artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

民俗写真の巨匠 芳賀日出男 伝えるべきもの、守るべきもの

会期:2018/01/04~2018/03/31

フジフイルムスクエア 写真歴史博物館[東京都]

1921年生まれの芳賀日出男は現役最長老の写真家のひとりである。ここ数年、足が弱って車椅子が必要になったが、創作意欲にまったく衰えは見られない。1950年代以来、民俗写真一筋で歩み続けてきたその芳賀の代表作が、フジフイルムスクエア 写真歴史博物館で展示された。

「祭礼」、「人生儀礼」、「稲作」の三部構成、29点の作品を見ると、芳賀の眼差しのあり方がくっきりと見えてくる。その基本となっているのは、あくまでも民俗学の資料としての写真記録に徹する姿勢で、これ見よがしの主観的な解釈や、祭礼の場を乱すような行為は注意深く遠ざけられている。その結果として、芳賀の写真には祭事や儀礼の細部が、それに参加する人々の表情や身振りも含めてきちんと写り込んでおり、資料的な価値がきわめて高い。だが、それが無味乾燥な記録であるのかといえばけっしてそうではなく、そこにはその場所に身を置いているという彼自身の感動がいきいきと脈打っており、その波動がしっかりと伝わってくる。冷静な記録者としての姿勢と、祭りそのものに没入することの歓びとが共存しているのが、芳賀の民俗写真の最大の魅力といえるだろう。

それにしても、ここに写っている祭事や儀礼は、いまやほとんど行なわれなくなっているか、形骸化してしまったのではないだろうか。日本人の暮らしが根本的に変わったといえばそれまでだが、もしかすると、どこかに別なかたちで再生している可能性もある。つまり芳賀の後継者が必要なわけで、民俗写真のジャンルにも新風を吹き込んでいく必要がありそうだ。

2018/01/09(金)(飯沢耕太郎)

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上田義彦「林檎の木」

会期:2017/12/02~2018/01/13

小山登美男ギャラリー[東京都]

上田義彦は2013年11月に写真コンペの審査のために群馬県川場村を訪れた。そのとき、たまたま車中から見た林檎の木に強く惹かれ、あらためて同じ季節に再訪して撮影したのが、今回発表された「林檎の木」のシリーズである。

上田はむろん、たわわに実る赤い林檎の生命力の充溢に魅せられてシャッターを切っているのだが、作品化する時にひとつの操作を加えている。それは、8×10インチ(約200×250ミリ)サイズの大判カメラで撮影した画像を、68×87ミリに縮小してプリントしているということだ。普通、大判カメラの画像は、逆に大きく引き伸ばして展示することが多い。大判カメラは、大伸ばしに耐える緻密な描写力を得るために使われることが多いからだ。そう考えると、上田の今回の試みはかなり大胆な実験といえる。それは結果的には成功したのではないだろうか。4分の1ほどの大きさに「縮んだ」画像は、近くに寄って眼を凝らさないとよく見えない。上田の言う「親密な距離」が確保されることで、より注意深い観察が要求され、画像のボケや色味の微妙な変化に細やかに配慮したプリントワークのプロセスもしっかりと伝わってきた。

上田は今回の作品に見られるように、自らの身体的、心理的な体験を、写真という媒体でどのように伝達するかということについて、つねに意識し、実践し続けてきた写真家である。そのやや過剰な表現意識は、ときに空転することもあるのだが、今回はテーマと手法とがとてもうまく結びついて、地に足がついた表現として開花していた。

2018/01/09(火)(飯沢耕太郎)

6人の星座 ニコンサロン50周年記念 ニコン・コレクション展

会期:2018/01/05~2018/01/23

銀座ニコンサロン[東京都]

1968年に東京・銀座に開設されたニコンサロンは、数あるメーカー系のギャラリーのなかでも強い存在感を発し続けてきた。基本的には展示専門のスペースなのだが、1976年に伊奈信男賞(その年にニコンサロンで開催された最優秀の展覧会を顕彰)が新設されたのをひとつのきっかけとして、写真収集にも力を入れるようになった。今回のニコンサロン開設50周年を記念する「6人の星座」展では、そのニコンサロンのコレクションの中から選抜して、山村雅昭、深瀬昌久、平敷兼七、鈴木清、田原桂一、山崎博の6人の作品、33点が展示された。

数はそれほど多くないが、会場は張り詰めた空気感に満たされ、それぞれの写真が発する“気”のようなものがしっかりと伝わる素晴らしい展示になった。6人の写真家たちは、一般的にいえばそれほど著名ではないし、日本の写真表現のメインストリームをというわけでもない。だが、作風はそれぞれ違うものの、自らの生と写真家としての営みを見事に合致させ、深みのある作品世界を形成してきた作家たちである。つまり、自分の視点と方法論をきちんと確立した写真家たちということで、一人ひとりの視座が互いに結びついて、ひと回り大きな「星座」として成立しているところに今回の展覧会の見所がある。「日本写真」のエッセンスというべき展示を、今年の初めに見ることができたのはとてもよかった。

