artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち
会期:2019/04/06~2019/06/23
パナソニック汐留美術館[東京都]
別に「ウィーン・モダン」展と同じ日に見ようと計画していたわけじゃなく、たまたまそうなっただけだけど、この2展を続けて見るのは悪くない。ギュスターヴ・モローは言うまでもなくパリの世紀末を彩った象徴主義の画家で、今回は特にサロメをモチーフにした作品を中心に展示しており、さまざまな意味でクリムトと比較できるからだ。ちなみに日本では10年に一度くらいモロー展が開かれているが、いずれもパリのギュスターヴ・モロー美術館からの出品。
展覧会は「モローが愛した女たち」から「《出現》とサロメ」「宿命の女たち」「《一角獣》と純潔の乙女」まで4章立てで、パレットやメモを含め計69点で構成されている。サロメを中心にすべて「女性」がテーマになっているのが世紀末っぽい。だいたい西洋美術に登場する女性は、聖母や聖女、良妻賢母、そして「宿命の女」の三つに分けられるが、世紀末に好まれたのが宿命の女、フランス語でいう「ファム・ファタル」であり、とりわけ男の首を獲ったサロメとユディトがもてはやされた。モローはサロメの挿話を何点も手がけており、今回は《サロメ》《ヘロデ王の前で踊るサロメ》《洗礼者聖ヨハネの斬首》など、油絵や素描を合わせて計26点が出ている。なかでも踊るサロメの前にヨハネの首が現れる《出現》は、表現主義的ともいえる描写の上に線描で装飾を加えたレイヤー表現で、きわめて斬新。
ほかにも《エウロペの誘拐》や《一角獣》など見ごたえのある完成作もあるが、大半は小ぶりの習作やスケッチ。なかにはなにが描いてあるのか判別できない抽象的な作品もあるが、そこにモローならではの多義性がある。クリムトが20世紀の表現主義に一歩踏み出したように、モローも視界の先にフォーヴィスムや抽象を見据えていたのかもしれない。会場となった汐留美術館は、フォーヴィスムの画家ジョルジュ・ルオーのコレクションで知られているが、意外なことにルオーはモローの弟子だったのだ。
2019/05/10(金)(村田真)
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
会期:2019/04/24~2019/08/05
国立新美術館[東京都]
都美の「クリムト展 ウィーンと日本 1900」の主役が画家クリムトなら、こちら「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」の主役は、クリムトの名がタイトルに入ってはいるものの、やっぱりウィーンという都市でしょうね。出品物もほぼすべてウィーン・ミュージアムから借りたものなので、クリムトの絵を期待して行くとがっかりするかもしれない。なにしろ前半は時代遅れの田舎臭い絵画や工芸がこれでもかと並び、なかなかクリムトにたどり着けないからだ。まあ、ウィーンという都市自体がヨーロッパの端っこにあるもんだから、田舎臭いのは仕方ないか。
いくつか妙な絵もあった。マリア・テレジアの肖像画の額縁の上部に、息子ヨーゼフ2世の肖像画がはめ込まれていたり、フランツ1世の書斎を描いた画面内の壁に本物の時計が取り付けられていたり、トリッキーな細工が施されているのだ。おもしろいけど、こんな小細工で注目を集めてどうするみたいな。19世紀前半のビーダーマイアー様式の絵画も、基本リアリズムなのに現実味に乏しくウソっぽい。19世紀末のクリムトまで名の知られた画家はひとりも登場せず、とにかく美術史の主流から完全に外れているのだ。と、バカにしてみましたが、ウィーンは芸術の中心パリからは遠いけど、神聖ローマ帝国からオーストリア・ハンガリー二重帝国の時代まで中東欧の首都であり、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトを育んだ音楽の都であり、東はオスマントルコ帝国と接するアジアの玄関口であり、そのずっと東の果てで長いあいだ鎖国していた日本などに比べれば、はるかに発展していたことは言うまでもない。
