artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
《山田幸司の家》
愛知に出かけ、《山田幸司の家》のオープンハウスへ。建築系ラジオで活躍した山田幸司が事故で亡くなったあと、妻の強い意志によって、生前の自邸計画を実現したものだ。数年前、彼女は自邸をつくれば、山田の作品はまだ増えると語っていたが、本当にそれを成し遂げたのである。その後、山田事務所の元所員に相談し、大学の先輩にあたる鵜飼昭年に設計を依頼することになった。ただし、当初、計画されていたのは、二世帯+親戚の大家族が暮らす住宅である。同じサイズにこだわると、プログラムがあわないだけではなく、敷地やコスト面においても大変だ。資金に余裕があるわけでもない。鵜飼は途中で木造案も考えるほど、コストをいかに抑えるかで苦労したという。そこで規模を大幅に縮減し、ほぼ彼女がひとりで暮らす小さな家になった(融資や設計の過程で時間がかかり、2人の子供が大学に入ったり、仕事をするようになって、それぞれ家を離れたからだ)。
住宅は矩形のシンプルな外観だが、特に内部は山田テイストを散りばめたスキップ・フロアの構成である。すなわち、ポストモダンの時代におけるハイテク風だ。コンパクトながら、随所に山田建築を想起させる色彩やディテールが散りばめられている。鵜飼は、山田が設計した住宅、代表作の《笹田学園》、残された資料などを研究し、山田ならどうデザインするかを考えなら設計した。したがって、建築家が自分の作風でやればよいわけではなく、あくまでも山田らしさを意識した住宅である。ゆえに、家という存在の不思議さを考えさせられる建築だ。妻にとってはただ日常を過ごす生活空間ではない。いつでも山田を感じることができる空間に暮らす、特殊な場所である(実際、山田がつくった模型やドローイングも飾られていた)。そしてオープンハウスでは、彼をよく知る仲間たちが名古屋や東京から集まって、皆で彼の思い出を語っていた。彼の記憶をつなぎ止める建築である。
2018/01/08(月)(五十嵐太郎)
《サムスン美術館リウム》
[韓国]
インドから日本に帰る途中、ソウルの乗り換えで数時間あったので、久しぶりに《サムスン美術館リウム》に立ち寄った。空港から最寄の駅まで、ほとんど地下空間の移動だけでアクセスできるおかげで、冬の厳しい寒さを感じるのは最小限に抑えられた(日本の美術館でこれが可能なところはどれくらいあるだろうか)。開館当初に一度訪れたときは予約制だったはずだが、いまは自由に訪問できるようになった。これはマリオ・ボッタ、ジャン・ヌーヴェル、レム・コールハースという三巨匠が各棟を設計するという夢のプロジェクトであり、収蔵品もクオリティが高い施設だが、企業の美術館だけではない。その後のソウルではザハ・ハディドの《東大門デザインプラザ》やMVRDVによる「ソウル路7017」などが登場し、さらに前衛的なデザインの存在感を高めている。一方、現在の東京は凡庸な開発ばかりで、むしろ昭和ノスタルジーに浸り、逆方向に向いているのではないか。
この美術館が興味深いのは、それぞれの建築家のデザインの特性を考え、ボッタ棟は古美術、ヌーヴェル棟は近現代の美術、そしてコールハース棟は映像、教育、特別展示など、フレキシブルな使い方をあてがっていることだ。また以前にはなかった手法によって、展示がバージョンアップしていた。例えば、ボッタ棟は韓国の古美術や工芸の展示だけに終始するのではなく、一部にマーク・ロスコなどの現代美術を加え、作品による新旧の対話を試みていた。またコミッションワークが効果的に挿入されていた。例えば、鏡面を活用し、黄色い半円群をリングに見せるオラファー・エリアソンの大がかりな空間インスターレションは、古美術の展示が終わり、中央のホールに戻る大階段の上部に設置されている。またカフェでは、リアム・ギリックのカラフルかつグラフィック的なインテリア・デザイン風の作品が、10周年を記念して2014年に増え、空間をより魅力的なものに変えていた。
2018/01/07(日)(五十嵐太郎)
インドの街並みと建築
[インド]
およそ25年ぶりにインドを訪れた。現代の中国のように、劇的に風景が変わっているのではないかと思っていたが、街のバザールは相変わらず混沌としており、路上では各種の乗り物のほかに、象、馬、牛、犬、猿などの動物も見かけるし、少なくとも観光地の周辺はそれほど変わっていなかった。歩く人々がスマートフォンを持っていたり、地下鉄や公衆トイレが増えたり、人力のリクシャーに対してオートリクシャーの比率が少し増えたくらいか。新興のエリアは別の場所なのだろう。こうしたカオス的な空間にもかかわらず、建築のデザインはきわめて幾何学的である。
ニューデリーの都市計画は、20世紀初頭にイギリスが手がけ、整然とした軸線や円形のプランが支配している。とはいえ、信号や横断歩道がほとんどないため、使われ方は無茶苦茶だ。初日の午前にデリーで見学した建築群は特に美しかった。階段井戸のアグラセン・キ・バーオリーは、壁を抜けて足を踏み入れると、突如、地下に奥深く切り裂いた壮観な眺めが展開する。掘削による構築的な空間は、アジャンタやエローラの寺院に通じるが、宗教的な装飾やアイコンがない分、さらに抽象的である。なお、小さな穴に無数の鳩が棲みつき、動物にもやさしい建築なのだが、糞の直撃弾を食らい、ひどい目にあった。
