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建築に関するレビュー/プレビュー

《島根県庁舎》《島根県民会館》《島根県立武道館》《島根県立図書館》《島根県立美術館》

[島根県]

久しぶりに島根の建築めぐりを行ない、改めて松江の中心部に20世紀半ばの建築がよく残されていることに感心させられた。例えば、松江城を背景にして、《島根県庁舎》(1959)と《島根県民会館》(1968)が対峙する。いずれも《大分県庁舎》で建築学会賞(作品)を受賞した安田臣が手がけた、戦後モダニズムが輝いていた時代の作品だ。前者はかなり耐震補強をしているが、重森完途の庭園も残っている。注目すべきは、ほかの地方や東京では解体の憂き目にあうことが少なくない菊竹清訓の才気ほとばしる建築が、いくつか現役で使われていることだ。まず県庁の西側には、《島根県立武道館》(1970)と《島根県立図書館》(1968)が並ぶ。菊竹の脂がのっている時期だけに、ダイナミックな造形に惚れ惚れとする。前者は両サイドの斜めの壁柱群が大きな武道場を持ち上げ、そこに鉄骨を飛ばして屋根を架ける。後者は吹き抜けと雁行する部屋群に対し、斜め方向に軸をもつ大屋根をのせている。回廊のスラブも先端が薄い。

城の北側にも菊竹による《田部美術館》(1979)があり、列柱を進むと、コールテン鋼の大屋根の建築が出現する。よく見ると入母屋の形態だが、独特のプロポーションをもつ。その屋根の下に吹き抜けを設け、スロープ沿いに空間を体験していく。彼の後年の作品としては《島根県立美術館》(1999)も存在するが、作風はだいぶ違う。《川崎市市民ミュージアム》(1988)に近いタイプだが、これは湾曲したガラス面によって、宍道湖に面する抜群のロケーションを最大限に生かし、風景が楽しめる。特に夕陽の映り込みが美しいらしい。ちょうどリニューアルしたばかりで、パブリックスペースは現代的にアップデートされていた。企画のエリアでは全国を巡回している「エヴァンゲリオン」展が開催されていたが、こちらは特筆すべき空間ではなかった。むしろ、2階の常設のエリアが工夫されており、奈良原一高の「肖像の風景」を紹介する企画は、展示デザインにも力が入っていた。



安田臣《島根県庁舎》


安田臣《島根県民会館》


菊竹清訓《島根県立武道館》




菊竹清訓《島根県立図書館》


菊竹清訓《田部美術館》

菊竹清訓《島根県立美術館》


2018/04/27(金)(五十嵐太郎)

建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの

会期:2018/04/25~2018/09/17

森美術館[東京都]

本展のタイトルは「日本の建築展」ではない。「建築の日本展」である。つまり建築のなかから日本特有の“遺伝子”を読み解こうという趣旨なのだ。日本で西洋建築が発達したのは明治時代からであるため、実質わずか150年しか経っていない。それにもかかわらず、いま、世界で日本人建築家が大いに活躍しているのはなぜなのか。本展ではその謎を解き明かすように、日本の建築の特徴を九つのセクションで紹介している。まず「可能性としての木造」と題して、日本が古代から育んできた木の文化を取り上げる。次に「超越する美学」と題して、もののあはれ、無常、陰影礼賛などに代表される日本の繊細な美意識に焦点を当てる。さらに「安らかなる屋根」と題して、機能性のほか象徴性をたたえる屋根に着目する、といった具合だ。本展監修に建築史家の藤森照信が就いていることもあり、その視点は面白くわかりやすい。日本の建築史を横断的に、一気に見ていく気持ち良さがあった。

九つのセクションを通して観るうちに、私は日本の建築の特徴をもうひとつ思い浮かべた。それは現代の日本人建築家が模型製作を重視している点だ。以前、私は伊東豊雄や山本理顕、妹島和世、隈研吾ら、それこそ世界で活躍する建築家何人かに、模型をテーマにインタビューをしたことがある。するとスケッチや図面を描くのと同じような感覚で、自身のアイデアや造形の可能性を広げるために模型をつくる建築家が多いことがわかった。まるで手のひらのなかで建築を模索するような姿勢が日本人建築家にはあるのだ。これを題するなら「模型から創造する」か。こんなふうに自分なりに“遺伝子”を探るのも楽しい。