ニコンサロンのコレクションを活かした展示は、ほかのかたちでも十分に考えられそうだ。沖縄に根づいて活動を続けた平敷兼七の作品など、もっと別な枠でも見てみたい。なお、本展は2月1日~2月14日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2018/01/05(金)(飯沢耕太郎)

菱田雄介『border | korea』

発行所:リブロアルテ

発行日:2017/12/13

北朝鮮の核ミサイル開発にともなう政治的な緊張の高まり、冬季オリンピック平昌大会の開催など、朝鮮半島の2つの国を巡る話題は、つねに新聞やTVのニュースを賑わせている。だが、よほど両国の国情に詳しい人でない限り、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の正確で具体的なイメージを持つのは、意外にむずかしいのではないだろうか。
菱田雄介は、その「近くて遠い」2つの国を、2009年から何度も訪れて撮影を続けた。本書『border | korea』には、そうやって撮影された両国の人々や風景の写真が100枚近く並んでいる。菱田の「戦略」はシンプルである。彼は北朝鮮と韓国で、似たようなシチェーションを選んで、同じような構図、同じような距離感でシャッターを切った。例えば、左右ページに対比的に置かれた最初の写真(表紙にも使用)は、一枚は平壌で一枚はソウルで撮影されたほぼ同年齢の少女たちのポートレートである。以下、赤ん坊、家族、学生、結婚式のカップル、警官、兵士、僧侶、赤ん坊を抱く女性などが、同じやり方で提示されている。ポートレートだけでなく、スナップ的な写真もある。金日成と金正日の大きな銅像の前の集会と光化門広場のデモ、南浦(北朝鮮)と仁川(韓国)の2つの海水浴場、板門店の国境を北朝鮮側と韓国側から写した写真などが対比されている。
読者はこれらの写真群を見て、さまざまな思いを抱くに違いない。2つの国の人々のたたずまいに共通性がある(同民族なのだから当然ではあるが)と思う人もあるだろうし、細部の微妙な差異に注目する人もいるだろう。菱田はあえて余分な先入観を与える解説をつけるのを避け、淡々と写真を提示することで、むしろ読者一人ひとりの「border」に対する意識を問い直そうとしている。『BESLAN』(新風舎、2006)、『2011』(VNC、2014)など、ドキュメンタリー写真の新たな可能性を模索してきた菱田の労作が、ようやく形になった。2017年を締めくくるいい仕事だと思う。

2017/12/25(飯沢耕太郎)

Place M 30周年記念写真展

会期:2017/12/18~2017/12/28

Place M[東京都]

1987年に瀬戸正人がPlace Mを東京・四谷にオープンしてから30年になるという。オープン当初から展示を見ているので、なんとも感慨深いものがある。Place Mのような、写真家たちがスペースを確保して展示活動を続ける自主運営ギャラリーを長く続けるのが、いかに大変なことかをよく知っているからだ。メンバーのモチベーションを維持して、クオリティの高い展示を続けていくために、特に中心的なメンバーにかかる負担はただ事ではない。その意味で、四谷から新宿への移転を経て、30年に渡って運営を担ってきた瀬戸正人に敬意を表したい。
今回は「30周年記念写真展」ということで、つねにPlace Mの顧問的な役割を果たしてきた森山大道をはじめとして、須田一政、沢渡朔、深瀬昌久、ロバート・フランク、ユージン・スミス、ジャン・ルイ・トルナート、張照堂ら、「当ギャラリーがコレクションしてきたオリジナルプリント」が展示されていた。それに加えて、浜浦しゅう、西岡広聡、小松透、佐藤充、奈良茉美など「当ギャラリーで展示した若手新人作家」の作品も並ぶ。ギャラリーを主宰する瀬戸正人の作品が数多く展示されているのはいうまでもない。
Place Mの特徴のひとつは、ギャラリーの運営だけでなく、年2回受講生を募集する写真ワークショップの「夜の写真学校」、レンタル暗室のTokyo Darkroomなどの活動なども積極的に展開していることである。写真制作を軸にした、有名無名の写真家たちの出会いの場としても機能しているわけで、それがエネルギーを枯渇させずにギャラリーが続いてきた要因ともいえる。展示にも、個々の生のリアリティに固執する彼らの志向性がよくあらわれていて見応えがあった。

2017/12/24(飯沢耕太郎)