artscapeレビュー
五十嵐太郎のレビュー/プレビュー
あいちトリエンナーレ2019 情の時代|「表現の不自由展・その後」再展示、ほか
会期:2019/10/13~2019/10/14
愛知県芸術文化センター、愛知県芸術劇場大リハーサル室[愛知県]
本当は9月にも一度訪れる予定だったが、やむ得ない事情でキャンセルとなり、およそ2カ月ぶり、通算5回目のあいちトリエンナーレ2019である。以前、これで見納めになるかもしれないと書いた「表現の不自由展・その後」がついに再開されたことが、最大のトピックだろう。ここに至るまでさまざまな出来事が起き、展示の状態が次々と変化し、これだけドラマティックな展開を見せた日本の国際展はほかにないはずだ。オープニングのとき、芸術監督の津田大介はレガシーにすると宣言していたが、まさにその通りになった。
再開された展示の入口の新しいあいさつ文には「壁が横に倒れると、それは橋だ」というアンジェラ・デービスの言葉が引用されていた。筆者はこの入口について、当初の状態、閉鎖時、そして再開時という3パターンを目撃したが、なるほど途中はずっと、ここの入口には壁が立てられ、それがなくなったわけである。世界的にも一度閉鎖に追い込まれた展示が復活した事例はないらしく、会期が長かったおかげもあるが、終了の直前、土壇場で奇蹟が起きたことは貴重な前例となった。
さて、大浦信行の映像作品《遠近を抱えて Part II》をフルで鑑賞するツアー形式に参加し、確かにこのほうが理解は深まると思った。改めて全編を見て気づいたのは、もし作家が単純に天皇のことが憎いのであれば、まず顔から焼くはずだろうということ。だが、慎重にそれは避けられており、こうした細かい映像の表現が議論されなかったことは不幸だった。再開された「不自由展」に対し、ネットでは「鑑賞の不自由」などと揶揄されていたが、現代アートにはガイド型や一度にひとりしか入れない展示の形式など、さまざまな鑑賞のやり方があることを知らない人が批判しているのだろう。
その日の夕方、今回のパフォーミング・アーツでよく使われている愛知県芸術劇場の地下のリハーサル室において体験した小泉明郎の『縛られたプロメテウス』は傑作だった。前半は鑑賞者がゴーグルを装着し、いわゆるVRによる拡張された現実世界に没入する(一部、筆者は機器の不具合で違うものを見ていたが)。それなりに刺激的な映像だったが、これだけだとテクノロジーを活用したエンターテインメントでしかない。作品の本領はむしろ後半で発揮され、ここで別のものを鑑賞/観劇することによって、思索的なアートに昇格し、従来の小泉作品とも見事に繋がる。おそらく詳細を記すとネタバレになってしまい、これから体験する人に申し訳ないので、ここでは記さないが、前半の謎めいた言葉の意味が腑に落ちるとだけ述べておこう。
あいちトリエンナーレ2019 情の時代 公式サイト:https://aichitriennale.jp/
2019/10/12(土)(五十嵐太郎)
シンディ・シャーマン展、タキス展、オラファー・エリアソン展、ドーラ・モウラー展
ナショナル・ポートレイト・ギャラリー、テート・モダン[イギリス、ロンドン]
ロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリーで開催された「シンディ・シャーマン展」を鑑賞した。実はこの建物の内部に入るのは初めてなのだが、肖像画に特化した美術館ゆえに、なるほど、変装した自画像を撮影し続けたアーティストの個展が企画されたわけである。学生時代の作品も紹介されていたが、すでに彼女のアイデンティティを分裂させるようなさまざまな変装やメイクを施していたことがわかる。そして映画、雑誌の表紙の改竄、ピンクローブ、歴史画、ファッション、ピエロ、セックス、マスク、セレブの婦人など、各時代に展開した仕事のシリーズを総覧できる内容だった。
彼女自身が歳を重ねることで、開拓される新しいシリーズも確認できる。やはりケバケバしい色鮮やかな作品よりも、映画のワンシーンを再現したかのような初期のモノクロ作品が強力だ。単なるポストモダン的な何かの引用ではなく、特定の起源なきコピーという洗練された手法だからである。またさまざまな変装グッズが収集された彼女のスタジオを再現した展示も興味深い。
