artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
リボーンアート・フェスティバル2017 その5(石巻市街地)
会期:2017/07/22~2017/09/10
宮城県石巻市ほか[宮城県]
市街地に戻り、つい1カ月前まで営業していたポルノ映画館を舞台にしたカオス*ラウンジとハスラー・アキラの作品へ。劇場の歴史や津波の記憶に迫る力業の空間インスタレーションやVR体験もあるが、一瞬どこまでオリジナルでどこまでが介入した作品かわからない部分も興味深く、作家との相性がよい会場である。最後は19時を待って、中瀬のカールステン・ニコライの作品へ。レザーを宙に向かって放ち、細い糸のような線がどこまでも高く高く伸びていくような視覚体験だった。まわりでは普通に釣りをしている人も多く、リボーンを認識していない彼らからは宇宙と交信し、UFOを呼び寄せていると思われたかもしれない。もっとも、石巻の市街地では驚くほど数多くのリボーンの幟やポスターがあって、大都市・名古屋でいくらあいちトリエンナーレががんばっても、この密度感は出せないだろう。音楽フェスからアートに人が流れるか(暑いのに無理して多く体験するのは似ているが)、今後の継続開催など、行方と展開が興味深い。
写真:上4枚=カオス*ラウンジ《地球をしばらく止めてくれ、ぼくはゆっくり映画をみたい。》、ハスラー・アキラ《私たちは互いの勇気になろう》 下2枚=カールステン・ニコライ《石巻のためのstring(糸)》
2017/07/26(水)(五十嵐太郎)
富谷昌子「帰途」
会期:2017/07/25~2017/08/13
POST[東京都]
富谷昌子の最初の個展「みちくさ」(ツァイト・フォト・サロン)が開催されたのは2010年だった。それから何度かの個展を開催し、写真集『津軽』(HAKKODA、2013)を刊行するなど、順調に歩みを進めている。今回の東京・恵比寿のPOSTでの個展(15点)は、フランスのChose Commune社から同名の写真集が刊行されたのにあわせたものだ。
2014年から撮り始められた「帰途」は、青森の家族(母、妹、その子供)を中心に、彼らの周辺の光景を取り込んで構成されている。「わたしとは何か、この世界とは何か」と問いかけ、写真を撮影し、シリーズとしてまとめることで、「時間も意味もわたしも超えて『わたし』を見つめた物語」を編み上げていくという彼女の意図はきわめて真っ当であり、写真も衒いなくきっちりと写し込まれている。とはいえ、モノクロームの柔らかな調子のプリントには、被写体だけでなく、それらを取り巻く気配のようなものも映り込んでおり、見る者の想像力を大きく膨らませていく。あまりにも正統派の「家族写真」、「故郷写真」といえなくもないが、逆にこのような地に足がついた仕事を積み重ねていくことで、さらにひと回り大きな写真作家としての成長が期待できそうだ。
特筆すべきは写真集の出来栄えである。版元のChose Commune社からは、昨年、植田正治の写真集も刊行されており、日本の写真家たちを丁寧にフォローしていこうという姿勢がはっきりと見える。今回の『帰途』も、淡い色遣いの水彩画を使った表紙、端正な造本やレイアウト、暗部に気配りした印刷など、クオリティの高い写真集に仕上がっていた。
2017/07/26(水)(飯沢耕太郎)
荒木経惟「センチメンタルな旅 1971─2017─」
会期:2017/07/25~2017/09/24
東京都写真美術館[東京都]
昨年9月のリニューアル・オープン以来、「総合開館20周年記念」として開催されてきた東京都写真美術館の企画展の掉尾を飾るのは、荒木経惟の「センチメンタルな旅 1971─2017─」だった。彼の「私小説としての写真」の起点となった私家版写真集『センチメンタルな旅』から、新作の「写狂老人A日記 2017.1.1─2017.1.27─2017.3.2」まで、1990年に亡くなった妻、陽子さんとのプライべートな関係を投影した写真を集成した展示である。
「わが愛、陽子」、「東京は、秋」、「食事」、「空景/近景」、「遺作 空2」といったよく知られた作品に加えて、「プロローグ」のパートに展示された、二人が出会ったばかりの時期の日常を綴った「愛のプロローグ ぼくの陽子」(モノクロ/カラーポジ、100点)など、初公開の作品もある。まさに彼の「写真家人生」における最も重要な写真群であり、荒木にとって陽子の存在が、写真家としての方向性を定め、実践していくプロセスにおいていかに大切なものだったのかがヴィヴィッドに伝わってきた。とはいえ、荒木と陽子の関係は一筋縄ではいかない。「陽子のメモワール」のパートに展示された「ノスタルジアの夜」や「愛のバルコニー」といったシリーズを見ると、「撮る─撮られる」、「見る─見られる」という二人の行為が、時には一般的な男女の関係を踏み越えるほどの激しさでエスカレートしていることがわかる。荒木と陽子の物語は、予定調和にはおさまり切れない歪みや軋みを含み込んでいたのではないだろうか。
それにしても、今年は時ならぬ「荒木祭り」になりそうだ。年末の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の「私、写真。」展を含めて、20以上の企画が進行しているという。この凄まじいエネルギーの噴出ぶりはただごとではない。
2017/07/24(月)(飯沢耕太郎)
松岡亮「何も知らず、空で描く。」
会期:2017/07/24~2017/08/05
福住画廊[大阪府]
松岡亮はミシンを用いて刺繍ドローイングを制作するアーティストだ。個展会場には手描きのドローイングと刺繍ドローイングが並んでおり、それらを見たときには、まず手描きのほうを制作し、それらをもとにミシンワークを行なっているのだと思った。また、彼の作品には童画のような奔放さがあり、ひょっとしたら手描きの作品は彼の子供が描いているのか、とも思った。本人に尋ねるとどちらも間違いで、すべて自分の手によるものであり、下描き無しに即興で制作している。彼のミシンワークは、まるで手描きのごとく自由に糸を操るのが特徴だ。制作風景の動画を見せてもらったが、両手で布を躍らせるように動かすと、刺繍の線が四方八方に広がっていく。彼のミシン使いはきわめて独特で、その様子を見たミシンメーカーの人は驚愕し、悲鳴(ミシンが壊れる!)を上げたそうだ。道具の既成概念を覆し、新たな創造の可能性を切り拓くアーティストは格好いい。筆者は松岡に「ミシンのジミヘン」の称号を捧げたい。
2017/07/24(月)(小吹隆文)
1000年忌特別展「源信 地獄・極楽への扉」
会期:2017/07/15~2017/09/03
奈良国立博物館[奈良県]
「往生要集」などを通じて死後の世界のイメージに影響を与えた比叡山の僧・源信にちなむ、絵画と彫刻を展示する企画だ。聖衆来迎寺六道絵をはじめとする地獄図が生き生きと描かれ、アーティストを触発したことがうかがえる。ただ、極楽図の方は、平穏過ぎて、どうしてもやや単調になってしまう。地下通路を経由して、なら仏像館へ。これだけ大量に仏像を一堂に並べると、時代ごとの造形の違いが実物で勉強できる。確かに、飛鳥/奈良時代だと顔が違う。われわれが一般にイメージする仏像の顔はそれより後のものである。ただし、ここのリノベーション、真上に顔を向けないと、ほとんどオリジナルの天井が隠れてしまうのは残念だ。
写真:上=《なら仏像館》 下=《奈良国立博物館》
2017/07/23(日)(五十嵐太郎)