artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

写真発祥地の原風景 長崎

会期:2018/03/06~2018/05/06

東京都写真美術館[東京都]

2017年に開催された「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」展で、東京都写真美術館の「初期写真」へのアプローチはひとつの区切りを迎えた。本展は、それ以後の展望を含めて新たな連続展として企画され、長崎という地域に限定することで、より厚みのある展示・構成が実現していた。この「写真発祥地の原風景」シリーズは、今後「北海道編」、「東京編」と続く予定である。

「江戸期の長崎」、「長崎と写真技術」、「長崎鳥瞰」、「クローズアップ長崎」の4部構成、306点による展示には、写真だけではなく版画、古地図、旅行記、カメラ等の機材も組み込まれており、まさにパノラマ的に長崎の「原風景」を浮かび上がらせていた。特に圧巻なのは国内所蔵の最古のパノラマ写真、プロイセン東アジア遠征団写真班による《長崎パノラマ》(1861)をはじめとする、写真をつなぎ合わせて長崎の湾内の眺めを一望した風景写真群である。それらを見ていると、長崎を訪れた外国人写真家や、彼らから技術を習得した上野彦馬らの日本人写真家が、写真という新たな視覚様式を、驚きと歓びを持って使いこなしていたことがよくわかる、山、海、市街地がモザイク状に連なる長崎の眺めは、彼らの表現意欲を大いに刺激するものだったのではないだろうか。

なお、本展は長崎を撮影した古写真のデータベースを立ち上げてから20周年を迎えるという長崎大学と共同開催された。今後も、各地の写真データベースとリンクしていく展覧会企画を、ぜひ実現していってもらいたいものだ。

2018/03/05(月)(飯沢耕太郎)

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上田義彦「Forest 印象と記憶 1989-2017」

会期:2018/01/19~2018/03/25

Gallery 916[東京都]

上田義彦の「Forest 印象と記憶 1989-2017」展を見たあとで、彼の1993年の写真集『QUINAULT』(京都書院)をひさしぶりに書棚から引っ張り出して眺めてみた。今回の展示には、その1989年に撮影されたアメリカ北西部の「QUINAULT」の森のほかに、2017年に同じ森を再訪して撮影した写真、東日本大震災の直後から撮り始めた「屋久島」の森、そして2017年に撮影した奈良「春日山」の原生林の写真が出品されている。これら30年近いスパンを持つ森の写真群をあらためて見直すと、上田の撮影の意識が大きく変わってきたことに気がつく。

最初の「QUINAULT」の写真には、はじめて森に踏み込んだ写真家の歓び、怖れ、興奮が綯い交ぜになってぎっしりと埋め込まれているように見える。森は重々しく、厳めしく、不機嫌な表情で写っており、上田はそこで自分自身を「ストレンジャー」と感じざるを得ない。ところが、再訪した「QUINAULT」や「屋久島」や「春日山」の森は、むしろ明るく、開放的だ。上田の視線は「デティールから色彩へ、輪郭から量へ」とめまぐるしく、軽やかに動き回り、森の速度にシンクロしている。特に「絶え間ない生命の循環」に呼応して形を変えていく光にたいする鋭敏な反応が、写真にいきいきとした躍動感を与える。本展の作品には、上田の写真家としての成熟と森との関係の深まりが、きちんと形をとってあらわれていたといえるだろう。展覧会に合わせて刊行された同名の写真集も、大判だが手に取りやすい造りで、上田の制作意図がしっかりと反映されていた。

ところで、上田義彦が2012年から運営してきたGallery 916は、6年の節目を迎える4月15日に閉廊することになった。これまで開催された24回の企画展は、600m2という広い会場にふさわしい、見応えのあるものが多かったので、閉廊はとても残念だ。上田自身の展覧会を含めて、ラルフ・ギブソン、アーネスト・サトウ、有田泰而、森山大道、操上和美、津田直、野口里佳、川内倫子、シャルロット・デュマ、百々俊二、奥山由之など、同ギャラリーでの展示は記憶に残っていくだろう。

2018/03/03(日)(飯沢耕太郎)

岡上淑子コラージュ展──はるかな旅

会期:2018/01/20~2018/03/25

高知県立美術館[高知県]

1928年高知市生まれの岡上淑子は、1953年と56年に瀧口修造の推薦で、タケミヤ画廊で個展を開催し、その清新なフォト・コラージュ作品が注目された。だが、1957年に結婚して創作活動から遠ざかったこともあり、2000年に第一生命ギャラリーで44年ぶりの個展を開催するまでは「忘れられた作家」になっていた。だが、それ以後内外の美術館に作品が収蔵され、作品集も次々に刊行されるなど、再評価の機運が高まりを見せている。今回の展覧会には、彼女のコラージュ作品140点余りのうち80点が出品されていた。

