artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
北帝国戦争博物館、マンチェスター博物館、ウィットワース美術館
[イギリス、マンチェスター]
博物館を調査するプロジェクトのために、イギリスに渡航した。マンチェスターにて、念願のダニエル・リベスキンドが設計した北帝国戦争博物館を訪問した。ウォーターフロントに位置し、独特の外観ゆえに、水辺のランドマークとして機能している。もっとも、地球を表象する球体を立体的に分割し、それらの断片を再構成するという思弁的な形態操作による外観は張りぼて気味で、内部の空間との関係も薄く、微妙である。とはいえ、展示のデザインは結果的に彼らしいユニークな場となっていた。すなわち、全体的に斜めに傾いた不安定な床、天井は高いがひどく狭い通路、そして大空間に林立する鋭角的なヴォリューム群(それぞれの内部はテーマ展示室)である。おそらく展示として使いづらいという批判もあるだろうが、それがもたらす異様な空間体験は、戦争という展示物との相性もよい。
マンチェスター大学の博物館は、メイン・エントランスのリノベーションにあわせ、アジアのコレクションなどのエリアは閉鎖中だった。したがって、自然史のエリアのみを鑑賞する。それほどコレクションは多くないが、独自のテーマの設定やメタ的な視点が導入されており、興味深い。またイギリスのインド抑圧をテーマにした現代アートの巨大絵画や、パンジャブの虐殺の歴史展示もあった。あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」を電凸と脅迫で閉鎖に追い込むような日本なら、間違いなく自虐的な内容として炎上するだろう。さすがにイギリスは大人の国に成熟している。
続いて、マンチェスター大学のウィットワース美術館を訪れた。古典主義の建築を増築したものである。巨匠のセザンヌの企画を除くと、壁紙デザイン、イスラムの女性アーティスト、アンデスのテキスタイルなど、切り口がユニークだった。そしてガーナのイブラヒム・マハマによる二等車の椅子を議会風に並べた大型のインスタレーションが力強い。この美術館は公園に面しており、立地の良さを生かした、緑に包まれたガラス張りのカフェ空間も良かった。
公式サイト:
北帝国戦争博物館 http://www.iwm.org.uk/north/
マンチェスター博物館 https://www.museum.manchester.ac.uk/
ウィットワース美術館 https://www.whitworth.manchester.ac.uk/
2019/09/11(水)(五十嵐太郎)
2019ソウル都市建築ビエンナーレ
会期:2019/09/07~2019/11/10
東大門デザインプラザ(DDP)、敦義門博物館村、ソウル都市建築展示館、ソウル歴史博物館[韓国、ソウル]
社会から疎外された弱者のために構想する「Shelter for soul」のコンペの二次審査のため、ソウルを訪れた。1/1のリアル・スケールで、実際に屋外で制作されたファイナリストの15組の審査の途中から台風が激しくなり、夕方から撤去されることになった。したがって、残念なことに、翌日の表彰式は作品がない状態となり、台風が完全に過ぎてから、再度、設置されたらしい。
ちょうど第2回目の2019ソウル都市建築ビエンナーレがスタートするタイミングであり、そちらのオープニングに足を運んだ。市長が建築に力を入れており、2017年に開始したものだが、実は前回も見学する機会に恵まれた。前回と同様、ザハ・ハディドが設計した東大門デザインプラザ(DDP)がテーマ展示を行なうメイン会場であり、近現代の街区をまるごと保存した敦義門博物館村も都市建築を展示するサブの会場となっている。また新しく会場に加わったのは、今年の春にオープンしたソウル都市建築展示館と、ライブ・プロジェクトを行なうソウル歴史博物館だ。そして全体のテーマは「コレクティヴ・シティ」である。
