artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

北アルプス国際芸術祭 2020-2021(アート会期)

会期:2021/10/02~2021/11/21

長野県大町市各所[長野県]

現地コーディネイターをつとめる佐藤壮生の案内によって、北アルプス国際芸術祭を初めてまわる機会を得た。2017年の第1回に続く、第2回となるものだが、本来であれば、昨年の5月にスタートする予定が、1年以上遅れて、ようやく開催することになった。おかげで紅葉に彩られた美しい山々を目撃することができたが、さらに遠くには雪山、手前には湖も見える。里山をめぐる「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」とは、だいぶ違う印象的な風景が展開していた。ビジュアル・ディレクターの皆川明が、「水、木、土、空」をイメージしたロゴ・マークにしたこともうなずけよう。起点となる大町市の市街地エリアは、徒歩でいくつかの作品を鑑賞できる。例えば、宮永愛子による神社でのインスタレーション、旧高校における原倫太郎+原遊の水のからくり、蔵に展示された本郷毅史による稲の写真、淺井が商店街の路上に描いた絵、ジミー・リャオの本プロジェクト、空き家における蠣崎誓の植物絨毯などだ。布施知子ほか、地元で暮らすアーティストも含んでいる。いわゆるまちなか展開であり、ここは半日もあれば、十分だろう。



宮永愛子《風の架かるところ》



蠣崎誓《種の旅》


さて、本領を発揮するのは、前述した壮大な風景を眺めながら移動する湖やダムのエリアだろう。前から一度見たかった持田敦子の作品は、2つの家が衝突するディコンストラクティビズムのような状態だった。あまりに壮大なスケールに感心させられたのは、七倉ダムにおいて風の流れを可視化した磯部行久のランド・アートである。作品を訪れることで必然的に、ロックフィルダムも見ることになるが、改めてすごく人工的な構築物だと再認識した。またとんでもない巨石から霧を噴霧するトム・ミュラーの作品も忘れがたい。普段は観光地ではない場所らしいが、アートを通じて、自然の造形が発見されている。ほかにマーリア・ヴィルッカラの湖伝説にもとづくインスタレーション、平田五郎の水盤、目による台中国家歌劇院的なうねる空間、ヨウ・ウェンフーの田園アート、旧酒の博物館における松本秋則のモビール群など、個性的な作品が目白押しだった。やはり、水にまつわる作品が多いことが、北アルプス国際芸術祭の特徴だろう。なお、全体の作品数はそこまで多くないので、頑張れば、二日でコンプリート可能な規模なのも嬉しい(瀬戸内や越後では困難である)。



持田敦子《衝突(あるいは裂け目)》



磯部行久《不確かな風向》



トム・ミュラー《源泉〈岩、川、起源、水、全長、緊張、間》



目 Mè《信濃大町実景舎》



杉原信幸


公式サイト: https://shinano-omachi.jp/

2021/11/15(月)(五十嵐太郎)

富岡の隈研吾建築

[群馬県]

TNAが設計した《上州富岡駅》(2014)で待ち合わせをして、群馬県の建築コンペの仕かけ人として知られる新井久敏氏の案内により、手塚建築研究所の《商工会議所》(2018)、HAGI STUDIOの《富岡まちやど 蔟屋 MABUSHI-YA》、そして隈研吾による建築などをまわった。富岡は駅舎が完成した直後に訪れて以来だったが、いつの間にか、さまざまなタイプの隈作品が増えていたことに驚かされた。まず駅のはす向かいにたつ《群馬県立世界遺産センター》(2020)と《3号倉庫》(2019)は、いずれもリノベーションである。特筆すべきは、CFRPのロープを張りめぐらせることによって、木造小屋組みを補強していることだ。一見弱そうな素材の選択であり、興味深い手法だが、言うまでもなく、近代の製糸場によって世界遺産に登録された街の歴史を意識したものだろう。地域ごとのローカリティへの配慮こそが、結果的に彼をグローバルな建築家に押し上げた。なお、《2号倉庫》も隈研吾建築都市設計事務所が担当し、改修中である。続いて倉庫群と道路を挟んで、隈による《富岡市役所》(2018)がたつ。分棟の形式、アルミニウムと木のルーバー、張り出す庇などを特徴とする、開かれた公共空間だ。