模型と言えば、本展では模型展示も充実していた。丹下健三の自邸を1/3スケールで再現した模型も迫力があったが、何と言っても千利休の茶室《待庵》の原寸スケール模型である。いや、模型というより、これは本物の複写だ。外観も内観も忠実に再現されており、会期中は中に入ることもできる。私も実際ににじり口からにじって入ってみた。なるほど、これが茶室建築の原形になったのかと思うと感慨深く、これだけでも観に来た甲斐があった。

伝千利休《待庵》(1581頃[安土桃山時代]/2018[原寸再現])
制作:ものつくり大学
展示風景:「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」森美術館(2018)
[撮影:来田 猛/画像提供:森美術館(東京)]

公式ページ:http://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/japaninarchitecture/index.html

2018/04/24(杉江あこ)

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《障害の家》プロジェクト

京島長屋[東京都]

東京スカイツリーがどこからでもよく見える墨田区の一角を訪れ、大崎晴地による《障害の家》プロジェクトを見学した。2015年のアサヒアートスクエアの展示において、建築家とともに提唱していたものである。今回の展示では、関東大震災後につくられた老朽化した長屋が並ぶ街区において、2つの会場が用意された。いずれも解体予定の2階建ての建物だが、外観は手を加えず、その内部を徹底的に改造した。ひとつは水平の梁を残したまま、複層の斜めの床を新しく挿入し、上下の移動ができるように丸い穴があけられた。梯子や階段はない。斜めの床が接近する箇所の穴ゆえに、自らの腕の力を使い、身体能力を駆使して移動する。また下から見上げると、各層の円がすべて揃う視点も設けられている。

もうひとつは二軒長屋を仕切る中央の壁を抜くことで可視化される平面の対称性を生かしつつ、1階の天井(と2階の床)を外し、代わりにそれよりも低い天井と、以前の2階よりも高い床をつくり、3層の空間に変容させた。1階の天井と2階の床の間の本来、人が入らない空間が膨らんだとも言えるだろう。したがって、1階は立つことが不可能であり、はいつくばって動くしかない。また通常は隠された押し入れはむき出しとなり、両側の家を行き来するための空間となる。そして片側の新しい3階の床は瓦を敷き、その上部の屋根はスケルトンになっていた。

いわば既存の家屋に手を加えるリノベーションだが、建築と決定的に違うのは、役立つ機能に奉仕していないことだ。むろん、かつてバーナード・チュミは、プログラム論の文脈において不条理なリノベーションを提唱している。が、それはミスマッチであろうとも、何かの役割を想定していた。一方、《障害の家》は、使い方というよりも、訪問者の身体性に直接的に働きかけ、覚醒させることに賭けている。すなわち、バリアフリーではなく、バリアフルな家。荒川修作の建築的なプロジェクトを想起させるが、大崎はかつて彼をサポートしていたという。が、荒川がまっさらな新築をめざしていたのに対し、これは増改築である。それゆえ、日常的な空間の異化効果が加わっている。

第一会場


第一会場、二軒長屋を仕切る壁が抜かれて、対称性が可視化される




第一会場、上下の移動ができるようにあけられた穴



第二会場の1.5階

2018/04/22(日)(五十嵐太郎)

平田晃久《ナインアワーズ》、高橋一平の集合住宅

東京都

日本ならではというか、特殊なワンルームが集合する新しい建築をいくつか見学した。ひとつは《ナインアワーズ》の竹橋と赤坂、もうひとつは浮間舟渡の小さな集合住宅である。前者は平田晃久、後者は高橋一平が設計したものだ。

