artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
MONSTER Exhibition 2017
会期:2017/07/14~2017/07/18
渋谷ヒカリエ8 / COURT[東京都]
公募の審査を務めた「MONSTER展」のオープニング@ヒカリエ。今年は平面作品が多いこと、ノンジャンルだが、アート系が目立つ。ベタな怪物を表現した作品よりも、「monster」の語源にさかのぼり、その存在を予感させる西尾侑夏、hasaqui yamanobe、ATSUらの絵画が興味深い。ただ、本当の力作は立体の方にあって、慰霊の念を込めたアール・ブリュット的、チェンソーを駆使した荒々しい造形による山元町のしょうじこずえと、化ける女性に狐の相貌を与えた木彫の木村桃子が印象的だった。物語の妄想力という観点では、倉坪杏奈によるハイブリッド・ヒューマノイドのプレゼンテーション(?)はインパクトがあった。オープニング後の打ち上げでは、鳥山明で目覚めて、いまも続くドラゴン愛を多面的に語る女性(作家名はDRAGONIST)がいて、さすが「MONSTER展」の参加者だと感心させられた。もっとも、今回の応募作はそのパッションが足りず、昔の作品の方が熱量は大だった。
2017/07/13(木)(五十嵐太郎)
長見有方「御嶽 UTAKI」
会期:2017/07/10~2017/07/15
巷房2[東京都]
長見有方(おさみ・ありかた)は1947年、北海道生まれ。大判カメラで撮影した端正なモノクローム写真を、いくつかのギャラリーでコンスタントに発表し続けてきた。今回、東京・銀座の巷房2で展示した「御嶽 UTAKI」のシリーズにも、細やかに、光と影のあわいに目を向けていく彼の眼差しのあり方がよくあらわれていた。
御嶽はいうまでもなく、沖縄の人々の信仰や祭礼の場となっている聖なる場所で、多くは森の奥などにつくられている。長見が撮影したのは、沖縄本島近くの浜比嘉島、粟国島を除いては、石垣島、西表島、黒島など、八重山諸島にある御嶽である。祖霊信仰がいまも根強く残っている沖縄では、部外者は立ち入り禁止になっている御嶽も多い。長見はあえてそのような禁忌の場所は避け、南方の植物が生い茂る森の中に、ひっそりと溶け込んでいるような御嶽に目を向けている。その謙虚で慎ましやかなアプローチの仕方によって、むしろ聖なる場所の、不思議な浮遊感を感じさせるたたずまいが、とてもうまく捉えられていた。展覧会のリーフレットに文章を寄せた、ベオグラード芸術大学教授のブラニミル・カラノビッチが、長見の人柄とその姿勢を「聖人の肖像や聖書の場面を描くキリスト教の画僧」と比較しているが、それも的を射た指摘ではないかと思う。
もう少し長く続けていくと、さらに実り多い成果に結びついていきそうだ。写真集の刊行も期待したい。
2017/07/12(水)(飯沢耕太郎)
ジョン・メイソン A SURVEY展
会期:2017/07/07~2017/08/26
現代美術 艸居[京都府]
アメリカ現代陶芸の先駆者として、ピーター・ヴォーコスやケン・プライスと並び称されるジョン・メイソン。彼の1950年代から現在の新作まで33点(未公開作品を含む)を紹介する個展が行なわれた。作品のなかでもっとも古いのは、1950~60年代にかけてのアメリカン樂の茶碗や器。器の表面に生々しい指の痕跡が残る作品や、抽象表現主義絵画にも通じる激しい筆致の抽象的な絵付けが為された作品があった。1960年代の作品には、陶板をスタジオの床に投げつけて変形させたものや、陶板にアルファベットの型を押しつけたものがある。その後彼の作品は幾何学的な形態を帯びるようになり、近年は方形や円形の陶板を組み合わせた理知的なオブジェへと進化している。メイソンは1927年生まれなので、今年で90歳になる。さすがに現在は実作業の多くをアシスタントに任せていると思われるが、それでもこれだけ精力的に、しかもエッジの尖った作品をつくり続けているとは驚きだ。例えば画像の3作品は、2015年と16年のものだ。恥ずかしながら筆者は、本展を見るまでメイソンのことを詳しく知らなかった。彼の作品は同時代のアメリカ現代美術の影響を大きく受けているが、逆に彼がアメリカの絵画や彫刻に与えた影響もあるだろう。今後機会があれば、そのあたりも是非知りたい。
