artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

西村多美子「猫が...」

会期:2015/04/24~2015/05/16

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

1969年に東京写真専門学校(現東京ビジュアルアーツ)を卒業した西村多美子の雑誌デビューは『カメラ毎日』(1970年8月号)の「4 GIRL PHOTOGRAPHERS」という特集だった。渡辺眸、鹿間英子、中西喜久枝とともに、写真学校を卒業したばかりの女性写真家たちの作品が、それぞれ2~3ページずつ特集されたのだ。
たまたま家に泊まりがけで遊びにきた女友だちをスナップしたこのシリーズは、東京写真専門学校在学中の「状況劇場」の役者たちの写真とも、70年代以降に日本各地への旅を重ねて撮影された「しきしま」のシリーズとも違って、まさに偶然の産物というべきだろう。至近距離から、寝転がっているモデルの姿を撮影し続けた一連のショットには、のびやかな開放感とともに濃密なエロティシズムを感じる。『カメラ毎日』の編集部で、作品ページの構成を担当していた山岸章二に写真を見せたところ、「多美子がお行儀の悪い写真を撮ってきた。でもおもしろい」と評されたのだという。たしかに「女の部屋に飼われた猫」のようなモデルを、あくまでも「女」の目でとらえようとしていることが、その「お行儀の悪い」、ふわふわと宙を舞うようなカメラワークからしっかりと伝わってくる。
今回展示された18点は、しまい込んでいて、たまたま見つけ出したネガから再プリントしたのだという。西村自身は、このような仕事をさらに展開していくことはなかったのだが、四半世紀後の90年代半ばに登場してきた女性写真家たちの、「女」の視点を強力に打ち出した写真の先駆けとなる作品といえそうだ。展示を見て、2つの世代のつながりと断絶を、もう一度考え直したいと思った。なお、展覧会にあわせて、ZEN FOTO GALLERYから同名の写真集が刊行されている。

2015/05/01(金)(飯沢耕太郎)

山崎弘義「DIARY 母と庭の肖像」

会期:2015/04/28~2015/05/04

新宿ニコンサロン[東京都]

大隅書店から刊行された同名の写真集に目を通していて、山崎弘義の「DIARY 母と庭の肖像」については、ある程度理解しているように思っていた。だが、作品27点(うち5点は大伸ばし)による新宿ニコンサロンでの展示を見て、違う景色が見えてきたように感じた。
一つは、認知症の母親のポートレイトとカップリングされた庭の片隅を撮影した写真についてである。どうしても、母親の方に目が行きがちなのだが、「日記」として同じ日に撮影された「庭の肖像」の方もなかなか味わい深い写真群であることが見えてきた。母親の顔つきや身体の変化と呼応するように、庭もまた姿を変えていく。秋から冬へ、そして春が巡ってくるとともに、植物たちも枯れてはまた芽吹く。よく見ると、草木の生え方も、前の年とはかなり様相が変わっていることに気がつく。つまり、自然という「もう一つの時計」がこの作品には組み込まれているわけで、そのことが重要な意味を持っていることがよくわかった。
もう一つは、写真に付されたキャプションが、作品全体に柔らかなふくらみを与えているということだ。むろん介護の過程の描写は、切実に身につまされるものが多いのだが、そこにほんのりとしたユーモアを感じることがある。「(母親が)盛んに服を脱ごうとする。脱ぐ...。私「やめろ」。脱ぐ...。私「やめろ」。脱ぐ...。私「やめろ」」(2002年2月27日)という件を読んで、思わず笑いがこみ上げてきた。言葉と写真との呼吸が、絶妙としかいいようがない。
写真集が刊行され、写真展が開催されて、このシリーズも一区切りという所だろう。それでもこれで終わりというのではなく、また別の形で続いていきそうな気がしてきた。写真の大きさ、出品(掲載)点数なども、まだ確定する必要はないと思うし、その後に撮影された写真とのコラボレーションも充分に考えられそうだ。むろん「DIARY──母と庭の肖像──」以後の新作にも期待したいが、山崎にとって、このシリーズは今後の写真家としての活動の基点になっていくのではないだろうか。

2015/04/30(木)(飯沢耕太郎)

山本昌男『小さきもの、沈黙の中で』

発行所:青幻舎

発行日:2014年12月10日

やや前に刊行された作品集だが、山本昌男の新作を取り上げておきたい。山本はどちらかといえば、日本より欧米諸国で評価の高い写真家で、小さいプリントを、「間」を意識しながら、撒き散らすように貼り付けていくインスタレーションで知られている。だが、日本では展覧会を見る機会はあまりなく、アメリカのNazraeli Pressなどから刊行されている写真集も、少部数であるだけでなく絶版になっているものが多い。その意味で、今回青幻舎から代表作をおさめた作品集が刊行されたのは、とてもよかったと思う。
「混沌」、「静謐な気」、「逍遥」、「構築された光」、「超空間時間」、「浄」の6部で構成された作品の並びは、とても注意深く考えられており、ほぼ実物大の写真のレイアウトの仕方に、独特のリズム感がある。山本が書いた序文にあたる文章に、彼の制作の姿勢がよくあらわれているので、引用しておくことにしよう。
「見過ごされそうな小さな物や些細な出来事を発見した喜び、ボタンのかけ違いのような感覚、思わず入り込んでしまった霞の中で立ち位置を失った瞬間などに強く興味を引かれ、こだわってきたことではないかと思っています。[中略]私の作品から、有るのか無いのか分からないくらいの微かな電磁波のようなものが発せられて、弱いけれど弱いからこそ強いメッセージとなり、皆様に届くように願っています。」
こんな写真家がいるということを、ぜひ知ってほしいと思う。

