかりな増改築としては、まずエントランス前の広場を掘り下げ、スロープを下って入館する構造にしたこと、もうひとつは本館の裏に、先端的な表現に対応できる約1,000平方メートルの展示スペースを増築したことだ。ほかにも、二つある中庭のひとつにガラスの大屋根をかけて室内空間にしたり、新進アーティストの発表の場として「ザ・トライアングル」を新設したり、コレクションの常設展示室を設けたり、おもに現代美術に対応できる体制にシフトしているのが特徴だ。
そして新館長の発表が行なわれたのだが、新しく館長に就任したのは、なんと青木淳その人。あれれ? 一瞬、頭が一回転してしまった。リニューアルの受注者が発注者になるの? だいたい美術館と建築家は、それぞれ理想とする美術館のイメージが異なるため仲が悪いってよく聞くけど、大丈夫なの? 青木さんは館長になってからもほかの美術館を設計することはあるの? 次々と疑問が湧いてくるが、でも青木さんなら市の役人なんかよりはるかに美術館のハードにもソフトにも詳しいだろうし、コレクターでもあるから美術に対する理解も深いはず。考えてみればこんなに館長にふさわしい人はいないとも思う。灯台下暗しってやつですね。ようやく東京で記者発表する理由がわかった。
2019/04/09(火)(村田真)
へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで
会期:2019/03/16~2019/05/12
府中市美術館[東京都]
「奇想の系譜」の次は「へそまがりの系譜」だ。へそまがりとは言い得て妙だが、ぼくなら「トンチの系譜」としたいところ。いずれも「負けるが勝ち」「ヘタでなにが悪い」みたいな逆転の発想ですね。ま、開き直りともいえるが。 へそまがりのトップを飾るのは禅画。「奇想の系譜展」にも出ていた白隠の《すたすた坊主図》は、腹の出た布袋が裸で文字通りスタスタ走ったり踊ったりする様子を軽快なタッチで捉えた脱力系の墨絵。白隠と並ぶ禅画界のアヴァンギャルド仙厓も《布袋図》では負けていない。これも腹の出た布袋がしりあがり寿の描く目元パッチリのキモカワおやじに変身しているのだ。同じく仙厓の《十六羅漢図》は、最高の悟りに達したはずの羅漢たちを俗物おやじとしてササッと描いているのだが、余白は墨でごまかすいいかげんさ。
そして彼らにも増して破壊力があるのが、畏れ多くも徳川三代将軍の家光および四代将軍の家綱なるぞ。家光の《兎図》は縦長の画面の下のほうにちょこんと虫ケラみたいなものが描かれていて、なんだろうと思って近づくと、触角だと思ったのが長い耳だと気づく。下のほうに伸びる羽根のようなものは、ウサギが乗る切り株だそうだ。《鳳凰図》もスゴイ。鳳凰といえば伝説の霊鳥なだけに絢爛豪華に表わされるものだが、これはまるでスズメ。家綱の《鶏図》はいちおうニワトリの特徴を備えているが、それだけにかえってマンガチックに見える。これらは殿様が描いたものでなければとっくに捨てられていたはず。それをわざわざ軸装して大切に保存してきたのだから、殿にとっては思わぬ恥さらしとなったのではないか。
まあこれ以外にも、額がビヨ~ンと伸びた若冲の《福禄寿図》、笑顔がグロテスクな岸駒の《寒山拾得図》、そして現代の湯村輝彦や蛭子能収によるヘタウマまで集めている。でもどうせなら現代のサブカルだけでなく、河原温の「日付絵画」や赤瀬川原平の「模型千円札」、高松次郎の「単体」シリーズなど第一線の現代美術も加えれば、日本美術における「へそまがりの系譜」(それは「トンチの系譜」でもある)も完璧なものになったのに。
2019/04/07(日)(村田真)
MOTコレクション ただいま/はじめまして
会期:2019/03/29~2019/06/16
東京都現代美術館[東京都]
ポモドーロの彫刻のある吹き抜けからギャラリーに入ると、いきなりリキテンスタインの《ヘア・リボンの少女》がドーン。四半世紀前、この作品に約6億円を費やして都議会で問題になったことを覚えている人はもう少ないだろう。「マンガに6億円?」と疑問視されたものだが、いまなら安い買い物だったとホメられるかもしれない。なにしろマンガは現代美術より高く評価されてるからな。おかえり《ヘア・リボンの少女》。
コレクションは意外な作家の作品が多く、その意味では楽しめた。さかぎしよしおうの90年代から現在までのツウ好みの作品が10点近くもあるのは驚き。末永史尚、中園孔二、荻野僚介、五月女哲平、南川史門、今井俊介ら若手(もう中堅?)の絵画もけっこう集めている。髙田安規子・政子、寺内曜子、手塚愛子ら繊細な素材による危うい作品もよくコレクションに入れたもんだ。これらの作品の大半がここ2、3年に購入されたものなので、お披露目も兼ねているのだろう。だから「はじめまして」。
余談だが、コレクションに関して興味深いデータが掲示されていた。それを見ると、収蔵作品の制作年代(作品の購入年代ではない)は70年代が圧倒的に多く、次いで60年代、50年代と下がり、80年代は前半は多いけど後半は激減している。これは意外だった。80年代後半以降はこれから増えるだろうからいいとして、70年代というとモダンアートが行き詰まった「低迷」「不作」の時代という印象が強く、なんとなく60年代、50年代、70年代の順かと思ったからだ。70年代の作品が多いのは、その年代にデビューした作家ではなく、50-60年代にワッと登場した作家による70年代の安定した作品が求められたからではないか、と勝手に想像する。ところで、具体やもの派の近年の再制作はどうなるんだろう?
