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建築に関するレビュー/プレビュー

富岡の隈研吾建築

[群馬県]

TNAが設計した《上州富岡駅》(2014)で待ち合わせをして、群馬県の建築コンペの仕かけ人として知られる新井久敏氏の案内により、手塚建築研究所の《商工会議所》(2018)、HAGI STUDIOの《富岡まちやど 蔟屋 MABUSHI-YA》、そして隈研吾による建築などをまわった。富岡は駅舎が完成した直後に訪れて以来だったが、いつの間にか、さまざまなタイプの隈作品が増えていたことに驚かされた。まず駅のはす向かいにたつ《群馬県立世界遺産センター》(2020)と《3号倉庫》(2019)は、いずれもリノベーションである。特筆すべきは、CFRPのロープを張りめぐらせることによって、木造小屋組みを補強していることだ。一見弱そうな素材の選択であり、興味深い手法だが、言うまでもなく、近代の製糸場によって世界遺産に登録された街の歴史を意識したものだろう。地域ごとのローカリティへの配慮こそが、結果的に彼をグローバルな建築家に押し上げた。なお、《2号倉庫》も隈研吾建築都市設計事務所が担当し、改修中である。続いて倉庫群と道路を挟んで、隈による《富岡市役所》(2018)がたつ。分棟の形式、アルミニウムと木のルーバー、張り出す庇などを特徴とする、開かれた公共空間だ。


《上州富岡駅》



《商工会議所》



《富岡まちやど 蔟屋 MABUSHI-YA》



《群馬県立世界遺産センター》



《3号倉庫》



富岡市役所


そして圧巻は、新しく公開された富岡製糸場の《西置繭所》(2020)の保存修理プロジェクトである。これは日本空間デザイン賞2021の博物館・文化空間部門において金賞を受賞した。注目すべき手法は、国宝に指定された近代建築の内側に補強を兼ねた大きなガラスの箱を挿入していること。なぜなら、そこがかつての工場の使われ方を紹介する展示施設であると同時に、壁の落書きや改修の履歴なども含めて、建築そのものが重要な展示物であるからだ。つまり、観賞者は展示ケース=ガラスの箱の内側に入って、天井や壁などを見ることになる。また《西置繭所》の展示設計も、カッコいい。例えば、昔使われていた什器などを積極的に再利用している。富岡製糸場はまだ公開されていないエリアが多く、一部を見せてもらったが、現代アートの展示にも使えそうなダイナミックな大空間だった。今後、こうした場所をどのように見せいていくかも楽しみである。


《西置繭所》


2021/10/4(月)(五十嵐太郎)

四国の隈研吾建築

[愛媛県、高知県]

四国は、隈研吾にとって重要な地域だろう。ポストモダンとバブル経済が終わったあと、地方で進路転換を探っていた時期の《亀老山展望台》(1994)と、素材として木の使用にも挑戦した梼原町の建築群があるからだ。前者は山頂の展望台の建て替えであり、見るための場としての建築の姿を消去したことで知られている。どういうことか。新しい建築のヴォリュームを積極的に足すというよりは、山頂を削りながら、細い動線や大小の階段、そして小さいデッキを設けている。すなわち、いわゆるファサードはなく、地形と対話する空間体験のシークエンスと、各方角への素晴らしい眺望を提供するデッキのみなのだ。近年の隈建築は、ルーバーによるデザインのバリエーションを展開するファサードが目立つ一方、空間の構成があまり感じられないケースもあるのだが、その真逆といえよう。当時、『SD』の特集において、日本の建築雑誌史上、初のCD付きを実現したように、コンピュータを用いた表現にも積極的にとり組んでいたが、《亀老山展望台》はリアルな体験が豊かな名作だった。


《亀老山展望台》



《亀老山展望台》


高知と愛媛の県境に位置し、いまや隈建築の聖地となった梼原町には、山を越えて向かった。途中で樹木におおわれた山を見ながら、なるほど、この風景を眺めながら現場に通えば、木を積極的に使うことを発案したこともうなづける。小さな町には、以下の作品群がたつ。現在は休業中だが、隈の設計で建て替えをするらしい《雲の上のホテル》(1994)と《雲の上のギャラリー》(旧木橋ミュージアム、2010)、力強い《梼原町総合庁舎》(2006)、マルシェもあって上階では宿泊もできる《まちの駅「ゆすはら」》(2010)、そして美しい本の空間として有名な《ゆすはら雲の上の図書館》と隣接する福祉施設の《YURURIゆすはら》(2018)である。茨城県の境町にも、6つの隈作品が集中するが、明らかに梼原町の方が本格的な建築ばかりだ。また集成材を組んだ構造、丸太の柱、茅の束、繊細な木組みなど、いずれも木の使い方をさまざまな方法で実験しながら、フォトジェニックな特徴も獲得している。なお、図書館は選書もかなり良かった。


