artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

小平雅尋「在りて在るもの」

会期:2018/01/13~2018/02/17

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

タカ・イシイギャラリーでの小平雅尋の個展は、ほぼ3年ぶり2度目になる。前回の「他なるもの」(2015)と同様に、今回の「在りて在るもの」でも、風景、物体、身体、建築物など、かなり幅の広い被写体をモノクロームで撮影した写真が並ぶ。ただ、前回と比較すると距離を詰めてクローズアップで撮影した写真が多く、「部分」であることがより強調されている印象を受ける。スタジオで撮影されたと思しき、ヌード作品が含まれていることにも意表をつかれた。被写体は女性と赤ん坊のようだが、ほかの写真よりもやや浮遊感のある撮り方をしている。つまり、小平の写真の世界も少しずつ拡大し、形を変えつつあるということだろう。

とはいえ、ベーシックな部分での撮影の姿勢にはまったく揺るぎがない。展覧会に寄せた文章を、彼は「気の向くままに撮り歩いていると、理由はわからないが眼が引き付けられることがある」と書き出している。違和感を覚えつつもそこにカメラを向け、シャッターを切るのだが、「眼が捉えてから物事に気付いている事実に動揺する」のだという。普通なら、当たり前に思えてしまうこのような心の動きに、小平はこだわり続けている。それは写真撮影を通じて「意識にそれを見ろ、判断しろと促し続ける、もう一つの隠れた存在」を明るみに出そうとつねに心がけているからだ。今回の展示を見ると、「気の向くまま」ということだけではなく、より意識的に撮影のプロセスを構築するようになってきているようにも思える。それこそ、ゴールの見えない作業の積み重ねには違いないが、彼にとっても、写真を見るわれわれにとっても、手応えと厚みのある作品の世界が形を取りはじめているのではないだろうか。

Masahiro Kodaira, “Tokyo Tower, Tokyo 2017.4.23”, 2017, gelatin silver print, 35 x 52.6 cm © Masahiro Kodaira / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

2018/01/20(土)(飯沢耕太郎)

川田喜久治「ロス・カプリチョス-インスタグラフィ-2017」

会期:2018/01/12~2018/03/03

PGI[東京都]

「ロス・カプリチョス」は、1960年代末から80年代初頭にかけて制作された写真シリーズである。川田によれば「写真の発表をはじめて、10年ほど経ったころ、そのシリーズは自己解放のような気持ちで取りくんだ」のだという。たしかに、それ以前の「地図」や、同時進行していた「聖なる世界」のような緊密な構成の作品と比較すると、ゴヤの版画シリーズからタイトルを借りた「ロス・カプリチョス」は、気ままな発想のバラバラな作品の集合体であり、「自己解放」の歓びにあふれているように見える。

今回の「ロス・カプリチョス-インスタグラフィ-2017」は、70年代を中心にした旧作の再現というだけでなく、全89点のうち3分の1ほどは新作ということで、むしろこのシリーズの再構築というべき展示になっていた。こうして見ると、「ロス・カプリチョス」の発想や手法がまったく古びることなく、むしろより自由度を増したデジタル時代の作品制作のあり方を予言していたようにも思えてくる。軽やかな、だが切れ味のあるアイロニーを含んだ作品としてよみがえった「ロス・カプリチョス」は、これから先もさらに増殖し続けていくのではないだろうか。

ところで、いまや1959年に活動を開始したVIVOの創設メンバーのうち、現役の写真家として活動を続けているのは、川田だけになってしまった。やや寂しいことではあるが、この元気な展示を見ていると、まだしばらくは若々しい、活力に満ちた写真群を生み出し続けることができそうだ。

2018/01/20(土)(飯沢耕太郎)

広田尚敬「Fの時代」

会期:2018/01/05~2018/03/31

ニコンミュージアム[東京都]

広田尚敬(1935~)は日本の鉄道写真の第一人者であり、60年以上にわたって素晴らしい作品を発表し、数々の名作写真集を刊行してきた。そのなかでも『Fの時代』(小学館、2009)は特に印象深い一冊である。「F」というのは、名機として知られるニコンFであり、広田は1961年にこのカメラを手に入れ、以来北海道を中心としたSLの撮影に使用するようになった。東京・品川のニコンミュージアムで開催された本展には、時には200ミリの望遠レンズにエクステンダー(レンズの長さを調整するリング)を2台つけて撮影したというそれらの写真群から、大伸ばしも含めて約60点のモノクローム作品が展示されていた。

