artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
《真鶴出版2号店》
[神奈川県]
tomito architectureが設計した《真鶴出版2号店》が竣工したばかりだったことを思い出し、下田からの帰路の途中、立ち寄ることになった。駅から歩いて10分弱、通りから外れた狭いせと道の奥にあるすでに増改築されていた古い家屋をリノベーションしたものである。プログラムは宿とキオスク。2部屋だけの小さな宿だが(旧玄関から入ってすぐの部屋と、斜めの平面をうまく処理した2階の部屋)、逆に壁を外してスケルトン状にした1階中央の共有スペースは広い。空間の考え方としては、横浜で見学したばかりのtomito architecture による《CASACO》にも近い。レクチャーで模型やドローイングを見せてもらったときは、せと道からのシークエンスを重視していることや、周辺の植栽が目立つことなどが印象的だったが、やはり風景のなかに溶け込む建築である。したがって、最初は道に迷ったせいもあるが、外観はあまり手を加えておらず、すぐにどれが彼らの作品なのか、正直わからなかった。ちなみに、はす向かいには施主が暮らす住宅がある。
具体的な建築の介入としては、以下の通り。まず、通り側にあった入口を変えている。すなわち、塀を外し、壁面を後退させ(既存家屋の増改築で生じていた不自然な屈曲も修正)、魅力的な外構や土間をつくり、脇から入るようにしたこと。その際、近くにあった郵便局が2階部分を減築することから、ガラスをもらい、住宅としては大きな窓を設けた。新しいエントラスは、真鶴独自の風景を形成する石垣が面しており、傾斜する地形を受け止めるような関係性を創出している。これは建築をモニュメントとして突出させるのではなく、細やかな観察によって周辺環境と接続しつつ、訪問者を内部に引き込む空間改造と言えるだろう。住宅が環境に寄り添うようなリノベーションである。また真鶴はまちづくりのために定めた「美の条例」でも知られているが、これも参考にしたという。あらゆる細部に地域の物語がぎゅっと凝縮されているような建築である。
2018/07/14(土)(五十嵐太郎)
THE ROYAL EXPRESS、《下田プリンスホテル》、《ベイ・ステージ下田》
[静岡県]
お昼に横浜駅を出発する伊豆観光列車「THE ROYAL EXPRESS」に乗車した。水戸岡鋭治がデザインを担当し、浅いアーチの格天井は皇室用客車をイメージしたものだろう。最後尾の読書室、コンサートのための車両、厨房だけがある車両、子供の遊び場がある車両など、各種の空間をリニアに繋ぐのは、列車ならではの構成だ。もっとも、エクスプレスという名前をつけているが、実際は速く到着することはあまり重要ではなく、むしろ3時間かけて下田に向かい、昼食、眺望、演奏を楽しむのがクルーズ・トレインの醍醐味だ。
リノベーションの関係で、下田は十数年前に何度か通っていたが、保存運動していた「南豆製氷所」が解体されてからは初めての訪問である。製氷所跡は今風の飲食施設《ナンズ・ヴィレッジ》に変化していた。しかし、なまこ壁以外の地域アイデンティティとなりうる建築だから、やはり残せばよかったと思う。山中新太郎が手がけた蔵ギャラリーを備えた旧澤村邸の改修(観光交流施設)、ペリーロードなどを散策してから、《下田プリンスホテル》に泊まる。45年前の建築なので、客室のインテリアは現代風に改装されているが、エレベータのコアや海を望むレストランほか、円筒のヴォリュームをあちこちに散りばめ、曲線好きの黒川紀章らしさを十分堪能できる。全体としては、海に向かってV字に開き、雁行配置された全客室がすべてオーシャンビューの明快な構成をもつ。
翌朝はシーラカンスK&Hによる《ベイ・ステージ下田》を見学した。物産館、飲食施設、駐車場、史料編纂室、会議場、最上階の博物館などが複合した道の駅である。道路側からは浮遊するガラスのボリュームが船のように見え、反対側のファサードは縦のルーバーが目立ち、オープン・デッキから海を望む。なお、博物館の展示デザインは、空間の形式性が明快で興味深いが、情報量がやや少ないような印象を受けた。
2018/07/14(土)(五十嵐太郎)
太陽の塔リニューアル記念 街の中の岡本太郎 パブリックアートの世界
会期:2018/07/14 ~2018/09/24
川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]
この春、東大の食堂を飾っていた宇佐見圭司の壁画がいつのまにか処分されていたことがわかり、問題になったが、それで思い出したのが旧都庁舎にあった岡本太郎によるレリーフの連作だ。丹下健三設計の旧都庁舎の壁にはめ込まれていたこれらの陶板レリーフは、91年の都庁の新宿移転に伴い解体されたからだ。このとき残そうと思えば残せたはずだが、いくら第三者が努力しても、工事の責任者にその気がなければ残すのは難しい。美術評論家の瀬木慎一氏が保存する会を立ち上げたものの、経費は何億円かかるとか1カ月以内に撤去しろとか難題を吹っかけられ、あきらめざるをえなかったという。
太郎の手がけたパブリック・アートは140点以上といわれるが、はたしてそのうちどのくらい残り、どのくらい解体してしまっただろう。そんな興味もあって見に行った。同展で紹介されているパブリック・アートは、テンポラリーなショーや記念メダルなどを除いて69件(墓碑、壁画、緞帳、建築も含む)。そのうち現存するのは41件で、移転したり再生したもの12件、解体されたもの16件となっている。とくに50年代のものは大半が現存せず、70年代以降のものは大半が残っている。これはパブリック・アートが土地や建物に付随するため、64年の東京オリンピック以前のものは再開発ブームで取り壊されたに違いない。