《雲の上のホテル》



《雲の上のギャラリー》



《梼原町総合庁舎》



《まちの駅「ゆすはら」》



《ゆすはら雲の上の図書館》



《YURURIゆすはら》


2021/10/09(土)(五十嵐太郎)

クリエイティブアイランド中之島、大阪中之島美術館

[大阪府]

クリエイティブアイランド中之島の国際ミーティング「都市のアーカイブ──その実践と創造的活用」のイベントに登壇した。最初にシカゴ美術館のアーカイブ・ディレクター、ナサニエル・パークスとフランクフルトのドイツ建築博物館のアーカイブ部長、カチャ・ライスカウによるレクチャーの収録映像が流されたが、前者は建築家のダニエル・バーナムも創設に関与しており、近現代の建築を誇りにする街ならではの活動、後者は図面だけでなく、模型も積極的に収集しつつ、今後のデジタル・データの課題を紹介していた。ちなみに、シカゴはニューヨークに先駆けて、世界で最初の高層ビルの近代都市を実現し、現在はそうしたレガシーを活用しつつ、シカゴ建築ビエンナーレや日常的にさまざまな建築ツアーなどを開催し、シカゴ美術館では建築展も企画されている。もちろん、日本でもようやく国立近現代建築資料館が登場したが、都市との連携はなく、立体物は収集しておらず、まだ十分とは言えない。

来年2月に開館する大阪中之島美術館は、アーカイブを重視し、積極的に推進しつつ活用するという。そこでイベントが始まる前に、遠藤克彦が設計した美術館を見学する機会に恵まれた。外観はシンプルな黒いキューブだが、内部は一転して複雑な空間の構成である。立体的な動線が交錯する迷宮風のデザインはピラネージ、艶やかさはジャン・ヌーヴェルを想起させるだろう。また南北や東西軸に沿って、大きな開口から外の風景が見えるのも、効果的である。大都市の中心部において、ビルの内部ではなく、巨大空間をもつ独立した美術館の建築は、意外とこれまでの日本になかったはずだ。そもそもクリエイティブアイランド中之島のプロジェクトは、各種の美術館やホールなど、文化施設のネットワークをつくりながら、新しいものを生みだすことをめざしている。大阪中之島美術館はその重要な一翼を担うはずだ。

また、コロナ禍のためにしばらく入りづらかった安藤忠雄による《こども本の森 中之島》 (2020)もようやく訪問した。あわせて手前の道路が広い歩行空間になり、昔から中之島に対するプロジェクトを提案してきた彼にとって、ここに建てることの意味が大きい建築である。また日建設計による隣の《大阪市立東洋陶磁美術館》(1982)は、室内のあちこちから外の風景が見え、特殊な自然採光を試みるなど、さまざまな工夫がなされていた。陶器の美術館だからこそ可能になった展示の空間だろう。


大阪中之島美術館



《こども本の森 中之島》



《こども本の森 中之島》



《大阪市立東洋陶磁美術館》



《大阪市立東洋陶磁美術館》


クリエイティブアイランド中之島「都市のアーカイブ ― その実践と創造的活用」

開催日:2021年9月30日(日)
会場:大阪中之島美術館×アートエリアB1国際ミーティング
プレゼンテーター:ナサニエル・パークス(シカゴ美術館アーカイブ・ディレクター)、カチャ・ライスカウ(ドイツ建築博物館アーカイブ部長)
ディスカッサント:五十嵐太郎(建築史・建築批評家、東北大学大学院教授)、渡部葉子(慶應義塾大学アート・センター教授)
モデレーター:植木啓子(大阪中之島美術館学芸課長)、木ノ下智恵子(大阪大学准教授、アートエリアB1運営委員)

2021/09/30(木)〜2021/10/01(金)(五十嵐太郎)

山形のムカサリ絵馬

会期:2021/09/18~2021/12/12

天童織田の里歴史館[山形県]

山形においてムカサリ絵馬めぐりを行なう。ムカサリ絵馬とは、子供を失った親が、実現しなかった結婚式の絵を奉納する山形の風習であり、明治期から昭和にかけて興隆したものだ。靖国神社の遊就館では、特攻など、戦争で亡くなった息子のために制作された花嫁人形が数多く展示されているが、その絵画バージョンといえる。なお、花嫁人形は青森にある風習らしい。ともあれ、男女の結婚という制度を重視しているという点において、近代的な発想だろう。


永昌寺と久昌寺では、いずれも本堂の一角に掲げられていた。そして黒鳥観音と小松沢観音は、三方の内壁すべてをぎっしりと覆いつくす圧巻の風景だった。巡礼のお札も大量に貼られていたが、特に後者は天井面にもムカサリ絵馬が掲げられている。若松寺の絵馬堂には過去のものが収蔵・展示されている。


