artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
荒木経惟写真展「男─アラーキーの裸の顔男─」
会期:2015/04/24~2015/05/06
表参道ヒルズ スペース オー[東京都]
月刊誌『ダ・ヴィンチ』の巻頭を飾る「アラーキーの裸の顔」の連載が200回を超え、それを記念して展覧会が開催された。1997年2月25日撮影の「ビートたけし」から2014年12月19日撮影の「北野武」まで、17年間、210人の「裸の顔」が並ぶと、圧巻としかいいようがない。連載開始から16年以上が過ぎ、750人以上を撮影したという『週刊大衆』掲載の「人妻エロス」のシリーズもそうなのだが、荒木の仕事の中に、文字通り「ライフワーク」といえそうな厚みを持つものが増えてきている。
荒木はいうまでもなく、森羅万象を相手にして撮り続けてきた写真家だが、「男」を被写体とする時には、普段とはやや違ったエネルギーの出し方をしているように感じる。いつものサービス精神は影を潜め、ひたすら「裸の顔」に向き合うことに全精力を傾けているのだ。結果として、このシリーズは尋常ではないテンションの高さを感じさせるものになった。それをより強く引き出す役目を果たしているのが、モノクロームの銀塩バライタ紙によるプリントだろう(プリント制作は写真弘社)。今回は、雑誌の入稿原稿を、そのままフレームに入れずに展示することで、荒木の撮影の場面に直接立ち会っているような臨場感を感じることができた。モデルの中には「五代目中村勘九郎」「忌野清志郎」「大野一雄」「久世光彦」のように、既に鬼籍に入った人も含まれている。荒木がまさに彼らの生と死を丸ごと写真におさめようともがいていることがよく伝わってきた。
このシリーズ、いつまで続くのかはわからないが、オープニングに登場した荒木の元気さを見ると、まだしばらくは「裸の顔」を直に目にする愉しみを味わうことができそうだ。
2015/04/23(木)(飯沢耕太郎)
尾仲浩二「海町」
会期:2015/04/17~2015/05/30
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
「海町」は尾仲浩二が1990年代に八戸、宮古、釜石、陸前高田、気仙沼、石巻、塩竈、小名浜など、東北地方の太平洋岸を旅して撮影した写真をまとめたシリーズ。既に2011年にSUPER LABOから写真集として刊行されているが、あらためてプリントの形で展示された35点を見て、思いを新たにした。尾仲にとっても、重要なシリーズとして位置づけられていくのではないだろうか。
写真が撮影された1991~97年頃は、尾仲が最初の写真集『背高あわだち草』(蒼穹舎、1991年)と二番目の写真集『遠い町・DISTANCE』(mole、1996年)を刊行し、自分の写真撮影のスタイルを確立しようともがいていた時期だ。日本各地に旅を続け、目についた被写体にカメラを向け、シャッターを切っては次の場所に向かう。そんな「旅と移動の日々」の中から、一見さりげなく、穏やかに見えて、記憶に食い入るような強い喚起力を備えたスナップショットが生み出されていくことになる。この「海町」を見ても、写真に写っている街並にまつわりつく湿度や空気感が、皮膚にじわじわと浸透してくるように感じられた。
だが、このシリーズを見ていてどうしても強く意識してしまうのは、ここに写されている港町の景色が、今はほとんど失われてしまっているということだ。いうまでもなく、東日本大震災後の大津波によって、これらの街々は大きな被害を受けた。灯りがついたばかりの黄昏時の「呑ん兵衛横町」も、古い写真館も、「まや食堂」も、「スナックロマン」も、「大衆食堂ラッキーパーラー」も、おそらくもう残っていないだろう。それが尾仲の写真の中にそのままの姿で息づいていることに、あらためて大きな衝撃を受けた。「それはもう僕だけの旅の思い出だけではなくなっていることに気づいたのです」と、尾仲は写真展に寄せたテキストに記しているが、その感慨は彼だけではなく、写真を見るわれわれ一人ひとりが共有できるものになりつつあるように思える。
2015/04/22(水)(飯沢耕太郎)
福岡陽子「本と物語、または時間の肖像」
会期:2015/04/20~2015/04/25
森岡書店[東京都]
本には、それ自体に写真の被写体としての独特の魅力があると思う。特に長い年月を経て現在まで残っている古書は、まさに「時間の肖像」とでもいえるような存在感を発しており、そこからさまざまな物語を引き出せそうな気がしてくる。福岡陽子は、ここ10年ほど古書店で洋書を扱う仕事をしており、次第にそれらを写真に撮ってみたいと思うようになった。2010年頃から17世紀~19世紀に出版された書籍を撮影しはじめる。その中から選んで、壁に10点、机の上に4点、ケースの中に1点展示したのが今回の個展である。
