2021年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

『囚われた国家』『ライト・オブ・マイ・ライフ』『CURED/キュアード』

営業を再開したばかりのキノシネマ横浜(みなとみらい)にて、立て続けに3本の映画を鑑賞した。いずれもコロナ禍の現状を連想させるもので、偶然ではなく、三部作とでもいうべき見事な上映セレクションのように思えた。

ルパート・ワイアット監督の『囚われた国家』は、地球外生命体に統治されるシカゴを舞台としている。これはSFの外形を借りているが、いわゆる「人vsエイリアン」が戦う典型的な構図ではなく、エイリアンに隷従する人間が営むハイテク超監視社会に抵抗するレジスタンスの物語だった。あまり派手なシーンはなく、ハイライトはスタジアムでのテロ計画だろう。しかし、そこで終わらない、どんでん返しも用意されている。コロナ禍において明るい管理社会が要望される今にふさわしい作品だ。

1000円という特別料金が設定された映画『ライト・オブ・マイ・ライフ』は、もっとストレートに疫病が設定に使われていた。これは女性のみがほとんど死んでいくパンデミックの後、女性狩りから逃れるため、娘を息子と偽りながら、人が多い都市を避けて、親子がサバイバルを続けるという作品である。人類は絶滅こそしないが、倫理観を失い、荒廃した世界が描かれる。もっとも、疫病そのものがテーマではなく、特殊状況における父と娘の成長物語だった。ゆっくりとしたテンポの映画だが、最大の危機を迎えた後の二人の表情が印象深かった。

3本目の映画『CURED/キュアード』は特に傑作だった。凶暴化するウイルスへの特効薬が完成し、75%の感染者を治癒するものの、人を襲っていた記憶は残り(それゆえに、主人公は兄を殺したという罪の意識から悩み、苦しむ)、25%は回復しないままとなるポスト・パンデミックの世界である。出尽くしたようなゾンビ映画のジャンルにおいて、こういう鮮やかな切口があるのかと感心させられた。興味深いのは、非感染者と社会復帰する治癒者のあいだに、残酷な差別が生じること。さらに非治癒者に関しては、人間として扱うべきか、殺すべきか、という議論が巻き起こる。新型コロナウイルスも、医療従事者、治癒者、感染が多い地域の人間に対する差別や偏見をもたらした。すなわち、『CURED』の形式はゾンビものだが、今に通じる人間性を問うている。


『囚われた国家』公式サイト:https://www.captive-state.jp/

『ライト・オブ・マイ・ライフ』公式サイト:https://kinocinema.jp/minatomirai/movie/movie-detail/140

『CURED/キュアード』公式サイト:http://cured-movie.jp/

2020/06/04(木)(五十嵐太郎)

ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡

会期:2020/05/18~2020/06/28

宮城県美術館[宮城県]

久しぶりの美術館への訪問は、やはり関東圏よりもいち早く再開となった仙台の宮城県美術館となった。興味深いのは、新型コロナウイルスの対策のために、いつもと違うモードだったこと。例えば、行列はなかったが、吹き抜けのアトリウムから外構にまで続く、床に記された2m間隔のライン、受付の透明なシールド、チラシや作品リストなど手で触るモノの配布をしない(QRコードによってデータのダウンロードは可能)、講演などのトークイヴェントの中止ほか、会場内でも鑑賞者が立ち止まって密になりやすい映像による展示は止めていた。

現在、延期になっている筆者が関わる展覧会でも、感染防止のために、なるべく什器の間隔をあけること、来場者が不規則に動かないよう動線を誘導し、パーティションやサインによって固定化すること、接触型の展示や配布の中止、入場制限などを検討し、会場デザインの変更も行なわれる。これがニューノーマルとして定着するのかはわからないが、当面は展示の空間にも大きな影響を与えるだろう。


感染対策のために、宮城県美術館の床に記された2m間隔のライン

さて、「ウィリアム・モリス」展では、彼の生涯を振り返りながら、数多くの内装用ファブリックや壁紙のデザインが紹介され、後半では大阪芸術大学の協力を得て、書物の装丁などの活動が取り上げられていた。また織作峰子が撮影したケルムスコット・マナーなど、モリスの過ごした環境や風景の写真も活用されていた。もちろん、中世を理想化しつつ、民衆の芸術をめざし、モダニズムを準備した美術史・デザイン史における重要性は理解しているのだが、どうも動植物をモチーフとしたファブリックや壁紙の意匠は、野暮ったい。むしろ、モリスに影響を受けた小野二郎を軸とした「ある編集者のユートピア」展(世田谷美術館、2019)にも感銘を受けたように、同じ装飾としては、中世風の字体やレイアウトを通じたブック・デザインの方が個人的には好みである。

