artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

池本喜巳「近世店屋考」

会期:2015/05/20~2015/06/02

銀座ニコンサロン[東京都]

「見ること。観察すること。考えること」というのは、「20世紀の人間たち」で知られるドイツの写真家、アウグスト・ザンダーの写真家としてのモットーだが、池本喜巳の「近世店屋考」の展示を見ながら、この言葉を思い出した。優れた写真には、単純に被写体が写り込んでいるだけでなく、撮影者や観客の思考や認識をより深めていく萌芽が含まれているのではないかと思う。池本が1983年から続けている「個人商店」の店内の様子を克明に写しとっていくこのシリーズにも、時代や社会状況に押し流されながらも抗っていく人間の生の営みについて「考え」させる力がたしかに備わっている。
このシリーズは東京・虎ノ門のポラロイドギャラリーで「近世店屋考 1985~1986」と題して最初に展示され、2006年には同名の写真集(発行・合同印刷株式会社)として刊行された。だが、その後も8×10判、4×5判、デジタルカメラと機材を変えながら粘り強く撮影が続けられ、文字通り池本のライフワークになりつつある。今回の展示では、1983年撮影の「桑田洋品店」(鳥取県鳥取市)から2015年撮影の「橘泉堂山口卯兵衛薬局」(島根県松江市)まで41点の作品が並んでいた。使い込まれた店内のモノや道具の質感の描写も魅力的だが、一癖も二癖もありそうな店主たちのたたずまいには、次第に消えていこうとしているある種の人間像がくっきりとあらわれている。自分の仕事に誇りを抱き、あくまでも自分の好みを貫いて身の回りの時空間を組織していこうとした「20世紀の人間たち」の最後の輝きが、これらの写真には写り込んでいるのではないだろうか。
池本は1944年に鳥取市に生まれ、1970年代には植田正治の助手をつとめたこともあった。「近世店屋考」というタイトルは植田の示唆によるものだという。作風はかなり違うが、植田正治もまた山陰の地にあって、写真について「考え」続けた写真家だった。

2015/05/24(日)(飯沢耕太郎)

菱沼勇夫「LET ME OUT」

会期:2015/05/20~2015/05/30

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

2015年3月から4月にかけて、TOTEMPOLE PHOTO GALLERYで「彼者誰」、「Kage」の連続展を開催したばかりの菱沼勇夫が、今度はZEN FOTO GALLERYで「LET ME OUT」展を開催した。こちらは2010~13年に撮影・制作された6×6判、カラーのシリーズで、今回はその中から16点をセレクトして展示している。
セルフポートレート及び身近な人物たちと思われるポートレート(ヌードが多い)が中心だが、そこに奇妙なオブジェの写真が混在している。バナナと土器と包丁の組み合わせ、狼、アヒル、鴉などの剥製、吊り下げられた馬の首(本物だそうだ)、赤い布に梱包されたマネキン人形などだ。それらの写真が、互いに衝突し合って不協和音を生み出すことで、シリーズ全体に不穏な空気感が漂っている。実家の福島県郡山近辺で撮影された写真が多いようだが、東北地方の冷え冷えとした風土が、作品の背景としてうまく効いていると思う。
とはいえ、まだ彼が何を求め、どんな方向に作品全体を進めようとしているのか、やや断片的過ぎてうまく見えてこないのも確かだ。仮面のようなものを身につけている写真も多いのだが、その意味づけもまだ曖昧な気がする。撮り進めていく中で、衝動や思いつきだけに頼るのではなく、もっと論理的な構築力を発揮できるようになるといいと思う。いいシリーズに成長していく可能性を充分に感じるだけに、あとひと頑張りを期待したい。なお、展覧会にあわせて、ZEN FOTO GALLERYから同名の写真集が刊行されている。

2015/05/20(水)(飯沢耕太郎)

奈良原一高「Japanesque 禅」

会期:2015/05/11~2015/07/04

フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]