福岡のアプローチは、奇を衒ったものではなく、まず本をしっかりと観察し、細部に眼を凝らしつつ、その一部をクローズアップして提示している。そのことによって、革の表紙のほつれ、経年変化によって黄ばんだ紙、かすれた文字などが、あたかも生きもののような生々しさをともなって立ち上がってくる。それはまさに、本を「肖像」として撮影するという試みなのだが、そのプロセスが無理なく、自然体でおこなわれているように感じられるのは、彼女が長年古書を扱ってきたためだろう。いわば、それぞれの本を最も魅力的に見せる勘所のようなものを、正確に把握していることが伝わってきた。
会場構成で気になったのは、展示作品の上方の壁に、切り離された洋書のページが「鳥の群れ」のように貼り付けてあったことだ。アイディアは悪くないが、インスタレーションとしての精度を欠いているので、やや取ってつけたように見えてしまう。それと、そろそろ撮り方がパターン化しはじめているように思える。本というテーマには、まだまだ可能性があると思うので、違う方向からのアプローチも試みてほしい。
2015/04/21(火)(飯沢耕太郎)
莫毅「80年代 PART1 「風景」、「父親」」
会期:2015/04/07~2015/04/22
ZEN FOTO GALLERY[東京都]
1958年チベット生まれの莫毅(モイ)は、他に類を見ない独特の作風を育て上げてきた。まったくの独学で写真を始め、お仕着せの報道写真か、伝統的なテーマを繰り返すだけのサロン写真しかなかった中国の写真界で、文字通り体を張って意欲的な実験作を発表し続けてきたのだ。ZEN FOTO GALLERYでは、2回に分けて彼の作家活動の原点というべき1980年代の作品を取り上げる。今回のPART1では、1982~87年に撮影された「風景」、「父親」の2シリーズから、23点が展示されていた。
この時期、中国の社会は閉塞状況にあり、人々のフラストレーションは爆発寸前にまで高まっていた。チベットから大都市、天津に出てきた莫毅もむろんその一人で、鬱積した怒りの感情を抱いて、望遠レンズで街を舐め尽くすように撮影していったのが「風景」のシリーズである。そのタイトルには当時人気があった「田園風景」の写真に対する皮肉が込められているという。莫毅のような当時の若者たちにとっての父の世代の人物にカメラを向けたのが「父親」のシリーズで、彼らの虚飾や歪みを、冷静に距離をとって暴きだしている。思い出したのは、東松照明が1950~60年代初頭に撮影した「日本人」シリーズで、「地方政治家」(1957年)や「課長さん」(1958年)のアイロニカルな視点は、莫毅と共通しているのではないだろうか。
なお2016年1月開催予定のPART2では、莫毅の1987年以降の代表作が展示される予定である。1989年の天安門事件を挟んで、彼はより実験的でコンセプチュアルな作品を発表していくようになる。以前も本欄で書いたことがあるが、もうそろそろどこかで、このユニークな写真家の全体像を見ることができるような、大規模な展示を実現してほしいものだ。
2015/04/16(木)(飯沢耕太郎)
菱沼勇夫「彼者誰」/「Kage」
会期:2015/03/31~2015/05/03
菱沼勇夫は1984年、福島県生まれ。2004年に東京ビジュアルアーツ卒業後、11年からTOTEM POLE GALLERYのメンバーとして活動している。
若い写真家が急に力をつけてくる時期があるが、いま菱沼にそれが来ているのかもしれない。今回の連続展を見てそう思った。「彼者誰」は、35ミリ判のカメラで撮影された、どちらかといえば「私写真」的な色合いの強い作品である。被写体を見つめていく視点に安定感があり、その場の光や空気感を的確に判断して端正な画面におさめていく。一見バラバラな作品をつないでいくキー・イメージが、もう少しくっきりと浮かび上がってくるといいと思った。
注目すべきなのは、もう一つのシリーズの「Kage」の方で、こちらは6×6判で撮影されたイメージが並ぶ。ヌード、仮面をつけたセルフポートレート、窓ガラスの割れ目、炎、馬の背中のクローズアップなど、「彼者誰」よりも象徴性が強まってきているようだ。それらもバラバラに引き裂かれてはいるが、自分自身の記憶や感情のほの暗い深みに降りていこうという意欲をより強く感じる。ただこのままだと、作者も観客もどこに連れて行かれるかわからない宙づりの状態で取り残されてしまいそうだ。そろそろ作品全体の構想をしっかりと思い描きつつ、個々の被写体をつかまえていくアンテナをさらに研ぎ澄ませていくべきだろう。
この連続展に続いて、5月20日~30日にはZEN FOTO GALLERYで、旧作の「LET ME OUT」の展示がある(同名の写真集も刊行)。12月には再びTOTEM POLE PHOTO GALLERYでの展覧会も予定しているという。溜めていたものを一挙に吐き出し、次のステップに踏み出していってほしい。
「彼者誰」2015年3月31日~4月12日
「Kage」4月14日~5月3日
2015/04/16(木)(飯沢耕太郎)