とはいえ、やっぱりパリに比べれば近代化が遅れていたことは確か。パリでは19世紀後半にレアリスムや印象派などのモダンアートが登場し、その反動として象徴主義やアール・ヌーヴォーなどの世紀末芸術が注目されたのに、ウィーンではモダンアートが到来したのが19世紀末だったため、世紀末芸術とモダンアートが混在した、というよりモダンアートが世紀末芸術だったのだ。だから結論だけいうと、クリムトは印象派もポスト印象派も、象徴主義もアール・ヌーヴォー(ドイツ語圏ではユーゲントシュティール)も、あまつさえ20世紀の表現主義までひとりで抱え込まざるをえなかったのだ。もっといえば、それ以前のビーダーマイアー様式のリアリズム表現や工芸的な職人技、ジャポニスムの影響も内面化しているため、単線的な美術史では捉えきれない複雑な多面性が見てとれるのだ。あーそうだったのか、ひとりで納得した。
2019/05/10(金)(村田真)
Meet the Collection ─アートと人と、美術館
会期:2019/04/13~2019/06/23
横浜美術館[神奈川県]
1989年にオープンした横浜美術館の開館30周年を記念したコレクション展。まさに平成とともに歩んできた美術館だが、コレクションが開始されたのはそれに先立つ1982年のこと。現在12,437点を有するコレクション(版画や写真が3分の2近くを占める)のうち、今回は300点余りを「LIFE:生命のいとなみ」「WORLD:世界のかたち」の2部に分け、さらにそのなかにいくつか章を立てて紹介。加えて、束芋、淺井裕介、今津景、菅木志雄の4人のアーティストをゲストに招き、彼らの作品とコレクションとの関わりを提示する。
圧巻は、円形の展示室の壁面いっぱいに泥絵を描いた淺井裕介の《いのちの木》。何人もアシスタントを使っているが、これだけスケールの大きな壁画を制作しながら2カ月あまりの会期が終われば消されてしまうのは、なんとももったいない。今津景の《Repatriation》も中身の濃い力作。明治期の廃仏毀釈でアメリカに渡った快慶の《弥勒菩薩立像》や、ナチスに略奪されたクラナハの《イヴ》、大英博物館が大理石彫刻を所有しているため空っぽのアクロポリス博物館など、美術品の略奪と移動をテーマにした油絵の大作だ。
コレクションで興味深かったのは「あのとき、ここで」と題された章。両国大火を描いた小林清親の浮世絵、関東大震災の被災地を記録した渡邊忠久、川崎小虎、田村彩天らの版画をはじめ、ロバート・キャパ、デヴィッド・シーモア、アンリ・カルティエ=ブレッソン、沢田教一らの戦争記録写真、土田ヒロミや米田知子らの「記憶写真」など、美術ジャーナリスティックともいえそうな「複製作品」が並ぶ。ここだけで100点を超し、全体の3分の1を占めていて、量的にもテーマ的にも見ごたえがあった。振り返れば、横浜美術館が開館した1989年は、写真発明150年ということで「芸術としての写真」がブームになった頃。前年に開館した川崎市市民ミュージアムとともに、同館が写真を目玉の1つにしたのはわかるが、せっかく立派な美術館を建てたのに、大がかりな美術作品より写真に目が行くというのはどうなんだろう。いま頭に思い浮かべているのは、3年前に同館で公開された村上隆の「スーパーフラット・コレクション」のことだ。400万人近い人口を抱える自治体の美術館が、一個人のコレクションより見劣りするというのはちょっと寂しい。とふと思ったりして。
2019/05/06(月)(村田真)
東京インディペンデント2019
会期:2019/04/18~2019/05/05
東京藝術大学大学美術館陳列館[東京都]