奈良原一高の「JAPANESQUE(ジャパネスク)」は、彼の作品の中でもやや特異なシリーズといえるだろう。1966年に『カメラ毎日』に連載され、1970年に田中一光のデザインによる同名の写真集(毎日新聞社刊)にまとめられたこのシリーズは、「富士」「刀」「能」「禅」「色」「角力」「連」「封」の8章によって構成されていた。日本の伝統文化が被写体であることは、章のタイトルを見ればすぐわかる。だが、単純な「日本回帰」の産物というわけではない。奈良原はこの作品を発表する前の1962~65年に、パリを中心にヨーロッパに滞在していた。つまり「JAPANESQUE 」は、堅固に打ち固められた石造りの建物に代表されるヨーロッパの文化・風土にどっぷりと浸かって帰ってきた彼が、そのフィルターを通して再構築しようとした「日本」イメージの集積だったのだ。写真集『JAPANESQUE』所載のエッセイ「近くて遥かな国への旅」では「ヨーロッパを訪れて、僕ははじめて日本という国に出会ったのである」と書いている。
それは、今回フォト・ギャラリー・インターナショナルで展示された、「JAPANESQUE 」の中でも最も印象的な章の一つである「禅」の写真群(22点)を見てもよくわかる。曹洞宗の大本山である鶴見・総持寺での厳しい修行の様子を捉えた本作でも、ドキュメンタリー的な描写のあり方は、ハイコントラスト画像、超広角レンズ、ソラリゼーション、長時間露光などの特殊技法によっていったん解体され、むしろ無国籍的といえるような時空において、幻影とも現実ともつかない「JAPAN」としてふたたび組み上げられているように見える。文字通り、日本の伝統文化の批評的な再解釈であり、このような仕事は、奈良原以前にも以後にもほとんどおこなわれてこなかったのではないだろうか
「JAPANESQUE 」の視点は、いま見ても決して古びてはいない。それどころか、よりグローバルな無国籍化が進行した現在の社会・文化の状況を踏まえた新たな「JAPANESQUE」も、充分に可能なのではないかと思える。

2015/05/20(水)(飯沢耕太郎)

磯部昭子「DINNER」

会期:2015/05/09~2015/06/07

G/P gallery[東京都]

磯部昭子は1977年生まれ。2001年に武蔵野美術大学映像学科卒業後、フリーランスとして主にファッション、広告のジャンルで活動している。今回のG/P galleryでの個展は、2012年の「u r so beautiful」(ガーディアン・ガーデン)以来2回目ということになる。
今回の展示は、カラフルでポップなテイストが強調され、視覚的なエンターテインメントとして充分に楽しめるものになっている。大小の作品18点をちりばめるインスタレーションも、うまくはまっていた。前回の個展では、スナップショット的な要素が大きかったのだが、今回は広告写真家の主戦場であるスタジオワークが中心となっているので、のびのびと力を発揮しているように見える。身体とオブジェとのトリッキーな組み合わせが彼女の持ち味なのだが、それを、楽しみつつ模索している様子が伝わってきた。
ただ、この種のファッショナブルな身体イメージの展開は、それこそ1920~30年代のマン・レイやアーウィン・ブルーメンフェルドの時代から積み上げられてきているものであり、このままだとそこに口当たりよくおさまってしまいそうな気もする。身体の壊し方、ずらし方に、ある種の節度を感じるのがもどかしい。ヴァリエーションを増やすのではなく、何か特定のモードに、もっと強烈にこだわっていくのもひとつのやり方だろう。うまく伸ばしていけば、もう一皮むける才能の持ち主なのではないかと思う。

2015/05/15(金)(飯沢耕太郎)

岡上淑子『はるかな旅』作品集出版記念展

会期:2015/04/25~2015/06/14

LIBRAIRIE6[東京都]

1953年に瀧口修造の推薦で、タケミヤ画廊で個展を開催してデビューし、57年の結婚を期に活動を停止するまで、まさに彗星のようにアート界を駆け抜けた岡上淑子のフォト・コラージュ作品に対する評価は、このところ再び高まりつつあるようだ。今回、河出書房新社から刊行された、決定版と行ってよい作品集『はるかな旅』には、自選作品77点の他に、全作品のリストがおさめられている。
その作品集の出版にあわせて、東京・恵比寿のLIBRAIRIE6では、オリジナル作品9点、2014年制作のシルクスクリーンによる複製9点による展覧会が実現した。あらためて岡上の作品を見ると、彼女の仕事が「シュルレアリスムの作家」というこれまでの評価から、ややはみ出したものだったのではないかと思えてくる。たしかに、技法的にはマックス・エルンストらのフォト・コラージュの系譜に位置づけられるのは間違いないが、『ヴォーグ』や『ハーパーズ・バザー』誌のファッションページから、写真を鋏で切り取っては糊で貼り付けていく手つきは、アーティストのそれというよりは少女の着せ替え人形遊びを思わせるのだ。フロイトの精神分析理論の翳りなどかけらもない、あっけらかんとしたイノセントな明るさが、彼女の作品にはいつも漂っている。
今回の展示で注目されるのは、唯一フォト・コラージュではなく多重露光の技法で制作された「女」(1955年)である。彼女自身、この時期に新たな展開をめざしていたように見えるのだが、残念なことにその作業は中断してしまった。名古屋のシュルレアリスト、山本悍右などの仕事にも通じるこの時期の作品についても、きちんと見直していくべき時期に来ているのではないだろうか。

2015/05/15(金)(飯沢耕太郎)