ナインアワーズは、京都におしゃれなカプセルホテルを登場させたことがよく知られているが、これは柴田文江によるカプセルと廣村正彰のサインのデザインが従来のイメージを覆すことに大きく貢献した。が、今回はさらに建築家が参加し、新しい空間を創造している。すなわち、通常のカプセルは壁のなかに閉じ込められているが、ここでは全面ガラスの開口に面し、外からもまる見えなのだ。いわばカプセルが都市に溶け込む、開放的な建築であり、朝起きて、カプセルのカーテンを上げると、外の風景が見える。なお、竹橋と赤坂では周辺の敷地状況が異なるため、場所性にあわせて、それぞれのカプセルの配列パターンが違う。平田によれば、粘菌のようにかたちを変えながら、都市の隙間にカプセルが入り込む。実際、今後もナインアワーズは平田のデザインにより、浅草や新大阪などで各地の開業を予定し、増殖が続くらしい。

高橋による集合住宅は、道路に対して、前後、左右、上下に2つずつ部屋が並び、合計8つのワンルームをもつ。各部屋の面積は、8m2前後しかない。通常は廊下にそって均質な部屋が並ぶが、ここでは異なる性格をもったワンルームの集合体になっている。例えば、キッチンが中心に置かれた部屋、畳の和室、大きな浴槽がある部屋、寝室風の部屋、パウダールーム風の部屋などである。つまり、ひとつの住宅を分割し、アパートにリノベーションしたかのようだ。2階の4部屋へのアクセスも、玄関から階段をのぼって、家族の個室に入るような感覚である。もっとも、トイレ、浴槽もしくはシャワーなど、水まわりの設備は各部屋につく。それゆえ、普通の住宅の部屋とも違う。興味深いのは、道路側の上下4部屋が大きなガラス張りとなっており、奥行きは浅いが、街に投げ出されるような開放感を備えていること。ここでもおひとりさまの小さい空間が閉鎖的にならず、都市と接続している。

《ナインアワーズ赤坂》

《ナインアワーズ竹橋》



高橋一平による集合住宅


同、大きな浴槽がある部屋


2018/04/15(日)(五十嵐太郎)

写真都市展 ―ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち―

会期:2018/02/23~2018/06/10

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

ウィリアム・クラインは「20世紀を代表する写真家」で、「写真、映画、デザイン、ファッションのジャンルを超えた表現と、ニューヨーク、ローマ、モスクワ、東京、パリなどの世界の都市を捉えた作品で、現代の視覚文化に決定的な影響を与え」たそうだが、どこがいいんだかピンと来ない。でも展覧会は評判がいいので行ってみたら、クライン以外の日本人の作品が展示構成も含めてとても刺激的だった。

たとえば安田佐智種の《Aerial》は、超高層ビルなどの高所から都市の俯瞰写真を何百枚も撮り、撮影者の足元が消失点(そこだけ白く抜けている)となるように組み合わせた放射状の風景写真。《みち(未知の地)》は、東北の被災地の家が建っていた跡を歩きながら真上から撮影し、つなぎ合わせたもので、どちらも作者の拠って立つ足元を意識させる。西野壮平も都市の断片を歩きながら何千枚も撮って組み合わせ、再構築しているが、こちらは多焦点的で時間軸も組み込んだ未来派的写真といえる。勝俣公仁彦も、同じ場所から異なる時間に長時間露光で撮影した写真を組み合わせたシリーズを発表。静止画像が積層されて時間を与えられ、都市が動いているように感じられる。

彼らは写真を、1点の固定した場所から切り取った一瞬のイメージという既成観念から解き放ち、それこそ都市生活のなかでいつも感じているような多焦点的、持続的な経験を濃密に味わせてくれた。展示方法もすばらしい。仮設壁ならぬ太い仮設柱に展示したり、台の上面に貼りつけたり、印画紙の四隅を天井から吊るして宙に浮かせたり、あえて引きのない狭い通路の両側に大作を展示したり、多彩な写真に見合った多彩な展示で見る者を飽きさせない。満足して帰ろうとしたら、窓から藤原聡志の超巨大な画像が、まるで布団でも干すように垂れ下がっているのが見えた。唐突感がすばらしい。

2018/04/11(村田真)

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