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村田真のレビュー/プレビュー

印象派への旅 海運王の夢 バレル・コレクション展

会期:2019/04/27~2019/06/30

Bunkamura ザ・ミュージアム[東京都]

スコットランド出身の海運王ウィリアム・バレル(1861-1958)が集めた美術品から、印象派のコレクションを中心に公開するもの。バレルは世代的にも業種的にも、国立西洋美術館の基礎を築いた「松方コレクション」の松方幸次郎に近いかもしれない。松方も西洋美術館が建つ前に亡くなったように、バレルの美術館が開館するのは死後4半世紀を経た1983年のこと。その2年後、グラスゴー郊外にあるバレル・コレクションを訪れた。緑豊かな公園に建つモダンな建築が話題になっていたため、スコットランド旅行のついでに寄ったもので、エントランスや内装に古い石造建築の断片をはめ込んで美術館の一部にしていたのが印象的だった。おそらく石造建築の断片もコレクションの一部なのだろうけど、それを建築に採り込むのは西洋人の発想だ。肝腎のコレクションはまったく覚えていない(笑)。

同展は「印象派への旅」となっているように、ドガ、ルノワール、セザンヌら印象派のど真ん中の作品もあるが、メインはコロー、ドーミエ、ドービニー、ファンタン・ラトゥール、シダネルといった印象派にいたる前、あるいはその周辺の作品が大半を占めている。だからおもしろいと見るか、つまらないと見るかが分かれ道だ。特に印象派とはひと味違ったブーダンやモンティセリの明るい風景画がかえって新鮮に映る。また、フランスとスコットランドの画家が多いのは当然として、ゴッホと縁の深かったアントン・モーヴをはじめ、なぜかボスボームやマリス兄弟らオランダの画家も多い。これは、バレルに作品を売っていた画商のアレクサンダー・リードが、一時パリでゴッホ兄弟と同居していたからだろう。そんな縁からか、パリ時代のゴッホによるリードの肖像画が最初の部屋に掲げられている。

2019/04/26(金)(村田真)

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クリムト展 ウィーンと日本 1900

会期:2019/04/23~2019/07/10

東京都美術館[東京都]

なぜかこの時期、同展以外にも国立新美術館で「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展、目黒区美術館で「世紀末ウィーンのグラフィック」展と、クリムトを中心とする展覧会が立て続けに開かれている。クリムトは1918年に没したから、没後100年ということで昨年ぶつかるならまだわかるが、なんで1年遅れの春に重ねてくるのか。と思ったら、今年が「日本オーストリア友好150周年」だからだと編集者に指摘された。なるほど。それにしても「オーストリア」といえば「ウィーン世紀末」しか思い浮かばないのか。どうせなら全部まとめて1本にしてくれれば見るほうとしては楽だったのに。もちろんそこは大人の事情というものがあるわけで、むしろ同時期に開かれるので掛け持ちで見られて便利かもしれない、と前向きに考えとこう。

3展それぞれテーマが異なるが、同展はおもにクリムトの生涯と日本美術との関係を紹介するもの。目玉は、ウィーン世紀末芸術を象徴する作品といっても過言ではない《ユディトI》。立体的に表現された肉体と、金箔を多用したフラットな背景の対比にクリムト芸術の特徴がよく表われているし、日本美術からの影響も明らかだ。《女ともだちI(姉妹たち)》や《女の三世代》も日本絵画の影響か、空間構成が絶妙だし、豊田市美術館所蔵の《オイゲニア・プリマフェージの肖像》は、荒々しくも華やかな色彩が印象的。《アッター湖畔のカンマー城III》《丘の見える庭の風景》などの正方形の風景画も見逃せない。とはいえ、同時代作家の作品も多く、やっぱり数の限られた作品を3展が奪い合ったせいか(しかもオーストリアでは国宝級なのでおいそれと貸してくれない)、物足りなさは否めない。残りの2展もハシゴするか。

2019/04/22(月)(村田真)

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シャルル=フランソワ・ドービニー展

会期:2019/04/20~2019/06/30

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館[東京都]

大きな声では言いたくないけど、高校生のころ、ドービニーが好きだった。同じバルビゾン派でもコローやミレーよりも好きだった。ルソーやディアズは問題外だった。似たような絵なのにドービニーだけ好きになったのは、いちばん自然に見えたからだ。なぜ自然に見えたかというと、ひとつには横長の画面が多かったからだ。もともと既製のキャンバスにはF、P、Mの3種類あって(正方形のSは除外)、それぞれFigure(人物)、Paysage(風景)、Marine(海景)のモチーフに適しているが、ドービニーのキャンバスの大半はPかMあたりで、Mよりもさらに横長の、縦横比が1:2くらいの画面も珍しくない。風景はたいてい横に広がるので、ドービニーのように単純に横長のほうが自然に見えるのだ(両目が横に並んでいるのは風景が横に広がっているからだ)。

