artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

林明輝『空飛ぶ写真機』

発行所:平凡社

発行日:2015年5月12日

『水のほとり』(愛育社、2001年)、『森の瞬間』(小学館、2004年)など、クオリティの高い風景写真集を刊行してきた林明輝は、近頃何かと話題になっているドローン(マルチコプター)にカメラを搭載して、2013年から全国各地を撮影しはじめた。ヘリコプターやセスナからの航空写真では、150メートル以下の高度での撮影はできない。だが、ドローンならかなり低い高度からでも撮影可能なので、カメラアングルや構図を自由に選択できる。まさに「鳥の目線だけでなく、時には昆虫の目線で」見た眺めを定着できるということだ。撮影機材が軽量化したことも大きかった、2400万~3600万画素という高画質であるにもかかわらず、重さは1キログラム程度のミラーレス一眼レフカメラの出現で、飛行時間が数分から20分に伸びたという。
結果として、「撮り尽くされたと思われる有名な景勝地であっても、新鮮な風景」が見えてくることになった。たしかに北海道から沖縄まで、四季とりどりの風景写真をおさめた写真集のページを繰ると、地上からの眺めとしては見慣れたものであっても、上方から思いがけない角度で見下ろした風景は、浮遊感を生み出す思いがけないものになっている。ただ、今のところはまだ「有名な景勝地」のネームバリューに頼っている写真も目につく。氷の穴の中に水が落ち込む「石川県/百四丈滝」の滝壺の写真のように、無名の景観に新たなピクチャレスクを再発見していくことが、さらに求められていくのではないだろうか。
なお、写真集の刊行にあわせてソニーイメージングギャラリー銀座で同名の写真展が開催された(前期5月1日~14日、後期5月15日~28日)。同展は来年4月まで山形、横浜、大田(島根県)、広島、東川(北海道)、富山などに巡回する予定である。

2015/05/13(水)(飯沢耕太郎)

須田一政「筋膜」

会期:2015/05/01~2015/05/31

Gallery Photo/synthesis[東京都]

「筋膜」というタイトルは、東京・四谷のGallery Photo/synthesisのメンバーの後藤元洋によるもののようだ。「頭から指先まで全身を包み込んでいる膜」に託して「須田一政の内部」を見てみたいという願望を込めた企画であり、展示は「須田一政氏がその自宅と家族のみを撮った写真で構成」されていた。
たしかに並んでいるのは、カメラを構える鏡に映ったセルフポートレートをはじめとして、雑然としたモノがあふれる自宅の内部、どこか曖昧な姿で写り込んでいる奥さんや娘さんなどのスナップ写真群だ。にもかかわらず、それらに「私写真」的な閉塞感がまったく感じられず、どこか醒めた距離感を感じさせる写真が多いのが面白い。後藤が指摘するように、これらの写真群はむしろ「須田の外部、『他者』『街』の写真」とストレートに結びついているように思えた。要するに、須田にとっては「内部」も「外部」もコインの裏表であり、「内部」は素っ気なく突き放して、「外部」は逆に生々しく身体化して撮影しているのではないだろうか。両者を自在に行き来する通路が、写真にはっきりとあらわれてきているようにも思える。
展示の仕方にも工夫が凝らされていた。いつもはフレームに入れられた写真が、淡々と壁に並んでいることが多いのだが、今回は印画紙を直接ピン留めしたり、大伸ばしにしたり、額に入れたりして、むしろノイズを積極的に活かそうとしている。このところ、須田の写真家としての活動には弾みがついてきているように感じる。新作をどんどん発表してほしいものだ。

2015/05/09(土)(飯沢耕太郎)

市橋織江「WAIKIKI」

会期:2015/04/24~2015/05/16

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

地域:東京都
市橋織江の写真を見ていると、彼女が「フェイスブック世代」の写真愛好家たちにとても人気がある理由がわかるような気がする。フェイスブックやインスタグラムなどにアップされている写真の多くは、折りに触れて撮影された「気持ちのよい」スナップショットであり、市橋の写真とやや希薄な色合いや、柔らかに包み込まれるような感触が共通しているからだ。
たしかに、今回東京・広尾のEMON PHOTO GALLERYで展示された「2006年から毎年訪れるハワイで撮りためた未発表作品から選りすぐり」の27点の作品を見ても、親しみやすい、「私でも撮れそうな」写真が並んでいるように感じられるだろう。だが、見かけに騙されないようにしたい。市橋の写真の質は、実はきわめて筋肉質であり、光や大気の微妙な変化をキャッチする皮膚感覚は研ぎ澄まされている。中判カメラとネガフィルム、銀塩プリントへのこだわりは、自ら「心中したい」と語っているほどであり、スマートフォンのカメラで撮影した写真とは相当にかけ離れたものだ。その、プリントのクオリティへのこだわりは、やはりギャラリーでの展示で確認するしかない。EMON PHOTO GALLERYでの個展(今回で3回目)を定期的に開催しているのは、とてもいいことだと思う。
とはいえ、市橋の写真のあり方も、そろそろ変わってきてもいい頃ではないだろうか。スナップショット一辺倒ではなく、何かに(誰かに)視線を強く集中したシリーズも見てみたいものだ。