ここニューデリーにある天文台ジャンタル・マンタルは、天文観測機械が巨大化し、建築的なスケールを獲得したものだが、その空間を人間が使えないため(大きな曲面はスケーターに格好の素材かもしれない)、巨大な抽象彫刻のようだ。類似例は他の都市でも見たことがあるが、ここはビル群と近接し、独特の幾何学が際立つ。周辺の近現代建築としては、マンディ・ハウス駅周辺のル・コルビュジエ的な形態語彙をもつ文化施設のほか、チャールズ・コレアの《ブリテッシュ・カウンシル》や、大屋根をもつ《ジーバン・バラティ・ビル》(補修中だった)、ラージ・レワルによる丹下風の《STCビル》(模型がポンピドゥー・センターのコレクションになっていた)などが挙げられる。いずれも乾いた幾何学を感じるデザインだった。
左:アグラセン・キ・バーオリー 右:ジャンタル・マンタル
2018/01/06(土)(五十嵐太郎)
インド《国立博物館》《国立近代美術館》
[インド]
インドのミュージアム事情について触れておこう。《国立博物館》は、1階がハラッパーの文明、仏教の彫刻、細密画、工芸。2階が硬貨、船舶、ラーマヤーナ。3階が部族、楽器、兵器などを展示し、コレクションは見応えがある(特に仏教系)。ただし、展示デザインは洗練されていない。また3時間滞在したが、カフェが潰れていたので困った(つまり、飲食できない)。近代建築を転用した《国立近代美術館 本館》は、DHARAJ BHAGATの回顧展を開催していた。優れた作家だが、作品の並べ方の意図がまったく不明である。《国立近代美術館 新館》の常設展示も、年代や系譜による分類のほか、美術史の解説などが一切なく、これでは門外漢にはまったくわからない(なお、テキストはヒンズー語がなく、英文のみ)。《新館》の現代建築は外観こそ立派なのだが、内部空間はあまり展示に向きではなかった。そして驚かされたのは、ほとんど閉鎖しているかのようなカフェの寂しさである。
つまり、モノを置いているだけで、来場者にわかりやすく伝えようという意識が感じられない。また美術を鑑賞したあと、カフェで休むという行動も想定されていない。それは《国立ガンディー博物館》も同様である。ここは質素な展示で、偉人の生涯をたどりながら写真を並べるだけなのだが、それはそれで結果的にガンディーらしさを感じないわけではない。ここでも屋内で飲食できるカフェを探したが、屋外に小さな屋台があるのみだった。一方、晩年に身を寄せた富豪の家を改造した《ガンディー記念博物館》は、2階にこれみよがしのマルチメディア展示があったのだが、かえって操作が面倒なわりには、内容は子供だましでほとんど情報量がない。これならば、写真や史料などでたんたんと事実を伝えるアナログの展示のほうがましだ。なお、周囲が高級住宅街であり、大きな土産物店も備えていたので、レストランくらいあるのかなと期待したが、飲食できる施設はなかった。
左:「DHARAJ BHAGAT」展、展示風景 右:《国立近代美術館新館 新館》の寂しいカフェ
《国立近代美術館新館》外観
2018/01/04(木)(五十嵐太郎)
《タージ・マハル》《アーグラ城塞》
[インド]
学生時代にインドをまわったときに、次のように感じた。ここでは純粋に建築を鑑賞しづらい、と。なぜなら、公共交通機関があまり整備されておらず、移動にかかる労力が半端なく、目的地に行くために、リクシャーともめたことなど、旅のノイズを思い出すからだ。今回そんなことはないように移動手段を選んでいたが、デリーからアーグラへの日帰りで大変な経験をした。あらかじめインド人の元留学生から、冬のインドはスモッグがひどいと警告されていたが、本当だった。まず早朝に出発した鉄道は、濃霧なのかスモッグなのか判別しがたいが、視界不良のため、止まっては進むを繰り返し、4時間近く到着が遅れた。昼過ぎには少し天候が良好になったが、25年ぶりの《タージ・マハル》は霧の中で幻想的な風景だった。それにしても、インドで最も有名な世界遺産は、昔に比べて、とんでもなく混んでおり、世界規模での大衆ツーリズムの急成長をここでも感じる。
《アーグラ城》のほうが空間体験の記憶がよく残っていた。観念的かつ工芸的な廟ではなく、人が使う宮殿ゆえか。実際、これはイスラム、ヒンズー、ベンガルの地域性を融合し、複雑なデザインの操作が興味深い。赤砂岩と白大理石の対比も効果的だ。なお、到着の遅延がひびき、《ファティプルシクリ》再訪はかなわず。最悪なのは帰りのバンだった。厳寒のなか車中にまともな暖房がなく、再び霧に覆われ、視界はせいぜい数m。離れすぎると前後左右のクルマが見えず、方向性がわからなくなるため、短い車間距離のまま、団子状に高速道路を移動する。日本ならあまりに危険なので、高速閉鎖だろう。事故にあわずに生還できるか? と思う恐ろしい体験だった。ついには高速の途中で運転手が休憩所で朝まで過ごすと言いだす(結局、6時間かけてデリーに戻ったが)。映画『ミスト』の最後の絶望的な気持ちを理解できなかったが、ずっと視界を失うリアルな体験をして、少しわかった。
左:鉄道、車窓の風景 中右:《アーグラ城塞》
2018/01/01(月)(五十嵐太郎)