artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
安藤忠雄展─挑戦─
会期:2017/09/27~2017/12/18
国立新美術館[東京都]
安藤忠雄と言えば、1990年代の中頃だったか、学生時代に聴いた彼の講演会をいまも鮮明に憶えている。スクリーンに映し出された画像は、京都は木屋町に安藤が建てた商業施設。近接する高瀬川の川面とテラスをほとんど同じレベルに合わせた点が大きな特徴だと安藤は誇らしげに語った。ただ、この計画案に対して、当初、安全上の理由から反対意見があったようだ。曰く、「子どもが川に降りて溺死する可能性を否定できない」。むろん安藤はただちに次のように反論したという。「水深がせいぜい10センチか20センチの川で溺れ死ぬような生命力に乏しい子は、いっそ死んだらええんちゃいますか」。プロボクサーから独学で建築を学び、いまや世界的な大建築家となった安藤忠雄の原点とも言うべき「野性」を、そのとき垣間見たような気がしたのである。
本展は建築家・安藤忠雄の本格的な回顧展。これまでの作品をスケッチ、ドローイング、設計図、マケット、写真、映像など、およそ200点の資料によって振り返った。広大な会場に大小さまざまな資料を抑揚をつけながら展示した構成は、確かにすばらしい。だが本展の最大の見どころは、館外の野外展示場に原寸大で再現された《光の教会》である。
《光の教会》とは、1989年に大阪府茨木市の茨木春日丘教会に建てられた礼拝堂。打ちっぱなしのコンクリートで構成した大空間の一面にスリットで十字架を表わした作品で、安藤の代表作のひとつとして高く評価されている。本展で再現された作品に立ち入ると、長椅子の数こそ少ないものの、正面にそびえ立つ光の十字架はまさしく教会そのものである。晩秋の柔らかな光が描き出す十字架はもちろん、側面の壁に現われる光と影のコントラストも非常に美しい。大半の来場者は荘厳な雰囲気に言葉を失っていた。
この再現された《光の教会》が優れているのは、建築展のある種の「常識」を裏切っているからだ。通常、建築展で見せられる展示物は実物の建築の縮小された再現物であることが多い。建築物そのものを美術館内に移動することはきわめて難しいがゆえに、マケットや設計図、写真、映像などのメディアによって実物を可能な限り再現することを余儀なくされているわけだ。だが安藤は原寸大の《光の教会》を美術館の敷地内にそっくりそのまま再現することで、こうした建築展の規範をあっさり転覆してみせた。
それだけではない。現在、茨木の《光の教会》の十字架にはガラスがはめられているが、そもそも安藤の建築案では何もはめられていなかったという。光だけでなく風も、温度や湿度も、自然を直接的に体感できる建築として構想されていたわけだ。ところが、それでは室内の快適性を担保できないという理由で事後的にガラスがあてがわれた。翻って本展の《光の教会》の十字架にはガラスも何も設置されていない。したがって来場者は光の温かさも風の冷たさも、文字どおり全身で感知することができる。つまり、本展における再現物は実物以上に建築家のオリジナリティを忠実に体現した作品なのだ。
安藤忠雄の本質的な「野性」は、自然との共生やら調和やらの美辞麗句のなかにあるのではない。それは、並大抵の建築家では決してなしえない、このような力業をある種強引に現実化させるところにあるのだ。
2017/11/13(月)(福住廉)
木村松本建築設計事務所《house A / shop B》/小松一平《あやめ池の家》/畑友洋《舞多聞の家》
[京都府、奈良県、兵庫県]
