artscapeレビュー
福住廉のレビュー/プレビュー
藤浩志の美術展 セントラルかえるステーション~なぜこんなにおもちゃが集まるのか?~
会期:2012/07/15~2012/09/09
3331 Arts Chiyoda[東京都]
藤浩志の個展。代表作《かえっこ》を中心に、これまでの表現活動を振り返る構成だが、それらを「変える」「替える」「還る」「買える」など、さまざまな「かえる」によって整理したことで、展示の構成に強力な一貫性を与えていた。藤の表現活動がつねに社会的な文脈と密接した現場で実践されてきたがために、昨今のアートプロジェクトの源流のひとつに藤がいることがよくわかる展示だった。だが、それ以上に強く思い至ったのは、藤の表現活動を構成する要素のひとつとして限界芸術が大きく作用しているのではないかということだ。ペットボトルや玩具を組み合わせて構成されたドラゴンや恐竜の造形物は、平田一式飾りのような民俗芸術と明らかに通底しているからだ。ありあわせの日用品を造形する無名の人びと。それは、《かえっこ》の集大成として見せられた、各地で集められた玩具を色別にして会場の床一面に拡げたインスタレーションにも認められた。玩具の集積の背後には、交換を楽しんだ子どもたちと、その玩具を制作したデザイナーの存在が確かに感じられたからだ(玩具デザイナーは専門的な芸術家とみなされがちだが、無名性を前提としている点では非専門的な芸術家としても考えられる)。今後は、藤浩志というひとりの作家にとどまらず、アートプロジェクトという表現形式を限界芸術の視点によって分解しながら旧来の民俗芸術と接続する研究なり批評が必要とされるのではないか。
2012/08/23(木)(福住廉)
ライク・サムワン・イン・ラブ
会期:2012/09/15
ユーロスペース、新宿武蔵野館[東京都]
アッバス・キアロスタミ監督作品。日本を舞台にした物語を、日本人俳優に、日本語で演じさせた。ただ物語とはいうものの、そこはキアロスタミの「物語」。いかにも劇的な物語を起承転結の構造によって展開させる凡百の映画とは対照的に、私たちの中庸な日常をただ切り取り、無作為のまま観客に投げ出したような映画である。無邪気で幼い悪意、束縛する狂気、愛情の押し売り。誰もがどこかで身に覚えのある人生の一場面に直面させ、にもかかわらず教訓めいたメッセージに導くことはなく、たちまち映画を終えてしまうところが、このうえなくおもしろい。この無愛想なまでの潔さは、もはやある種のエンターテイメントであると言ってもいい。その類い稀なる芸風の一方で、おそらく人生とはこんなものなのだろうという諦念を感じさせるところもまた、キアロスタミならではの「物語」なのだろう。
2012/08/21(火)(福住廉)
山下陽光:アトム書房トークイベント
会期:2012/08/20
素人の乱12号店[東京都]
山下陽光が最近熱心に調査している「アトム書房」とは、終戦直後から広島の原爆ドーム前で開かれた古書店。古書のほか、原爆で破壊された家屋の瓦礫や熱で曲げられた瓶などを販売していたらしい。
興味深いのは、「Book seller Atom」という看板を掲げていたように、おもな顧客として進駐軍を想定していたことだ。山下によれば、「アトム書房」の背景には、原爆を投下したアメリカ軍の軍人たちに、当の原爆によって破壊されたモノを、原爆による全壊から辛うじて免れた原爆ドームの目前で売りつける、「ゲス」な根性があったという。
落とされた「原爆」を、「Atom」として打ち返す、明確な反逆精神。こうした美しくも、たくましい活動は、広島が平和都市として整備されていくなかで、そして原子力エネルギーの平和利用という政策のなかで歴史の底に隠されていき、やがて見えなくなってしまった。
それを、アマチュアの探究心によって丹念に掘り起こした山下の取り組みは、最大限に評価されるべきである。なぜなら、どんな専門家も、山下の調査に匹敵する業績を残すことができていないからであり、山下が素早く動かなければ、(佐藤修悦がそうだったように)私たちは「アトム書房」という存在にすら気がつかなかったからだ。