ちなみに、モリス展の最後となる第6章「アーツ・アンド・クラフト運動とモリスの仲間たち」は、明らかにモダンデザインに変化していた。例えば、ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソンの卓上ランプはややアール・ヌーヴォーであり、建築家のチャールズ・フランシス・アンスレー・ヴォイジーによる壁紙のグラフィックは動植物を用いながら抽象度を高め、世紀の変わり目には新しいステージに到達したことが確認できる。


「ウィリアム・モリス」展の展示風景

関連レビュー

ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡|SYNK:artscapeレビュー(2017年04月01日号)

2020/05/29(金)(五十嵐太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00052471.json s 10162325

ミッドサマー

5月末の段階では、東京の映画館が再開しておらず、やはりTOHOシネマズ仙台で『ミッドサマー』と『ブレードランナー』を鑑賞した。いずれも数名の入りしかなく、まだ映画館に人は戻っていない。後者はファイナル・カット版をスクリーンで初鑑賞したが、CGが当たり前になった現代から見ても、なんの遜色もないノワールなSFである。架空と実物の建築・都市を巧みに組み合わせた実在感が強烈だ。またリドリー・スコットらしい煙や霧、照明も美しい。人間よりも人間らしいレプリカントの設定が、作品を普遍的にしている。

さて、ようやく観ることになった話題の『ミッドサマー』は、様々な象徴を散りばめた美術、独特の建築デザイン(三角形のファサードをもつ黄色い神殿、変わった屋根形状の棟など)、音楽、衣装などを通じて、小さな共同体の世界観が綿密に構築されていた。ネットでも解説や謎解きを試みる多くのサイトが登場しているように、本作はすでにカルト的な人気を獲得している。

以前、新宗教の建築を研究した筆者にとって興味深いと思われたのは、サブカルチャーにおけるカルトの描き方である。通常、映画や漫画などでカルトが登場する場合、「実は教祖がひどい奴で、偽物の宗教が暴かれる」というのが、お決まりのパターンだ。しかし、本作はこの飽きるほど繰り返された物語とは違う。正確に言えば、教祖がいるわけではなく、昔から続く村の風習にもとづく夏至の祝祭なのだが、それがインチキだという構えはとらない。むしろ、あくまでも心を病む主人公の大学生ダニーの、心中で失った家族や、不安定な恋人との関係性を軸に、特殊な共同体を描いている。大きな家族に受け入れられ、傷心のダニーが再生する儀式というべきか。

そして客観的にはおぞましい出来事が起きているにも関わらず、笑顔の村人は明るく、花が咲き乱れる風景なのだ。また白夜のために、太陽が沈んでも完全な闇は訪れない。徹底して明るいのだ。だからこそ、ダニーが見せる最後のあの表情が、いつまでも余韻をもって記憶に残る。


公式サイト:https://www.phantom-film.com/midsommar/

2020/05/29(金)(五十嵐太郎)

ダークアンデパンダン

非公開

「ダークアンデパンダン」展は、アーティストが自由に出品できるウェブ版とは別に、キュレーションされたリアルな会場があり、こちらを某所にて鑑賞した。これは通常の展覧会とは違い、場所や作品の内容について他言してはいけない。正確に言うと、個別の作品や作家については了解が得られたら、言及は可能だが、ここではあえて展覧会の形式について論評する。

会場で選ばれた作品群はいずれもヘヴィであり、現地を訪れて、非公開になっている理由も理解した。あいちトリエンナーレ2019に対するネットの反応を思い返せば、間違いなく炎上するだろう。もっとも、本来はこうした作品も、普通に公開できるような社会が望ましいはずだ。ともあれ、本展は一方的に鑑賞するというよりも、目撃者、もしくは当事者として巻き込まれるような形の企画である。実際、来場者は、内容を他言しないことにサインさせられたり、問題が起きた場合の応援団になることも要望されている。そもそも場所は非公開であり、誰もが来場できる展覧会ではない。企画者サイドが鑑賞者を選び、その名前の一覧はネット上で公開された。