戦後日本の現代美術を牽引した「読売アンデパンダン」の再来を目指した? とおぼしき無審査自由出品制のインディペンデント展。それをなぜいまやるのか唐突な気もするが、最後の読売アンパンが開かれたのが東京オリンピックの前年の1963年で、今年は2回目の東京オリンピックが開かれる前年だから、というのが理由らしい。理由にもならないと思うかもしれないが,オリンピックみたいな国家事業は戦争と似たようなもので、「国民一丸」となって戦おうみたいな空気が醸成される一方、なにかと規制が多くなり、枠からはみ出そうとする個の表現などあっという間に消し飛ばされてしまうのだよ。
まあそこまで考えなくても、バブル以降(それは平成の30年間でもある)に現代美術のコンペがたくさん増えたとはいえ,平面に限る40歳以上はダメ5メートル以内に収めろ性表現はご法度だけど審査員はどこも同じ顔ぶれみたいな、小うるさい条件にうんざりしている表現者(の卵)も少なくないはず。そんなはみ出し者の受け皿を目指した展覧会といえるだろう。
出品者は予想をはるかに上回る630人を超え、作品は千点以上も集まった。おかげで事務局が混乱したのか、当初より5日遅れでスタートした。絵画、立体、インスタレーション、パフォーマンスなどが2フロアの壁や床にぎっしり飾られ、窓や柱にも展示されて、作品密度だけは今年度ナンバー1だろう。会田誠、千住博、名和晃平、湯山玲子、小沢剛ら聞いたことある名前もちらほら。時期が時期だけに天皇ネタや令和ネタもあるが、しっかり規制してないので安心した。なかには迷惑も考えずに巨大作品を出したり、数十点の連作を展示したりする輩もいるが、おおむね小品を1点だけ提出するつつましい表現者が大半を占めたのは,喜ぶべきか憂うべきか。まあ初めてだしね。願わくば最初で最後にならないように。
公式サイト:https://www.tokyoindependent.info/
2019/05/04(土)(村田真)
BONE MUSIC展
会期:2019/04/27~2019/05/12
BA-TSU ART GALLERY[東京都]
「BONE MUSIC展」。訳すと、骨音楽? 骨を打楽器や管楽器のように使うのだろうか? チラシには手のひらのレントゲン写真が使われているが、よく見ると輪郭が円形で真ん中に黒い穴があり、レコードのようだ。つまり廃棄されたレントゲン写真をレコード盤にリサイクルしたものを展示しているのだ。
これは1940-60年代に旧ソ連で実際につくられ、使われていた非合法のレコード。冷戦時代のソ連では音楽をはじめ美術や文学など表現の自由が規制され、西欧文化が検閲されていた。それでもジャズやビートルズなど好きな音楽を聴きたい音楽ファンが、病院で不要になったレントゲン写真に目をつけ、自作のカッティングマシンでその表面に溝を彫って録音し、仲間内で売買していたのだという。78回転で片面だけ、録音は3分程度、蓄音機で10回も聴けばすり減ってしまったそうだ。ソノシートをさらにペラペラにしたような感じか。それでも需要が多く、地下で1枚「ウオッカ4分の1瓶」くらいの値段で売っていたらしい。どういう価値基準だ!?
同展のキュレーターは、作曲家で音楽プロデューサーのスティーヴン・コーツと、カメラマンのポール・ハートフィールドの両氏。コーツ氏がロシアへの旅行中に蚤の市でレントゲン写真のレコードを「発見」、レコードを買い集めると同時にその歴史背景も研究し、各地で展覧会を開いてきた。表面に頭蓋骨や肋骨の写ったレコードはなかなかオシャレだが、それよりなにより、表現を弾圧する国家がいまでもあること(他人事ではない)と、弾圧されれば知恵を絞って対抗手段を考えなければならないことを、「BONE MUSIC」は教えてくれる。ロシア人もなかなか「骨」があるな。
公式サイト:http://www.bonemusic.jp/
2019/04/26(金)(村田真)