テート・モダンでは、幾何学をモチーフにした3人のアーティストをとりあげていた。そもそもオラファー・エリアソンの個展を見るために足を運んだが、思いがけず、同時開催の「タキス展」がとても良かった。彼は、2019年8月に逝去したギリシア出身の彫刻家であり、重力に逆らい、宙に固定された造形など、磁力を生かした緊張感をもつ空間インスタレーションを展開している。単純な仕掛けだが、尖ったオブジェがぴんと張りつめた状態で浮いているのだ。また作品を楽器としてとらえ、音響を放つ幾何学的な作品も、コスモロジーを感じさせて素晴らしい。
さて、オラファー・エリアソンの個展は、確かに体験として楽しいのだが、各部屋で手を替え品を替え、いろいろなタイプの仕掛けが連続すると、科学エンターテインメントとの境目に位置して微妙かな、という作品もやはり多い。おそらく、金沢21世紀美術館のように、通路でいったんリセットしてから、それぞれのホワイトキューブに入ると、それほど気にならないのだろうが、あれだけ次々と部屋が続くと、印象がだいぶ変わる。またテート・モダンでは、ブタペスト出身の「ドーラ・モウラー展」も開催中だった。彼女の知的かつ幾何学的なアプローチによって錯視を引き起そうとする態度は、たいへん共感がもてるものだった。
公式サイト:
ナショナル・ポートレイト・ギャラリー http://www.iwm.org.uk/north/
テート・モダン https://www.tate.org.uk/visit/tate-modern/
2019/09/14(土)(五十嵐太郎)
ロンドン・デザイン・フェスティバル
会期:2019/09/14~2019/09/22
ヴィクトリア&アルバート博物館、デザイン・ミュージアムほか[イギリス、ロンドン]
6月の建築フェスティバルと同様、9月のロンドン・デザイン・フェスティバルも市内の各地で開催されていた。興味深いのは、屋外のインスタレーションがいくつか設置されること。デザインゆえに、ただのオブジェではなく、作品はベンチとしての機能をもつ。ポール・コックセッジは広場において上下にうねるリング状の什器を同心円状に展開し、パターニティはウェストミンスター大聖堂の前に迷路のパターンを模したベンチを置き、子供が遊んでいた。なるほど、大聖堂の床にこうした迷路の模様がよく描かれている。
メイン会場は最も多くの作品が集中するヴィクトリア&アルバート博物館だろう。まず隈研吾による中庭の竹のインスタレーションを鑑賞してから、ス・ドホによるスミッソン夫妻の集合住宅へのオマージュというべき映像など、ガイド・マップを頼りに、あちこちの部屋に点在するプロジェクトを探しながら、巨大な博物館をまわった。おかげで、奥に隠れた舞台美術の部屋など、これまで知らなかった展示室にも気づく。いわゆる歴史的な博物館が、デザインのイヴェントとコラボレートすることで、コレクションの魅力を新しく引きだすような作品も登場しており、日本でもこうした企画が増えてほしい。また建築セクションの部屋では、余暇的な水の空間をテーマとする特集展示が開催されていた。
デザイン・ミュージアムでは、いくつか建築に関する展示も企画されていた。2階ではSOMがこれまで手がけてきた高層ビルの構造を説明しながら、数多くの模型を並べていた。また3階ではパネルを用いて、AAスクールが生みだしたラディカルな教育と作品を紹介していた。そして地階では、ビアズリー・デザイン・オブ・ザ・イヤーの展覧会が開催されており、ファッションやプロダクトのほか、建築の部門が含まれていた。選ばれた作品はいずれも短いながら映像で手際よく紹介し、小さい模型だけではわからない情報を効率的に伝えている。なお日本からは、石上純也の水庭が入っていた。
公式サイト: https://www.londondesignfestival.com/
2019/09/14(土)(五十嵐太郎)
オックスフォードの博物館
[イギリス、オックスフォード]
カレッジが分散する街、オックスフォードに移動し、アシュモレアン博物館へ。外観の意匠はクラシックだが、内部は現代的な展示空間に改造され、特に吹抜けまわりの階段が印象的だ。古今東西の充実したコレクションを揃え、大学の運営とは思えない規模である。日本セクションでは、大英博物館と同様、茶室が再現されていた。もっとも、内部に入ることはできず、茶室の窓が面白いという視点はない。ここも現代アートの企画室があり、美術は同時代の家具や食器などと併せて展示されている。また地階では、コレクションの来歴や博物館の学芸員の仕事も紹介されていた。