《黒鳥観音》



《小松沢観音》



《高松観音》



《若松寺》


地元の絵師によって描かれた絵の構図や内容は、ある程度様式化されているが、ひとつひとつの絵に子供を失った親の強い想いが託され、未来の花嫁/花婿が想像で加えられている。アーティストが表現として描く絵やインスタレーションではない。だが、結果的に絵とは何かを鋭く問いかける空間だった。

かつては戦没した子供のためのムカサリ絵馬が多かったが、いまも継続している場所はほとんどないようだ。若松寺は現在も受け付けており、関東や沖縄など、全国から奉納されている。また令和にもその数は増えている(時代を反映し、同性のカップルも確認できた)。ここでは下手でもいいから、家族が自ら絵を描くことを推奨しているという。もっとも、どうしても無理な場合、やはり絵師にお願いしているようだ。


ここから、天童織田の里歴史館の企画展に貸し出し中のムカサリ絵馬が2点あると知り、足を運ぶ。役所を復元した資料館の2階では、「天童の人々と信仰」展が開催されており、観音信仰、キリスト教の布教とともに、ムカサリ絵馬を紹介していた。そして東北芸術工科大学では、青山夢によるムカサリ絵馬に着想を得た絵画のシリーズと巨大なインスタレーションのプロジェクトを見学する。すなわち、現代美術にも影響を与えているのだ。


《天童織田の里歴史館》


天童の人々と信仰

会期:2021年9月18日(土)~12月12日(金)
会場:天童織田の里歴史館
(山形県天童市五日町2丁目4-8)

2021/09/24(金)(五十嵐太郎)

《秋田市文化創造館》、200年をたがやす、《秋田市立中央図書館明徳館》、ルーヴル美術館の銅版画展

会期:2021/07/01~2021/09/26

秋田市文化創造館[秋田県]

秋田県立美術館が2013年に移転新築し、解体が予定されていた旧県立美術館は、保存を望む市民の声によって、県から市に無償譲渡され、今年、秋田市文化創造館として再生した。2021年に開館した長野県立美術館の旧館は、同じ場所での建て替えなので、消えてしまったが、秋田市の旧館は新しい道を歩みはじめたのである。なお、秋田市と長野市の旧館は、いずれも日建設計が手がけ、1966年に竣工した建築であり、特徴的な屋根をもつ。



《秋田市文化創造館》



《秋田市文化創造館》


そのオープニングとして開催された服部浩之監修「200年をたがやす」の展示期間「みせる」では、生活、食、工芸など、秋田のさまざまな文化資産を掘り起こしつつ、空間設計に建築家の海法圭が入り、空間を自由に使う可能性を提示していた。かつて藤田嗣治の巨大な絵画「秋田の行事」が展示されていた壁には、同じサイズの鏡面を設置し、過去を想起させながらも現在の姿を写しだす。美術の分野で特に印象的だったのは、「農民彫刻家」として活動した皆川嘉左ヱ門である。大きく力強い木彫の作品は、吹き抜けの大空間においても圧倒的な存在感を維持していた。



皆川嘉左ヱ門の作品展示風景



1階のリサーチセンター



工芸の展示


秋田市文化創造館の横は、谷口吉生による美しい階段をもつ《秋田市立中央図書館明徳館》(1983)が建ち、また向かいでは、佐藤総合計画の設計による《あきた芸術劇場ミルハス》が建設中であり、この一帯が文化のエリアとして再編されている。


《秋田市立中央図書館明徳館》



《秋田市立中央図書館明徳館》


道路を挟んだ秋田県立美術館では、「ルーヴル美術館の銅版画展」を開催していた。あまり知られていないグラフィック・アート部門の銅版画のコレクションだが、ルイ14世の時代に始まり、現代作家のものも収集されているという。

ここでは藤田の「秋田の行事」のための展示空間が設けられているが、創造館における不在を示す鏡面を見てからはしごすると興味深い。なお、彼がこの絵を制作した当時の空間の模型に加え、常設展示するための美術館の図面が発見されたことにより、その建築模型も置かれていた。秋田県立大の研究室が制作したものだが、1938年に着工されたものの、戦争で中止になったという。驚かされたのは、そのデザインである、ガラス張りの鉄骨の屋根の展示空間だから、もし実現していれば、当時の日本としては画期的な美術館になったはずだ。

200年をたがやす / CULTIVATING SUCCESSIVE WISDOMS

会期:2021年7月1日(木)~9月26日(日)
会場:秋田市文化創造館
(秋田県秋田市千秋明徳町3-16)ほか

秋田県誕生150年記念 ルーヴル美術館の銅版画展

会期:2021年9月11日(土)~11月7日(日)
会場:秋田県立美術館
(秋田県秋田市中通1-4-2)

2021/09/22(水)(五十嵐太郎)

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