artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

村越としや「火の粉は風に舞い上がる」

会期:2014/09/20~2014/11/03

武蔵野市立吉祥寺美術館[東京都]

僕以外にも何人かの論者が指摘していることだが、村越としやの写真は「3.11」以後に明らかに変わった。むろん、彼が故郷の福島県を撮り続けているのは周知の事実なので、写真を見る時に震災と原発の影を重ね合わせないわけにはいかないということは大きい。だが、それ以上に被写体となる風景に対峙する彼の姿勢に、大きな変化があったのではないだろうか。写真の骨格が太く、強靭になり、画面全体に緊張感がみなぎるようになった。繊細だが、どこかひ弱な印象もあった以前の写真と比較すると、その堂々たるたたずまいには、見る者に威儀を正させるような力が備わってきているように思う。今回の展示は、村越にとっては最初の美術館での個展で、それだけ力の入り方が違ったのではないだろうか。大小の写真をちりばめつつ、奥へ奥へと視線を誘っていく会場のインスタレーションもよく工夫されていた。
疑問に思ったのは、同時に刊行された同名の写真集(リブロアルテとSpooky CoCoon factoryの共同出版)におさめられている「人」のイメージを、展示ではなぜ全部抜いてしまったのかということだ。これまで「風景」の写真家として村越が取り組んできたのは、自らの「心象風景」と、眼前の、どちらかといえば即物的な日常的な眺めとをすりあわせつつ、モノクロームの写真に置き換えていく営みであり、それはほぼ達成できたのではないかと思う。その調和を壊しかねない「人」の姿を取り入れていくことは、たしかに冒険ではあるが、新たな方向性を指し示してくれるものとなるはずだった。もし会場構成上の理由で「人」の写真を抜いたのだとしたら、やや残念ではある。風景における人為的要素を抽出していくことが、彼の大きなテーマになっていく予感があるからだ。

2014/09/25(木)(飯沢耕太郎)

野口里佳「父のアルバム/不思議な力」

会期:2014/09/19~2014/11/05

916[東京都]

オリンパス・ペンは1960~70年代に一世を風靡したカメラである。何といっても、通常の35ミリフィルムの半分のサイズ、72枚を連続的に撮影できるという利点があり、家庭スナップにぴったりだったので多くのアマチュア写真家に愛用された。もう一つの特徴は、普通にカメラを構えて撮影すると縦位置に写るということで、そのため「狙って撮る」ポートレートに向いていることだ。周りが写り込んでしまう横位置のフレーミングにはない、被写体とストレートに向き合っている感覚を定着できるのだ。
今回、野口里佳は、2013年に亡くなった父がオリンパス・ペンで撮影していたネガから写真を選び出し、自分でプリントして展示した。いうまでもなく、父が見ていたものを追体験することが目的なのだが、単純にそれだけではなく、写真自体のクオリティの高さに驚き、プリントしたいと強く思ったのではないだろうか。写っているのは、野口の母、野口本人と弟と妹、父が育てていたバラなどであり、撮り方も穏やかなスナップで、取り立てて「作品」にしようと気張っているわけでもない。にもかかわらず、そこに写っている光景には、時代の空気感が色濃く漂っており、的確な光の捉え方とフレーミングは、写真家としての力量の高さとしかいいようがない。その才能が娘に受け継がれたことは間違いなさそうだ。
なお、同時に展示されていた「不思議な力」のシリーズも、同じオリンパス・ペンで撮影され、インクジェット・プリントに大きく引き伸ばされている。野口が、父の撮影した家庭アルバムに触発されつつ、それを自分の問題として咀嚼して、光、影、氷結、磁力など日常にあふれ出てくる「目には見えない不思議な力」の正体をさぐり当てようとしていることがよくわかる。二つのシリーズの組み合わせに無理がなく、だが同時にそれぞれの方向に大きく伸び広がっていて、心地よい視覚的な体験を与えてくれる、とてもいい展覧会だった。

2014/09/24(水)(飯沢耕太郎)

角田奈々「苦いマンゴー~ベトナムの風に吹かれて~」

会期:2014/09/01~2014/09/21

photographers' gallery[東京都]

角田奈々は2010年頃からベトナム各地を旅して写真を撮影しはじめた。その中で、ポートレートの撮影の仕方に一つのスタイルを作り上げていった。被写体を画面のちょうど真ん中に置き、周囲の環境との関係に細やかに気配りしつつシャッターを切る。選ばれている人物は老若男女さまざまであり、部屋の中もあれば、野外の場合もある。被写体との距離感も微妙に違っていて、全身像も、クローズアップに近い写真もある。なぜ彼らが真ん中にいるのか、その理由ははっきりとはわからないが、そこに彼女の確かな意志が働いていることは間違いないだろう。まっすぐに、正面からベトナムの人たちと向き合いたいという強い気持ちが、支えになっているのではないかとも想像できる。
角田は九州産業大学写真学科の出身で、2006年から福岡のAsian Photographers Gallery(APG)のメンバーとして活動した。ギャラリーは2011年に閉廊になるが、彼女はアジア各国に向けて開かれたギャラリーの活動を、「個人的に」引き継ごうと考えている。ベトナムで撮影を続けているのもその一環だし、今回の展示にあわせて「APG通信」というポストカードサイズの定期刊行物も発行しはじめた。写真の裏面に、ベトナムでのさまざまな出会いについて書かれた短いエッセイが掲載されている。その実感がこもった文章がなかなかいい。今回の展示は、24枚の写真が壁から手前に張り出した台に並べられていて(他に大きく伸ばしたプリントが壁に1枚)、テキストは一切ない。今後は、もう少し、言葉と写真の融合の形も模索していっていいのではないだろうか。