日本建築設計学会では、若い世代に希望と勇気を与える賞を目指して、2年に1度、公募によって学会賞を決定する。2016年の第1回は、島田陽が設計した石切の住居が選ばれた。特徴的なのは、東日本と西日本からそれぞれ2名の選考委員が用意され、自分が居住しないエリアの作品の現地審査を行なうことだ。すなわち、筆者の場合は、普段あまり会わない西日本の建築家の作品を見学する。そこで11月12日に関西でまとめて3つの住宅をまわった。木村松本建築設計事務所の《house A / shop B》は、いかにも京都らしい間口3.8m×奥行き14m弱の細長い敷地である。が、さらにそれを身廊と側廊(片側のみ)のように細分化し、5mの天井高の非住宅的なプロポーションの空間を生む。これは木造軸組とラーメン構造の組み合わせから導く形式だという。プログラムは下部の道路側が金物屋、奥がカフェ、上部が住宅であり、京都の現代的な町屋を提案している。
続いて訪れた小松一平の《あやめ池の家》は、奈良・西大寺のオールド・ニュータウンであり、実家の建替えだった。U-30展に彼が出品したときは、傾斜地の擁壁を崩して建築化するアイデアが印象的だったが、現地ではスラブを積層し、フロアごとに斜めの方角を切り替えながら、大胆に開放しつつ眺望を楽しむ空間だ。また住宅地においてまわりの家の視線も巧みにかわす。最後は神戸で、ピカピカの真新しいニュータウンに建つ畑友洋による《舞多聞の家》を見学した。傾斜地に建ち、道路側は窓なしだが、下の森林に向かって全面ガラスの直方体が飛び込む。周囲の建売住宅群が嘘のような自然を享受する家である。室内はあちこちにハンモックなども吊る。前回の設計学会賞の審査で見学した彼の《元斜面の家》が依頼のきっかけだったらしい。いずれも若手建築家による意欲的な住宅作品であり、それぞれの場所性を巧みに読み込み、空間化していることに好感をもった。
木村松本建築設計事務所《house A / shop B》
小松一平《あやめ池の家》
畑友洋《舞多聞の家》
2017/11/12(日)(五十嵐太郎)
内藤廣《富山県美術館》
富山県美術館[富山県]
2017年度のグッドデザイン賞において建築ユニット長を担当し、審査に携わったのだが、受賞展で審査レビューを行なったとき、地方の建築ががんばっていることに気づかされた。今回、ベスト100に入った建築7作品は、陸前高田、福山、太田、奈良、天理、熊本の三角港など、すべて東京以外であり、しかも駅前が多かったからである。これは逆に言うと、東京から面白い建築があまり出ていないことを意味する。トークの4日後に《富山県美術館》を訪れ、改めて地方の時代を痛感した。これは内藤廣の設計だが、道路側のファサードは大きなガラスの開口があり、一見、彼らしくないデザインのように思われる。だが、川や運河環水公園に隣接する場所のポテンシャルを生かしていること、富山の産業に縁が深いアルミニウムや杉材などを活用したテクスチャーのモノ感、土を盛るなどランドスケープ的な外構のデザインなどにやはり内藤の個性が感じられる。
まず最初に先行オープンし、多くの人が訪れたというオノマトペの屋上に登ってみた。ここは無料ゾーンだが、佐藤卓がデザインしたユニークな遊具群は本当に集客力がある。3階に降りると、レストランには行列ができており、ここでランチを食べようというもくろみはかなわなかった。空間の特徴としては、外部から複数のアクセスを設けていること、展示室の周囲を自由に歩けること、視線が貫通し、眺望を得られる廊下の存在などによって、立体的な《金沢21世紀美術館》のようにも思えて興味深い。いずれも高い集客を誇る美術館だが、エレベータ、エスカレータ、階段、そして屋外階段などのルートから屋上庭園に誘う富山の仕掛けはお見事である。なお、常設展示は、アートとデザインをテーマに掲げるように、椅子やポスターの名作コレクションを明るい展示室に配する一方、富山生まれの瀧口修造コレクションを閉じた箱に入れることで、メリハリを効かせている。
2017/11/09(木)(五十嵐太郎)
ウォーターフロント・シティ横浜 みなとみらいの誕生
会期:2017/10/07~2018/01/08
横浜都市発展記念館[神奈川県]