2015/04/27(月)(飯沢耕太郎)

日比遊一「地の塩」

会期:2015/04/18~2015/05/23

東京画廊+BTAP[東京都]

日比遊一は1964年、名古屋市出身、ニューヨークで俳優、映画作家として活動している。1990年代以降、独学で写真の撮影・プリントの技術を身につけ、写真家としても『imprint/ 心の指紋』(Nazraeli Press,2005)をはじめ、多くの写真集を刊行し、アメリカやヨーロッパ各地で個展を開催してきた。これほど力のある写真家が、日本ではほとんど知られていなかったのが不思議だが、今回の「地の塩」展が日本での初個展になる。
このシリーズは、1992年に日本に一時帰国した時に、奄美大島で撮影されたもので、日比にとっては最も初期の作品の一つである。にもかかわらず、その後の彼の写真に共通する、被写体に対するヴィヴィッドな身体的な反応が、既にくっきりとあらわれていることが興味深かった。画面は大きく傾いているものが多く、時には被写体の一部がほとんど真っ黒に潰れるほど焼き込まれている。その過剰ともいえるような画像の振幅の大きさは、やはり日比が俳優としての訓練を積んできたからではないだろうか。それぞれの場面に潜んでいる物語を、演劇的な想像力を駆使してつかみ取ろうとする身振りが、彼の写真ではいつでも強調されているように感じるのだ。
もう一つ、今回の展示で面白かったのは、モデルとなってくれた奄美大島の女性に宛てた毛筆書きの手紙(かなり大きな)が、写真とともに展示してあったことだ、日比は写真だけでなく、書も独学で習得し、やはり身体性を強く感じさせる独特の書体の字を書く。以前から、日本人の写真家の視覚的体験における、書(カリグラフィ)の重要性に着目していたのだが、彼の作品はそのいいサンプルであるように思える。書が写真のように、写真が書のように見えてくるのだ。

2015/04/25(土)(飯沢耕太郎)

第8回 ゼラチンシルバーセッション

会期:2015/04/25~2015/05/09

アクシスギャラリー[東京都]

2006年に広川泰士、藤井保、平間至、瀧本幹也の4人の写真家が、それぞれのネガを交換してプリントするというコンセプトで開始したのが、「ゼラチンシルバープリント」展。デジタル化の進行によって、フィルムと印画紙を使用する銀塩写真のあり方を問い直さざるを得なくなったのがちょうどその頃であり、以後毎年コンセプトを少しずつ変えながら、「ゼラチンシルバープリント」へのこだわりを表明し続けてきた。正直、ややマンネリになっているのではないかと感じる年もあったのだが、今回は二人の写真家が共通のテーマで競作するというアイディアを打ち出し、新たな可能性を感じさせる展示になっていたと思う。
出品者は石塚元太良×水越武、市橋織江×瀧本幹也、井津由美子×辻沙織、薄井一議×勝倉峻太、ブルース・オズボーン×蓮井幹生、小林紀晴×村越としや、小林伸一郎×中道淳、嶋田篤人×三好耕三、鋤田正義×宮原夢画、瀬尾浩司×泊昭雄、百々新×広川智基、百々俊二×広川泰士、中野正貴×本城直季、中藤毅彦×ハービー・山口、西野壮平×若木信吾、平間至×森本美絵、藤井保×渡邊博史の34名(17組)。ジャンルはかなり多様だが、力のある写真家たちが多く、ありそうであまりない取り合わせのセッションを楽しむことができた。この試みは、出品者を固定せずにしばらく続けていくと、さらに豊かな成果が期待できそうだ。
今回は「特別ゲスト展示」として、モノクロームの端正な風景写真で知られるマイケル・ケンナの作品も出品され、一般参加の「GSS Photo Award」の公開審査(4月29日)も開催されるなど、「ゼラチンシルバープリント」の魅力を、さまざまな形で伝えようとする参加者たちの強い意欲が伝わってきた。むろん、デジタル化の波を押しとどめることは不可能だろうが、出品者たちが異口同音に語っていたように、「選択肢の一つ」としての銀塩写真は、フィルムや印画紙の物理的な供給を含めて、なんとかキープしていってほしいものだ。

2015/04/24(金)(飯沢耕太郎)