あらためて展示作品を見ると、彼女の『ライフ』や『ハーパーズ・バザー』などの雑誌の図版を切り貼りしていく構想力と技術力とが傑出したものであったことがよくわかる。これまで岡上の作品については、文化学院デザイン科出身の若い女性が「頭のなかに描いた空想や夢」の産物という見方が一般的だった。ところが、今回作品を見て、彼女が戦後の日本の現実や当時の女性の社会的な立場をきちんと見つめて、むしろそれに対する反抗の思いを込めて制作していたのではないかと強く感じた。例えば、「戦場の歌」(1952)、「戦士」(同)といった作品にあらわれる、廃墟と化した戦場のイメージには、男性中心に進められた戦争への忌避の感情が滲み出ているようでもある。岡上は2012年のインタビューで「当時日本の未婚女性に押しつけられていた制約や慣習から解放された、独立した女性になること」を望んでいたと述べている。彼女の仕事をフェミニズムの先駆として位置づけることもできそうだ。

高知県立美術館には、石元泰博フォトセンターが設けられており、やはり高知県出身の彼の遺作3万5千点もコレクションされている。そちらでは、ちょうど平成29年度第3回コレクション展として「色とことば」展が開催されていた。樹木やビルなどのシルエットに多重露光で原色を重ね写した、遊び心あふれるユニークな作品群である。

2018/03/01(木)(飯沢耕太郎)

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荒木経惟「私、写真。」

会期:2017/12/17~2018/03/25

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館[香川県]

荒木経惟は2017〜18年に21回もの展覧会を開催した。その「大爆発!」の掉尾を飾るのが本展である。出品点数は何と952点。あの名作「父の死」(1967)と「母の死」(1974)から始まって、壁に大量の写真が直貼りで展示されている。「展覧会には必ず新作を出品する」という荒木の展示のポリシーはここでも貫かれていて、今回も「北乃空」、「北斎乃命日」、「恋人色淫」、「花霊園」と、2017年に制作された新作が並ぶ。京都旅行のスナップをネガでプリントした「センチメンタルな京都の夜」(1972/2014)、電通時代のスケッチブックに写真を貼り付けた写真帖「Mocha」、「赤札堂の前で」、「女囚2077」、「アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集」など、これまでほとんど発表されたことのない作品もある。荒木の過去・現在・未来を大盤振る舞いで見せつける力作ぞろいだった。

ちょっと気になったのは、丸亀出身の生け花作家・中川幸夫にオマージュを捧げた「花霊園」、急逝した編集者・和多田進の奥さんから贈られたハーフサイズのカメラで撮影した「北乃空」など、展示作品全体にタナトス的な雰囲気が強く漂っていたことだ。フィルムの高温現像で現実世界の眺めを変容させた「死現実」(1997)、銀色の「死」という文字を書き続けた「死空」(2010)も凄みのある作品だ。だが、エロスとタナトスの対位法(「エロトス」)は荒木の作品世界の基本原理であり、今回はたまたまその振り子がタナトス側に振れたということなのではないだろうか。次はあっけらかんとエロス全開の作品を見せてくれそうな気もする。

2018/02/28(水)(飯沢耕太郎)

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土田ヒロミ『フクシマ 2011─2017』

発行所:みすず書房

発行日:2018/01/25

土田ヒロミの執念が、大判ハードカバーの写真集として形になった。土田は東日本大震災の後、「ひとりの表現者としてどのように向き合えばよいのか」と悩み抜いていたが、まずは福島第一原子力発電所の大事故で避難指示が出た地域の「ボーダー線上を歩いてみることから始めよう」と心に決める。2011年6月から開始されたその撮影の作業は、6年越しで続けられ、今回写真集にまとめられた。

土田の方法論は明確である。デジタルカメラによって、風景の細部をきっちりと押え、ひとつの場所を何度も繰り返し訪れることで、定点観測的に画像が蓄積されていく。その結果として、いくつかの季節を経て微妙に姿を変えていく「フクシマ」のベーシックな環境が、撮影された日付と地名を添えて淡々と提示された。だが読者は、どうしてもそれらの一見静穏なたたずまいの写真群に、見えない放射能の恐怖を重ね合わせないわけにはいかなくなるだろう。さらに、2013年頃から開始された除染作業によって、大地は削り取られ、それらの土壌廃棄物を詰め込んだ「フレコンバッグ」が、あちこちの「仮々置き場」に不気味に増殖していく。時折あらわれる、白い防護服を来た人物たちの姿や、さりげなく写されている線量計なども、ここが「フクシマ」であるという現実を突きつけずにはおかない。

土田の代表作のひとつは、原爆が投下された広島のその後を検証した「ヒロシマ三部作」である。その彼が「フクシマ」に向き合い始めたことに、写真家としての役割を全うしようという強い意志を感じる。それは同時に「人類が直面している人と自然との関係の文明的危機」を受けとめ、投げ返そうという渾身の営みでもある。

2018/02/27(火)(飯沢耕太郎)