初めてみなとみらい21地区のエリアに足を踏み入れたのは、まだ筆者が学部生だった1989年の横浜博覧会である。いまから振り返ると、丹下健三による横浜美術館などを除くと、博覧会では仮設の建築群が並び、まだほとんど何もない土地だった。その後、1993年に横浜ランドマークタワーが登場し(あべのハルカスに抜かれるまで日本一位の超高層だった)、2004年にはみなとみらい線が開通し、内藤廣、早川邦彦、伊東豊雄らが駅のデザインに関わっていた。「みなとみらいの誕生」展は、近代の歴史(埋め立てや造船所の移転)や計画の経緯を通覧できる企画だが、このように新興都市の近過去をたどっているだけに、記憶に照らし合わせながら鑑賞することができる。それにしても、いまでこそひらがなの地名は増えたが、1981年にこの名前に決まったのは早い。ましてや、「みらい」という言葉まで使っており、横浜の都市計画の実験場だったと言える。
なかでもいくつかの計画図が目を引いた。ひとつは、1960年代に浅田孝が関わった頃に描かれた広場的な遊歩道を挟む中規模の建築群である。これはヒューマンなスケールをもち、ヨーロッパの都市的な印象を受けた。そして1980年代に大高正人は海辺の輪郭に柔らかい曲線を導入し、囲み型の街区プラン(一部は高層)を提案している。中層の建築群による囲み型は、幕張ベイタウンを想起させるだろう。現在、みなとみらい21地区は、高層のオフィスやホテル、そしてタワーマンションが林立し、ショッピング・モール的な商業空間の風景が出現している。つまり、想定されなかった未来が実現した。さらに子どもの増加から学校が建設され、1万人を収容できる音楽アリーナや2,000人規模のライブハウス型のホールも2020年にオープンする予定だ。既存のクラシック音楽のための横浜みなとみらいホールとあわせると、ちょっとした音楽の街となり、これも予期しなかった未来だろう。
2017/11/07(火)(五十嵐太郎)
三井嶺《神宮前スタジオ A-gallery》
[東京都]
筆者が公募の審査を担当した今年のU-35展において、ゴールドメダルに選ばれた建築家の三井嶺が設計した《神宮前スタジオ A-gallery》に立ち寄る。裏原宿から少し奥に入ったところに建てられた1970年代のモダンな住宅のリノベーションである。外観はほとんど手を加えず、本棚、和風の意匠、コンクリートの基礎の一部を残しつつ、床を外して吹抜けを設けている。が、なんといっても最大の特徴は、ステンレス鋳物による列柱を階段の両側に挿入したことだろう。柱は極細だが、決してミニマルなデザインではなく、エンタシスがつき、ゆるやかにふくらみ、柱の上下にも家具的な装飾をもつ。あまり見たことがない構造柱の意匠とプロポーションだ。なお、鋳物による構造補強は、彼がU-35展に出品した江戸切子店の《華硝》でもパラメトリック・デザインを用いながら、効果的に挿入されている。ともあれ、いずれも人間が手で持って搬入できるメリットがあるという。
U-35展のシンポジウムにおいて、三井は空間よりも、構造と装飾に興味があると発言したことが印象的だった。が、彼が東京大学の藤井研で日本建築史を修士課程まで学び、茶室の論文を執筆し、それから構造がユニークな坂茂の事務所で働いた経歴を踏まえると、納得させられる。微細な装飾をもつ鋳物の柱は、モノであることを強調し、現在の流行とまったく違う。それゆえに、もし遠い将来に鋳物の柱だけが遺跡のように発掘されたら、未来の歴史家はおそらく時代判定を見誤るだろうと、彼は述べている。身近な周辺環境やコミュニティばかりが注目されるなか、こうした超長期的な視野をもった建築家は貴重だろう。また看板建築の補強や家屋のリノベーションにパラメトリック・デザインを絡ませるのも、新しい感覚である。なお、神宮前スタジオの柱は、構造力学上、中央の一番太い部分の直径が重要であり、上下の両端は細くても強度を落とさないという。
2017/11/03(金)(五十嵐太郎)