解体された代表例が旧都庁舎の壁画だとすれば、残っている代表例は、1970年の万博のときに建てられた《太陽の塔》だろう。こんな実用性もないヘンチクリンな塔は真っ先に壊されるだろうと思ったら、ほかのパビリオンがすべて解体されるなか最後まで残ってしまった。移転・再生した代表例が《明日の神話》だ。長さ30メートルにおよぶ巨大な壁画は、メキシコのホテルのために現地で描かれたもので、その後ホテルが倒産して壁画も行方不明になったが、太郎の死後、養女の敏子の尽力により発見され、制作から約40年を経て渋谷駅の通路に安住の地を見つけた次第。ちなみに太郎自身はつくってしまえば後はどうなろうとあまり気にしなかったようだ。
ところで、パブリック・アートという言葉が日本に定着するのは90年代のこと。それまでは野外彫刻とか環境造形とか呼ばれていたが、太郎の作品はそのどれとも異なっていた。というのも、パブリック・アートも野外彫刻も環境造形も、耐久性があって危険性がなく、その場にマッチした造形が好まれたため、どれもこれも丸くてトゲがなく、最大公約数的な形態と色彩の作品が多かった。それに対して太郎だけは、あえて嫌われるようなトゲトゲの造形と極彩色をウリにしていたからだ。正直いって太郎のパブリック・アートが身近にあってもあまりうれしくないけど、しかし毒にも薬にもならないどうでもいいような作品より、はるかに存在意義はあるだろうと思う。
2018/07/13(村田真)
ゴードン・マッタ=クラーク展
会期:2018/06/19~2018/09/17
東京国立近代美術館[東京都]
ゴードン・マッタ=クラークについては、切断系のいくつかの作品と、レストランを営む「フード」の活動は知っていたが、本展はほかに知らないプロジェクトがいろいろと紹介しており、ついに日本で彼の全貌に触れることができる貴重な内容だった。住居・空間・都市の空間と使い方に対するぎりぎりの挑戦は、建築では超えることが難しい一線を軽々と超えており、きわめて刺激的である。実際、彼は空き家に侵入して床や壁を切断したり、倉庫を改造したことによって、逮捕状が出たり、損害賠償請求が検討されている。美術館の依頼による仕事や許可を得たプロジェクトにしても、建築の場合、手すりなしで、人間が落下可能な穴をつくることは不可能である。とはいえ、リチャード・ウィルソン、川俣正、西野達、Chim↑Pom、L PACK、アトリエ・ワンの都市観察などを想起すれば、マッタ=クラークは現代アートのさまざまな活動を先駆けていたことがわかる。
彼は建築を学び、その教育を嫌い、父のロベルト・マッタと同じく、アートの道に進んだ。展覧会場の窓を破壊し、ときにはピーター・アイゼンマンを激怒させたこともある。が、やはりマッタ=クラークの作品はとても建築的だと感じさせる。円、球、円錐などのモチーフを組み合わせた切断の幾何学が美しいからだ。特に倉庫に切り込みを入れた「日の終わり」は、暗闇のなかに光を導き入れ、建築の破壊というよりも、空間の誕生を感じさせる。原広司の有孔体理論のように、閉ざされた箱に穴を開けること。その結果、光が差し込む(=開口の誕生)のは、建築の原初的な行為そのものではないだろうか。「日の終わり」は倉庫を聖なる教会に変容させたかのようだ。また内部の床や壁の切断も、垂直や水平方向に新しい空間の連続を生成している。彼の手法は、非建築的な行為と解釈されることが多いけれど、壊されゆく建築の内部に新しい建築をつくっているのだ。
2018/07/07(土)(五十嵐太郎)
サポーズ・デザイン・オフィスの社食堂、「堺町ビルプロジェクト」
[東京都]
代々木上原の谷尻誠、吉田愛が率いるサポーズ・デザイン・オフィスの社食堂にて、ランチを食べる。土曜の昼だったが、かなり賑わっていた。半地下の空間であり、事務所のエリアとの間に間仕切りはなく、食堂から働いている様子がまる見えだった。仙台の卸町の倉庫を転用した阿部仁史のアトリエも、レクチャーの開催時、横でスタッフが仕事をしていたが、社食堂は天井が低い分、もっと近接した感じである。もともとはスタッフもうまくて健康的な料理を食べられるようにと谷尻さんが始めたプロジェクトらしい。飯田善彦の事務所も大量の蔵書があることを活かし、1階をブック・カフェとして開放していたが、これらは《CASACO》が住宅を開くように、事務所を開くタイプの試みと言えよう。
広島市において、サポーズ・デザイン・オフィスによる「堺町ビルプロジェクト」を見学した。場所は川を隔てて、《広島平和記念公園》のすぐ近くである。自社運営(!)のホテル《THE PLACE》を建設する前に、敷地にある解体予定の古いアパートを活用し、10組のクリエイターの表現スペースとして開放するプロジェクトだ。したがって、期間限定である。劇団が活用する部屋は上演中のため、室内を見ることができなかったが、401号室の竹村文宏の「絵画を構築する」、402号室のCarlosによる「解体を構築する場R」、ほかに2A号室のmasmによる絵画と空間インスタレーションなどが印象に残った。いずれもホワイトキューブではなく、さらに現状復帰も要請されない条件を生かし、建築空間と深いつながりをもつアートを展開している。ただし、ゴードン・マッタ=クラークのような壁や床を切りとるほど、ラディカルな介入ではない。それでも、「解体を構築する場R」は、畳や押し入れなど、日本のアパートならではの部位をうまく読み替えていた。サポーズ・デザイン・オフィスは、モノのデザインだけではなく、コトを起こすことに長けている。
2018/06/23(土)(五十嵐太郎)