もうひとつ、作品の貸し出し件数も公表していて、これを見ると、1位が岸田劉生の《武者小路実篤像》、2位が東山魁夷の《彩林》、3位が小倉遊亀の《コーちゃんの休日》と続く。現代美術館なのに戦前の作品や穏当な日本画が上位を占める皮肉な結果となっている。せめて《ヘア・リボンの少女》はベスト3に入ってほしかったね。
2019/04/03(水)(村田真)
百年の編み手たち ─流動する日本の近現代美術─
会期:2019/03/29~2019/06/16
東京都現代美術館[東京都]
3年ぶりのリニューアル・オープンだそうだが、館内に入ってみてそれ以上の懐かしさを覚えた。なんだろうこの感覚……実際より長く感じられるというのは、どういう心理だ? そんなに待ち遠しかったわけでもないのに。たぶん内観も外観もほとんど変わっていなかったから、逆に「久しぶり感」が増幅されたのかもしれない。すっかり変わっていたら懐かしさなんて感じなかったはずだし。
企画展示は、第1次大戦の始まった1914年を起点とし、ここ100年間の美術の流れを14章に分けて概観するもの。これは元号でいうと、ほぼ大正、昭和、平成の3つの時代に収まる。平成最後の年としてはタイムリーな回顧といえる。1章は、文展から独立して二科会が結成され、日本美術院が再興し、詩と版画の同人誌『月映』が発刊された「はじまりとしての1914年」。これはいいとして、鹿子木孟郎の記念碑的な「震災画」や、震災後の中原實によるモダンな絵が壁面に広がる2章の「震災の前と後」は、あまり知られていない作品が多く、とても興味深い。さらに4章の「戦中と戦後」には、藤田嗣治の《千人針》や敗戦直後の中原實の奇妙な敗戦画など、実物を見るのが初めての珍しい作品が並ぶ。中原實はこれまでほとんど知らなかったので、もっとまとめて見たくなった。また、桂ゆきや朝倉摂といった先駆的な女性作家をしっかり紹介しているのも新鮮だった(時代の趨勢とはいえ)。
しかし首を傾げてしまう選択もある。60-70年代のネオ・ダダからもの派までの作品が手薄に感じられる一方、9章では「地域資源の視覚化」として環境問題をテーマにする磯辺行久ひとりにスポットが当てられていて、違和感は否めない。確かに磯辺の仕事は重要かつユニークではあるが、それだけにこの1章だけ浮き上がってしまっている。
80年代以降はほぼ見慣れた作家や作品が選ばれている。11章は杉本博司、村上隆、大竹伸朗、柳幸典ら世界を目指した「日本と普遍」、12章は豊嶋康子、風間サチコ、Chim↑Pomら社会に目を向けた「抵抗のためのいくつかの方法」と、分類もわかりやすい。
ユニークな視点を示したのが、巨大な吹き抜け空間を使った13章の「仮置きの絵画」だ。貧相な襖や屛風を支持体にした会田誠の「戦争画RETURNS」や、キャンバスを張りながら手で描く小林正人の《Unnamed#18》、壁の隠れた部分に寄生するように展示した末永史尚の《Tangram-Painting》など、変則的絵画を集めたもので、これらをひとつに括る発想はなかったなあ。これまで親しんできた東京国立近代美術館的(つまり優等生的)な日本近代美術史観とは違う、MOT的美術史観を示してくれた。
2019/04/03(水)(村田真)
宮本隆司「首くくり栲象」出版記念展覧会
会期:2019/03/18~2019/03/31
BankART SILK[神奈川県]
吊り下げられたヒモの輪を前に、思い詰めた表情でたたずむ老人。ヒモに近づき、輪に首を通して、身体をゆだねる……。首くくり栲象(たくぞう)が20年ものあいだ日課にしていた首吊りパフォーマンスを捉えた写真だ。もちろん実際に首を吊るわけではなく、ヒモを顎に引っかけて身体を宙に浮かすのだが、ヘタすれば本当に首を吊ってしまいかねない(でも、昔「ぶら下がり健康法」なんてあったから意外と健康にいいかも、って真似すんなよ)。栲象は20年ほど前から、国立にある自宅の「庭劇場」で首吊りパフォーマンスを公開していたが、1年前に肺ガンで他界。同展は、近所に住む宮本隆司が撮りためた写真を展示するもので、栲象の1周忌と写真集の発売記念を兼ねた展覧会。建築や廃墟を撮り続けてきた宮本にとっては初の人物写真集となる。なんというか、おもしろい写真ではあるけれど、あまり欲しいとは思わないなあ。
2019/03/30(土)(村田真)