もうひとつは描き方の違い。コローやミレーのように人物や動物がわざとらしく描かれておらず、色彩や筆触も抑制されて、ルソーやディアズみたいな売り絵のような安っぽさがなかったからだ。この差は微妙なところで、言葉で言い表すのが難しい。今回は最初の部屋にこれらバルビゾン派の作品が出ているので(小品ばかりだが)、比べてみることができる。その結果なんとなくわかったのは、ほかのバルビゾン派の画家たちが興味あるのは「人間」であるのに対し、ドービニーが興味あるのは「自然」だということ。もう少し詳しくいうと、バルビゾン派が自然より人間のほうが大きい(自然<人間)と考えるのに対し、ドービニーは人間を自然のなかの小さな存在にすぎない(自然>人間)と考えているのではないか。これがおそらく、ドービニーの絵が「自然」に見える理由だと思う。

2019/04/21(日)(村田真)

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久松知子絵画展

会期:2019/04/10~2019/04/15

日本橋三越本店本館6階[東京都]

女の子に「あなたの絵は日本画なの? 洋画なの?」と問われた久松らしき人物が、「これは絵画です」と答えるマンガが案内状に載っている。日本画出身の久松がよく聞かれる質問なのだろう。今回の出品作品は大半がキャンバスにアクリルなので、素材的には日本画ではないけど油絵でもない。強いていえば「絵画」だ。タイトルも「久松知子展」ではなく「久松知子絵画展」と銘打ち、「絵画」であることを強調している。でもこれらは単なる絵画というより、「絵画」についての絵画、つまり「メタ絵画」というべきだろう。もっと詳しくいえば「日本近代絵画」についての絵画であり、そのなかには日本画と洋画の対立や戦争画などのアポリアも含まれている。

出品は約40点で、昨年ARKO(Artist in Residence Kurashiki, Ohara)で制作した大原美術館関連の作品をはじめ、戦争画を巡る作品、身近な風景や食べ物などモチーフは多岐にわたる。なかでも、《アッツ島玉砕》を描く久松の背後に岡倉天心の亡霊が現れる自画像(?)や、たくさんの富士山の絵とそれを売って購入した戦闘機の写真や文化勲章に囲まれた横山大観像など、戦争画の関連作品がグロテスクだ。また、大原美術館の館内風景には画中画がたくさんあるが、思わず目が止まったのが、熊谷守一の息子の亡骸を写生した《陽の死んだ日》まで描いていること。一見ポップな絵のなかにもしっかり死臭を漂わせているところは巨匠並みだ。アッパレ!

2019/04/13(土)(村田真)

櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展

会期:2019/04/12~2019/05/19

Gallery AaMo[東京都]

数年前、広島県福山市にある鞆の津ミュージアムが密かに話題になった。名勝として知られる鞆の浦のローケーションや、昔ながらの土蔵を改装した建物もさることながら、死刑囚の作品を展示した「極限芸術」、不良文化を探る「ヤンキー人類学」、暴走老人を集めた「花咲くジイさん」など、過激な展覧会を矢継ぎ早に開いたからだ。これらを企画したキュレーターの櫛野展正氏が独立して、アウトサイダー・アートを紹介するクシノテラスというギャラリーを開設し、その活動の集大成として昨年『アウトサイド・ジャパン』を上梓。その出版記念を兼ねたのがこの展覧会だ。

アウトサイダー・アートというと、おもに精神障害者など美術教育を受けていない人たちによる作品を指すが、ここではもう少し広く、ひたすら役に立たないものづくりに没頭する若者や、退職後いきなり創作を始めた老人など、一見フツーの生活者たちによる知られざる表現を含む。共通しているのは、だれがなんといおうと自分の好みに忠実であること、ワンパターンとバカにされてもひとつのことにこだわり続けること。つまり彼らは空気を読まず、同調圧力にも屈しない強靭なる精神の持ち主だといえるだろう。

例えば、清掃員をやりながら絞った雑巾ばかり延々と描いたり、自作の仮面を2万点以上もつくって創作仮面館を開いたり、自分が食べた食事を記憶を元に描き続けたり、自宅にピンクの絵や人形やお菓子のオブジェを飾ってピンクハウスに変えたり、5千匹の昆虫の死骸で新田義貞像をつくったり……。なぜそんなことをするのか他人には理解できないようなことをやり続けているのだ。出品者は72人と多いが、作品数は2千点以上とケタ違いの多さ。作品を一つひとつ鑑賞するより、全体量で圧倒されるのが正しい鑑賞方法だ。

2019/04/11(木)(村田真)