artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
神戸港開港150年記念「港都KOBE芸術祭」
会期:2017/09/16~2017/10/15
神戸港、神戸空港島[兵庫県]
1858年に結ばれた日米修好通商条約に基づいて、1868年に開港した神戸港。我が国を代表する港湾の開港150年を記念して、地元作家を中心とした芸術祭が開かれている。参加作家は、小清水漸、新宮晋、林勇気、藤本由紀夫、西野康造、西村正徳など日本人作家16組と、中国・韓国の作家3名だ。会場は「神戸港」と「神戸空港島」の2エリア。ただし、神戸港エリアの一部はポートライナーという交通機関で神戸空港と繋がっており、「神戸港」と「ポートライナー沿線」に言い換えたほうがいいかもしれない。芸術祭の目玉は、アート鑑賞船に乗って神戸港一帯に配置された作品を海から鑑賞すること。港町・神戸ならではの趣向だ。しかし残念なことに、取材時は波の調子が悪く、アート鑑賞船は徐行せずに作品前を通過した。通常は作品の前で徐行してじっくり鑑賞できるということだが、自然が相手だから悪天候の日は避けるべきだろう。一方、意外な収穫と言ってはなんだが、ポートライナー沿線の展示は、作品のバラエティが豊かであること、主に屋内展示でコンディションが安定していること、移動が楽なこともあって、予想していたより見応えがあった。神戸空港という「空の港」と神戸港(海の港)を結び付けるアイデアも、神戸の未来を示唆するという意味で興味深い。会場の中には神戸っ子でも滅多に訪れない場所が少なからずあり、遠来客はもちろん、地元市民が神戸の魅力を再発見する機会に成ればいいと思う。
2017/09/15(金)(小吹隆文)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館
[ポーランド、オシフィエンチム]
今回の重要な目的地であるアウシュヴィッツ博物館へ。クラクフからのバスががらがらで油断したら、すでに現地に大量の観光バスが並んでいた。また予約をちゃんとしていなかったのだが(時間ごとに人数制限がある)、英語ツアーの空きになんとか入れてもらい、無事に見ることができた。実際、アウシュヴィッツのエリアは小さいにもかかわらず、世界中から膨大な数の観光客が押し寄せるため、なるほど混み合う10時から16時はガイド形式でのみ見学可能にしないと、確実に現場はカオス状態になるだろう。ゆえに、途切れなく各国語のガイドツアーが数珠つなぎになって、各棟の部屋をまわり、狭い中廊下を団体がすれ違う。有名な頭髪のほか、靴、めがね、かばんなど、ユダヤ人が使っていた日用品をジャンル別に大量に並べて展示する形式は、いつ始まったのだろう。現代美術でもよく使うやり方だが、その不気味さの根源はここにあった。一方でアウシュヴィッツを見た後は、そうしたタイプのアート作品が皮相的に見えてしまうかもしれない。
写真:上3枚=ツアーで回るアウシュビッツ博物館、左下=犠牲者の靴、右下=薬品の缶
2017/09/14(木)(五十嵐太郎)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所
[ポーランド、オシフィエンチム]
アウシュヴィッツの建築群はもともとポーランドの兵舎を転用したもので、更地に建設したビルケナウの床もないバラックに比べると、ちゃんとしている。ただ、28棟に最大2万人以上がいたという数字は、建築計画的に信じがたい密度であり、機能主義どころか、人をモノとして詰め込めば、なんとか可能なレベルだ。例えば、11号館の地下、直立房はひたすら立たせる懲罰牢で、90cm四方の空間である。1人を入れるのかと思いきや、調べるとここに4人を閉じ込め(確かにこれでは人間そのものが場所を埋め尽くし、物理的に座るスペースなどなくなる)、空気孔も小さく、立ったまま死んだらしい。想像を絶する空間の使い方である。アウシュヴィッツ強制収容所から2kmほど行くと、広大なビルケナウがあり(こちらはガイド形式の必要はなく、人数制限もない)、鉄道が死の門に引き込まれる有名な姿はここだ。証拠隠滅をはかって、ナチスがクレマトリウム(焼却炉)を爆破した廃墟のほか、見渡す限り、バラックや暖炉だけ残る廃墟が無数に並ぶ。一部はバラック内も見学できるが、基本は野外展示だ。
写真:上=ビルケナウ、3段目右=煙突だけが残る木造バラック、4段目右=破壊されたクレマトリウム
2017/09/14(木)(五十嵐太郎)
ワルシャワ蜂起博物館
[ポーランド、ワルシャワ]
ワルシャワ蜂起博物館は、ナチスに抵抗した市民が戦闘の結果、徹底的に叩きつぶされ、街が破壊された記憶を伝える。なお、戦後も共産主義のもと、この歴史は正当に評価されず、1989年以降の民主化を経て、ようやく機運が高まり、博物館が整備されることになった。ゆえに、執念を感じる展示である。また廃墟と化したワルシャワの状態を、CGによって復元し、3Dで見せる映像を見ると、広範囲にわたって破壊されたことがわかる。旧王宮の内部を見学すると、派手な部屋が続くが、すべて復元である。戦災で街並みの多くは壁だけは残っていたが、これは入念に破壊され、壁すらほとんど残らなかった。街のシンボル的な建築ゆえに、徹底的に狙われたのかもしれない。そして戦後に復元が決まるも、いったん中断し、市民の寄付や労働奉仕によって、1970年代に工事が完成した。なお、戦時中から美術史の研究者や建築家らが活躍し、絵画を避難させたり、王宮の復元にこぎつけた背景も、詳しく紹介されていた。
写真:上4枚=《ワルシャワ蜂起博物館》、3段目=旧王宮外観、4段目=復元された旧王宮内部、左下=破壊された王宮、右下=王宮復元の募金箱
2017/09/13(水)(五十嵐太郎)
クラクフ旧市街、新市街、クラクフ郊外通り
[ポーランド、クラクフ]
旧市街、新市街、クラクフ郊外通りを歩く。奇跡的に戦火を免れた建築もあるが、ほとんどが1950年代から復元された街並みである。空襲を受けた東京のような木造の都市が何もない焦土と化すのとは違い、組積の壁は残っていたが、とはいえ、これだけ広大な範囲でよく実現したと感心させられる。街並みを復元する際は、王宮に残されていたカナレットが描いた精密な都市風景画も役立ったらしい。現在、通りにはカナレットの複製画が設置され、現実の風景と比較できるようになっている。なお、ポーランドの古建築の意匠も興味深い。中世系のデザインはどこかかわいらしい。また古典主義系は、柱がやや太いのに、全体としては垂直に引きのばした感じで、妙なバランスである。これはイタリアの古典やフランスの教会を基準としたときの判断だが、中国と韓国を比較した場合、やはり同じ様式であっても、地域によるズレが起きるのは興味深い。旧市街広場に面するワルシャワ歴史博物館は、展示のリニューアル中であり、何々~を展示予定と書かれた札だけが立つ、空っぽの部屋だらけの不思議な体験だった。なお、これも復元した建築を数棟つないでつくられたため、迷宮レベルに複雑なリノベーションの空間をもつ。内部に入ると、さまざまな高さから広場を見ることもできる。
写真:左上から、復元された旧市街、破壊された広場模型、カナレットの風景画 右上から、古典主義建築、《ワルシャワ大劇場》、復元された新市街の広場、、クラクフ郊外通り
2017/09/13(水)(五十嵐太郎)