2015/05/09(土)(飯沢耕太郎)

石塚公昭「ピクトリアリズムII」

会期:2015/04/25~2015/05/09

Gallery and Cafe Hasu no hana[東京都]

江戸川乱歩、泉鏡花、永井荷風、谷崎潤一郎ら作家の人形を作り、彼らの小説の場面にあわせてインスタレーションして撮影する作品で知られる石塚公昭は、1990年代から古典技法のオイルプリントによる写真印画を制作しはじめた。きっかけになったのは、91年に東京都渋谷区の松濤美術館で開催された「野島康三とその周辺」展のカタログをたまたま目にして、野島の写真に衝撃を受けたためだという。オイルプリントは、画像を硬化・脱色してゼラチンのレリーフを作り、そこにインク(顔料)をブラシや筆で叩き付けるようにして塗布する技法である。大正時代の技法書をひもといて、手探りで制作しはじめたのだが、画像が何とか出てくるまでに数ヶ月を要したのだという。
今回は、江戸川乱歩、村山槐多などをテーマにした「作家シリーズ」に加えて、「ピクトリアリズムII 裸婦」シリーズが展示されていた。こちらの方が、まさに野島康三の作品世界のオマージュとしてきちんと成立しているように思える。独特の粘りつくような画像の質感に加えて、モデルの女性たちの風貌やたたずまいが、いかにも大正・昭和初期らしいのだ。1990年代と比較すると、ブラシの操作(インキング)の技術もかなり進歩し、スキャニングしたデジタルデータを印刷用フィルムに出力できるようになって、より大きな作品も制作できるようになった。
このところ、デジタル化の反動なのか、古典技法に目を向ける写真作家が増えている。だが、石塚の仕事はその中でもひと味違っているのではないだろうか。彼のイマジネーションの広がりと、それを形にしていくプロセスとが、ぴったりとはまっているように思えるからだ。このオイルプリントによる作品群も、まだこの先の展開の可能性がありそうだ。

2015/05/08(金)(飯沢耕太郎)

塩谷定好作品展

会期:2015/05/01~2015/07/31

フジフイルムスクエア写真歴史博物館[東京都]

塩谷定好(1899~1988)は鳥取県東伯郡赤碕町(現琴浦町)出身の写真家。裕福な廻船問屋の後継ぎだったが、家業を弟に譲って、写真撮影と制作に生涯を費やした。1928年創設の日本光画協会の会員として、「ベス単」カメラによるソフトフォーカス表現、印画紙を撓めて引き伸す「デフォルマシオン」などの技法を駆使して、大正・昭和初期の「芸術写真」の中心的な担い手の一人となった。同じ鳥取県境港出身の植田正治は、「塩谷さんといえば、私たちにとって、それは神様に近い存在であった」と常々語っていたという。
塩谷の作品は、一時やや忘れられた存在になっていたが、1970年代に欧米諸国で再評価の気運が高まり、国内外の美術館に収蔵されるようになった。今回の展示は、明治40年頃に建てられたという生家を改装した「塩谷定好写真記念館」に収蔵されている25点によるものであり、ほとんど公開されていない作品が多かった。これまではどちらかといえば、山陰のローカルカラーが色濃く滲み出ている、重厚な風景や人物写真が目についていたのだが、スキーのシュプールを写した「氷ノ山にて」(1938年)や「伯耆大山にて」と題された1920~30年代の山歩きの写真など、スナップショット的に切り取られた軽快な作品もかなりあることがわかった。二人の人物の脚を下から狙って撮影した「無題」(1927年)の斬新なカメラアングルには、モダニズム写真の息吹も感じられる。「日本芸術写真のパイオニア」という塩谷の位置づけも、もう一度見直していくべき時期に来ているのではないだろうか。

2015/05/02(土)(飯沢耕太郎)