全体のヴォリューム感は、前回に比べると、やや減っているように思われた。なぜなら、東大門デザインプラザのスロープは映像やパネルの展示が多く、立体的なインスタレーションがあまりなかったからである。また展示室内も、前回はぎゅうぎゅうに各都市の展示を並べていたのに対し、今回はかなり空間に余裕があった。
展示物として印象に残ったのは、メイン会場では中国の農村における現代建築プロジェクト群やワークショップ、ダッカの雑貨屋を再現したインスタレーション、歴史博物館ではソウルの市場の歴史、博物館村ではヴェネズエラのモールが避難所や監獄に転用された二重螺旋の巨大構築物、展示館では再現された北朝鮮のスーパーマーケットなどである。
前回も平壌のマンションのインテリアを再現した展示がインパクトを与えたが、今回も北朝鮮が目を引いた。ともあれ、市がこうした建築や都市をテーマにしたビエンナーレを継続していることは、東京では考えにくいイヴェントであり、とても羨ましい。
公式サイト:http://www.seoulbiennale.org/2019/
2019/09/07(土)(五十嵐太郎)
近つ飛鳥博物館、狭山池博物館
[大阪府]
関西方面へのゼミ合宿で、安藤忠雄設計の博物館を2つ再訪した。近つ飛鳥博物館(1994)と狭山池博物館(2001)である。前者は大阪芸大の濃密な塚本英世記念館を見た直後だったので、同じコンクリートの建築でもだいぶあっさりして見えたが、安藤忠雄の本領はアプローチのデザインだろう。そもそも自動車でいきなり建築に近づきにくい立地だが、登り下りがあり、道を曲がるなど、風景の変化を感じながら、ようやくその姿が立ち現われる。また途中で小さなパヴィリオンが出迎えるが、その上の小さな円塔が、遠くに見える本体の大きな直方体の塔と呼応している。すなわち、自然の風景の中で幾何学的な構造体が対話しているのだ。この建築が内部で紹介する古墳も、いわば自然における大きな人工物=幾何学として存在している。展示デザインは、テーマが古墳文化なので難しいところだが、巨大な古墳模型は圧巻だ。また傾斜した屋根が、まるごと大階段になっており、壮観である。その造形は、ゴダールの映画にも登場したマラパルテ邸の系譜だが、はるかに拡大したスケールで展開されている。
もうひとつの安藤建築である狭山池博物館までタクシーで移動する際、車中からPL教団の大平和祈念塔を眺められるが、やはりニュータウンにおいては異彩を放つ。狭山池博物館は、駐車場からすぐに入ることも可能だが、遠まわりになっても、隣接するため池を見てから、計画されたアプローチをたどるのがいいだろう。屈曲しながら進むと、それまでは隠されていた大きな水庭が、突然、視界に飛び込む。しかも両側から滝のように水が落ちる。インパクトのある出会いが演出されているのだ。内部の空間も印象的である。なぜなら、北堤の断面など、巨大なスケールをもつ土木の展示物が、現代アート的なインスタレーションにも見えるからだ。これは常設の展示であり、変わることがない建築のアイデンティティになっている。そしてこれらを収める直方体のシンプルさが、外観の特徴を決定づける。秀逸なのは、内部の展示物のサイズ感が、そのまま外部のヴォリュームに反映されていること。竣工してもう20年近くたつが、古びない傑作である。
公式サイト:
近つ飛鳥博物館 http://www.chikatsu-asuka.jp/
狭山池博物館 http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/_opsm/
2019/09/04(水)(五十嵐太郎)
広島平和記念資料館の展示リニューアル
広島平和記念資料館[広島県]
展示のリニューアルを終えた広島平和記念資料館を訪れた。以前に比べて、全体として展示のデザインは洗練されたと言えるだろう。広島の爆心地周辺の模型がある円形の台に対し、上から映像をプロジェクトする東館の展示は、すでに先行して公開され、DSAの日本空間デザイン大賞2017を受賞している。もっとも、同館の上空に吊るされた赤い球体で爆発を示した廃墟のジオラマや、リトルボーイの模型がなくなったのは寂しい。プリミティヴな展示だが、映像よりも空間やスケール感を伝える力があったのではないか。