この時期の広田の写真を見ると、彼の出現によって日本の鉄道写真の世界が大きく変わったことが実感できる。それまでの蒸気機関車の車体と走行のメカニズムを克明に記録することを目的とする写真に、幅と深みが加わってくるのだ。鉄の車体の質感や力動感に肉薄しているだけでなく、鉄道の周辺の風景、車内や駅の様子なども被写体として取り上げられるようになってくる。乗客のスナップショットは抜群の巧さだし、ブレやボケを活かした表現も積極的に取り入れている。SLをダイナミックに、多面的に捉えるにあたって、機動力を備えたニコンFの機能を最大限に活かして撮影していたことがよくわかる。

広田が新たな領域にチャレンジしていた「Fの時代」の頃と比較すると、デジタル時代の鉄道写真は、ハード的には進化して誰でもクオリティの高い写真を撮れるようになったにが、何か物足りなさを感じてしまう。撮ること、撮れたことへの歓び、ワクワク感が失われてしまったことがその大きな要因といえるだろう。このジャンルも原点回帰の時期にさしかかっているようだ。

2018/01/15(月)(飯沢耕太郎)

生誕100年 ユージン・スミス写真展

会期:2017/11/25~2018/01/28

東京都写真美術館[東京都]

本展はアリゾナ大学クリエイティヴ写真センター(CCP)が所蔵する2600点のW・ユージン・スミスのヴィンテージ・プリントから、約150点を選んで構成したものだ。むろんそのなかには、彼の代表作である「カントリー・ドクター」、「スペインの村」、「慈悲の人(シュヴァイツァー博士)」といった、1940~50年代に『ライフ』に掲載された名作も含まれている。だが、初めて目にする作品も多く、スミスの写真家としてのあり方を再考させる造りになっていた。

特に注目したのは1950年代後半から60年代にかけての「ロフトの暮らし」と題する写真群である。スミスは『ライフ』のスタッフカメラマンを1954年に辞めてから、「ピッツバーグ」のシリーズに取り組む。だが、この叙事詩を思わせる大作はなかなか完成せず、経済的に困窮し、家庭生活も破綻した。スミスは1957年にマンハッタン島北部のロフトに移転して一人暮らしを始めるが、アルコールとドラッグに溺れて、心身ともに極度の混乱状態に陥ってしまった。「ロフトの暮らし」は、まさにこの時期に撮影された連作で、『ライフ』時代の、ひとつのテーマや物語性への執着が薄れたことで、逆に彼の写真家としての地金が露呈しているように思える。極端に黒(闇)を強調したプリント、断片的で不安定な画面構成などは、ほかの時代には見られないものだ。このような混乱をステップボードにして、最後の作品になった「水俣」へと踏み出していったということがよくわかった。

CCP所蔵のユージン・スミスのヴィンテージ・プリントには、まだ未知の可能性が潜んでいる。その全体像が見えてくるような、ひとまわり大きな規模の展示も考えられそうだ。

2018/01/13(土)(飯沢耕太郎)

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吉村朗遺作展 THE ROUTE 釜山・1993

会期:2018/01/12~2018/01/28

ギャラリーヨクト[東京都]

写真集『Akira Yoshimura Works──吉村朗写真集』(大隅書店、2014)の刊行を契機に、2012年に逝去した吉村朗の仕事の見直しが始まっている。そのなかで、写真展「分水嶺」(1995)以後の、韓国、中国などで撮影された、自らの家族史を、戦前・戦中の日本の侵略の歴史と重ね合わせようとした一連の写真群にあらためてスポットが当たってきた。だがそれ以前の、都市の光景にカメラを向けたカラー・スナップ作品については、その大部分が破棄されていることもあって手つかずのままだった。今回の「遺作展」に出品された36点は、アメリカの「ニュー・カラー」や牛腸茂雄の『見慣れた街の中で』(1981)に触発された初期のスナップショットと、「分水嶺」以降の作品のちょうど中間に位置するものといえる。

自室にまとまって保存されていたというやや色褪せたプリント見ると、吉村が韓国・釜山の路上を彷徨いながら、手探りで新たな方向性を見出そうともがいている様子が伝わってくる(一部中国で撮影された写真を含む)。写真の大部分は、ややローアングルのノーファインダーで撮影されており、画面が傾いているものも多い。その不安定な画像から色濃く滲み出してくるのは、違和感や不安感のようなややネガティブな感情だ。吉村はこの時点で、偶発的なスナップショットを続けていくだけでは、彼が構想しつつあったより政治性、社会性の強いテーマを定着するのは難しいと思い始めていたのではないだろうか。今後、さらに初期作品が出てくる可能性もある。『Akira Yoshimura Works』の拡大版の刊行も、そろそろ視野に入れてもいいかもしれない。

2018/01/12(金)(飯沢耕太郎)