山下と、彼とともに調査しているダダオのトークを聞いていると、2人の突撃的調査によって、プロとアマを問わず、さまざまな関係者が彼らの繰り出す渦巻きに徐々に巻き込まれていき、それまで見えなかった歴史の痕跡や、無関係だと思われていた関係性が、鮮やかに浮き彫りにされていく様子が伝わってくる。その過程がなんともおもしろい。
しかも、それはたんに知られざる歴史の発掘という次元にとどまるわけではなく、そこには今日的なアクチュアリティーがたしかにある。原発の甚大な被害に苛まれている現在、「アトム書房」という実践は、被災者の支援活動や脱原発デモという水準とは別に、私たちがいまやらなければならないことを、歴史の奥底から示しているからだ。
この在野の研究は、おそらく今後も継続されるだろうし、今以上に広範囲の人びとを巻き込んだ集団的な研究になることも予想される。それをまとめる著作なり映画なり展覧会なり、いずれかのメディアを用意するのが、専門家の仕事だろう。
2012/08/20(月)(福住廉)
気狂いピエロの決闘
会期:2012/08/04~2012/08/24
ヒューマントラストシネマ渋谷[東京都]
まったくもって無茶苦茶な映画である。オープニングからラストシーンまで、文字どおり片時も眼を離すことができない。笑い、泣き、恐怖を感じる、人間の五感を強制的にフル稼働させるような映画だ。その暴力性がなんとも心地良い。
物語の骨格は、ひとりの女をめぐって、ピエロとクラウンが争うという、いたって単純なもの。だが、そこにスペイン内乱という歴史的文脈が接続されることで、物語の厚みが増し、しかしそれとはまったく関係なく、物語が奇想天外な方向に展開していくところがおもしろい。クストリッツァの「アンダーグラウンド」は、政治的な歴史と個人的な歴史を相互関係的に描いたが、アレックス・デ・ラ・イグレシアによる本作はそれらを相対的に自立したものとして描写した。いや、むしろ人間の悲喜劇を描写するために政治的な歴史を素材として扱ったというべきだろう。たくましい想像力によって物語を展開していく点は共通しているが、本作のほうがよりいっそう逸脱している。平たく言えば、狂っているのだ。
だが、この狂気こそ、現在のアートにもっとも欠落しているものではないか。正気の沙汰とは思えないほど現実社会が狂いつつある一方、非現実的な想像力を披露するはずのアートが、おしなべて大人しく落ち着き払っているからだ。この現状は、それこそ倒錯した狂気というべきかもしれないが、現実に追いつかれたアートは、さらにもう一歩前へ踏み出さなければ、アートたりえない。その一歩を記した本作は、近年稀に見る大傑作である。
2012/08/15(水)(福住廉)
ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳
会期:2012/08/04
銀座シネパトス[東京都]
今年で90歳の現役写真家、福島菊次郎のドキュメンタリー映画。いまも東日本大震災の被災地や脱原発デモを撮影している福島に密着しながら、複数回に及ぶインタビューによって福島のこれまでの仕事を振り返る構成だ。広島の被爆者の家庭に何度も何度も立ち入り、原爆症に苦しむ男を克明にとらえた写真にはじまり、三里塚、東大安田講堂、水俣、ウーマン・リブ、自衛隊基地や軍需産業の工場内、上関原発の建設をめぐって揺れている祝島など、福島がカメラとともに歩いてきた軌跡は、日本の戦後史の現場そのものだった。それらを一挙に目の当たりにできる意義は大きい。教科書的な歴史教育では到底望めない、生々しい歴史を知ることかできるからだ。だが、映画のなかの福島を見ていて心に深く焼きつけられるのは、彼独特の佇まいである。小さく薄い身体で柴犬と散歩をし、旧いワープロで原稿を書く福島の姿はたしかに90歳の老人だが、カメラを構えると身体の動きがとたんに機敏になり、集中した表情に一変する。警察官に語りかける口調も穏やかだが、その言葉の内側は断固とした態度で塗り固められているようだ。それは、福島の娘が率直に語っているように、端的に「かっこいい」のである。写真家ならではの佇まいが失われつつあるいま、もっとも見るべき映画である。
2012/08/15(水)(福住廉)