さて、リニューアル後の本館は初めてである。筆者はかねてより被爆者の描いた絵が与える想像力が重要だと考えていたが、新しい展示では導入部のおどろおどろしい被曝再現人形が消え、代わりに暗い部屋で絵が大量に使われ(基本的に絵は複製)、スポットを当てたのはよかったと思う。ただし、絵と写真を同一面で混ぜて並べた展示にはやや違和感をもった。記憶にもとづき、だいぶ後になってから被爆者が描いた絵と、当時プロのカメラマンが撮影した写真では、メディアの性格が全然違うからだ。またリニューアル後の展示では、写真、衣服、遺品を用いて、子供の犠牲者の紹介が増えている。来場者に対し、悲しみの感情移入をうながしやすいだろう。そして日本人以外の被曝者にも触れている。総じて言えば、被害を受けた側の視点に立つ展示の性格がより強くなった。しかし、「なぜ、このような事態を招いたのか?」という説明がない。これでは自然災害と同じである。
以前から重要だと思っていたのが、展示を見終わった後、公園を望む通路を歩くことになるが、ここに架けられた原爆投下前の地図である。ここが昔は繁華街の中島町だったことを示しており、敗戦後に公園になったことを伝えるからだ。リニューアル前はひっそりと地図があり、気づかない人が多かった記憶があるが、今ははっきりとわかるように、キャプションもついている。また公園内では、昔の住宅など、被爆遺構の発掘を開始した。今後、その公開も予定されているという。
2019/08/24(土)(五十嵐太郎)
新聞記者
遅ればせながら、藤井道人監督の映画『新聞記者』を観る。主役の演技も、観客を宙吊りにするラストもよかった。女性の新聞記者と若手官僚が政権の闇を暴こうとする物語だが、「特別に配慮された大学の新設」というモチーフは明らかに加計学園や森友学園の問題を連想させ、日本では希有な同時代的な政治サスペンスである。もっとも、直接的に固有名詞を使わないこのレベルでさえ、「テレビの仕事がなくなるから」と2つの製作会社が依頼を断ったり、政権批判的な内容ゆえに、テレビでもあまり映画を紹介しなかったことに驚かされた。
あいちトリエンナーレに対する激しいネット・バッシングの後だと、内閣情報調査室がネット書き込みで世論操作をしているシーンがリアルに不気味だ。実際、「毎年(!)トリエンナーレを楽しみにしていたのに、もう行かない」といった組織的な書き込みが数多く出現したのは、よく知られている。また展覧会が始まってすぐ、少女像と天皇を扱う作品の他に、今回の「表現の不自由展・その後」には出品されていない、安倍首相と菅官房長官と見られる人物の口を踏みつけにした竹川宣彰の作品も、いっしょに画像つきで拡散された。後者は、アーティストのホームページから、香港の展覧会を探さないと見つからない画像であり、簡単には出てこない。したがって、偶然に間違えたのではなく、炎上を加速させる目的で、悪意をもって紛れ込ませたフェイクの情報である(これを今でも信じている書き込みも散見される)。
ところで、映画内に出てきた内調のネット書き込み部隊のインテリアの空間表現が興味深かった。明るく乱雑な新聞社のオフィスに対し、暗い部屋で青白く光るパソコンの画面に向かい、職員たちが黙々と悪口を書き込むのである。これはいかにもネットの悪い人というイメージだが、あえてリアリティがない表現なのかもしれない。なぜなら、こうした組織の実態がよくわからないからだ。映画では、官僚の強烈な台詞がある。「日本の民主主義は形だけでいい」というものだ。官僚は国民ではなく、政権の維持に奉仕する。これでは、東大の入試で文1(法学部)と文2(経済学部)の合格最低点が逆転したように、官僚の希望者が減るのも仕方ない。
公式サイト:https://shimbunkisha.jp/
2019/08/17(水)(五十嵐太郎)