現代アートがわかりやすく、誰にでも開かれた場を探求していく傾向とは真逆である。むしろ、観客もキュレーションによって選ばれ、閉じた場がつくられる。作品が観る人を選ぶという感覚は、以前、キリンアートアワードの審査で、K.Kの映像作品《ワラッテイイトモ、》に出会ったときにも思ったことだ。こちらが作品を選ぶのではない。作品が鑑賞者、もしくは発見者を指さしているのだ。

ところで、コロナ禍のために在宅時間が増え、Amazonプライム・ビデオで低予算系の映画ばかりを鑑賞していたのだが、カスタマレビューにおける、通常はフツーの作品しか観ていなさそうな人の罵倒コメントの多さに驚かされた。おそらく、ネットがなければ、両者は出会わなかったはずである。本来は映画館に通いつめたり、レンタルヴィデオを大量に利用するようなコアな鑑賞者がたどりついたものだ。同様に、現代アートがネットで炎上しているのも、展覧会と無縁の人間が遭遇することで交通事故を起こしているからだろう。そうした状況を踏まえて、閉じることの意味を問うのが、「ダークアンデパンダン」展だ。ちなみに、あいちトリエンナーレ2019の一件やコロナ禍を受けて企画したものではなく、それ以前から構想をあたためていたものらしい。

実は筆者にとって、これは1カ月半ぶりに展覧会を生で見る機会となった。それほど大きくない会場だったが、約1時間半かけて、じっくりと全作品を鑑賞したのは、身体的な悦びも大きかったからである。

開催期間:2020年5月20日、22日、24日、25日、27日、29日

公式サイト(ウェブ版):https://darkindependants.web.app/

2020/05/25(月)(五十嵐太郎)

湘南T-SITE、Fujisawa SST、ミナガーデン十日市場

[神奈川県]

なかなか足を運ぶ機会がなかった《湘南T-SITE》(2014)も、ようやく訪れる機会を得た。再開したばかりで待ちかねた人が集まっていたが、店内への入場制限や、椅子の使用禁止、一部の飲食施設の休業などによって感染の対策を施していた。《代官山T-SITE》と同様、クライン・ダイサム・アーキテクツが総合ディレクションを担当しており、基本的には同じコンセプトのデザインである。代官山は「T」の字を外壁で反復しているのに対し、湘南は(蔦屋書店のシンボルにあたる)蔦の葉のモチーフを選ぶといった差異は認められる。また平行に配置された 3棟の屋内外を串刺しにするようなストリートも同じ構成だ(ただし、湘南は一部、車道を横断する)。もっとも、こういうことは現場に行かないとわからないのだが、まわりの風景が全然違う。


車道を挟んで各棟が並ぶ


蔦の葉のモチーフで覆われた《湘南T-SITE》の外壁

すなわち、《湘南T-SITE》は、パナソニック工場跡地につくられた新興の住宅地、《Fujisawaサスティナブル・スマートタウン》のコアのひとつとなる施設なのだ。したがって、まわりをピカピカの住宅がぐるりと囲んでいる。環境に配慮した約1000戸のニュータウンゆえに、戸建て住宅の内部はさまざまな最新の設備をもつが、外観はほとんど同じようなデザインであり、絵に描いたような郊外住宅群だ。なお、交通量が多いロードサイド沿いに、太陽光発電のパネルが延々と続く風景も独特である。《湘南T-SITE》も、ロードサイド側には開かず、直接のアクセスはない。斜めの太陽光パネルと、一段高く持ち上げたデッキによって、道路と距離がとられている。


《湘南T-SITE》に隣接する住宅街


《湘南T-SITE》の駐車場から見た住宅

11棟のスマートハウスなので、規模はまったく違うが、横浜市の《ミナガーデン十日市場》(2012)も、やはり環境配慮型まちづくりをうたう。これは飯田善彦と小林克弘がマスターアーキテクトとなり、産・官・学の共同プロジェクトとして横河健や首都大学東京などが参加したものである。興味深いのは、ひな壇造成をせず、起伏のある地形や植生をうまく活かしながら、各住戸が角度を変えながらややランダムに配され、中央にみんなの庭が設けられていること。その結果、ありがちな郊外住宅地とはならずに(周囲は集合住宅群)、家と家の関係性を操作するだけで、単調さを回避しつつ、忘れがたい風景が生みだされていた。


《ミナガーデン十日市場》のスマートハウス群


各住戸のあいだに塀がなく、共有スペースになっている


起伏のある地形や植生を活かした住戸配置が《ミナガーデン十日市場》の特徴のひとつ

2020/05/17(日)(五十嵐太郎)

文字の大きさ