《上州富岡駅》



《商工会議所》



《富岡まちやど 蔟屋 MABUSHI-YA》



《群馬県立世界遺産センター》



《3号倉庫》



富岡市役所


そして圧巻は、新しく公開された富岡製糸場の《西置繭所》(2020)の保存修理プロジェクトである。これは日本空間デザイン賞2021の博物館・文化空間部門において金賞を受賞した。注目すべき手法は、国宝に指定された近代建築の内側に補強を兼ねた大きなガラスの箱を挿入していること。なぜなら、そこがかつての工場の使われ方を紹介する展示施設であると同時に、壁の落書きや改修の履歴なども含めて、建築そのものが重要な展示物であるからだ。つまり、観賞者は展示ケース=ガラスの箱の内側に入って、天井や壁などを見ることになる。また《西置繭所》の展示設計も、カッコいい。例えば、昔使われていた什器などを積極的に再利用している。富岡製糸場はまだ公開されていないエリアが多く、一部を見せてもらったが、現代アートの展示にも使えそうなダイナミックな大空間だった。今後、こうした場所をどのように見せいていくかも楽しみである。


《西置繭所》


2021/10/4(月)(五十嵐太郎)

高岡で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき

会期:2021/09/14~2021/10/31

高岡市美術館[富山県]

今年は「ボイス+パレルモ」展や「ランス美術館コレクション 風景画のはじまり コローから印象派へ」をいずれも三会場で見るなど、巡回展を違う美術館で鑑賞することで、改めて空間の与える影響について考えさせられたが、山形美術館から富山に巡回した「高岡で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」展は特別な体験だった。キュレーションを担当した国立西洋美術館の学芸員、新藤淳氏に確認すると、これは正式な「巡回」展なのだが、あまりにも異例なのは、およそ2/3の内容が入れ替わることである。すなわち、地元のアーティストを絡めた第一章と第三章は、ほとんど違うものとなり、西洋美術館のコレクション史の形成を紹介する第二章のみが同じだ。もともとカタログは、上下に山形と高岡のテキストを並行させる構成であり、両館で展示される作品も紹介されていたが、高岡市美術館も訪れることで、ようやく完結したという充実感が得られた(両方見た人がどれくらい存在するか謎だが)。また上野ではなく、地方都市で西洋美術館のコレクションがどのように形成されたかを初めて知るというのも興味深い。


高岡市美術館


さて、高岡の第一章では、森鴎外による「西洋美術史」や「美学」の講義ノートのほか、これまであまり活用されていなかった富山県美術館が所蔵する本保義太郎の資料を導入しつつ、彼が憧れのロダンと実際に面会し、その直後ミケランジェロのデッサンを行なったエピソードなどを紹介していた。そして第三章では、パリ万博で通訳として活躍した高岡出身の美術商、林忠正を通じた西洋と日本の美術の邂逅、また彼が「西洋美術館」の構想をもっていたことなどをとりあげる。したがって、これは展覧会史を踏まえつつ、巡回展の枠組を再構築した知的な冒険であり、説明文の入れ方を含めて、今年もっとも大胆な企画展だろう。にもかかわらず、おそらく会場で鑑賞していたほとんどの人は、普通にコレクション展として楽しんでいた。こうした複数の層が共存する、ただならぬ異様な雰囲気をもつ展覧会であると同時に、日本から見た西洋、山形や高岡から見た西洋、もし過去の美術家がその後の未来を見ていたらどう考えるか、逆にわれわれが過去をどう見るかなど、さまざまな視角から空間と時間が隔てられた世界をどう想像するかを問いかけてくる。


関連レビュー

山形で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2021年09月15日号)

2021/10/24(日)(五十嵐太郎)

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庵野秀明展

会期:2021/10/01~2021/12/19

国立新美術館[東京都]

まず第一印象は、出し惜しみがないこと、また意外に撮影可能な展示物が多いことである。じっくり見ると、相当の時間を要する濃密な展覧会だった。全体は五章から構成され、第一章「原点、或いは呪縛」はかつて企画された「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」(2012)のような彼が影響を受けた作品群(ゴジラ、ウルトラマン、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダムなど)、第二章「夢中、或いは我慢」は少年時代からエヴァンゲリオン旧劇版までの作品を豊富な資料で展示している。注目すべきは、やはり学生時代の絵画や映像、そしてプロ初期の作品だろう。すでにこの時点から、あとで開花する庵野の作家性を確認できるからだ。続く第三章「挑戦、或いは逃避」は、実写の映画からエヴァンゲリオン新劇版までを扱い、第三章の巨大な模型が目を引く。第四章「憧憬、そして再生」は今後公開される「シン・仮面ライダー」と「シン・ウルトラマン」の予告であり、第五章「感情、そして報恩」はアニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)などの取り組みを紹介する。いわば、過去(第一章)・現代(第二、三章)・未来(第四、五章)という展開になっており、とてもわかりやすい。