2014/09/21(日)(飯沢耕太郎)

写真新世紀2014 東京展

会期:2014/08/30~2014/09/21

東京都写真美術館B1F展示室[東京都]

最終日にようやく間に合って、「写真新世紀2014」の展示を見ることができた。審査員をしていた2010年頃までは、むろん愛着のあるイベントだったのだが、このところどことなく疎遠になった気分でいた。一つには、強い関わりを持つ必要がなくなったということなのだが、出品作品そのものに”熱”を感じなくなったということもある。1990年代前半の、「写真新世紀」がスタートしたばかりの頃と比べれば、たしかに平均的な作品のレベルは上がってきている。だが、全体的に見て、驚きと衝撃をもたらすようなワクワク感が欠如しているように思えるのだ。
今回の優秀賞受賞者は草野庸子(佐内正史選)、須藤絢乃(椹木野衣選)、南亜沙美(大森克己選)、森本洋輔(HIROMIX選)、山崎雄策(清水穣選)の5人。そのうち須藤絢乃の「幻影-Gespenster-」が9月12日の公開審査会でグランプリに選出された。その結果に文句を付けるわけではないが、あまりにも順当過ぎる気がしないわけではない。というのは、須藤はもう既に個展の開催や写真集の刊行などを通じて、写真家として高い評価を受けているからだ。「幻影-Gespenster-」の写真集には僕自身もエッセイを寄せており、失踪した少女に成り代わるというセルフポートレートのコンセプトも、作品化のプロセスも、きわめて高度なレベルに達している。はっきりいって、他の出品者からは頭一つ抜けた存在であり、受賞は当然というべきだろう。だが、もともと「写真新世紀」の存在意義は、写真の表現者の未知の可能性を発掘する所にあったはずで、既にエスタブリッシュされている作家を追認することではないはずだ。
ちょうど同じ日に東京・神宮前で開催されていた「THE TOKYO ART BOOK FAIR」(京都造形芸術大学・東北芸術工科大学外苑キャンパス 9月19日~21日)に足を運んだのだが、その玉石混淆のカオス的な状況と、「写真新世紀」のスタート当時がどうしても重なって見えてしまった。訳の分からないエネルギーの渦に巻き込まれていくような、めくるめく体験は、いまの「写真新世紀」には望むべくもないように思える。もうそろそろ、幕を下ろす時期が来ているのではないだろうか。

2014/09/21(日)(飯沢耕太郎)

島尾伸三「Lesions/ じくじく」

会期:2014/09/16~2014/09/27

The White[東京都]

島尾伸三の展覧会を見るのはかなりひさしぶりだ。ここ数年,以前の精力的な出版、展示活動のペースがやや鈍っているように感じていたのだが、今回の東京・神保町のギャラリー、The Whiteでの個展を見て、いかにも彼らしい独特の肌触りを備えた写真の世界が健在なのを確認することができた。
今回の出品作は、2007年から雑誌『野性時代』に、武田花と交互に隔月で連載していたシリーズを中心に選ばれている。タイトルの「じくじく」というのは、武田の「うじうじ」というタイトルに「対抗して」つけたものだという。「どうしてなのか、いつだって気分が高揚しないまま旅行を終えてしまいます。夕焼けさえ地獄の炎に見えるのです」という展覧会に寄せたコメントを読んでも、眼前の光景の片隅へ片隅へと視線を誘う、ひねりを効かせたカメラワークからも、島尾がたしかに瘡蓋から膿が「じくじく」と滲み出てくるような日常性に、徹底してこだわりつつシャッターを切っていることがよくわかる。だがそれらの写真を見続けていると、その自虐的な視線が何かを突き抜けて、軽やかな涅槃のような領域に達しつつあるのではないかとも思えてくる。島尾の写真は、自分で思っているほどネガティブなものではなく、見る者に奇妙な安らぎを与えてくれるのではないだろうか。今回は旅の写真が多いので余計そう感じるのかもしれないが、ある被写体から次の被写体へと、自然体ですっと眼が動いていく感触が、とても心地よく伝わってきた。
残念ながら展示には間に合わなかったのだが、12月頃に同名の「カラー240ページ」の写真集が刊行される予定だという。出来栄えが楽しみだ。

2014/09/17(水)(飯沢耕太郎)