artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
川俣正「工事中」再開
会期:2017/08/18~2017/09/24
アートフロントギャラリー+ヒルサイドテラス屋上[東京都]
川俣正の「工事中」をリアルタイムで知ってる人はもう50歳以上のはず。1984年、川俣は代官山のヒルサイドテラスで「工事中」と題するプロジェクトを行なった。アートフロントギャラリーの企画で、この建物の内外を材木で覆っていく計画だったが、テナントから実際に「工事中」に間違えられて客足が遠のくとクレームがつき、途中で断念。ところがこれを写真週刊誌がスクープして人が集まり始めたため、テナントは手のひらを返すように続けてほしいとお願いしたらしい。ともあれ、川俣はその直後ACCの奨学金で渡米し、3年後にはドクメンタ8に参加。その年に出版した初の作品集はドクメンタの出品作品を表紙に使い、タイトルを『工事中 KAWAMATA』とした。「工事中」は初期の川俣にとってエポックメーキングなプロジェクトだったのだ。
あれから33年、「工事中」を「再開」するという。なぜいま? と訝しく思うが、「再開」にいたるまでにはいくつかの伏線があった。まずひとつは「代官山インスタレーション」の終焉。これは1999年からヒルサイドテラスを中心とする代官山界隈を舞台に、隔年で開催されたサイトスペシフィックなインスタレーションの公募展。企画はやはりアートフロントギャラリーで、「工事中」に刺激されたであろうことは審査員のひとりに川俣が選ばれたことからもうかがえる。さらに川俣のように都市と切り結ぶアーティストを発掘したいとの思惑もあっただろう。だが、目標は達成されたとはいいがたく、そこそこ楽しめる作品はあったものの、とびきり優れた作品もアーティストも輩出することなく4年前に幕を閉じてしまう。きっと川俣は歯がゆく思ったに違いない。「自分ならこうするのに」と。
ふたつ目は、ヒルサイドテラスの前に架かる歩道橋がこの秋、撤去されることになったこと。それがなぜ「工事中」の再開につながるのかというと、今回は建物の内外ではなく屋上に材木を組んでいるのだが、屋上でやるのは上からの視点を想定しているということであり、件の歩道橋の上から眺めるために制作したということだ。こうして川俣のインスタレーションを見るためにみんな歩道橋に上り、歩道橋の存在も記憶に刻まれるというわけだ。
そしてもうひとつ、この夏、「東京インプログレス」の一環として6年前に南千住に建てられた汐入タワーが解体され、廃材が大量に出たこと。この廃材が代官山に運ばれ、インスタレーションの材料として使われることになった。こうしていくつかの偶然が重なり、たまたま2017年の夏に実現することになったわけだ。実際に歩道橋の上から見ると、こんもりと材木が盛り上がっている感じ。カチッとしたモダン建築にザラッとした大量の材木が積み重なっているさまは、なにか心をざわつかせる。もはや陳腐なたとえだが、津波で流された廃材が建物に引っかかっている光景を彷彿させないでもない。屋上に上がってみると、材木を組んだ内部は人が動けるくらいの空洞になっていて、重なった材木越しに代官山の風景を見ることができる。1階のギャラリーには84年の「工事中」の写真・資料も展示され、アートフロントの北川フラムさんも、写真家の安斎重男さんも、PHスタジオの池田修(現BankART代表)も当たり前だが若い。池田くんなんか体積が半分くらいしかない。
2017/08/18(金)(村田真)
《真駒内滝野霊園の頭大仏》
[北海道]
札幌国際芸術際を離脱し、見ておきたかった場所をめぐる。まず《真駒内滝野霊園の頭大仏》へ。これは安藤忠雄がデザインしたランドスケープであり、ラベンダーの丘を2つに切断する中心軸を進み、直交する水庭(両サイドにロトンダを置く)を過ぎると、今度はトンネルをくぐって、最後に大仏を見上げる。なかなか普通の建築の仕事で、ここまでアプローチのためのランドスケープをつくることはできないので、地方都市の霊園ならでは、というか建築家冥利のプロジェクトだ。ただし、おそらく都築響一の「ロードサイド・ジャパン」で紹介していた霊園の入口に並ぶモアイ像の群やストーンヘンジの実物大(?)レプリカは、なかなかにキッチュな風景で唖然とする。大仏が古い時代のものだと勘違いして訪れていたイタリア人の集団がいたけれど、彼らもびっくりしていたようだ。