第一章 展示風景



第一章 展示風景



第二章 展示風景



第三章 展示風景



第四章 展示風景



第五章 展示風景


もっとも、膨大な展示物に対する個別の解説はもっと欲しいし、テーマなどの設定がなく、第三者からの視点によるキュレーションはやや物足りない。もちろん、読みとるべきラインは無数に存在し、それは鑑賞者のリテラシーに委ねられる。ともあれ、ものづくりに関連する人にとって刺激的な内容であることは間違いない。個人的に一番感心したのは、最後のATACである。というのは、以前、「館長 庵野秀明 特撮博物館」展を見たとき、これは常設で存在して欲しいと思ったからだ。いずれ、そうした公立や国立の施設が誕生するかもしれないが、待っていては手遅れになるかもしれない。ATACは、アニメや特撮を創造する過程で生ずる中間の制作物や資料を文化として可能な限り後世に残したいという目的で設立され、円谷英二の出身地である福島県須賀川市と連携している。しかも、特撮博物館展の全国巡回が契機になったという。つまり、トップ・クリエイターが自らの原点となった過去の作品群への敬意を示し、その恩返しとしてアーカイブ事業を推進している。

2021/10/20(水)(五十嵐太郎)

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四国の隈研吾建築

[愛媛県、高知県]

四国は、隈研吾にとって重要な地域だろう。ポストモダンとバブル経済が終わったあと、地方で進路転換を探っていた時期の《亀老山展望台》(1994)と、素材として木の使用にも挑戦した梼原町の建築群があるからだ。前者は山頂の展望台の建て替えであり、見るための場としての建築の姿を消去したことで知られている。どういうことか。新しい建築のヴォリュームを積極的に足すというよりは、山頂を削りながら、細い動線や大小の階段、そして小さいデッキを設けている。すなわち、いわゆるファサードはなく、地形と対話する空間体験のシークエンスと、各方角への素晴らしい眺望を提供するデッキのみなのだ。近年の隈建築は、ルーバーによるデザインのバリエーションを展開するファサードが目立つ一方、空間の構成があまり感じられないケースもあるのだが、その真逆といえよう。当時、『SD』の特集において、日本の建築雑誌史上、初のCD付きを実現したように、コンピュータを用いた表現にも積極的にとり組んでいたが、《亀老山展望台》はリアルな体験が豊かな名作だった。


《亀老山展望台》



《亀老山展望台》


高知と愛媛の県境に位置し、いまや隈建築の聖地となった梼原町には、山を越えて向かった。途中で樹木におおわれた山を見ながら、なるほど、この風景を眺めながら現場に通えば、木を積極的に使うことを発案したこともうなづける。小さな町には、以下の作品群がたつ。現在は休業中だが、隈の設計で建て替えをするらしい《雲の上のホテル》(1994)と《雲の上のギャラリー》(旧木橋ミュージアム、2010)、力強い《梼原町総合庁舎》(2006)、マルシェもあって上階では宿泊もできる《まちの駅「ゆすはら」》(2010)、そして美しい本の空間として有名な《ゆすはら雲の上の図書館》と隣接する福祉施設の《YURURIゆすはら》(2018)である。茨城県の境町にも、6つの隈作品が集中するが、明らかに梼原町の方が本格的な建築ばかりだ。また集成材を組んだ構造、丸太の柱、茅の束、繊細な木組みなど、いずれも木の使い方をさまざまな方法で実験しながら、フォトジェニックな特徴も獲得している。なお、図書館は選書もかなり良かった。


《雲の上のホテル》



《雲の上のギャラリー》



《梼原町総合庁舎》



《まちの駅「ゆすはら」》



《ゆすはら雲の上の図書館》



《YURURIゆすはら》


2021/10/09(土)(五十嵐太郎)