ジョン・ラスキンが関わった自然史博物館は、ゴシック建築的な骨格をスチールに置き換え、屋根をガラス張りとし、太陽の光が降りそそぐ明るい空間である。興味深いのは、そのデザインが内部で展示された恐竜の骨と呼応していること。大型の陳列ケースも、ゴシック様式を意識したデザインだった。またラスキン生誕200周年ということで、コレクションをもとにしたアート作品の公募結果を発表していた。それにしても自然史博物館は、どこも子供で賑わっている。
背後で直接的に連結されたピット・リバース博物館は、一転して暗い空間である。収蔵庫がそのまま展示になったかのような圧倒的な物量が視界に飛び込む。地域や時代で整理せず、マスク、球技など、アイテムごとに世界各地からの収集物が押し込まれた陳列ケースが膨大に反復されている。おおむね2階は女性と子供(装身具や玩具など)、3階は男性(武器など)に関連した内容だった。
やはり大学に所属する科学史博物館は、アッシュモレアン博物館の創設時からあるものらしく、17世紀の建築である。全体はそれほどのヴォリュームではないが、特に2階に陳列された時間や空間の計測、計算、あるいは天体やミクロの観察のための器具の造形に惚れ惚れとする。科学の目的に応じて設計された機能主義のはずだが、独自の美学を備え、実際はそれを超えたデザインになっている。
公式サイト:
アシュモレアン博物館 https://www.ashmolean.org/
オックスフォード大学自然史博物館 https://www.oumnh.ox.ac.uk/
ピット・リバース博物館 https://www.prm.ox.ac.uk/
オックスフォード科学史博物館 https://www.hsm.ox.ac.uk/
2019/09/13(金)(五十嵐太郎)
ケンブリッジの大学博物館ほか
[イギリス、ケンブリッジ]
およそ四半世紀ぶり、3度目のケンブリッジでは、大学が運営するいくつかのミュージアムに足を運んだ。まずフィッツウィリアム博物館は、狭い通りと対面の小店舗に対し、完全にスケールアウトした古典主義の建築である。しかも、左右のウィングが非対称で、イギリスらしいデザインだ。およそ1/3くらいのエリアが改装中である。日に焼けて亡霊化した壁のかつての作品跡と、現在の展示がズレつつ重なる中世のエリアが味わい深い。韓国の陶芸を収納する什器のほのかな照明が美しい。
考古学・人類学博物館は、1階の導入と企画では、異なる時代の遺跡を複数のガラスを重ねることで見せるなど、展示インスタレーションがすぐれている。一方、2、3階は古い什器のままだが、一部に見える収蔵庫(場所が足りなかっただけかもしれないが)や、展示物に触発されたアートのコーナーがあった。印象的な三連の円窓を潰していることから推測すると、この建築は途中で使い方が変化したのだろう。
ケンブリッジ大学の動物学博物館の天井から吊るされた巨大なクジラ標本はお約束である。学術以外では、アーティストが動物進化に着想を得た作品展も開催されていた。セジウィック地球科学博物館は、展示物や什器が古いタイプのものだったが、サイン計画のデザインはアップデートされており、各セクションが色とアイコンで区分けされ、さらに窓をふさぐカーテンに大きくプリントされることで、空間の視認性を改善していた。
素晴らしかったのは、ケトルズ・ヤードである。これは入口からは小さな部屋しか見えないのだが、上階に行くと、思いがけない空間が広がるように、増改築を重ねたアート・コレクターの家を大学に寄贈したもので、建築のデザインだけでは決して到達できない魅力的な空間が出現していた。すなわち、ホワイトキューブではない室内に作品群を見事に配置する施主のセンスに圧倒された。
住宅と連結された新しく建設されたギャラリーも、大学のコレクションからアートと工芸を混ぜた企画や、ジェニファー・リーの洗練された陶芸のインスタレーションなどを楽しめる。最後に大学のボタニカル・ガーデンを訪れたが、意外と普通の公園風であり、イギリスに導入された海外の植物を時系列で並べたエリアが印象に残った。
公式サイト:
フィッツウィリアム博物館 http://www.fitzmuseum.cam.ac.uk/
ケンブリッジ大学考古学・人類学博物館 http://maa.cam.ac.uk/
ケンブリッジ大学動物学博物館 https://www.museum.zoo.cam.ac.uk/
セジウィック地球科学博物館 http://www.sedgwickmuseum.org/
ケトルズ・ヤード https://www.kettlesyard.co.uk/
ボタニカル・ガーデン https://www.botanic.cam.ac.uk/
2019/09/12(木)(五十嵐太郎)