2017/08/17(木)(五十嵐太郎)
夕張 石炭博物館
[北海道]
前々から訪れたかった夕張へ。近代の炭鉱産業で栄えた後、国策変更で衰退し、今度は観光に舵をきり、バブル期のポストモダン・テーマパークなどの事業で失敗した。そして財政破綻し、過疎化が加速する地方自治体は、日本の未来を考えるうえで重要だと思われるからだ。北海道のガイド本を調べても、夕張をまったく紹介しておらず、ネット上でしか情報が得られない。実際、めろん城や石炭村は廃止しており、夕張鹿鳴館は休館、図書館、体育館、雪で屋根がつぶれた美術館はすでに稼働停止だった。学校は閉鎖・統合し、あちこちに空き屋と廃墟を見かける風景は、なるほど普通の観光にはならない。そして無人の夕張駅(喫茶店の裏にホームがある)は来年に廃線となるらしい。街はファンタスティック映画祭ゆえ、映画のポスターの絵をちらほら見かけるが、ほとんど人通りはなく、ゴーストタウンのようだ。夕張で目撃した風景は、福島の放射線量が高いエリアを代表とする東北の被災地ともよく似ている。もちろん、自然災害や原発事故が引き起こしたものではないが、行政や民間事業の失敗がこれだけ重なると、人為的な災害というべき結果をもたらし、人口は最盛期の1960年代に比べると、もう1/10以下まで減少している。かろうじて営業していた施設として、石炭博物館が挙げられる。ただし、本館は改装中(?)で入れず、チケットの販売だけを対応し、別棟の模擬坑道のみを見学できる。地下にもぐって炭鉱の空間をリアルに体験するのは面白いが、スタッフがまったくいない(入り口にいると思ったら人形だった)長い地下空間であり、ほかの観光客が全然いない状況で歩くのはけっこう怖い。また幸福の黄色いハンカチ想い出ひろばは、同名のロードムービーのラストシーンのロケ地現場であり、ここは往年のファンがぱらぱらと訪れていた。黄色い手紙が壁中にはられた部屋は、越後妻有などで出会うアート作品のよう。が、1977年の映画を懐かしめるファンはもうすでに高齢化しており、10年、20年後の集客は厳しいかもしれない。最後に夕張で立ち寄った清水沢のダムとそこから眺めた足下の風景、また向かいの旧北炭清水沢火力発電所のカッコいいことに感心させられた。雨が降るなか目撃したせいか、ほとんど映画や物語の世界のようだ。また発電所の背後に、だいぶ古い住宅団地がまるごと残っている。が、一部プレハブ住宅に住み替えが行なわれていた。
写真:上から、教習所、黄色い手紙の部屋、模擬坑道、旧北炭清水沢火力発電所
2017/08/17(木)(五十嵐太郎)
大漁居酒屋てっちゃん
[北海道]
札幌国際芸術際の展示にもなっている大漁居酒屋てっちゃんのお店に入る。ほぼ満席の状態で、あいにく名物の刺身は品切れだったが、それよりもエレベータを降ると、いきなり店内になっていること、そして壁と天井を余白なしに埋め尽くす昭和のグッズに圧倒される。座る場所を浸食しない程度には床もモノが放置(?)され、なぜかトイレには生きた魚の水槽がある。やはりビルで見た展示写真よりも、実物の空間が凄い。
2017/08/17(木)(五十嵐太郎)
《旧三井銀行小樽支店》《市立小樽美術館》
[北海道]
小樽を再訪した。前回は吹雪くなかの見学で、かなり視界がさえぎられたが、今回はちゃんと建物のファサードを見ることができた。ニトリ小樽芸術村のプロジェクトで修復された《旧三井銀行小樽支店》の内部が新しく見学可能になっている。当時の詳細図面、工事写真、ボーリング調査など、建築的には素晴らしい展示だった。しかし、一般の人にとって700円は高いと思われるかもしれない。小樽は明治から昭和初期の様式建築で有名だが、《市立小樽美術館》は小坂秀雄が手がけたほれぼれするような郵便モダニズムである。ここでつとめた後にアーティストになった一原有徳の展示と夕張の企画展を見る。後者は見たばかりの夕張の駅やダムの風景ほか、街に触発された現代美術を紹介しており、面白い内容だったが、残念ながらこのカタログは制作していないということだった。
写真:上から《旧三井銀行小樽支店》《市立小樽美術館》
2017/08/17(木)(五十嵐太郎)