2017/07/11(火)(小吹隆文)
林葵衣個展 声の痕跡/Trace of voice
会期:2017/07/08~2017/07/16
KUNST ARZT[京都府]
画廊に入った途端、壁面に引かれた3列の赤い線が目に飛び込んできた。ぶにょぶにょとした不思議な線だ。どんな画材を用いているのかと思いきや、自分の唇に口紅を塗り、壁面に唇を押しつけて言葉を発しながら横移動したものだという。いわば唇の拓本、あるいは声の痕跡である。それを知ってから、以前に彼女の個展を見ていたことに気が付いた。その時も唇で描いた作品があったが、色はモノトーンだった。新作で口紅を用いたことにより、作品には生々しさと官能性が加わったように思う。筆者は制作風景にエロチックな興味を覚えたが、画廊のウェブサイトにリンクされた動画を見ると、思いのほかハードな作業であった。それはさておき、出品作品のなかには父親との会話など、コミュニケーションをモチーフにしたものもあった。言葉、文字、会話は人が人たる所以と言うべき要素だ。その意味で彼女の作品は、人間の本質に肉薄する可能性を多分に秘めている。
2017/07/11(火)(小吹隆文)
猪井貴志「鉄景漁師」
会期:2017/06/22~2017/08/08
キヤノンギャラリーS[東京都]
鉄道写真というジャンルはとても人気が高く、専門の雑誌があるし、日本鉄道写真作家協会(JRPS)という団体もある。だが、写真表現全般のなかで論じるのは逆にむずかしい。被写体そのものがかなり特殊なのと、独特の美意識や撮り方のルールがあるからだ。だが、今回キヤノンギャラリーSで開催された猪井貴志(現・JRPS会長)の展示を見て、鉄道写真には「風景写真」としての魅力が確実に備わっていると感じた。むしろ「鉄道」という被写体にあまりとらわれることなく、「電車が写っている風景写真」として、素直に楽しめばいいのではないだろうか。
猪井貴志は1947年、神奈川県生まれ。盟友の真島満秀とともに、国鉄時代から鉄道写真のパイオニアの一人として活動してきた。彼の写真の見所は、何といっても「風景とそこを走る列車との競演」にある。場所と時間、季節の選び方が絶妙で、これしかないというポイントでシャッターを切っていることが、どの写真を見てもしっかりと伝わってくる。桜、菜の花、海、森、雪など、季節の移り変わりとともに姿を変えていく日本の風景の繊細な美しさが、電車という鉄の塊を配することで、より引き立って見えてくるのは、考えてみれば不思議なことだ。長年の経験の積み重ねによって、ここぞというタイミングをつかみ取る能力に磨きをかけてきたということだろう。
その意味では、まさに「鉄景漁師」というタイトルがうまくはまっている。鉄道写真を漁師の魚釣りに例えると、そのむずかしさも面白さも、よくわかる気がしてくる。釣りでも鉄道写真でも、潮目や天候を見極める目が大事なのだが、いくら準備に準備を重ねても、運を天に任せなければならないこともよくある。そして、すべてがうまくいって「最高の一枚が撮れたときは、嬉しくて嬉しくて、本当に酒がうまい」。会場に掲げられたこの猪井のコメントに、大きくうなずく人も多いのではないだろうか。
2017/07/11(火)(飯沢耕太郎)